TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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転章 宝珠編
第九話 小さな暗雲


 空の青、海の青。

 外の世界全てが青かった。

 船に乗っているのだから当たり前だが漁に出たこともなく、ましてや船に乗ったことすらほとんど無かったエッジにとってそれは違う世界に入り込んでしまったに等しかった。

 その光景は自分が今まで生きてきた大陸を後にすることも示している。

(俺は……何をしようとしているんだろう?)

 クロウという少女に出会って、村から二人で逃げ出してきたとき、エッジは何も考えていなかった。

 正確には、何をしようとしているのか自分でも分かっていなかった。

 今でも、はっきりした目標は何もない。

 

 守りたい、クロウやアキに傷ついて欲しくない。

 

 それだけを理由にして、衝動に突き動かされるままに、今まで彼はみんなと旅をしてきた。

 だけどそこには『何故そうしたいのか』、『何の為なのか』という決定的な理由が欠けている。

(シントリアに着いたら、多分みんなとも別れなきゃいけないんだろうな)

 その後どうするか、エッジの中にはまだ何も浮かばなかった。

 

 ――――――――――

 

「ふぅ」

 三人と別れ一人になるとアキはゆっくりと息を吐いて、水平線をぼんやりと見つめる。

 船の外の景色にはアキの興味を引くものは何も無く、ただただ孤独だけが心の中に渦を巻いていた。

 

 彼女はせめて今だけは自分のしてきたことも、これからしようとしていることも忘れていたかった――が、できなかった。

 考えないようにしようとすればするほど、「エッジ達を騙している」、「裏切っている」という罪悪感がアキの頭を支配する。

(今までの三年間、こんなことは無かったのに)

 アキは今まで自分のしていることに疑問を抱いた事はあまり無かった。

 しかし、今になって彼女は急に自分のしていることに自信が持てなくなっていた。

(どうして?)

 自問しても分からない。

 今のアキにはこの『仕事』を最後までやるしか選択肢が無かった。

(迷っちゃいけない、私はもう戻れないから)

 

 ――――――――――

 

 世界が、揺れている。

 その感覚にクロウは吐き気がした。

(……最悪)

 ひどい船酔いに悩まされていたクロウは、あまり人気のない場所を探し船の縁に体重を預ける様にして体を折っていた。

 彼女は船が嫌いだった。

 正直に言えば、人間の乗り物ではないと思っている位に。

 だからクロウにはこんなに揺れがひどく、同じ景色ばかりの物に乗りたがる人間の気が知れなかった。

 とにかく早くこの悪夢が終わってくれるよう、クロウは祈った。

「こんな所にいたのか」

 突然背後から声をかけられクロウは内心焦る。

 が、そんな様子は表面に出さずに彼女はゆっくりと振り向く。

「なんだ、エッジか」

 声をかけてきたのがエッジだと分かると、クロウの力が抜ける。

「なんだ、って。それより大丈夫か?」

「何が」

「船、苦手なんだろ?」

「別に」

 そう言うと、この場を去るつもりでクロウは無理矢理身を起こす。

 船酔いで弱った身体は少しふらついた。

 ちょうど同じタイミングで船がかすかに揺れ、クロウはバランスを崩す。

(……あ)

