TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
「何でアキが……」
混乱してエッジが呟いたが、アキは表情を変えずにクロウを真直ぐに見ながら近づいてきた。
剣や傘での一撃がぎりぎり届かない間合いまで近づくと、アキは再び声を発した。
「この二人はセオニアの間者。アクシズワンドの内情を探り、陛下を惑わすために送られてきた敵国の人間です」
全く身に覚えのないことをアキに言われ、エッジは咄嗟に反論しようとする。
「違う、アキ俺達は――」
が、言葉を待たずにアキはエッジ達に向かって赤い傘を広げ、大人一人を軽々と吹き飛ばす突きを放った。
咄嗟に二人は横に飛び、その一撃を避ける。
避けられたと分かるとアキは伸びきった腕をすぐに引く。同時に体を回転させながら一歩前に踏み出し、そのまま今度は横に薙ぎ払うように追撃をかける。
「っ!!」
武器での戦闘が不得手なクロウに代わって、二度目の攻撃をエッジは辛うじて抜剣して受けとめる。
横薙ぎに繰り出された一撃は、石斧に匹敵する威力を持っておりエッジの表情を歪ませた。
王の前で、まるで剣舞をするかのようにエッジとアキは幾度も激突する。
武器の威力で上回るアキは自分から積極的に攻撃をしかけ、エッジは直撃を受けないように動きながら捌くので精一杯だった。
広い空間の中で、互いの武器がぶつかりあう音が信じられない程に響く。
それでも騎士達は動く気配すら見せない。
(こんな馬鹿な……何故誰もアキを止めようとしないんだ?仮にも一国の王の前でこんなことが認められるはずがない!)
彼女を押しきれないと判断したエッジは後ろに跳び、力の均衡を崩す。
アキは急に抵抗がなくなったためたたらを踏み、バランスを崩す。
「
その一瞬の隙を見逃さずエッジは斬撃をアキに向けて放つ。
が、アキの反応は早く、重い一撃を放ったはずの傘を軽々と正面に持ち替え飛んできた斬撃を防ぐ。
「
「
次の動きに移ったのは二人同時だった。
エッジの放った獣の爪痕の様な斬撃を、鈍い音を立てながらアキの突きが弾き返す。
続くアキの横凪ぎの追撃を剣で上へと弾きながら、エッジはアキに肉薄した。
アキの武器はリーチが長い分、接近してしまえば相手の動きに対応できない。
両腕を上段に振りかぶっているような形でがら空きになったアキの胴体に、エッジは左手に一瞬で集束させた雷のディープスを放った。
殺傷能力こそ無いに等しいが相手を痺れさせるには十分な量だ。
しかし、空気中に放たれた雷のディープスは、突如吹き上がった風に乗って空中に飛び上がったアキを捉えられず霧散する。
(飛んだ!?)
驚いて見上げると、アキが傘に吊られるように空中に浮いていた。
それを確認するのとほぼ同時に、アキは傘を自分の真下――エッジに向けた。
「
エッジが辛うじて剣を構え直したところに、アキが急降下してきた。
床を砕きかねないような勢いで落下してきたアキの攻撃を、エッジは受け切れず剣の防御を弾かれ、床に叩きつけられる。
「ぐぁっ」
力では完全にアキが上回っていた。
そして、不意を突いてのエッジの反撃も通じない。
剣こそ未だ手に持っているものの、エッジがアキに勝てないのは明らかだった。
「何で、こんなことを」
上体を何とか起こし、エッジはアキに再び問い掛ける。
だが、アキの目は彼を見ることなく玉座の隣の隻眼の男に向けられた。
「父上、今のうちにこの二人を」
「ああ、よくやったアキ」
当たり前のように短いやりとりをすますと、隻眼の男が周りで今まで傍観していた騎士達に身振りでエッジ達を捕らえるよう指示を出す。
(父上……まさか)
突然、エッジの頭の中で今ままで心の何処かで燻っていた疑問が驚くほどくっきりと一つの像を結んだ。
「……ジェイン?」
「王都の権力者が裏で絡んでるらしいから」
「……私がいなければあんなことには」
「見つけた」
何故、クロウはアキの名前を聞いただけであれほど敵意を剥き出しにしたのか。
何故、『
何故、アキが急に手のひらをかえす様に変わってしまったのか。
――それは、アキがスプラウツを作った人間の娘だから。
そしてあの国王の横にいる男が、スプラウツを影で動かしている人物。
エッジは認めたくなかった。
アキが初めからスプラウツの側の人間だったとは。
が、エッジの理性は自分の仮設が正しいことを肯定していた。
呆然としている間にも騎士達はエッジとクロウを取り囲む。
こうなったらもう捕まるしかないとエッジが観念すると、不意にクロウが短く口を開いた。
「逃げるよ」
そう言ってエッジの手を引き、無理矢理立たせる。
「
何をやろうとしているのかは分からなかったが、上級深術さえ上回る程の量の闇のディープスが集束されていくのをエッジは感じた。
「出でよ――ラーヴァン!!」
突如、闇の塊が形を変え一羽の巨大な鳥の姿を形づくる。
その様子に二人を囲んでいた騎士やアキまでも驚愕の表情を浮かべる。
エッジもこんな深術は見たことが無かった。
全員が硬直していると鳥が翼を広げ、直後全員の視界全てが黒く塗り潰された。
(これは、ディープミスト?)
