TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第十七話 サーカスの魔術師

「随分仲が良いね」

 二人がラーヴァンから降り、クロウが巨鳥を消すとラークはまずそう声をかけた。

「は?」

 言われてすぐに怒りの籠もった視線を彼に向けるクロウ。

「そんなに睨むなよ、クロウ」

 エッジは成り行きとはいえ、行動を共にする事になった以上はなるべく穏便に事を進めようとクロウを(たしな)める。

 だが、クロウはその態度を変えようとしない。

「助けられたとはいえ、仮にもさっき殺されかけた相手なのによくそんなことが言えるね」

「それはそうだけど」

 確かにエッジもまだ完全にラークを信用した訳ではなかった。

 急に戦いをやめた理由も、自分達を助ける理由も分からない――この少年の意図はまるで分からないのだから。

 しかし、ラークはそんなことは気にしないとでも言う様に笑った。

「いいよすぐに信頼しなくても。君達がどう思おうと僕は僕の役目を全うするまでだからね」

「役目?誰かの命令であなたは動いているとでもいうの」

 エッジもそれは不思議に思った。今のところクロウの力を知り、それを必要とするものがいるとすればそれはジェイン家――アキ達やスプラウツしか彼も思いつかない。

 だが、ラーク達がジェイン家の配下なら、敵であるエッジを殺すのをやめた理由がない。

 何よりそれならクロウを王都から逃がすはずがない。

「誰の命令でもないよ」

 二人には、その意味がよく分からなかった。

 エッジとクロウは顔を見合わせる。

「分からなくても良い、いずれ君にも分かることだろうしね」

 そう言いながらラークはエッジの方を見た。

「え?」

 エッジはますます訳が分からなくなる。

「続きはまた後でね。まだ王都に近すぎる、ひとまずここを離れよう」

「待って、私達が今どういう状況に置かれているか分かってるの?」

 クロウの疑念は当然だった。

 ラークはさも自分達の事を知っている様に出てきたものの、二人には何の説明もしていない。

「分かってるよ。君達以上に、ね」

 最後の部分はおどけているともとれるような言い方をしながら、ラークは会話を終わらせた。

 クロウは不愉快極まりない様子だったが、エッジは何か自分の知らないことをあの剣士が知っているのが落ち着かなかった。

「……とりあえず行こう、クロウ」

 クロウはラークの後ろ姿から目を離さないまま、その言葉に軽く頷いた。

 

 ――――――――――

 

 王都を脱出してから数日。

 ラークがどこに向かっているのかは、二人には分からなかった。

 中央大陸の地理が全く分からないエッジは勿論、多少は詳しいクロウもラークの目的地は分からない。

 それでもラークは迷い無く足を進めるので、二人は仕方なくはラークから少し距離を置いてついていっていた。

「ねぇ……エッジ」

 右肩の黒い痕が見えない様にエッジから貸りた外套を押さえながら、クロウは遠慮がちに口を開いた。

「ん?何だ?」

「エッジにとって仲間って何?目的を同じくするもの?それとも、互いの利害が一致するから一緒にいるもの?」

 彼が自分のことを仲間と呼んだときからずっと、クロウの中に引っ掛かっていた疑問。

 彼女にとって仲間はスプラウツで、飽くまで目的のために一緒にいるものでしかなかった。

 だからこそエッジの言葉にクロウは不意を突かれた。

 

「仲間の為なら、命なんか惜しくない」

 

 そこまでしてエッジが守りたい『仲間』とは何なのか。

 エッジにとって自分は何なのか、クロウは知りたかった。

「俺にとって側にいてほしいと思う人たち、かな?」

(側にいてほしい?)