 船の縁から落ちる。

 彼女はそう思った。

 その瞬間、腕と肩をエッジがつかんでクロウを支える。

「大丈夫か?」

 エッジはさっきと同じことを、また聞いた。

「大丈夫だって言ってるでしょ」

 エッジに支えられたままでクロウは言葉を返す。

「じゃあ、離しても平気か?」

 クロウは無言で頷く。

 エッジが慎重に手を離すと、彼女はまたふらっと倒れそうになった。

 慌てて再びクロウの肩を支えるエッジ。

 彼女の船酔いは傍目に見てもひどい状態だった。

「クロウ、無理するなよ」

 エッジは仕方なく彼女を近くの壁に寄り掛からせ、座らせる。

 その間クロウは何も言わず、特に抵抗もしなかった。

「……」

 その態度にいつもの様な冷たい感じは無く、おとなしいクロウはまるで別人のようでエッジはやりづらさを感じた。

 エッジも特に話す様子も無く無言で立っていたので、しばらく沈黙が続いた。

「……どうしてあなたは私に構うの?」

 まるで独り言のようにクロウが漏らした一言が、沈黙を破る。

「あなたは私の何なの?どうせ私なんかと何の関係もないんだから放っておけばいいのに」

 エッジは何も言えなかった。

 今の言葉には怒りや拒絶というより、何よりもあきらめの感情が最も強く現れていた。

 それが、エッジに普段の冷たい態度以上に心の距離を感じさせる。

 彼にはその距離をどうすれば縮められるのか、まるで分からなかった。

(……みんないずれ私から離れていってしまうなら、初めからそばに誰もいないほうが楽なのに)

 

 ――――――――――

 

 クリフは船の縁によりかかって、何をするでもなく船内の人の動きを眺めていた。

 他の乗客が話したり、船員が忙しく働いていたりする様子を見ても暇つぶしにはならない。

 昼寝でもしようかと思いたった彼は座ってはみたが、なかなか眠れない。

(昨日、寝すぎたか)

 こうしてのんびり船に乗るのは何年ぶりだろうかと、クリフは思いを巡らす。

 以前はよくあちこちへ旅をするのに使っていたが、

(今は、そんなことできる身分じゃないしな)

 自分にのんびりと旅をしている時間などないのだと、彼は思う。

 今もただ無意味に時間を過ごしているわけではなかった。

 

 クリフはあるものを探していた。

 エッジ達には何も言っていないが、もともと彼らに着いていくことにしたのもその為だ。

 周囲の人間に警戒されないため、彼はエッジ達を少し利用させてもらうことにしていた。

(……あいつらには悪いことをしたな)

 それでもクリフは探さなければならなかった。

 それが、彼の唯一大切な事だったから。

(――もう少し待っていろ、フレア。必ず戻るからな)

 

《ブレカス港》

 

