TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第十話 記憶呼び起こす災厄の町

 エッジは少し膨れた革袋を持って、野菜を扱っている店を出た。

「これで……全部だよな」

 袋の中身を確認して彼は呟く。

 カトマスの品揃えは豊富とは言えなかったが、四人分の食料を揃えるのには十分だった。

(あれ?)

 エッジは人通りがほとんど無い通りの中に、見慣れた濃い紫色の髪が見えた気がした。

「クロウ?」

 はっきりとは見えなかったが、エッジには人影が彼女のものとしか思えなかった。一瞬見えた影は、さらに人気の無い道に入っていく。

(もう用は済んだのかな?)

 何をしているのか微かな興味は沸いたものの、もし今まだ何か用事の途中だったらと思いエッジは少し近付くのをためらった。

(でも……あんなに人気のない路地だとちょっと気になるな)

 普通に近づけば後から余計な誤解を招く事もないと思い直して、エッジは薄暗い路地に入っていった。

 

 

 しばらく着いていくとクロウはこの辺りに用があるというより、ただ人気の無い道を選んでいるらしいということが分かった。

 エッジはというと、相変わらず後を追うだけだった。

 考えるのは簡単でも、こんな不自然な場所で堂々と近づくのは勇気がいる。

 どうしようかと悩んでいる内にクロウが視界から消えていることにエッジは気付いた。

 慌てて左右の路地を確認しながら彼は走りだす。

 

 ドサッ

 

 走りだそうとした瞬間、何か重いものが地面に落ちたような鈍い音がエッジの耳に届く。

「ん?」

 エッジは音がした角に近いた。

 何か嫌な予感がエッジの脳をよぎる。この町に入る前からずっと感じていた嫌な感じが。

 クロウのことが不安になって彼は思わず路地から飛び出した。

「――え?」

 ほんの一瞬、エッジは目の前のことを理解するのに時間が掛かった。

 見慣れない少年、恐らくこの町の少年が彼に背を向けて立っている。

 その向こうにクロウが倒れていた。

 

 なぜ倒れているのか?

 この少年がやったのか?

 普通の少年にしか見えない子がなぜクロウを?

 

 疑問が無数に沸いたが少年がナイフを取り出し、クロウに向けたところでエッジの意識は覚醒した。

 エッジは素早くナイフを握っている少年の手を掴む。

「――っ何してるんだ!」

 こんな勢いで怒ったのは何年ぶりかエッジは自分でも思い出せなかった。

 そのまま彼がクロウの様子を確認すると、彼女はエッジの出現に不意を突かれたような顔をしていた。

 見たところ微かに唇から出血しているようだが、他に目立った傷は無く無事のようだった。

「うるさい!離せよ!」

 少年はエッジに目も暮れず暴れる。

 今はクロウだけしか目に入らない様だった。

「俺は仇を討たなきゃいけないんだ!邪魔するな!」

(仇?……クロウが仇?)

 少年の方に注意を向けていたエッジはふと、目の前の空気に異常なディープスの高まりを感じた。

「クロウ!やめろ!!」

 本能的に彼女のやろうとしていることを察知したエッジは止める。

 途端に辺りの空気が普段のものに戻った。

 僅かに嫌悪の表情を浮かべるとクロウは弾かれた様に立ち上がり、エッジと少年に背を向けて走りだした。

「クロウ!」

 思わず少年の手を離し、後を追おうとするエッジ。

「待て!!」

 背後から少年の声が響きエッジは振り向く。

(仕方ない)

 振り向きざま、彼は一瞬で手に集束させた少量の雷のディープスを解放する。

 全く殺傷能力は無いが、強烈な閃光が目の前に走った事に少年は驚いてその場に尻餅をついた。

「………ぁ」

(良かった、やっぱりまだ子供なんだ)

 相手がナイフを取り落としたことにほっと安心するエッジ。

「命は大事にした方が良いよ」

 まだショック状態の少年にそれだけ言葉をかけると、クロウの後を追い始める。

(早くクロウを見つけないと)

 さっきの少年と何があったかエッジは知らなかったが、あの状態のクロウを放っておいたら彼女はまた全てを一人で抱え込もうとするという確信があった。

 エッジは、それは絶対に嫌だった。

 次々に人気の無い路地を通り過ぎ、エッジは彼女を追い続けた。

 

「ハァ……ハァ」

 ひたすらクロウは町の中を走る。

 人がいる道かいない道かも考えず、人と人、建物と建物の間を走り抜ける。

(誰も、何も、ついてこないで!)

