TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第九十四話 言えなかった言葉

 ――ずっと、勘違いをしていた。

 心の何処かで、剣を持って戦えば何かを守れると思っていた。

 隣に立って戦えば、助けられると思っていた。

 けれど、実際に剣を振るって出来ることは誰かを傷付ける事だけで、

 戦い続けることは際限なく他人の傷を増やしていく事でしかなく、それは仲間を守る保証にはならないのだと――そんな当たり前の事にようやく気が付いた。

 

(俺は何の為に戦ってきたんだろう、俺のやって来たことはこんなに無意味で……戦うことは、こんなに虚しいのに)

 

 クロウの作り出した深術で身体が減速し、ファタルシスの大地に背中から落ちた衝撃がエッジを現実に引き戻した。彼女がエッジを助ける為に発動させた複葉の様な深術が、彼の目の前で黒い花弁の様に空の中へと溶けていく。さっきまで握っていたクロウの手の体温は、落下するまでの間の風ですっかり消えてしまっていた。

 遠目に見たエッジの希望的観測でも否定しようが無い位、クロウが負った傷が致命傷であることはすぐに分かった。

 折れかけた心とは反対に、彼の手の中のアエス・ディ・エウルバは戦いを強いる様に強く、強く光を放つ。大きなダメージを負った訳ではない身体は、まだ動かすことが出来る筈だった。それでもエッジの実際の動きはとても緩慢で、全ての希望を背負った蒼い剣は今の彼にはあまりにも重すぎた。

 

 ふと、虚空を彷徨いかけたエッジの視線が、遥か頭上で瀕死の状態のクロウと合った。彼女の眼に浮かぶ絶望の色が、霞がかった彼の心を更に深く抉る。

 しかし、エッジの視線に気付いたクロウのそこからの表情の変化が、彼の心の砕けず残った部分を奮い立たせた。

 

(ああ、まだ……それでもまだ、俺にはやる事が残ってた)

地に爪を立てる程に力を込めて、エッジは無理矢理身体を起こす。

 

(クロウ……俺は、この嘘を貫き通す。ちゃんと最後まで)

 もう一度立ち上がったエッジは、深海の剣の重みを確かめる様に振り下ろして構える。そこから立ち上る放射体(オーラ)は剣の動きを追って蒼い焔の様に揺れた。

 

 

 

 腹部を押し上げられる形で頭が下になり、クロウは自分の血で窒息しそうになった。必死に咳き込みながら血を吐き出すも、そうすれば代わりに刃が更に食い込んで内臓が煮えたぎる様な痛みが彼女を襲う。

 深術も、武器も、仲間も、何一つ助けてはくれない死の恐怖にクロウは飲み込まれかける。

(いや、だ。死にたくない……)

 必死に顔を上げたクロウの目に、間近の『ジード』の必死な形相が映る。

 人の感情を無くし、半身を失い、宝珠に呑み込まれかけて尚、人だった頃の願いだけを追い続けるその姿が。

 クロウはそういう人間を知っていた。

 報われない願いの為に必死になって、自分をすり減らしていく――そういう人間をとてもよく知っていた。そんな目の前の男の姿を、クロウはとても憐れに感じる。

 

 ――『ジード』の行動はきっと本当に世界を今より「平和」にするだろう。当たり前だ、資源を減らしたりしないまま人の数そのものを減らせばそうそう争いなんて起こらない。仮に起きても、きっと『ジード』は争いが起こらなくなるまで更に人を減らし続ける。

 けれど、それは一時のもの。

 そして、そこにこいつの居場所は無い。

 一度「人を殺す」という手段に頼った『ジード』は、きっと平和になった世界の中でも争いの元になる様な人間を探してさ迷い続けて、人が増えればまた同じ事を繰り返す。

 平和な世界を夢見て、永遠に殺戮を繰り返す殺人鬼――それがこの男の末路。

 その空虚が、どうしようも無く憐れだと私は思った。

 

(本当は分かってる、こいつとエッジは多分同じだ。エッジが私を必死に守ろうとするのはたまたま私が目の間に居たからで、目の前に居たのが私じゃなくても、きっと誰でもエッジは助けた……でも、それでも『私にとっては』違うんだ)

