TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第十六話 アキの旅立ち

 エッジの耳に自分に向かって一歩ずつ迫ってくる足音が聞こえる。

 これが自分が聞くこの世界の最後の音なのだろうと彼は思った。

(結局、最後まで何もできなかった)

 クロウを守ることも、助けになることも。

 そして、何が何だか分からないまま死んでいく。

 あまりに滑稽でエッジは自分でも微かに笑ってしまう。

「ごめん……クロウ」

 この世で最後の自分への嘲りの笑みと、僅かな悲しみが宿る眼差しでエッジは最後の時を待つ。

 足音が彼のすぐ目の前まで迫り、刄の切っ先が視界に入る。

 エッジはそこで時間が停止した気がした。

 胸を貫く寸前で刄が停止したからだ。

 何故かと思い彼が顔を上げると、さっきまで余裕の笑みを浮かべていた敵の顔に動揺が見て取れた。

「そのペンダント、何処で?」

 エッジは一瞬、何を問われたのか分からず困惑する。

「え?」

 武器を突きつけたままの少年は落ち着いた声で、もう一度エッジに問い掛ける。

「君が首に掛けているそのペンダント、どうしたのかな?」

 エッジが自分の胸元を見ると、肌身離さず身につけている黄金色の石が付いたペンダントが服の内側から外に出ていた。

「これは、貰ったんだ」

 そう言いながら、エッジは無意識に右手でペンダントを覆う。

「誰に?」

「俺の……母さんに」

 エッジの顔が暗くなるが、少年はそれで納得がいったのか先程までの穏やかな顔に戻る。

「フフフッ、なるほどね」

 何がおかしいのか楽しそうに笑うと少年はエッジに突き付けた剣を納め、代わりに手を差し出した。

「立てる?」

「……」

 だがエッジは今危うく殺されかけた相手の手をとる気にはなれず、剣を杖代わりにして立ち上がる。

「僕はラーク・テンネシア、突然斬り掛かったりして悪かったね」

 突然態度を変えた相手を少し警戒しつつ、エッジも名乗る。

「俺はエッジ・アラゴニート、一緒にいるのはクロウ」

「よろしくエッジにクロウ。さて、君たちが追われている以上いつまでも此処にいるわけにはいかないね」

 戸惑うエッジを尻目にラークは、急いでこの場を離れようとばかりに早足で歩きだす。

「ちょっと待てよ、一体お前は何なんだ?」

 ラークはくるりと振り返ると、余裕を崩さず――しかし早口で答えた。

「説明するのに時間がいるからその話は後にしよう。今はこの街を出るのが先決だよ、僕についてきて」

 信用して良いものか迷ったものの、他に街を出る当てがあるわけでもないのでエッジはついていくことにした。

 体重を支えていた剣を地面から引き抜き、鞘に納めてへたり込んでいるクロウを振り返る。

「大丈夫か、クロウ?」

 クロウは肩の辺りを押さえており、さっきの穴のような闇はエッジの目には見えなかった。

 彼と視線が合うと、クロウは軽く目を伏せ視線を逸らす。

「エッジ、私は……」

 何か口にしようとするが、途中で言葉が途切れる。

 それを見たエッジは敢えて続きを待たずに手を差し出した。

「立てそうか?ほら」

 クロウは俯いた顔の前に差し出された手を見て一瞬、微かに驚きと不安がない交ぜになった表情を浮かべた。

 そして軽く、それからしっかりとその手を握った。

「うん……大丈夫」

 手を助けにしてクロウは立ち上がる。

「これ、貸すから」

 まだ、片手で肩を隠しているクロウにエッジは自分の外套を脱いで着させた。

「あ……うん」

「じゃあ急いであいつを追い掛けよう」

 クロウは軽く頷いて、二人はラークを追って走り始める。

 似合わない外套を着て走るクロウの顔から曇りは消えていた。

 

 ――――――――――

 