 船は五日程で港に着いた。

 ブレカス港に着くと、クロウは既に口も利けない程疲れ果てた様子でふらふらと船を降りてきた。

 そのすぐ後にエッジが続き、さらに間を置いてアキとクリフが船を降りた。

 顔色が悪いクロウは何も言わず、近くに積んである荷物らしき木箱に寄り掛かっていた。

 クロウはしばらく歩けそうもない様子だった。

 とはいえ、ここまで来てしまえば残りの道のりは三分の一程度。

 ここからは陸続きで、治安も良い地方が多く最大の難所(特にクロウにとって)は越えたと言えた。

 ただ、最も問題なのはスプラウツに見つかる可能性だった。

 アキが加わってからは彼女への遠慮もあって普通に街道を通ることもあったが、人が多い場所に近づくほど見つかる危険性も増す。

 再びルオンやスプラウツの残りのセブンクローバーズクラスの者と戦闘になれば無事に凌げるとは限らなかった。

「……これからの進路のことなんだけど」

「ん?どうかしたか?」

 重々しい雰囲気で遠慮がちに口を開いたエッジの様子を不審に思ったらしく、クリフが反応する。

 この四人の中でスプラウツとクロウのことを知らないのはクリフだけだった。

「クリフ、シントリアまでの道はなるべく街道を通らないようにできないかな」

 エッジの言葉を聞いたクリフは変な顔をした。

「何でだ?」

「あんまり目立ちたくないんだ」

 アキもクロウも真っ直ぐ目を向けないものの、クリフの反応に緊張を見せる。

 こんな言い訳では納得しないだろう、と。

 普通の旅人がシントリアを目指すのに街道を通らないなど筋が通らない。

「別にいいぜ、野山を突っ切るのには慣れてるし」

「え?」

「だから、目立ちたくないんだろ?」

 あまりにすんなり了承してくれたので、エッジは少し拍子抜けしてしまう。

「その代わり、歩くのはきつくなるから覚悟しとけよ」

 それだけ言うとクリフは親指をぐっと立ててみせた。

「ああ……ありがとう」

 そのややおどけているとも取れる仕草と安心感でエッジも思わず安堵の笑みをこぼし、アキも目を丸くし、クロウは再び気持ち悪そうに俯いた。

「ところで王都までは食料が保ちませんから、どこかで補給しないと」

「だったら多少遠回りになるかもしれねえけど、キーラー山脈の方を通ってカトマスに寄ればいいんじゃねえか?」

「そうですね、山脈に沿って行けば迷わずに王都まで着きますから」

 エッジには分からなかったが、アキとクリフは中央大陸の地理に詳しいようだったのでエッジは二人に任せる事にした。

「クロウはそれで良いか?」

 彼はさっきからずっと黙ったままのクロウにも一応意見を聞く。

 彼女はまだ元気が無いように見えたが、一応話すことはできそうだった。

「……カトマスって前に土砂崩れで無くなったんじゃない?」

 それを聞いたクリフが妙な顔をした。

「よく知ってるな。お前カースメリア大陸の人間じゃないのか?」

「たまたま話が耳に入っただけ」

「まあ確かにあれは大きい事件だったからな」

 エッジはクリフの言い方に違和感を覚えた。

「事件?土砂崩れって天災じゃないのか?」

「ああ、そのカトマスって町はその頃ちょうど町全体で大規模な国への反乱を計画していたんだ。それだけでもまあ結構な話題だったんだが」

 反乱、その言葉には重い響きがあった。

「何で?」

 エッジの質問にクリフが説明する。

「あの町はシントリアとカースメリア大陸の中継地点だったんだが、王都の貴族が無理矢理輸入品の値段を下げさせたんだ。だからそれに怒って反乱を計画していた」

 そこでクリフは一呼吸おいた。

「元々あまり評判が良いヤツじゃなかったから当然といえば、当然だけど」

 言いながら、彼は軽くため息を吐く。

「――だからそんな時に土砂崩れが起きて、人々は言った、あの事件はあいつの……『ジェインの呪い』だってな」

「え」

 エッジが言葉を失い、アキは和らぎかけた表情を再び硬くする。

 場の空気が一段と重くなり、しばらく沈黙が続いた。

「まあそんなことがあった町だけど、今はとりあえず復興に力を注いでるから反乱どころじゃねえはずだし、そんなに危険じゃないと思うぜ」

 そう言うと、これで話は全部終わりだというように先頭に立って歩き始めた。

 エッジ達もそれに倣って歩き始める。

(ジェインって……)

 確かアキの家の名前もジェインだったと、エッジは思い出す。

(……クロウがアキにああいう風に接するようになったのも、ジェインだって聞いてからだったよな)

 クロウがアキを恨んでいることと何か関係があるのか、エッジは考える。

 彼は二人の表情を伺ってみたが、その顔からは何も読み取る事は出来なかった。

 

 エッジ達は森の中に入った。

 徐々に山に近づいているせいか、ますます草木を掻き分けて進むのが困難になってきている。

 クリフは言葉通り野山を突っ切るのには慣れているようで、先頭で木やその根を楽々避けている。

 エッジのすぐ後ろにはクロウが、その後ろにアキがいる。

 普段も歩いている時はあまり明るい表情をしていることは無いのだが、エッジから見てもクロウもアキもいつも以上に暗い顔をしているような気がした。

(……この先に何かがある)