 先程の子供も、ジェインも、クリフとかいう人間も、エッジも……みんな彼女とは違った。

 決して重なることのない違う世界を生きてきた人間。

(なのに、皆私に構ってくる。怨みや、怒り、苛立ち、憐れみ……勝手な感情を私にぶつけてくる。――どうせみんな私から離れていくなら、私は一人でいい!)

 

 

 

 

 四年前。

 

 彼女は物心ついた時からずっとスプラウツにいた。

 それ以前の記憶は何もない。

 その時から彼女は既にクロウと呼ばれていた。

 本当の名前なのかは分からなかったが、それ以外は他の人間と変わらない――彼女はこの頃はまだそう思っていた。

「クロウ?」

 薄暗く狭い室内で少女が呼び掛ける。

「ん?」

 その呼び声に応え、膝を抱えて座っていたクロウは顔を上げた。

 この室内には三人の子供がいた。

 一人はクロウ。

 今彼女に呼び掛けた少女は、レイン。少し癖毛なのか白髪がくるくるとカールしている。

 そしてもう一人、部屋の隅でうずくまっている少年がいた。この少年も白髪で、名前はルオン。

 初めてクロウが二人に会った時、髪の色のせいもあって二人は兄弟かと思った。

 実際二人は仲が良いらしく、楽しそうにしていることこそ少なかったがこの二人が離れているところをクロウはほとんど見たことが無かった。

 もっとも三人は普段この部屋からほとんど出ることはできなかったから当然といえば当然なのだが。

 スプラウツの子供はそれぞれ数人ずつこのような狭い部屋に閉じ込められていた。

 出られるのは基本的に、深術や戦闘の訓練をさせられる時だけ。

「ねえ……寒くない?」

 白髪の少女がこんなことを言うのも無理はない。

 三人に与えられた衣服は何処かから着古しを調達されてきた様なものばかりで、生地が薄くなっていた。

 今はもうすぐ冬だというのに、この部屋には暖炉などは一切無い。

 子供三人が何とか眠れるベッドがあるだけ。それも、大人なら多分二人用。

 窓もなく壁と屋根だけはしっかりしているせいか凍死するほど寒くは無かったが、快適とは言えなかった。

「私は大丈夫だけど、レインこそ大丈夫?」

 クロウは二人より年が上なのである程度この環境に慣れていたが、ルオンとレインはそうはいかない。

 見ればレインは震えていた。

(どうしよう………私じゃ部屋を暖かくすることはできないし)