 ふと、クロウの目が地上のエッジと合う。

 彼の生気を失い、希望を失った表情を見て彼女は笑みを溢した。

「ばーか……あんたの方が死にそうな顔してんじゃないわよ……」

 呟きはきっと遠く離れた地上には届かなかった。しかし、それでも彼女の笑顔で少年は立ち上がった。

 クロウはその勇姿に安堵する。

 

(エッジ……皆は薄々気付いてたんだよ。何をしたって私は助からないんだって。本気で私が助かるなんて思ってたのはエッジだけ。でも……その偽りの無い嘘が私の心を守ってくれた。私が折れそうな時救い上げてくれた。諦めた両親との絆を繋いでくれた――私にとって、エッジは光だったんだ)

 

 だからこそ、クロウは確信を持てた。

(エッジは負けない……どんな絶望だって、あいつは引っくり返して進んで行くんだから)

 

私の希望(エッジ)は絶対に潰えない(まけない)

 

 胸に刻んだその言葉が、クロウの心に最後の火を灯した。

(なら……やる事は決まってる。まだ、言わなきゃいけないことがあるんだ)

 既に宝珠の力も使えなくなったクロウは、記憶の糸を手繰った。

 リアトリスと二人で修行した時の会話を一つ一つ思い出す。

 

 

(「そう、一瞬で形を変える風も、刺す様な暗闇も、流動する水も全部の属性元素(ディープス)を受け入れて、心を通わせて自分の中でまとめ上げて――うん、すごいよ!クロウ」

「空全体に展開できるヤツに言われても皮肉にしか聞こえないんだけど……やっぱり直接触れてる範囲にほんの少し形成するだけで精一杯、か」

「それでもすごいよ、私が『色の水晶(クロマティッククリスタル)』を扱えるのは(シン)の力あっての事だし、きっとクロウは――」)

 

 

 瞳を閉じて、彼女は痛みを意識から切り離すために薄く息を吸い込んだ。

 クロウの右手の中で、ディープスが虹色に燦めく糸を編む。

「……結晶化(ジェネレイト)

 自身が突き刺した少女の微かな声と共に、身体の自由が効かなくなり始めた事に『ジード』は気付く。

 彼の異形の身体を細い細い虹の糸が絡め取っていた。

 揚力のみで浮いている訳ではない身体は空から落ちる事は無かったが、その糸は確実に彼の動きを鈍らせ、『ジード』がどれだけ断ち切ろうともがいても決して切れる事は無かった。

 元凶が目の前の瀕死の少女であることに気付いた『ジード』は彼女の身体から刀を引き抜き、止めを刺そうと振り下ろす。既に抵抗する力も残っていないクロウはその動きにされるがまま振り回され空中に投げ出された。

 返り血を纏った『ジード』の刀が赤い弧を描く。

「――氷装蓮華(ひまといれんげ)絶炎(ぜつえん)!」

 クロウの首を掻き切ろうとした『ジード』の右腕を、リョウカの武器と自身の武器の力を合わせてアキが地上から放った赤い線が直撃する。矢と見紛う速度で直線を描いたその炎は過ぎ去った余波で初めて炎らしい無軌道な動きを見せながら散り、その勢いで彼の刀を握った右腕は大きく後方へ弾き返された。

