TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第二十話 コレクトバースト

 結局サーカスが終わるまでアキとクリフは観客席を動かなかった。

 リアトリスの舞が終わると二人は他の観客と共にテントの外へと向かう波に紛れて、クロウは見失いそうになる。

 クロウは思わずテントの裏側から外に飛びだし、物陰から観客の波に目を凝らた。

(このままじゃ見つけられない)

 人が多い上に、隠れながらでは思うように探せなかった。

 クロウは自分が追われている立場であることに苛立った。

(これもジェインの、あいつらのせいで!)

 どんどん流れていく人込みを見ていることしかできず、その中に出ていけない彼女は歯痒かった。

 ようやく人の流れがなくなると、幸か不幸か二人はまだその場に残り何か立ち話をしていた。

 すぐに物陰を飛び出してクロウは二人に近づいた。

「クロウさん!」

「こんなとこにいたのかよ」

 二人は彼女が突然現れたことに驚いたようだが、クロウはそんなことより少しでも早くサーカス以外の人間の目の届かないところに移動したかった。

「……場所を変えようか、ここだと目立ちすぎる」

 それだけ言ってクロウが踵を返すと、二人は少し躊躇ったがすぐに彼女の後をついていく。

 クロウは二人を連れて公演用の大きなテントから、普段みんなが暮らしている小さなテント群の方へと移動した。

 あちこちからシンの一族の人の気配はするものの、少なくともこの周辺にはサーカスの外の人間は来ない。

「……」

 三人で歩くと微妙な沈黙が続く。

 少し前まで共に旅していた。

 しかし、アキとクロウが最後に会ったのは王城で戦った時だった。

 クリフはその時いなかったが、こうして一緒に現れた以上何も知らないとは限らないとクロウは疑っていた。

 たった一日。

 その一日でクロウと二人は互いを仲間とは呼べなくなった。

 それが形の上のものでしか無くても、急な関係の変化に気持ちの整理はそれほど早く追い付かない。

 

 ある程度公演用のテントから離れるとクロウは歩みを止め、二人に向き直った。

「なぜ今あなた達がここにいるの?」

 クロウの問い掛けに二人はすぐには答えなかった。

 アキが何か言いそうになるが、なかなか言葉は出てこない。

 そんな様子を見兼ねたのか、クリフが仕方なくという感じで口を開く。

「アキちゃんがお前に謝りたいんだとよ」

(謝りたい?)

 クロウが拳を握り締める。

「あの……私」

「今更謝るくらいなら最初から私達を騙したりしなければ良い!」

 クロウは周囲の闇のディープスを集束し、彼女の全身を締め上げた。

「――!」

 突然首と体を締め付けられ、アキは言葉も発せられないまま目を大きく見開く。

「おい、待てよ!アキちゃんはここまで――」

「うるさい!」

 掴み掛かる勢いで、クリフがクロウに向けて一歩踏み出す。

 それを止める為クロウは彼の足元に闇の刄を発生させ、急上昇させた。

 牽制とはいえ当たれば命は無い、クリフはそれを見て立ち止まる。

「お前……」

 クリフを睨み付けてから、クロウは再び目の前の仇敵(ジェイン)に目を向ける。

 アキは恐怖と不安に染まった怯えた小動物のような目でクロウを見ていた。

(今更そんな目を私に向けるならあんたは私達を裏切るべきじゃなかった。罪悪感があるなら初めからそうやって、何も出来ないままでいるべきだった)

 クロウは静かな怒りをもって、彼女の目に応えた。

「少しでもあんたを許そうと思った私が馬鹿だった……」

 クロウはアキの締め付けを解放する。

「さようなら、ジェイン」

 崩れていくアキの体の周囲に、クロウは闇のディープスで複数の槍を作りだす。

 一瞬で終わらせる為に。

「やめろ!!」

 クリフが叫びながら、自分の身の安全も構わずクロウに突進する。

「ブラッディ――」

結晶化(ジェネレイト)!!」

 リアトリスの声が響き、槍がジェインの体を貫く寸前、大量のディープスがアキの周囲に障壁を作り出す。

 クリスタルのような微かな七色の輝きを放つそれは、槍とぶつかると鈴のような音をたてたが、砕ける事無くクロウの術を全て弾いた。

(私の術を、正面から全部防いだ?)