 クロウに火属性のディープスの適正はなかった。寄り添って温かくなるのを待つのが関の山で、それ以上の事は出来ない。

 彼女が悩んでいると、突然ボッと音をたてて空中に鮮やかな火が燃えはじめた。

 こんなことができるのは、この部屋の中ではルオンだけ。

 すぐに部屋の隅でうずくまっている少年の方を向き、二人は礼を言った。

「ありがとう……」

「ありがとう、ルオン」

 レインが微笑むと、ルオンは少し困ったような表情を浮かべた。

「……うん」

 こういう時どんな反応をしたらいいかルオンは分からないらしい。

 クロウも同じだ、人に礼を言おうとしても面と向かってはっきり言うことができない。

 レインは二人に比べてはきはきと喋るほうで、その明るさに正直クロウは救われていた。

 一人きりならこんな何も無い空間と、戦闘の毎日ではとっくにおかしくなっていただろう。

 ルオンの火のおかげで、部屋の中が少しずつ暖かくなる。

 しばらく三人で暖まっていると部屋のドアが開いた。

 それは三人が共に居られる時間の終わりでもあった。

 クロウは内心がっかりしてため息をつきたい気分だったが、せめてルオンとレインの前では年長として気丈に振る舞おうとそれは顔には出さない。

「出ろ」

 クロウ達と異なり、比較的きちんと身なりを整えた銀髪の青年が部屋の外で手招きする。

 この青年の名前をクロウ達は知らなかった。

 ただみんなにシビルと呼ばれている、だからクロウ達もそう呼んでいる。

 それが名前かファミリーネームか、そもそも本名なのかすらクロウ達には分からなかったが、そんなことは考えもしなかった。

 ここではそれが当たり前のことだったからだ。

 みんなあるのは呼び名だけ。

 シビルに連れられて三人は廊下を歩いた。

 等間隔に並んだ扉と、元は白かったであろう灰色の壁だけが並ぶ無機質な空間。

 今はまだ何とか周りが見えるが、日が暮れれば明かりの無いこの建物の中はどこも真っ暗闇になる。その様はまるでどこかの監獄の様だった。

 シビルはクロウ達の方を見ていなかったが、この狭い建物内で逃げようとしたりすれば命は無いことはクロウも分かっていた。

 彼もその為に帯剣している。

 もっとも、クロウは小さな二人を置いて逃げよう等と考えた事はなかったが。

「入れ」

 青年が廊下の部屋の一つを開きルオンとレインが無言で部屋に入る。

 二人が扉をくぐったのを確認してシビルは再び扉を閉めた。

 それからさらに廊下の奥、一番端の部屋まで青年はクロウを連れて歩く。

 いつもクロウは一人だけ一番奥の部屋に連れてこられた。

 シビルは今度は無言で鍵を回し扉を開く。

「………」

 ここで青年の仕事は終わりだ。

 クロウもそれは分かっており、静かに扉をくぐる。

 彼女が部屋に入るとすぐに背後で扉を閉める音、鍵が閉められる音が聞こえた。

 この部屋にあるのは二本の松明と、目の前にある鉄格子。

 他の部屋以上に暗いこの部屋は、壁の松明が無ければ何も見えない。

 しかし、あまりの暗さに目が松明の光だけを拾ってしまい、壁から離れた場所はむしろ何も見えない空間になっていた。

 その暗闇の向こうに何がいるか、クロウはもう大体分かっている。

 目では何も見えなくても、そこに居るであろうあらゆる危険を予想するクロウ。

 

 一瞬の判断の遅れが命取りになる事は身をもって知っていた。

 

「……始めるぞ」

 低い老人の声が響き、目の前の鉄格子がゆっくり開き始める。

 鉄格子が軋む音と微かに獣が唸るような声が聞こえる。

 

 そして鉄格子が開ききるより早く、クロウに向かって巨大な獅子が飛び出してきた。

 これがスプラウツがクロウに与えた訓練。

 『殺すか、殺されるか』用意されているのは常にそういう状況だった。

 初めてここに連れてこられた時クロウはそれで死にかけた。

 犬の様なモンスターに引きずり倒され、何も分からないまま血が流れた。

 クロウはその時の事を可能な限り思い出さない様にしている。

 思い出したくなくても、嫌でもその時の感覚が甦るからだ。

 治癒術で体は元に戻ったが、記憶は消えない。

 

 クロウはためらいもなく部屋中の『闇のディープス』を集束させ、その獅子に向ける。

 彼女は獅子に対して敵意は持っていなかった。あるのは殺さなければならないという義務感だけ。

 こうして訓練を重ねる度、クロウは徐々に何も感じなくなっていた。

 というより自分の心が恐怖で壊れてしまわないように、無意識に何も考えない様にしていた。

 

 ズバッ――

 