 何か近づいてはいけないものに、近づいている。

 杞憂だとは思っても、そんな言い様のない不安が彼の頭を離れなかった。

「多分、そろそろ見えるぞ」

 クリフの言葉に全員が顔を上げ森の向こうを見ると山の斜面に生えている木々が一部全く無くなっており、土砂崩れがあった場所が見て取れる。

「土砂は大分片付いたらしいが、斜面に緑が戻るのはまだ先のことだろうな」

 クリフの言い方は寂しそうだった。

 それからまたしばらく会話もなく歩き続けると、町の様子が見えてくる。

 山の麓に簡素な造りで木造の家々が、バラバラに立っている。

 他の町ほどの数は無いが、少なくとも買い物は出来そうだった。

「じゃあ、買い物はどうする?」

 町に着く前に決めておこうとエッジは三人に声をかけた。

「私は少し用があるから」

 クロウはこの町でも変わらず単独行動する様子を見せる。

(でも、いつものクロウと何か違う気が……)

 エッジは少し引っかかった。声にいつもの覇気が無かった事もそうだったが、

「用?この町に一体の何の用事があるんだ?」

 不思議そうにクリフが質問する。

 それだった。

 普段のクロウは確かに一人を好むような所はあるが、意味もなく単独行動したりはしない。

「別に?たまには煩い奴から離れたいだけ」

 確かに今度の彼女の口調には刺があった。

 しかし、本当にそれだけだろうかとエッジは不安を覚えた。

「そうか、だったら俺達だけでいいな」

 クリフも無理に誘う気はないようで、クロウ抜きで買い物の話を進める。

 結局、クリフが調味料と肉、エッジが野菜と薬、アキがその他消耗品を探してくることになった。

 何だかクリフだけ楽をしているような気もするが『調味料は自分で探したい』、と言い張ったので仕方がない。

 実際このメンバーの中ではクリフが最も料理が上手く、最近はクリフに頼りっぱなしだったので誰も文句は言えなかった。

 

《災厄の町 カトマス》

 

 町――というよりバラバラに散らばっている家々の端に着くと、クロウはじゃあ、と言って町の中には向かわず山の方へと向かった。

「あいつ、どこ行くんだろうな?」

 またもやクリフが不思議そうな声を出したが、他の二人に分かるはずも無かった。

「ま、それはさておき、二人とも買い物よろしくな」

 クロウのことをさして気にする様子もなく、クリフは軽く手を振って一足先に町の中へ消えた。

「じゃあ、また後で」

「はい」

 二人も後を追う様にそれぞれ町の中へと消えた。

 

 ――――――――――

 

 クロウは一人、山の斜面に来ていた。

 ちょうど土砂崩れで剥き出しになった地面と森との境目だ。

 そこからなら町の様子を見渡すことも出来た。

(ここに来たの、何年ぶりだろう)

 出来れば彼女は二度と来たくは無かった。

 数年前にクロウがここに来た時とは町並みがかなり異なっている。

 以前は住民達に使用されていた集会所や、武器を蓄えていたであろう倉庫も今は跡形も無かった。

 それらと同様に、大きな建物はほとんど無くなっている。

 代わりに以前より小さく簡素な造りの家々が無数に建っていた。

 一度完成したものが失われ、不自然な形になっているのがありありと分かる

「……」

 見れば見るほど気分が悪くなるので、クロウは町から視線を外す。

 彼女はまるで自分の過去を目の前に突き付けられている様な気がした。

 クロウにとっては今のこの町の存在そのものが、記憶の一部だった。

 エッジ達とは宿で落ち合うことになっていた。

(……もうしばらく時間を置いてから宿に行こう)

 あまり早く着いていては怪しまれる、それになるべく人目は避けたい――そう考えて、クロウはその場にしばらく留まってから宿に向かって歩き始めた。

 

 町に入ってクロウが宿の場所を探していると、路地からアキくらいの年の少年が現れ彼女に向かって叫んだ。

「おい、待てよ!」

 背後の声にクロウは返事もせず、無言でゆっくりと振り向いた。

「この……人殺し!!」

 怒りの表情を浮かべて拳を握り締める少年を、クロウはどこか他人事のような冷めた表情で見つめていた。


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