TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第二十二話 港町スオール

 ひどい揺れを感じた。

 上下に――いや上下だと思った瞬間、今度は地面が傾いているのだと気付く。

 そこでようやく船に乗っていることに気付いた。

 私はひどく揺れる甲板に一人で立っている。

(確か……シントリアに行くためにエッジ達と船に乗っているんだっけ)

 不意に船が大きく揺れて、その場に踏みとどまれなかった私はそのまま倒れ船の縁から投げ出される。

 ゆっくり落ちていく一瞬の中で、誰かが自分に手を伸ばすのが見えた。

 それはエッジだった。

 私もそれに応えて手を伸ばす。

 しかし、互いの指先が触れた途端それは滑り、それぞれの腕は空を切る。

 私はそのまま海に引きずられる様に、暗い水の中へ落ちていった。

 

 

 目が覚めて、周囲の様子を確認した時、クロウはまだ夢の中にいるのかと思った。

 夢の中と同じようにひどい揺れを感じたからだ。

 彼女はベッドに寝かされていたらしかった。

 簡素な造りの部屋で、クロウに見覚えは全く無い。

 まだ彼女は状況が飲み込めなかった。

 クロウは吐き気を感じてベッドに顔を伏せる。

「目、覚めたか?」

 今一番聞きたくない不愉快な声を聞いたことで、クロウは怒りと同時に自身が気を失う前のことを思い出す。

「ッ――ブラッディランス!」

 クロウは闇のディープスを槍に変換して、クリフに向けて突進させた。

「うわっ!」

 彼女の調子が狂う声を出し、クリフは素早い身のこなしで槍をすべて避けた。

 対象を外した槍は木製の壁を破壊し、部屋の天井に穴を空け、床を貫く。

 ――と、空いた穴から水が溢れだした。

 同時に潮の匂いが強くなる。

「シャドウエッジ!」

 クロウはそれにも構わず更に追撃をかけた。

 闇の刄をクリフの足元から急上昇させる。

 この前のような牽制ではなく、相手の身体を引き裂くように。

「ぐっ……あ!」

 強引に身体を動かし避けた為、クリフは近くの壁に身体をぶつける。

 それでも避けきれなかったらしく、二の腕から血が噴き出す。

「マーシレス――」

「やめろ!船と一緒に沈みたいのかよ!!」

 クロウはそこでようやく攻撃を止めた。

 クリフはしばらく彼女を警戒して観察したが、もう追撃が来ないと分かると力を抜いてあちこち破損した壁に寄り掛かる。

 二の腕からは血が止まら無い様で、もう片方の手で庇うように押さえ付けていた。

「今この船は海上都市ヴィツアナと中央大陸の間の海をセオニアに向かってる。俺と仲間で、お前を送り届けるために」

 クロウは吐き気と戦いながらも、クリフの態度に疑問を感じた。

「……何でそれを私に話すの?」

 いきなり捕まえられたにも関わらず、クロウは全く拘束されていなかった。

 今も深術で彼を殺そうとしたクロウに対して、クリフは反撃しようともしない。

 ――クリフの行動から彼女はまるで敵意を感じなかった。

「どこに向かうかも分からない船に乗ってんのは嫌だろ?それよりこれ直さねぇと本当に沈んじまう」

 誘拐された時点で嫌も何も無い気がクロウはしたが、クリフは出血する腕を押さえながらどこかへ出ていってしまった。

 

 部屋には彼女だけが残される。

 今なら逃げられるかもしれないとクロウは考えを巡らす。

 この部屋を破壊して外に出て、ラーヴァンで飛んで……。

 飛んで何処へ行くのだろうかと、彼女は悩む。

 クロウ自身驚いたことに、真っ先に思い浮かんだのはサーカスだった。

 あんなに欝陶しいと思っていた筈なのに、今は何故かリアトリスが毎朝起こしに来るあのテントに戻りたいとクロウは思っていた。

(戻りたいと思う場所なんて無かったのに)