話には聞いたことがある、一時的に対象の視界を奪う闇の深術。
だが、この背筋が凍るような冷たさと範囲の広さは明らかに通常の深術士の使うそれではない。
何が何だか分からない内に、エッジはクロウに手を引かれるまま走り始めた。
(一体、どうなってるんだ)
足が竦む様な闇の中でエッジは自分の体さえ見えず、手のひらに感じるクロウの手の感触だけが全てだった。
二人は一寸先も見えない闇の中を走り続ける。
エッジにはクロウがどうやって進む方向を決めているのか分からなかった。
が、今のエッジの頭の中は他の事で一杯でそんなことを気にする余裕はなかった。
一度に色々なことが起こりすぎて、頭が対処できていなかった。
もう城を出てかなりの距離を走ったのではないかと思われる頃、不意に視界が明るく開けた。
そこはどこかの人気のない裏通りの路地の様だった。
エッジが振り返ると先程まであたりを包んでいたはずの闇はどこにも見えず、今までのことは全部夢だったのではないかと思ってしまう。
しかし、遠く――おそらく王城の方からざわめきが聞こえ、自分達はまださっきまでの現実の続きにいることを教えてくれた。
「とりあえずしばらくは追手も来ないはずだから、今の内にこの町を出るよ」
口ではそう言うものの、クロウの顔には悔しさがありありと見えた。
「でも堂々と門から出るわけにもいかないだろう?どうやって脱出するんだ?」
それに応えてクロウが口を開きかけると、突然人気が無かった路地に若い男の声が響く。
「ずいぶん不用心だね、隠れてるつもりならもっと周囲に気を配った方がいいよ」
「!」
咄嗟に二人は身構え、声のした方を振り向く。
そこには少年が立っていた。
エッジより幾つか年が上なのかやや背が高く、薄緑色の髪で首元にスカーフを巻き付けた旅人らしい服装をしており、この状況に不釣り合いな楽しそうな笑みを浮かべていた。
背中には奇妙な大型の剣の鞘らしき物を背負っているが、それはどう見ても剣二本の鞘だった。
「誰?」
突然出現した少年にクロウは警戒心を顕にする。
「僕はただの旅人さ。それより……さっきの黒い霧を出したのは、君だね?」
クロウの方を向いて問い掛ける。
否、それは問い掛けではなく断定だった。
間違いなくクロウがやったのだという。
(何なの?こいつ……)
今までに会ったこともない相手に自分の『力』を知られていることにクロウは不安を覚える。
「もしそうでも、あなたには関係ないでしょう?」
はっきりと拒絶の態度をとられても、その少年は笑みを崩さない。
「残念ながら関係はあるよ。僕は君を何処かに行かせるわけにはいかない」
「!――クロウ、下がれ」
突如目の前の少年から発せられた殺気に、エッジは剣を抜きクロウの前に割って入る。
エッジの反応は早く、緑の髪の少年が動きだすよりも早く剣を抜いていた。
だが、それでも遅すぎた。
「
「うっ!?」
刹那、少年の腕が神速で動いた残像が見え、一瞬遅れてクロウの痛みに呻く声が聞こえた。
よく見ると少年の手には、緩やかに湾曲した長い剣を二つ合わせた様な三日月型の奇妙な武器が握られていた。
「やっぱり、ね」
エッジの背後のクロウを見つめ、少年が小さく呟く。
慌ててエッジも振り返り、クロウの無事を確認しようとする。
「クロウ!大丈夫――」
言い掛けた言葉が途中で途切れる。
一瞬、エッジは自分の目がおかしくなったのかと疑った。
