TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
エッジはよく状況が飲み込めなかった。
彼は助けを求めるようにラークとクロウの方を見る。
目が合うとラークは首を傾げてみせ、何のことか分からないと示す。
クロウの方は目が合うと何故か不機嫌そうにエッジを睨み、それから視線を逸らした。
エッジは少しパニックになりながら再びリアトリスの方に顔を戻す。
リアトリスは相変わらず親しげな微笑みを浮かべたままだった。
「もしかして忘れちゃった?小さい時だったからね……仕方ないか」
リアトリスはそう言うと少し悲しそうな表情になった。
「ち、ちょっと待ってくれよ!話がまったく見えない。何で俺は君と会ったことがあるんだ?」
「傷付くなぁ本当に覚えてないんだ。まあ、いいけど。でも分かるでしょ?あなたも私も『シン』の一族だから」
何気ない様子で放たれた言葉に、エッジの思考が停止する。
「……え?」
シン。全く聞き覚えがない言葉。
それに自分がその一族だという事実。
エッジの疑問に応えて発せられたはずの答えは、彼には理解できなかった。
その横でクロウもまた何の話か分からない、という顔をしていた。
ラークの変化の無い表情からは、何を考えているのか窺い知ることは出来ない。
相手が『シン』という単語に対して示した反応を奇妙に思ったのかリアトリスの表情が困惑に変わった。
「エッジ……もしかしてシンが何だか分からないの?」
少女の反応に申し訳なさを感じながら、エッジは頷く。
その返事を見て、リアトリスはラークの方に向き直った。
「ラークはエッジがシンだって分かってた。だから連れてきたんでしょう?」
エッジとクロウはその言葉に驚いてラークを見る。
彼はここに来るまでそんな事は一言も言わなかった。
「確証は無かったけどね。ペンダントはしてるけど何故かシンのことを知らないみたいだし」
「ラーク……」
自分が知らない自身のことを二人が知っている。
エッジはそれにますます混乱し、目の前のやりとりが信じられなかった。
「それにその子」
リアトリスが今度はクロウの方を見る。
彼女はそれに対して警戒するように睨み返す。
「体のディープスの割合が普通じゃない。まるで――」
そこまで言い掛けて、リアトリスは何かに気付いた様に不意に口をつぐむ。
「気付いた?僕がここにきた理由」
涼しい顔でラークは笑う。
リアトリスは信じられないという顔でラークに視線を移し、それから再びクロウを見た。
「まさか、その子が?」
「幸か不幸か……一部だけみたいだけどね」
ラークがリアトリスの考えを肯定するが、彼女の方はそれでもまだ信じられないという表情のままだった。
「とにかく私だけに話しても仕方ないからエルドの所に行こう」
エルド、というのが誰なのか(または何なのか)エッジ達には分からなかったが、リアトリスとラークは場所を変える様だった。
テントから出ていく二人をエッジが追おうとすると、リアトリスに止められる。
「エッジはここに居て、その子をちゃんと見てててね。しばらくしたら二人を呼びに来るから」
なんで、と聞こうとしたがリアトリスは大丈夫とでもいうような微笑みを浮かべてラークと共に出ていってしまう。
取り残されたエッジは途方に暮れた。
――――――――――
ラークとリアトリスが出ていってテントの中には静寂が戻ってきた。
置いていかれてエッジが呆然としているのを眺めて、クロウは質問した。
「エッジ」
「え?ああ、何だ?」
クロウは何故か苛立っていた。
それが何故なのかも判然としないまま、彼女はその苛立ちをエッジにぶつけた。
「さっきのリアトリスって誰?」
「誰って言われても、俺のほうが聞きたいくらいだよ」
そんなの嘘だ、とクロウは反射的に思う。
それでは何故向こうはエッジのことをあんなに知っているのか説明がつかない。
「大体『シン』って何?その一族とか、私のこと見ただけで普通じゃないとか…エッジも本当はあいつらと仲間で何か企んでるんじゃないの!?」
「違う!」
彼女が思った以上にはっきりと不満は表に出てしまう。