「どうして私がその中に入ってるの?」

「それはうまく言えない。でも、仲間ってそんな理由がなきゃ駄目なのか?」

 エッジの言葉は明確な答えになっておらず、クロウは少し苛立った。

「だって、理由もないのに命をかけるなんて!そんなの……無駄だよ」

(意味もなく死のうとするなんて、そんなのは馬鹿だ。生きたくても生きられない人だっているのに)

 クロウは喉元まで出かけた続きを飲み込む。

 だが、エッジは首を振って否定した。

「意味はある。俺にとって仲間は何よりも大切なものだから」

「そんなのおかしい、それじゃ理由と行動が反対じゃない。自分が死んだら大切も何も無くなるのに」

「逆に聞くけど、クロウは会う人全てにそうやって一緒にいる理由を考えてるのか?」

「それは――」

 クロウは咄嗟に答えることが出来なかった。

 スプラウツにいる間は、クロウはよく誰に対しても理由を考えていた。バルロの様な厳しい人間に従わなければいけない理由、フレットの様な味方の命すら厭わない残酷な人間と一緒に居る理由を。

 だけど、ルオンやレインと一緒にいた頃、ハクと一緒に暮らした短い時間。

 自分はそんな事を常に考えていただろうか。ここ最近の自分は考えていただろうか、とクロウは分からなくなる。

「俺は何の為に守るのかとか……そういうのは言葉で現わすような理由はいらないと思う。守りたいから守る。馬鹿みたいかもしれないけど俺はそれで十分だと思う」

 それは打算でも何でもないエッジの純粋な気持ちなのだろう。

 その考えはとても馬鹿馬鹿しい、としかクロウには思えなかった。

 論理的では無く、感情的で。

 以前の彼女なら否定していた様なその考えに、しかし、今のクロウは縋りたいと思ってしまった。

 彼女に対してそんなことを言ってくれる人間は今まで居なかった。人殺しを当たり前にこなす様になってからのクロウに、エッジの言う様な『仲間』等居なかった。

 だから、クロウは周囲を拒絶して傷つかない様にしていれば生きていけると思っていた。

 だけど、違ったらしい。

 本当は心はずっと自分を認めてくれる場所を、人を求めていたのだと彼女は初めて理解した。

 だから、自分の力のことを知ってもエッジが隣にいてくれることがクロウは嬉しかった。

「相変わらず戦闘では役に立たないくせに、口だけはよく働くね」

「え、何だよそれ。静かに聞いてたと思ったらそれかよ」

 皮肉を言ったクロウにエッジは苦笑する。

 そのさっきまでの様子と急に変わった彼が可笑しくて、クロウは思わず笑ってしまった。

「あははっ、だって事実だから」

 すぐにエッジの顔が少し驚いた表情になって、彼女はしまったと思った。

「あ……」

「クロウが今みたいに笑うの初めて見た」

 自分が慌てるのを余所にまるで子供の悪戯を見つけたように無邪気に笑うエッジを見たら、クロウは何だか悔しくなった。

「別に……!勝手でしょ」

 我ながらもう少しマシな切り返しは無いのかとクロウは思う。

 しかし、咄嗟に出てくる言葉というのはそんなに気の利いたものではないのだということを彼女は知った。

 同時に、この借りはいつか必ず返してやろうと心に決める。

 そんなやりとりをしていると前方のラークが立ち止まって二人に声をかけてきた。

「楽しそうなところ悪いけど、目的地に着いちゃったよ」

「誰が楽しそうよ」

 クロウの口から零れかけた悪態は目の前の光景に途中で途切れることになった。

「これって、」

 まずエッジとクロウの視界に入ったのは、色とりどりのテントの集合。

 そして馬車と焚き火と人々の楽しそうな声が聞こえる。

 作り付けの建造物が何一つ無い、一時的な仮設のものだろうにそれは小さな町にも負けない人だかりを作っていた。

「サーカスは初めてかな?」

 そう言って首を傾げてみせたラークは、聞こえてくる声に負けないくらい楽しそうな笑顔だった。

「サーカス?」

 不思議な響きにクロウは思わず聞き返す。

「サーカスなんて俺は初めてだ。クロウもそうなのか?」