 直後、肉が切り裂かれる嫌な音と共に、部屋全体に大量の血液が飛び散る。

 無言のまま彼女は頬に少し付いた血を拭い去った。

「流石だな、クロウ」

 しわがれた声がクロウに呼び掛ける。

 それを発した老人をクロウは道端の石でも見つめるような目で見る。

 老人の名はバルロ。

 全てのスプラウツの子供の深術の師であり、体術の指導者であり、誰よりも強く、子供たちにとって彼の言葉は絶対だった。

 クロウに対して直接手をあげたことは無かったが、だからといって優しかった訳では決してない。

 地の深術に長けた彼は、スプラウツで逆らう子供がいれば容赦なく制裁を加えた。

 こうして一人で訓練をさせられたり、特別な扱いを受けていたクロウに対してもその厳しさは変わらない。

 クロウは自分が特別扱いされる理由が理解できなかった。

 初めの頃は自分の中に眠っていた力に驚き恐れたこともあったが、今は彼女は自分が特別だと思わなくなっていた。

 それで生活が変わるわけではなく、訓練を積めば積むほど闇のディープスを使うことはクロウにとって当たり前になっていた。

 ただ、いくら使っても風や水の属性を使う時と全く違う気味の悪い感覚が走ることは変わらなかったが。

 

「……終わり?」

「今日は術を使用さえすればそれで良い。明日は早い、すぐに戻って寝るがいい」

 訓練は始まりと同じように突然終わる。

 クロウは部屋に入る前より一層暗い面持ちで来た道を戻った。

(……明日か)

 彼女は町――国を滅ぼすため、反乱を起こそうとしている町だとクロウは聞いていた――の殱滅の為明日からこの建物を出て村に向かう事になっていた。

 町の名前はカトマス、カースメリア大陸と中央大陸の貿易の中継地点の一つだった。

(……また人を殺すの?自分と同じ人間を?)

 例えこの生活にすっかり慣れてしまっているとしても、クロウにはまだ迷えるだけの良心が残っていた。

 だから未だにフレットの様に前線で直接人と戦う任に就いたことはなかった。

 明日の作戦で彼女が担う役目も町を最後に土の底に沈め、証拠を消すこと。

 直接人と戦うことはない。

 それだけでも感謝しておこう……そんなことを考えながらクロウは部屋に戻ってきた。

 流石に二人はまだ戻ってきていないようだった。

 クロウは部屋の隅に置かれている古びたベッドの一つに腰掛け二人を待つことにする。

 一人ではする事も無かった。

 

 比較的早く二人も戻ってきた。

「ただいま!」

「おかえり」

 戻ってくるなりレインは明るくあいさつしたのでクロウもそれに合わせて、少しだけ明るい声を作る。

 が、翌日のことを考えるとお互いそれ以上言葉は続かなかった。

「明日……だし今日は早く寝ようか」

 何とか場を和ませようと精一杯明るい声でレインが言う。

「そうだね」

「うん」

 その気遣いを無駄にしたくなかったクロウとルオンも同意する。

 三人は狭いベッドに潜りこんだ。

「……」

 先程から沈黙が続く。

 お互い眠れないのは分かっていたが、何を話せば良いのか分からなかった。

 こういうときいつも最初に口を開くのはレインだった。

「ねぇ、私たちのしていることって……正しいと思う?」

 その質問にクロウは少し驚いた。

 スプラウツに所属する子供のほとんどは自分達のしていることに疑問など持たないよう徹底的な教育を施されている。例外はバルロに殴られないクロウ位だ。だからレインもそうだろうとクロウは思っていたが、どうやら違ったらしい。

 一度、彼女達がスプラウツの目的をシビルに尋ねた時返された答えは「国の為、人の為」だった。

「どうしてそう思うの?」

「人の為ならどうして私たちは隠れているのかな、って」

「……見られてはいけないから?」

 ルオンの一言にまた沈黙が続く。

「そうとは限らないでしょう?私たちに危険が及ばないためかもしれないし」

 彼に罪悪感を持たせるのが嫌で、クロウはそう否定する。

「そうだね、考えても仕方ないか。正しいかどうか確かめる手段なんて無いんだから」

 レインがそう答えてから三人はもう話さなくなった。

 眠くなったわけではないが、それぞれに考えていた。

 自分達は今、何をしているのかを。


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