一度口を開いてしまうと勢いは止まらず、クロウはついエッジにまで疑いを向けてしまった。
エッジはクロウの目を正面から見据えてすぐに否定する。
しばらく二人はその場で睨み合う。
先に目を逸らしたのはエッジだった。
「俺だって……分からないんだ」
エッジの目は嘘をついていない。
クロウも本当はもうそれは分かっていた。いや、理解はできていた。
けれど、彼女は不安にならずにはいられなかった。
エッジまで自分の知らないところで裏切っているんじゃないかと考えただけで、クロウは急に恐くなった。
しかし、一度声に出してしまい落ち着いてみると、クロウは勝手にエッジを疑って怒鳴った自分が情けなく思えた。
「……ごめん」
「クロウが謝ることじゃないだろ?多分、俺が分かってなきゃいけないことを分かってないだけなんだから……」
そこで会話は途切れる。
エッジが自分だけで何かを考えこむように押し黙ってしまったからだ。
(混乱して、本当に今困っているのはエッジの方のはずなのに)
クロウは今言ってしまった言葉への後ろめたさから、彼に何も言うことができなかった。
(ごめん)
クロウは心の中でだけ、もう一度エッジに謝った。
二人が沈黙していると、リアトリスが戻ってきた。
「エッジ、それとクロウちゃんもちょっと来てくれる?」
子供扱いされていると感じたのか(実際リアトリスはクロウより年上ではあったものの)クロウは顔をしかめる。
「私を呼ぶ時に変な接尾語つけるのやめてくれない?」
普段ならエッジはそんなクロウの態度にため息を吐くか、苦笑いするのだが今はそんな気分にはなれなかった。
「じゃあ、クロウ。あなたも一緒についてきてくれる?」
リアトリスはクロウの態度に不快感を表すことなく、微笑さえ浮かべて彼女は要求に応える。
ラークと話していた時の険しい表情とは別人の様なその仕草に、クロウは訝しげな視線を向ける。
「ほら、エッジもぼーっとしてないで行こう?」
「あ……ああ、ごめん」
エッジはまだ混乱していたが、リアトリスの笑顔には自然に気持ちが少し軽くなる。
二人はリアトリスに従って今までいたテントを後にした。
案内されたのはさっきまでより大きめのテントだった。
さっきのテントが衣裳などを置く楽屋なら、ここは何か大切な話をする為の会合場所といった趣だ。
籠のように編んで作られた円筒形の椅子が、丸いテント内に等間隔で並べられている。
テントの入り口から見て一番奥にサーカスの司会をしていた初老の男が座っており、その隣にラークが座っていた。
近くで見てエッジは、この男性もリアトリスと同じ色の髪であることに気付く。
エッジ達が入ると、リアトリスが改めて紹介した。
「エルド、この子がラークがつれてきた子。名前はクロウ。もう一人は分かるかもしれないけどエッジ・アラゴニート」
エルドと呼ばれた男性はリアトリスと同じく公演用の衣装のままだったが先程までの演者としての堂々とした態度とは違う、少々威圧的ですらある鋭い目で観察してきたのでエッジは反射的に礼をする。
クロウはエッジとは逆に男性を睨み返した。
「確かに体の闇のディープスの割合が極端に高い。通常なら間違いなく精神か肉体に異常を来すバランスだ……だがアスネイシスには到底及ばない」
彼もまたリアトリスと同じように、一目でクロウの何かを理解した様だった。
「やはり分割されていた、と考えるのが自然なんじゃないかな」
エルドはラークの推測を聞いて頷き、直後に深刻な表情で両手を顔の前で組んだ。
五十を過ぎていると思われるエルドと、少年のラークが対等に話している光景は少し奇妙だったがエルドは起こる様子も見せない。
「さっきから何なのあんた達は?私の何を知ってるの?」
怒鳴りこそしなかったが、クロウは怒りが滲んだ声で聞いた。
エッジも聞きたかったことだが、蚊帳の外として扱われていることにクロウの様な怒りは感じなかった。
むしろ、エッジは自分もクロウに責められているような気がした。
「多分、いきなり話しても分からないと思うから順を追って話すね。二人とも
リアトリスの質問にエッジは頷く。
が、クロウは首を横に振った。
「知らない。でも今そんな話何の関係があるっていうの?」