 そう聞かれても、クロウにはそれが何なのか分からない。

「サーカスって何?」

 彼女の反応が予想外だったのか二人は驚く。

 尤もラーク方の表情の変化は驚きより面白がっている様にも見え、クロウはそれが少しむかついた。

「私がサーカスを知らないのがそんなにおかしい?」

「いや、そういうわけじゃないけど……」

「フフッ、別に」

 エッジは困ったように、ラークは相変わらず何処かからかっている様な笑い方でほぼ同時に答えた。

 何だか話せば話すほど惨めに思えてきたクロウは早く会話を終わらせたくて話を戻す。

「で、サーカスって何なのか説明してよ」

「サーカスって言うのは見せ物かな?人が芸をしたり、動物に芸をさせたり……俺も話に聞いただけで実際に見たことはないけど」

(何だか卑怯な気がする)

 人が知らないのを驚いた割にエッジも詳しくは知らないらしかった。

 クロウは納得いかない様子で彼を睨む。

「口で説明するのは難しいから、実際に見てみた方が良いんじゃないかな?ちょうど今やっているみたいだしね」

 そう言うとラークは特に大きく、先程から幾度か歓声が聞こえるテントの方を示してみせた。

 

 

 入り口だと思われるところから帆布をめくって中に入ると、円形に並び頭上を見上げる人たちがまず目に入った。

 その人の多さと内部の広さに圧倒され、クロウは何処か居心地の悪さを覚えた。

 だが、周りと同じように上を見上げた時彼女はそんな感覚を一瞬忘れてしまった。

 空中を人が舞っている。

 何かに乗っているわけでもなく、吊されているわけでもない。

 人が何の支えもなく飛んでいる。

 どうして、と思う間もなくその団員はブランコに乗った別の団員にキャッチされようやくこれはブランコなのだとクロウは気付いた。

「……すごい」

 彼女と同じようにサーカスを初めて見たエッジも、隣で思わず感嘆の声を漏らした。

(でも本当に飛んでるみたい)

 クロウがラーヴァンに乗って飛ぶ時とは違った。

 彼らは本当に浮いているわけでは無いにも関わらず、笑顔で自由に飛んでいる。

 それは本当に飛べる彼女以上に、自由に飛んでいるようにクロウには見えた。

 不思議でも何でもないのに、クロウはその空中ブランコから目を離すことが出来なかった。

 

 ―――――――――――

 

 しばらくして、空中ブランコが終わると団長だろうか一人の初老の男が円形の客席の中心に進み出てテント中に響く声で言った。

「では次で最後になります。最後に私たちの一座の妖精、魔術師リアトリス・フローライトの舞を見て頂きます」

 魔術師とは深術士(セキュアラー)のことだろうか、それなら何故踊りなのか。

 エッジは紹介に疑問を持ちながらも、次に何が出てくるのだろうと期待も膨らませていた。

 

 次にテントの中心に出てきて深く一礼したのはエッジやクロウより少し年上の少女だった。

 二つか三つしか離れていないようにも思えたが、これだけの観客を前にしてなおその動きに落ち着きを感じさせるせいかエッジの目にはずっと大人にも見えた。

 動くと綺麗な明るいオレンジ色の髪が揺れて、エッジは一瞬それに目を奪われる。

 エッジの髪もオレンジだったが、ずっと暗くてくすんだ色だ。

 リアトリス、と呼ばれた少女はその場で歌い始めた。

 しん、と静まり返った空気の中に彼女の声は隅々まで届き、聞いていると耳元で彼女が歌っているような錯覚にとらわれる。

 それは静かな旋律だった。

 歌詞は分からない。

 聞き取れないというより、エッジ達の知らない言葉だった。

 遠くなったり近くなる様にたゆたう歌声に合わせて、リアトリスはゆっくり踊り始めた。

 彼女の服の裾がそれに合わせて柔らかく舞う。

 その踊りはとてもシンプルな動きで、舞というよりリズムに合わせて無意識に動いているだけにも見えた。

 と、リアトリスがくるりと回ると辺りにパッと光が散った。

 エッジが初め見間違いかと思ったそれは、消えることなく宙を舞い始めた。

(……蝶?)