クロウの服の右肩の部分が破れていた。
たがそこに見えるはずの肌は無く、ただぽっかりと空いた穴の様に見えるだけだった。
まるで一切の光をそこだけが拒んでいるかのように。
クロウはエッジに見られたことに気付くとはっとした表情になり、咄嗟に肩を左手で隠して顔を背けた。
「クロウ……それ」
呆然とするエッジにクロウは答えず、顔を背けたまま唇を噛んだ。
エッジは緑の髪の少年に向き直ると、今度はその少年に問い掛けた。
「お前はいったい何なんだ?クロウの何を知ってるんだ?」
「僕からしてみれば君のほうが何なのか聞きたいんだけどね」
緑の髪の少年は微笑みを崩さず逆に聞き返した。
「これから俺達をどうするつもりだ?」
「その子は僕が連れていく。君は――そうだね君次第かな?」
自分が連れ去られるというのに、クロウは俯いたまま顔を上げようとしない。
エッジは無言で剣を構え、緑の髪の少年を睨み付ける。
「それが君の答えだと取って良いのかな?」
緑の髪の少年も腰を低くし、長い奇妙な剣を体の後ろに構える。
「一応言うけど、君は勝てないよ」
最後に本当に戦う意志があるかを問う様に、緑の髪の少年はエッジに言う。
「……分かってる」
「じゃあ、むざむざ命を捨てる事は無いんじゃないかな?」
エッジは引かなかった。
「仲間の為なら、命なんか惜しくない」
「え?」
エッジの言葉にクロウが驚いて顔を上げる。
これ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、緑の髪の少年も真剣な表情になる。
「そう、じゃあ行くよ」
言うと二人は同時に飛び出し、刃物と刃物がぶつかる金属音が響いた。
(くっ……なんて力だ)
少年は見かけからは想像もできない様な力で剣を押し込んでくる。
対するエッジはといえば先程までアキと戦い、その後ずっと走り続けた疲労が蓄積されている。
それらが相まって、エッジの足が震える。
「ッ!
エッジの剣に急速にディープスが集束され、放電が起こる。
我流の技だったが、今のエッジが持つ唯一の切り札だった。
緑の髪の少年はそれを見て一旦、間合いをとる。
「逃がすか!」
それを追うように雷を纏った剣を振るい、エッジは
(――行け!)
急速に武器にディープスを集束する
―
斬撃が発光し、急速にその速度を増す。
三日月の様な剣を握った少年は、それを軽く跳びながら横転することでかわす。
相手を捉え損ねた斬撃は近くにあった建物の壁の一部を破壊する。
「まだだ!!」
避けられたのを見ると、エッジは剣を虚空に向けて振り上げる。
敵を捉え損ねた雷牙の
―
エッジの前方に無数の雷が落ち視界を白く塗り潰す。
しかし、それより早くラークの姿はエッジの視界から消えていた。
(何だ……!?このスピード普通じゃない)
「
頭上からふっと影が落ち、エッジは反射的に剣を頭の上に持ち上げる。
直後、少年が独楽のように縦に回転しながら剣と共に降ってきて、エッジの雷を纏った剣と接触し激しく火花を散らした。
「ぐ、あ」
今度こそ堪え切れず、エッジはガクリと膝をつく。
少年もその衝撃に気付いたのか、空中でエッジの剣を払い除け、その反動を使ってエッジから離れ着地した。
「じゃあ頑張ったけどこれで終わりだね、せめて苦しまないように殺すから」
そう言うと敵は、膝をついて動けないエッジに向かって飛び出す。
「エッジ!!」
暗い路地にクロウの悲痛な叫びが