 クロウがしばし驚いている間にその術を使った本人はクロウとアキの間に割って入り、崩れ落ちたアキを庇うようにきつく抱き寄せた。

「やめて、クロウ!こんな子供に……」

 そのリアトリスの周囲でディープスが急速に集束され時折光の粒子になって見える事で、クロウはリアトリスがコレクトバーストを使った事に気付く。

 普通は深術を使う時、まずディープスを集束(コレクト)しそれを火や水に変換して術として使用する。

 コレクトバーストは無意識下で体全体を常に集束状態にする技術だ。

 常に集束され続けるディープスを、術者は変換することのみに集中し普段より強力な深術を短時間で使用することが出来る。

 極めて高度な技術で、体力の消耗も激しく、深術の訓練を徹底的に施されたスプラウツでも使えるのはほんの一握り。

 だが、それでもクロウの闇属性の術はコレクトバーストだけで防げる様な威力では無い筈だった。

「突然、すごく強いディープスの流れを感じたから来てみたら……どうしてこんなことをするの、クロウ」

 問われてもクロウは答えず、アキを見つめた。

 リアトリスの腕の中で彼女は震えていた。

 呼吸を一時的に止められたせいか、目に涙を浮かべ咳き込みながら何かを呟き続けていた。

「ごめん、なさい……ごめんなさい……」

 呟いているのが謝罪の言葉だと分かってもクロウは何も言わなかった。

(ただ謝るだけの言葉で何かが許される訳が無い)

 それでも、なお謝り続けるジェインがクロウにはどうしようも無いくらい惨めに思えた。

「そんな奴を庇いたければずっとそうやってれば良い」

 クロウはそんなアキや、それに味方しようとするクリフやリアトリスに嫌気がさしてその場を去った。

 

 ひとまず危険が去ったと判断したのか、リアトリスはコレクトバーストを止めてアキに語りかけた。

 初対面の相手でも、リアトリスにとっては命がかかっているなら誰であっても関係ない様だった。

「大丈夫?どうしてあんなことになったの?」

 しばらくアキは涙を流すだけだった。

 その涙が生理的な理由だけではないのは、もう明らかだった。

「私が悪いんです、私がクロウさんを裏切ったから……何をされても文句は言えません」

 それを聞いてもリアトリスはまだ納得できない顔をしている。

 そこへクリフが声をかけた。

「アキちゃんが全く悪くないとは言わねぇけどあいつも流石にやりすぎだ。それを全部自分のせいにすんのはやりすぎだと思うぜ、俺は」

「でも、クロウさんが許せないなら、私はそれを受け入れるしか……」

 もう何度も同じ様なやりとりを繰り返したのか、クリフも軽くためいきをつくとアキを説得するのをやめ、何処かへ歩き去ろうとする。

「ちょっと、あなたもどこへ行くの?この子の仲間じゃないの?」

「アキちゃんは頑固だからな、この調子じゃ俺が何を言っても聞かねえ。だから、俺はもう一人の頑固者の方を何とかしてくる……悪いけどアキちゃんを頼む」

 クリフはそう一方的に頼むと、すぐにクロウを追い掛けにいってしまった。

「え、ちょっと!?」

 後には涙を流し続けるアキと、リアトリスだけが取り残された。

 

 

 クロウは苛立ちながら行き先も考えずに歩いた。

 公演を終えてあちこちで話しているサーカスのみんなの声も今は耳障りに感じて、彼女の足は自然と人気が無い方へ向かった。

 

(ジェインは勝手だ。

 私達は遊びや馴れ合いで旅をしていたわけじゃない。

 私達がしていたのはルオンのような敵と突然戦かう事になったり、犯罪者として国に捕まる危険のある旅だ。

 そこに自分を守ってくれるものなどない。

 自分で選択し、戦い、切り抜けていくしかない。

 度合いの違いこそあれ、ああして敵として戦った以上ジェインだってそれは同じはずだ。

 なのに、自分のしたことを後から間違っていたと思い、今更許しを求めるなんてそんなの甘えだ。

 一度きりしかない選択に私達は常に命をかけているのだから。

 例えそれが生んだのがどんな結果であろうと、後悔しようと、私達に二度目の選択は無いのだから)

 

 クロウはテント群の外縁部に辿り着くと、その場にあったテントによりかかった。

 ここのサーカスは一定周期で移動するものの、居住空間でもあるためかなり骨組みが丈夫だった。

(……私がそう感じるのは私が普通じゃないから?)