 それは光の蝶だった。

 リアトリスの周囲を飛んでいるそれは、色を変えながら虹のように七色の輝きを放っている。

 彼女が更に何度も回り始めると、光の蝶はその数を増しその全身を包み込んだ。

 そう思った直後、光が弾けるように蝶が飛び立ち今度はテント中を光で埋め尽くした。

 いつの間にか蝶はその数を数百に増していた。

 無数の、それでいて無音のはばたきは決して歌を邪魔することなく、まるで夢の中に迷い込んだ印象を受ける。

 何処から聞こえるか分からない歌と、視界を埋め尽くす七色の輝きで、エッジは自分が何処にいるのか分からなくなった。

 ふと、彼は隣にいるクロウとラークの表情を伺ってみる。

 クロウもエッジと同じなのか、目を見開きテントの中の光景に見入っていた。

 一方ラークは相変わらずで、その笑みは普段とほとんど変わり無かった。

(ラーク……何でここに俺たちをここへ連れてきたんだろう)

 彼の考えが分からない。

 でも、今は考えるのはやめようとエッジは思った。

 今は素直にクロウと同じように、彼もこの舞に心奪われていたかった。

 

 舞は最後に蝶達が一際強い輝きを放ち視界を白く染めてから、何事も無かったかのように消えて終わった。

 まだその興奮さめやらぬところで、急にラークが肩を叩いた。

「そろそろ出よう。顔を覚えている人こそいないかもしれないけど、君達はあまり目立たない方がいい」

 そう言ってエッジとクロウをテントから引っ張りだす。

 『人目につくべきではないと分かっているなら、何故わざわざサーカスに寄ったのか』、そんな疑問を口にする間も与えずラークは二人を引っ張っていき、観客達がいたテントとは違うより地味なテントの中に連れ込んだ。

「こんなところに勝手に入っていいのか?」

 中はそこそこ広く、衣裳や小道具等があることからサーカスの人間のものであることは明らかだ。

 関係者以外が入ったら怒られそうな場所に、エッジは尻込みする。

「大丈夫だよ。僕達は」

 どういう意味かエッジが尋ねようとすると、不意に外が騒がしくなった。

 どうやら公演が終わったらしい。

 団員と鉢合わせしたらどうしようかと彼が慌てていると先程まで観客の前で踊っていた魔術師、リアトリスが入ってきた。

「わ、ラークか、驚かせないでよ」

 自分より先にいた訪問者に驚いたようだが、特に怪しむ様子もない。

 先ほどまでの舞台の上での凛とした姿と違う砕けた口調は、エッジ達に年齢の近さを感じさせた。

 改めて近くで見ると、ひらひらとしていた生地の細かいレースの模様がエッジ達にも見てとれる。

「ごめんね、ちょっと彼に報告しなきゃいけないことができてね」

 ラークは笑顔でリアトリスに謝る。

 その様子から二人が親しい間柄なのが見て取れた。

「その二人は?」

 初対面のエッジとクロウの方を見ながら、リアトリスは友達のことを聞くように気軽に聞いてきた。

「こっちはエッジ・アラゴニート、もう一人はクロウ、名前だけ言えばいいかな?」

 リアトリスの目がエッジの方を向き、一瞬戸惑ったように数回まばたきをするとすぐにその表情は思わぬプレゼントを見つけたような嬉しそうな表情に変わる。

「エッジ……エッジ・アラゴニート!」

 まるで知り合いに会ったような反応。

 だけど、エッジは彼女を知らなかった。

 だから、次の一言で彼の思考は停止した。

「久しぶり、エッジ。元気だった?」

 彼女の笑みにエッジはどう反応すれば良いか分からず、何か言おうとしても声が出なかった。


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