 よりにもよってその最初があんなうるさい場所になるとは、クロウは思わなかった。

 

 そこまで考えると自分でも少しおかしくなって、クロウは皮肉な笑みを口元に浮かべた。

 今この船から逃げられても、中央大陸とセオニアの間のどの辺りかも分からない。

 その上、今やクロウはあちこちから追われる身。

 宛てもなく飛んでいるうちにシントリアの騎士団か、スプラウツかに見つかるのが関の山。

 今のクロウの選択肢は、ここでおとなしくしているしかない様だった。

 

 ――――――――――

 

「アキ、って呼び方で良い?」

 エッジ達四人はサーカスを離れてスオール港に向かう道の途中にいた。

 一応マントで顔を隠しながらだが、今は街道を進んでいる。

 エッジが見つかる危険性を無視してでも、早く進みたいというラークの意向だった。

「え?はい、良いです」

 しばらく黙々と進んでいたのだがリアトリスが不意にアキに話し掛け、アキはそれに少し戸惑った様子で答える。

「やっぱり最初の呼び方って大切かなって思って。私はリアトリス、リアでいいから」

 そう言って、リアトリスは屈託のない笑いを浮かべた。

「はい……リアさん」

 リアトリスはアキの遠慮がちな返事に不服そうな顔をする。

「『さん』もなし、何だかそれだと距離を感じるから」

「え、でも」

 首を縦に振らないアキにリアトリスは、少し強く迫った。

「リ ア!」

 そのリアトリスの様子に気押された様に、アキは反射的に口にする。

「リア、さん」

 しかし駄目だった。

 育ちの良いアキの長年の経験は、年上を呼び捨てにする事を許さないらしい。

「もう、違うよ!」

 二人がそんな風に話しているのを見て、ラークはエッジに言った。

「楽しそうだね、あの二人」

 クロウをさらわれた直後のラークには鬼気迫るものがあったが、時間が経っていつものマイペースな調子に戻りつつあった。

 アキと険悪な雰囲気になるのではないかとエッジも初めは思ったが、思いの外和やかな雰囲気で旅が進みそうでそのことについては安堵していた。

「ああ、そうだな」

 ただ、エッジはこの空気に馴染めなかった。

 一緒に笑おうとすると、クロウの事が彼の頭の片隅を過る。

 早く進まなきゃいけない、という思いがエッジの中で募る。

 ラークはしばし彼の顔をじっと見つめていたが、やがて微笑みを浮かべて言った。

「不安?前に進むことだけに集中しないと」

「え……」

 エッジは思っていたことを見透かされた事に動揺し、すぐに答えられなかった。

「集中も大事だけど、適度な余裕も持たないとすぐに潰れるよ……君の師匠として言うけど」

 それはエッジも分かっていた。

 ただ、実行しようとするとなかなか出来ない。

「余裕、って言ってもラークこそ、リアとアキを信頼してないんだろ?そんなのんびりしてていいのか?」

 エッジは質問し返すことで、自分の考え事から意識を逸らした。

「リアトリスのことは信用してるよ、連れてこない方が良いと思っただけでね。ジェイン・アキは信頼しろ、っていう方が無理だよ、それは君だってそうだろう?」

 エッジはまた答えられなかった。

 まだアキのことを以前のように信頼できていない自分が彼の中に居た。

 でも、クロウを助けるのに協力したいというアキの言葉をエッジは疑いたくはなかった。

「ただ、ある意味では少しは信頼してることになるのかな?」

 付け足すように言ったラークの言葉の意味がよく分からず、エッジは首を傾げた。

「彼女は僕の問いかけに頷いた。それが間違いなくジェイン・リュウゲンの意志に反し、また危険だと分かっていてもね。彼女には何かジェイン・リュウゲンとは違う意志を持って動いてる面が見える……僕はそれに賭けてみようと思った」

 そこで言葉を切り、とびきりの笑顔を見せて最後に言った。

「まあ、それだけ、だけどね」

 今のエッジにはよく分からなかった。

 アキを信用するかしないかも、どうすればうまく気を抜けるかも。

 