 その腕を今度はルオンとトレンツの村人達の放った氷弾が捉え、凍り付かせる。

 ほんの一時とはいえ武器を封じられた獣は、煩わしそうに吠えてディープスを収束しアキとクロウを狙った。

 『ジード』の周辺の空間が歪む。

「――そんな事させるわけねぇだろ!!」

 クリフの叫びで攻撃を察知して顔を上げた『ジード』の瞳に、赤い箒星が映る。

 「錬毅身」の力を最大限に解放した跳躍でクリフは敵の上を取っていた。

 「発」の反動と「瞬」の初速による上昇力を使い切った彼の身体は、そのエネルギーを全て落下の加速へ転化しながら真っ直ぐに『ジード』へ堕ちる。

 「殻」によって保護されたクリフの身体は、空気との摩擦で赤く染まった。

 重力加速の物理的エネルギーはダメージを与えられなくとも『ジード』に踏み止まる事を許さず、クリフは相手の胸倉を掴んだまま一気に『ジード』を眼下の島へと連れ去る。

「地表でバラけろ!秘奥義(ひおうぎ)――彗・星・破・砕(ほしくだき)!」 

 『ジード』の体が赤い流星となってファタルシスの大地を直撃する。

 クリフの振り下ろした拳と落下の衝撃が半球形に地形を陥没させ、亀裂が離れたアキ達の足元まで広がる。それでも尚ヒビ割れて耐えきれなくなった部分の地面は連鎖的に崩れ、瓦解音を立てた。

 彼が秘匿していた一回限りの空への攻撃手段は『ジード』の胸部を(ひしゃ)げさせたが、黒い獣はそれを意に介する様子も無く傷を再生しながら起き上がる。

 クリフも効かない事は承知だったらしく彼を大地に引きずり下ろしてすぐに飛び退き、倒れた仲間の名前を呼んだ。

「ラークッ!!起きてんだろ!?」

 呼び掛けられた時、既にラークは剣を構えていた。

 無数の穴と血の痕跡が残った格好はボロボロで、(シン)の再生能力と「再現構成(リジェネレイト)」の効力で辛うじて立っている状態だったが、その眼は誰よりもきつく敵を睨みつける。

「当たり前だろう、ここで倒れている様な僕なら……生きている意味が無い」

 剣を振るうラークの手の中で、リアトリスのペンダントが揺れた。

「細断、連斬、颶風(ぐふう)の如くして微塵も残すもの無し――秘奥義(ひおうぎ)千裂蒼破塵(せんれつそうはじん)!」

 一つの軌道に重ねられた真空の刃がエッジの「真空蒼破塵」と同様に、より大きな刃を形成して飛ぶ。

 それをラークは、狂気に駆られて舞う様に瞬く間に重ね続けた。

 足を止め隙を晒しても構うこと無く、幾つも、幾つも。

 一つが届くまでの間に次々に放たれるその斬撃は『ジード』の羽を裂き、腕を裂き、千々に裂けたそれらを微塵に裂いた。

 しかし、ラークが全ての身体能力を傾けて放ち続けるその嵐の様な攻撃でさえ、僅かな足止め程度にしかならない。

 一度バラバラにされかけた『ジード』の身体は斬られた以上の速度で再生しだし、断たれた腕は元に戻り、彼の身を裂いた真空の暴風はただその輪郭を揺らすだけと成り始めた。

 それでも、ラークの動体視力にはその時間で十分だった。

 彼は後ろを振り返り、深海の剣を握り締める少年に全てを託す。

「エッジ、宝珠は右胸だ!そこさえ避ければ全てその剣で吹き飛ばせる!」

 禁忌の剣から立ち上る蒼い放射体は既にエッジの全身を覆わんばかりになっていた。

 完全に解放されたその力を手にした少年はラークの呼び掛けで殆ど条件反射の様に飛び出す。

 その眼からは既に誰かを守りたいという情熱も希望も消えていたが、それでも義務感に急き立てられる様に彼は駆けた。

 

 クロウの作った『色の水晶(クロマティッククリスタル)』の網で飛び上がれない『ジード』は再び深術で周囲を掃射しにかかり、クリフやラーク達は後退を余儀なくされる。狙いが闇雲なそれは彼らを仕留めるには至らなかったが黒槍は際限なく放たれ続け、その嵐は『ジード』と周囲とを断絶してしまう。

 その千荊万棘(せんけいばんきょく)の中を、エッジは唯一人で前へと進んだ。

 彼の振り下ろした剣の直線状に、道が開ける。

 禁忌の剣の一振り一振りが蒼い焔で黒槍の嵐を容易く切り裂き、押し戻す。

 受ければ一溜まりもない致死の一撃が千と降り注いでも、エッジはただ一度の攻撃でそれらの実体である第一構成元素(ハイエス)を破壊し尽くし大気へと還した。

 