「良いから聞いて、大事な話だから。昔二つの世界があって、二つの世界にはそれぞれ神様がいた。風が吹き荒れ闇に閉ざされ荒れた地の広がる世界の神イクスフェント。目も眩むような閃光と炎と水が荒れ狂う世界の女神アエスラング。二人は互いにその対照的とも言える違いに惹かれ合い恋に落ちたの。そして既にそれだけで完結していた互いの世界の要素を分け合って今のような世界を作り、二人の世界が離れ離れにならない様に紅く輝く柱で二つの世界を繋ぎ止めた。これが話の題にも使われている
エッジは再び頷く。
トレンツにいた頃エッジは何度か聞いたことがある話だった。
今初めて話を聞いたらしいクロウも彼の隣で頷く。
リアトリスは話を続けた。
「でも二つの世界はもともと一度完成されていたもの、分け合った要素はあるべき姿に戻ろうとした。風はイクスフェントの世界に、火はアエスラングの世界に、というようにね。だから新たに造り上げた世界にはその姿を保つための新たな
ここでまたリアトリスは一息つく。
「その話が何なんだ?全部知っている通りの話だったけど、
エッジが反論するとリアトリスはゆっくりと首を振った。
「それは違うよ。
逆に聞かれてエッジは不意を突かれる。
その言い方は、まるで初めて聞いたことなのに「覚えていないのか」という様だった。
しかし、そんなもの聞いたことある訳は無かった。一人で漁村に育ったエッジには聞かせてくれる家族も居なかったのだから。
エッジは首を横に振って知らないことを示した。
「六つの宝珠の力は世界を安定させたけど、それは生き物の近くに置いておくにはあまりに強い力を持ち過ぎていた。だから二人の神はそれぞれ宝珠を守る為に特別な力を与えた種族を生んだ、それが私達シン。私達は六つの宝珠と世界のバランスを守り続けるために創られた存在なんだよ」
エッジは信じられなかった。
あまりに途方も無い話で彼には実感が湧かない。
自分が普通の人間ではなくしかも、お伽話だと思っていた宝珠やもう一つの世界が実在する等。
急には認められなかった。
一通りリアトリスから解説が終わったと見たのか、今まで黙っていたクロウが口を開いた。
「肝心の話がまだだけど、それで私があなた達と何の関係があるの?」
そろそろ我慢の限界という様子のクロウに、ラークが言った。
「まだ気付かないかな?その宝珠の一つ、闇のアスネイシスの一部が君の肩にあるんだよ」
「!」
反射的にクロウの指が、エッジが貸したままの外套を肩の辺りで強く握り締める。
そんな彼女の様子に気付いたのか、エルド多少雰囲気を和らげて声をかける。
「心配しなくていい。私達は君に危害を加えるつもりはない。アスネイシスそのものでもある君を守ることも私達の役目なのだから」
それでもクロウは、エルドやラークに対する表情を変えない。
それは無理もない事だとエッジは思った、仲間だと言われた彼自身も信じられないのだから。
「ラークの話だと君達はシントリアで騒ぎを起こして、アクシズ=ワンド国全体に追われているらしいな。当分は私達と共にいる方が安全なはずだ」
それは正論だった。
実際、このままエッジ達が行く宛ても無い旅を続けてもいずれ王立騎士団か、スプラウツ――最悪両方から見つけられるのは目に見えている。
相手は王都の貴族。
犯罪者の烙印を押された子供二人を信じてくれる人間などほとんど居ない。
なら、得られる助けはどんなものであれ受けておくべきだった。
「クロウ、今はこの人の言う通りにした方が良い」
「エッジ……」
彼の提案にクロウは驚き、それからしばし沈黙した。
が、しばらくして軽くため息をついて言った。
「仕方ないみたいだね、しばらくはここにいることにする」
クロウが承諾したことで、エルドもここで初めて微笑を見せる。
「ならすぐに君達がここで生活できるよう準備をさせよう。何か分からない事があったらリアトリスに聞けば良い」
呼ばれたリアトリスも、張り詰めた空気を吹き飛ばすように明るい声で俺たちに呼び掛ける。
「じゃあ、今日から私が二人の世話係ってことかな?よろしくね!」
こうしてエッジとクロウは、リアトリス達のサーカスに匿ってもらうことになった。