 エッジが黙々と歩き続ける傍でリアトリスはアキにまだ呼び方の話をしていた。

 

 

 サーカスを出て数日。

 街道のゆるやかな坂の下に港町が見えてきた。

「随分、大きい港町だな」

 エッジが今まで見た中ではかなり大きい町だった。

 二つの腕の様に伸びた岬の間に無数の桟橋や船が点在し、港町全体を高い柵が囲っている。

 流石に王都シントリアほどでは無いが、菜の町シリアンと同じくらいの広さがある。

 それでいて、シリアンよりずっと活気があり人の往来も多く見える。

「これで驚いてたらヴィツアナに着いた時引っ繰り返るよ」

 ラークが口にしたこの港の次の目的地の話にエッジは困惑した。

「そんなにか?……やっぱり海上都市っていう位だからかなり大きいのか」

 旅に出てから、自分が知らなかった世界に驚いてばかりのエッジには想像もつかなかった。

「海上都市ってとっても綺麗な街なんでしょ?」

 やや興奮した様子でリアトリスも会話に加わる。

 彼女もそこへは行ったことが無いらしかった。

「ヴィツアナは一応セオニア国の領土ですけど、アクシズ=ワンドとセオニアの貿易の中継点として栄えています。外観も海の色に映える様な建築物が多く、整備が行き届いた壮麗な街です」

 リアトリスの質問にアキはそう解説する。

 アキは時々十四歳と思えない程頼りになる時があった。

「へぇ~、着くのが楽しみだな。アキは行ったことがあるの?」

 無邪気にはしゃぐところを見ると、エッジにはリアトリスの方がずっと子供にさえ見える位だった。

「一度だけ、シビルさんに――知り合いに連れていってもらったことがあります」

 言いながらアキは口の端に微かな笑みを浮かべた。

「そうなんだ、羨ましいな。私はほとんどサーカスから離れた事が無いし、大体中央大陸とレーシア大陸しか分からないから」

 エッジは、何気ないリアトリスの言葉がふと気になった。

(レーシアってことは……リアトリスやラークはレーシアの出身なのか?)

 今いる王都シントリアのある中央大陸の東、閉鎖的で火山を擁する、三国の内唯一の連合国家。

 アキもリアトリスの発言にほんの少し意外そうな顔をする。

「リア、そろそろ話は終わりにしようか。街も近いしね」

 そこへラークが自然に、しかし有無をいわさない調子で言った。

「あ……ごめんね」

 苦笑いを浮かべて見せたリアトリスだったが、エッジには二人がわざと今の話題を終わらせた様にも思えた。

 

《港町 スオール》

 

 柵の内部に入ってしまうと町の広さはあまり気にならなくなった。

 あちこちに雑然と並んだ建物が視界を阻み、遠くの景色よりむしろ近くの建物が目を引く。

 さっきまで見下ろしていた町の中にいるのだと思うと、エッジ達は何だか急に模型の町の中に小人として入り込んだような錯覚を覚える。

「それで、ヴィツアナ行きの船は何処に行けば見つかるんだ?」

 あまりに船の数が多く、エッジには見当もつかなかった。

 流石にアキやリアトリスも少し困った表情になる。

 しかし、ラークはためらう事無く人込みの中へと歩みを進めた。

 あまりに早い行動に、エッジは思わず呼び止めた。

「ラーク、どの船だか分かるのか?」

 すると、振り返ってラークは言った。

「アスネイシスが盗まれて十五年になるからね、僕も全く探さなかったわけじゃないさ」

「え?」

 エッジが更に疑問を口にするより早く、ラークは再び背を向けて人込みの中を縫うように歩き始めた。

 三人はラークを見失わないよう慌てて後を追い、いつしかエッジの疑問は無意識の内に消えていった。

 

 ――――――――――

 