 追い詰められた『ジード』は手負いの獣の様な咆哮を上げ、切れない虹の水晶網を引き千切ろうと藻掻く。

 それに呼応する様に彼の四囲の空気中のディープスが圧縮され、七色の光帯を描いた。

 急激な大気の動きに、全員の身体が引き摺られる。

 重力じみたその力はそれだけに留まらず、更に引力を増しながら闇のディープスを一際強く引き寄せ始めた。

 『ジード』の前面に黒い魔法陣が現れる。

 既に彼の口から紡がれる音は言葉を成しておらず、第二属性元素(ディープス)を操る人の心も宝珠に飲まれかけて居たが、其れは間違いなく最上級深術「ディグルフェイズ」の詠唱だった。

 島を囲む竜巻の壁。

 空へと立ち上っていく緋色の焔螺旋。

 そして、その果ての青空までが暗闇に閉ざされていく。

 コレクトバーストに依って詠唱速度が早まったその術は、エッジが『ジード』の元へ辿り着くより早く全員の視界を奪い去ろうとしていた。

 意識の無いリアトリスを支えて術の中に吸い込まれない様踏み止まりながら、クリフが危機感を(あらわ)にする。

「おいこれ、マジでやばいぞ!」

 ラークも剣でフォローしようとするが攻撃しようとすれば直ぐ様引き摺られてしまい、クリフ同様動くことが出来なかった。

「く……急げエッジ!先に発動されたら例え今のアエス・ディ・エウルバでも持たない!」

 「明の天傘」を大地に突き刺したアキは姉と自身の二人分の体重を支えながら、辛うじてエッジの名前を呼ぶ。

「ごめんなさいエッジさん、動けるのは、もう……!」

 

 光が完全に閉ざされた。

 底無しの深淵が、口を開ける。

 その冥闇(くらやみ)の中心を目掛けて、エッジは跳んだ。

 

 たった一人きりのその瞬間の中で、消滅の力が手の中で胎動するのを彼は感じる。

 エッジはようやく、人の世にこの剣を残した女神の真意に触れた気がした。

(どうして使う事を禁じながらこんな危険な物を女神アエスラングが作ったのか俺には最初よく分からなかった。けど、きっと『この剣を使ってはならない』っていう警告は本心だったんだ……本当はこんな危険な物が使われない事を願いながら、それでも争いを終わらせる「可能性」をアエスラングは人の手に残してくれた。きっとこの剣は――願いだったんだ)

 

「いけえぇ……っ、エッジー!!」

 真っ暗な空間の中でそれでも彼を信じてクロウの絞り出した叫びが、エッジに届いた。

「アエス!闇を、万物を、切り裂け!――淵源海溝閃(えんげんかいこうせん)!!」

 エッジは剣を振り下ろした。

 

 全ての音が途切れ、吸い込まれていた風と黒が形を成すと同時に水平線の果てまで刺し貫く巨大な神槍を形成する。

 しかし、其れが海を割ることはもう無かった。

 涙の様な小さな蒼い雫が空から落ちる。

 それは暗闇に切れ目を入れ、細い光がファタルシスの地へと差し込む。

 エッジの剣閃を真っ直ぐになぞるように滴下する雫は――遥か遠くから始まったが故に雫の様に見えたその蒼い光は、瞬く内に天から地上を繋ぐ斬撃となった。

 黒い禁術と、蒼の一閃が交差する。

 波に砂城が崩される様に、世界を貫いた神槍は音もなく解けていく。

 その場に残存する性質を持っていたその斬撃は海溝の様に打ち出された巨大な槍を完全に飲み尽くして、なおも前進を続ける。異形の怪物となった青年は最期の力でそこから逃れようと必死に藻掻く。

 禁忌の力は『ジード』の集束した闇のディープスを溶かし、

 コレクトバーストの七色の光帯を掻き消し、

 彼の身体を縛っていたクロウの糸を断って、

 平和を願ったジードという青年の残した意志の欠片をこの世から消し去った。

 同時にエッジの背後で、力を使い果たしたクロウが飛び散る羽根と共に緩やかに地上に堕ちる。

 

 少年の頬を涙が伝った。


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