 ラークが立ち止まったのは城門の無い東側の城壁だった。

 改めて内部から見上げると呆れるほど高く、人の力では登れそうに無い。

「こんなところからどうやって脱出するんだ?」

「そうだね、あれがいいかな?」

 ラークは辺りを見回すと、城壁と競い合うようにして立つ教会の塔を見つけて言った。

「……まさかあそこから城壁に飛び移るなんて言わないよな」

「じゃあそうしようか」

 エッジは半ば冗談のつもりで言ったのだが、ラークは恐ろしいことにさらりとそう返した。

「ふざけているなら付き合うつもりはないけど?」

 きわめて不機嫌そうにクロウは掴み所の無い少年を睨む。

「まあ、実際あの塔に登ったりしたら日が暮れるからね、だから――」

 ラークがそう言うとエッジとクロウはラークの脇に抱えられ、宙に浮いていた。

「え?」

 突然の浮遊感に二人が戸惑う間もなくラークは城壁を蹴り、反対側の塔を蹴り、稲妻のようにジグザグに宙を駆けるとあっという間に城壁の頂上に着地した。

「はい、到着」

 二人を城壁の上に立たせると、当たり前のように気楽にそう言う。

 エッジとクロウは一瞬驚きで声も出なかった。

「今の、どうやって?」

 恐る恐る下を見て、その高さに身震いしながらエッジが問う。

「壁を蹴ってだけど」

 相変わらず自分が言っていることが当たり前のようにラークは言う。

「そうじゃなくて――」

「分かってる、君が言いたいのは『そんなことは生身の人間では無理だ』ってことだよね?」

 少年は今度はふざけているのではなく真面目に答えた。

「あ、ああ」

「そうだね……悪いけどその話も後にしようか、いつまでも城壁の上に立ってると誰かに見つかるからね」

「でも、どうやって?」

 エッジは城壁の外側を見下ろして疑問を口にした。

 登ることができても、城壁の外側にはさっきのように高い塔や足場になりそうなものは何もない。

「上に昇るのには労力がいるけど、下りるのには何も特別な力は要らないよね?」

 何を、と意味を問う間もなくラークは身を翻すと城壁の遥か下に落ちていった。

「俺達はどうやって下りろっていうんだよ!」

 慌てるエッジの手をクロウが引いて言った。

「……掴まって」

「え!?ちょっと、クロウ!!」

 止める間もなくクロウはエッジを引っ張って、城壁から宙に踏み出した。

 エッジも半ば引きずられる様にして落下を始める。

 風の轟、という音が耳に嫌に大きく聞こえ、地面が急速に迫り、エッジは今にも自分の全身を打ち砕くような気がした。

「暗澹たる闇よ、我を導く翼となれ――飛翔せよ、ラーヴァン!!」

 クロウが早口で叫ぶと落下している二人の真下に闇が集束し、巨大な翼を持った鳥となって二人を受けとめた。

 

 その様子を地上から見ていたラークは驚きもせず、目を細めてそれを観察した。

「あれが……アスネイシスの宝珠の力」

 その呟きは、空を飛ぶ二人には全く聞こえていなかった。

 

「これは、王城の時の」

 自分を乗せて羽ばたくそれの存在が信じられず、先程までの落下の恐怖も忘れてエッジは軽く背中を撫でてみた。

 鳥のようだが、生きものだとは思えなかった。

 何の暖かみも感じられず、とても滑らかで微かに冷たい。

「これは?」

「私はラーヴァンって呼んでる、私の一部……みたいなものだと思う」

 自分自身よく分からないというようにクロウは自信が無さそうに言う。

「一部?」

「ラーヴァンと私は感覚を共有してる。例えば今この瞬間私はラーヴァンに乗って空を飛んでいる感覚と、私とあなたを乗せて飛んでいる感覚の両方を同時に感じている」

「つまり、ラーヴァンはクロウが動かしてる深術みたいなものなのか?」

 クロウはその言葉に少し困ったような表情になる。

「半分当たりで半分違う、確かにラーヴァンは私の意志に従うけど、ラーヴァンはラーヴァンで意志を持ってる。……いつも私の意志どおりに動いてくれるわけじゃない」

 エッジには正直なところディープスが意志を持つということが理解できなかったが、ラーヴァンについては何となくイメージが出来てくる。

 すぐに理解できる事でも無さそうだったので、エッジはとりあえずそれ以上の追及は避けた

「じゃあ、そろそろ降りるよ。あいつも待ってるみたいだし」

 下で何をするでもなく見上げているラークの方を見て、クロウはラーヴァンの高度を下げた。

 

 ――――――――――

 

 同じ頃、ラーヴァンによる黒い霧が晴れた謁見の間では、騎士達がクロウ達を追ってほとんど出ていってしまい、アキが国王、父親と共に取り残されていた。

「陛下、父上。私はもう下がってもよろしいでしょうか?」

「ああ、下がっていい」

 父から短く、素っ気ない返事を返されたアキは浮かない顔で二人に軽く一礼し、王城を後にした。

 王城の外には先程までの騒ぎの余波でざわめく人々、そしてエッジ達を捕えようと奔走する騎士達が居たがアキはそれを意に介さずとぼとぼと歩いた。

(これで……これで良かったんでしょうか)

 

 アキは自分のした事が間違っているとは思わなかった。

 二人を陥れる形になったとはいえ、あんな危険な力を持つクロウが野放しでいる事は危険すぎる。

 もし、スプラウツ以外の組織や犯罪者の手にその力が渡れば、それはこの国に住む人々にとって大変な脅威になる。

 アクシズワンド、セオニア、レーシアの三国の微妙な緊張状態を崩さないためにもクロウを捕らえる事は必然だった。

 なのに――

(二人の顔が、頭から離れない)