 王都シントリア。

 その西側の門の内側にアクシズワンド王国騎士団が整然と列をなしていた。

 王国騎士団は青銅色の甲冑に身を包んでいる。

 皆が一様な格好をしている中で、先頭に立つ団長だけは背の高い兜を被り意匠の異なる鎧を身につけていた。

 普段、城の周囲や城門でしか見られない騎士団の姿が道を埋めるさまは周囲の者に不安を与えた。

 タリア・リョウカはそこへ臆する事無く近付き、団長の男に話し掛けた。

「約束通り、私も捜索に同行させてもらえるのでしょう?アズライト団長」

 団長は首だけでリョウカを振り返った。

 今は兜で顔は見えないが、その素顔は団長としてはあまりに若い、端整な青年である事をリョウカは知っている。

「ああ、タリア・キサラギの息女の達ての頼みとあっては仕方ない。ただ、私達もあまり護衛に人員は割けない、足手纏いにはならないで欲しい」

 その答えにリョウカは不適な笑みを浮かべた。

「フフッ、貴方ほどではないけれど、自分の身は守れるつもりよ」

 が、その笑みはゆっくりと消え、真剣な表情へと変わった。

「でも、本当に良いのかしら?私の様な部外者が一緒でも」

「騎士は常に民の為にあるものだと、私はそう思っている。私の責任で君の同行を了承する」

 この団長は国の指導者よりも、まずアクシズワンドの民に忠誠を誓っている様にリョウカには思えた。

 それは弱者の味方とも言えるが、裏を返せば必ずしも国に忠実ではないとも言える。その上アズライトはあまりに若い。

 ずば抜けた剣の資質と人望があるからこそ今の地位にいるが、それはジェイン・リュウゲンが推したからでもあった。

 恐らく、セオニア、レーシアとの戦いに備えて。

 アズライトのおかげで捜索に同行できるとはいえ、リョウカは複雑な思いを抱かずにはいられなかった。

「……それに、今度ばかりは私も私情を挟んでいないとは言い切れないからな」

 アズライトが小さく呟いたさっきの言葉の続きは、リョウカの耳には届かなかった。

 リョウカと団長とのやりとりが終わると、第三師団は進み始めた。

 西へ、スオール港へと。

 

 ――――――――――

 

「この船だよ、僕達が乗るのはね」

 そう言ってラークは目的の船を示すと、後から来た三人に笑いかけた。

 エッジ達は、というと船が見つかった安堵よりも疲労が大きかった。

「ラーク……歩くの速すぎるよ」

「せめて、俺達がついてきてる事を確認してくれよ」

「けほっ……」

 一度、反対に進んできた人の波に流されそうになった為ラークを見失い、走って追い掛けたエッジ達はへとへとだった。

「ふふっ、でもこうして無事に着けたんだから大丈夫だよ」

(何がだよ)

 エッジは心の中で呟いたが、口に出す元気はなかった。

「さて、この船はいつ出発するのかな?」

 誰かに聞こうとラークは辺りを見回す。

 が、何故かこの船の周囲には誰も居ない。

「――おかしいね」

 いくら何でも、船に誰も居ないと言うのはおかしい。

 不思議に思いながらしばらくその場に留まっている彼らに、一人の男が近づいてきた。

「あんたら、この船に乗りたいのかい?だったら当分は無理だ」

 無理とはどういう意味なのか、エッジ達は困惑する。

「何かあったんですか?」

 アキが尋ねると、男は困った様子で話し出した。

「ヴィツアナへの航路の途中に危険なモンスターが出たらしくてな、そのせいで船が通れなくなってるらしい。向こうにある船が見えるか」

 男はそう言って遠くを指差した。

 彼らは目を凝らしてそっちを見る。

「何?……あれ」

 思わず、といった感じでリアトリスが洩らす。

 港に一つ黒い影がある。

 船体の様だが奇妙なのはそれが陸の上にある事だ。

 目を凝らすと、普通と違う事は他にもあった。

 何かが貫いたような無数の穴が空いた船体、歯形のついた帆、何より全体に付いた強い圧力をかけられたような跡。

 それは、モンスター達に襲われたという船の残骸だった。


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