 ふと、落ち着くとそんな疑問が微かにクロウの頭を過る。

 クロウがこんな危険な旅をしているのは、それしかできないからだ。

 命のやりとりと、策略の渦巻く世界――ずっとそこで生きてきたクロウにはそれが人生で。

 それ以外の生き方なんてどうすればできるのか彼女には分からなかった。

 でも、そうじゃない人生もあるのだと。

 最近それが本当にクロウは分かるようになった。

 レインやルオンと一緒だった時の様に戦いの中のものではなく、ハクの村にいた時のように綱渡りのような脆いものでもない、純粋に誰かを信じられる世界。

 自分の周りにそういうものが存在しているのだと。

 

(私がジェインを許せないのは、私とジェインが生きてきた世界が違うから?)

 

 そこまで考えてクロウは首を振る。

 仮にそうでも、彼女は自分がジェインを殺そうとしたことが間違っているとは思えなかった。

 正しいか正しくないかを考えても、人は簡単に生き方を変えられない。

 もし、アキやリアトリスが生きてきたのがクロウとは違うもっと平穏な人生で、彼女と考え方が違っていてもクロウは二人にはなれなかった。

(私は私でしか無いんだから……これ以上考えても無駄だよね)

 

「こんなとこにいたのかよ、全く」

 不意にクロウの後ろからクリフの声がする。

 あの後、自分を追いかけて来たのだと彼女は理解する。

「謝れ、って言うつもりなら帰ってよ。私は何も間違ってないつもりだから」

 振り向かずにクロウは言葉だけを返す。

「やれやれ、アキちゃんといいお前といい、何でそう頑固なんだよ……いくら言っても聞かねー」

 いつもの調子になり始めたクリフにクロウは後ろを向いたままもう一言付け加えた。

「あと、説教も聞く気分じゃないから」

 それでも尚クリフは話し続ける。

「でもよ、お前もアキちゃんも色々あったんだろ?その歳で戦いに慣れてるし。お前のことは好きじゃねーけど、苦労してんのは分かる。いや、好きじゃねえって言うのも違うか……単に俺が苦手なだけだな」

「急に何?あんたがそんなだとなんか違和感あるんだけど」

 いつになく思いやりのある言葉に、何か違和感を感じてクロウは振り向く。

「別に恨みとかねぇけど……悪い」

 クロウは振り向くと、背後に立ったクリフが青い光を纏った右手を自分の目前に突き出していることに気付いた。

「!」

「――『(ぜつ)』」

 頭部を殴り付けられたような衝撃と、急速に体から力が抜けていく感覚をクロウは覚え、直後彼女の意識は闇の中へと落ちていった。

 

 ――――――――――

 

雷神剣(らいじんけん)

「こっちだよ」

 エッジが突き出した剣をラークは、空中を滑るように回転しながらジャンプしてよける。

 エッジはその動きを見ると、すぐに剣に雷のディープスを再集束(リコレクト)させる。

「――降雷剣(こうらいけん)!」

 まだ空中に居るラークに向け、エッジが剣を高くかざす。

 直後、無数の雷が二人の視界を白く塗り潰しラークを襲った。

断空剣(だんくうけん)