 個人の犠牲や多少の痛みは国が動くのに仕方がないことだと思っていた。

 それは仕方の無いことで、その責任を背負うのが貴族としての自分の役割だと思っていた。

 しかし、いくらそう言い聞かせても、自分を疑わずに心配してくれた時のエッジの顔や、時折目が合った時のクロウの戸惑いの表情が頭から離れなかった。クロウは自分の事を敵だと見抜いていたが、そこにあった感情が敵意だけではなかった事にアキは気が付いていた。

 これで二人は犯罪者になった。

 でも、あの二人があんな普通の人だと知る人間は、いるのだろうか。

 

 アキが沈んだ気分で歩いていると、不意に誰かがアキの肩を叩いた。

「騒がしいけど何があったんだ?」

「クリフさん……」

 肩を叩いてきた相手がクリフだと確認すると、アキはまた目を伏せた。

「何かあったのか?アキちゃん」

 元気がないアキにいつになく真剣な表情になるクリフ。

「……さっきの黒い霧を見ましたか?」

「ああ、俺が見てすぐに消えちまったけど、何だったんだろうな。あんなでかい王城が丸ごと見えなくなるなんて」

「あれはクロウさんが出したものなんです」

 クリフはそれを聞くと、驚きの表情を浮かべた。

 実際に目にしたアキですらまだ信じられない部分があり、クリフが信じられないのも当然だった。

「あいつが一人でやったのか?そんな馬鹿な」

「信じられないかもしれませんが事実です」

 そこでしばしクリフは間を置き、アキの様子を観察した。

「何でそれが分かるんだ?」

「それは目の前で――私がクロウさん達にあんなことをさせてしまったから、私が二人を騙したからこんなことに」

 沈黙が流れた。

 アキはクリフが何か言うのを待つように黙り込み、クリフはそんなアキを黙って見つめた。

「……アキちゃんが好きでやらせたわけじゃねーんだろ」

「それはそうですけど、でも関係ありません!」

「じゃあアキちゃんのせいじゃねぇよ、何でも自分が悪いって決め付けんなって」

 クリフの物言いにアキは少し苛立ち、やや強い言葉で言い返す。

「私が何をしたか知ってるわけでもないのにどうしてそんなことが言えるんですか!」

 クリフは怯まず、先程までと同じ調子で言う。

「アキちゃんが何をしてたかなんて分からない。でも、アキちゃんはなんでも自分が悪いと思い込み過ぎなんだよ、色んな人間の思惑や行動が積み重なって生まれるのが結果だ。人間一人のせいで何もかも決まってしまう事なんて、そうそうねーよ」

 無意識に全て自分のせいだと決め付けていた心理を指摘され、アキは黙り込む。

 クリフもしばらくアキの様子を見ながら黙っていたが、しばらくして再び口を開いた。

「そんなにエッジ達のことが気になるんなら、追い掛けようぜ」

「え?」

 クリフの提案に驚いて、アキはクリフの顔を見る。

「悪いと思ってんだろ?だったら謝ればいいじゃねぇか」

「それはそうですけど、二人は今アクシズワンド国全体の敵にされようとしています。クリフさんが一緒に来たら」

「良いんだよ俺は、どうせ気ままな旅人だからな、それに仮にも同じ釜の飯を食った仲間を見捨てられるかよ……まあ、クロウとはなかなか上手くやれねえけど」

 クリフはアキの言葉を遮り、有無を言わせず同行する意志を示す。

 アキもこれ以上クリフに何を言っても変わらないと思い、クリフに頭を下げて言った。

「じゃあまた暫く、よろしくお願いします」

「ああ、こっちこそまたしばらくよろしくな」

 二人で旅をすることが決まると、二人はそれぞれ準備の為に一旦別れ街の出口で落ち合うことにした。

 

 ――――――――――

 

 同じ頃王都のタリア家には慌ただしく身仕度を整えるタリア家当主キサラギと、リョウカの姿があった。

「父上、どこへ?」

「王城へ行く。私が不在の間にジェイン・リュウゲンがまた何かをしたに違いない」

 その名を聞くと、リョウカの顔が微かに歪む。

「今、ジェインが何かを企んでいるとしたらレーシア大陸でのジェインの配下のものの動きと何か関係あるのでしょうか?」

「分からない、推測だけで動くわけにはいかない。だが少なくとも現状で王立騎士団を動かすことまでは出来ないはず」

「ですが、もし『スプラウツ』が実在するなら」

 リョウカの言葉にキサラギは首を振る。

「仮にそうでも今は様子を見るしかない。下手に動けば外交問題にも発展しかねない。そうなればそれこそジェインの思う壺だ」

「そうですね、お気を付けて」

 身仕度を整え、部屋を出ていこうとするキサラギにリョウカはそう声をかける。

「ああ」

 父親が部屋を出ていくと、リョウカは小さく呟いた。

「……ジェイン・アキ」

 その目に映るのは静かながらも、紛れもない怒りの色だった。


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