 ラークが神速の突きで起こした風で雷は散らされ、視界が晴れる。

 空中で技を受けてもラークの方が反応が早く、次の動きに移ったのは二人ほぼ同時だった。

真空破斬(しんくうはざん)!」

真空破斬(しんくうはざん)!」

 二人の剣によって生じた風の刄が、両者の間の空中でぶつかりあう。

 風の刄は互いに干渉し、不揃いな風に姿を変えた。

 ラークはその風に乗ってエッジから少し離れた位置に着地し、構えを解く。

「フフッ、やればできるね」

 そこでエッジも深く息を吐いて、緊張していた体をほぐす。

「言われた通りに動いただけだろ?次の動きが分かってれば何とか……」

「でも、すぐに真空破斬をコピーできるとは思わなかったよ――威力はちょっと劣ってたけどね」

 エッジはその少しわざとらしい言葉に苦笑する。

「必死でやったからな、大体できなかったらどうする気だったんだよ」

 『最後の動きでラークに教えられた技で同じ技を相殺する』、エッジはその通りにしたのだが失敗したらどうなったかなど考えたくもなかった。

「大丈夫だよ、命に関わる怪我なんてさせないから。当たってもちゃんと二、三日で治るよう加減したよ」

 にこやかに、しかし本気で言っているラークにエッジは軽いため息をつく。

 ラークの訓練は決して甘くはなかった。

 少し気を緩めるだけで怪我に繋がる。

 エッジは今まだ軽い怪我だけでなんとかこなせているものの、体力と集中力のいる訓練だった。

(それでも俺はもうただの負けなんて繰り返さない、今度はクロウやみんなに迷惑をかけない)

 エッジは再び深呼吸をして、疲れた体と心を少しでも回復させようとする。

 その様子に気付いたのかラークが微笑む。

「フフッ、休憩しようか?無駄に怪我だけ増えても意味が無い」

「ああ、ありがとう」

 エッジは素直に感謝して、両膝に手をつく。

 稽古をこなせはしても、やはりまだ完璧についていけているとは言えなかった。

 そこへ、突然リアトリスが誰かの手を引いてひどく慌てた様子で現れた。

「ラーク!大変、クロウの――アスネイシスのディープスの感じがどんどんサーカスから遠ざかってる!」

 それが何を意味するのか考える間に、エッジはリアトリスと一緒に現れたのがアキだと気付く。

「え?」

 アキはひどく落ち込んだ様子で泣いた後の様に目が赤く、彼のことも目に入らないようだった。

(どういうことだ?……何が起きてるんだ?)

 エッジは何かとても嫌な予感を感じる。

「落ち着いて、どういうことか説明してくれるかな?」

 相変わらず慌てた様子は見せないが、ラークは真剣な表情でリアトリスに質問する。

「何か……この女の子と一緒に来た男の人がこの子を置いてクロウを探しに行って、そうしたらクロウが急にここから離れていく感じがして、どうしよう」

 そこでようやく、エッジはクロウがさらわれた可能性があることに思い至った。

(そんな!)

 ラークは眉一つ動かさず、リアトリスに続けて聞いた。

「それはどっちだか分かる?なるべく正確に」

 リアトリスは近くの街道から離れた茂みの方を指す。

「あっち……多分、海に出る方向だと思う」

 それを聞くとラークは手に剣を持ったまま、リアトリスが指した方向へ驚異的な速度で駆け出す。

 その動きはあまりに突然で、エッジは完全に出遅れた。

「待ってくれ、俺も一緒に!」

 ラークの後を追おうとする彼をリアトリスが引き止める。

「エッジ、ラークにはついていけないよ。ここで待とう」

「でも!」

 確かにリアトリスの言う通りではあった。

 ラークは一瞬にして視界の端の茂みを超えて見えなくなり、その速度はエッジの体力が万全の時でも到底追い付けない程、異常なものだった。

「分かった……」

 しばし沈黙が流れると、黙っていたアキがうつむいたまま口を開いた。

「クリフさんが、クロウさんを連れていったんですか」

 エッジはその言葉に驚く。

 クリフがクロウをさらったかもしれないこともそうだが、アキとクリフが一緒に現れたという事も驚きだった。

「クリフも一緒だったのか?」

 エッジとアキの会話の様子を見て、よく分からないという表情でリアトリスが質問する。

「二人は知り合いなの?さっきの人も」

「ああ」

 エッジはリアトリスに今までの旅のことを説明しはじめた。

 なるべく冷静に。

 そうしていないと彼は、ここからどんどん離れていっているクロウを追って走りだしてしまいそうだった。


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