TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第九十二話 七重結界

「師団長!今度は中央商店街の方で暴動が!」

「分かった、すぐに向かう。風属性と水属性の深術士部隊を優先して事に当たらせろ」

 中央大陸。

 王国の王都シントリア南の街ハスレで、ブレイド・アズライトは部下達と奔走していた。

 既に一つ暴動を押さえた直後だったが、騎士達は休むことなく報告があった場所へと向かう。

 南東の焔の柱の周囲で竜巻が観測されてからずっと、彼らは次々に正気を失った様に暴れ出す人間を抑えるのに追われていた。

 

「昨日からもう五度目か、しかもペースが上がっている。中継拠点街ブストルやワニープスからの報告も同様か」

 再び鎮圧を終えたブレイドは他の周辺の街からの報告を整理する。

 暴れ方は個人によってかなり程度の差があり、その理由も元々ハスレに住んでいた住民と王都からの避難民との摩擦から、買い物中での小さなトラブルが原因のものまで様々。

 暴行事件ほど問題にはなっていなかったものの、中にはその場にしゃがみ込んで唐突に動かなくなってしまう者もおり、正気を失っている人間の総数は二百を超えていた。

(事件の数はそれほど差が無いが、王都からの距離で精神症状が出ているものの数に大きな差がある?)

 地図と照らし合わせながら状況を整理していたブレイドは《災厄の町 カトマス》以南の町でほとんど事件の被害が出ていない事に気付いた。

「南へ向かうべきか……住民全てを連れて」

 ブレイドが口にした判断に、傍らの老騎士が不安材料を挙げる。

「しかし、師団長。現状での移動は困難です。それに外壁の外には凶暴化したモンスターが居りますが……それでも宜しいのですか?」

「このままの状態が続けばもっと避難は困難になっていく。ゆっくりと全滅するのを待つか、犠牲者を出してでも移動するか、か」

 決断を迫られながら、ブレイドは暗くなっていく空を見つめた。

 天を突く炎の柱に向かって、黒雲が流れていく。

 今や晴天を保っているのはファタルシス諸島の周辺地域だけで、それ以外の地域の気候は目に見えて変動し始めている。

 異変の中心であるその方向を見つめて、ブレイドは今もどこかで戦い続けている筈の弟を思った。

(お前はそこに居るのか……?エッジ)

 

 

 セオニア大陸。

 首都ウォーギルントの裏通りにある孤児院の前で、そこを預かるチリアはそわそわと石畳を往復していた。

 北の王城の方角から走ってきた子供達を見て彼女は、張り詰めていた表情を一気に崩して彼らに駆け寄る。

「何処に行ってたんだい!」

「海が……さっき凄い音がしたから丘の上からみんなで見たら……海が割れてて……」

 子供達は世界の終わりを目にした様に怯えながら、チリアの腕の中に飛び込んだ。

 彼らの頭を撫でながらも彼女もまた先程海の方から聞こえてきた音に不安を覚えていた。

 まるで国を丸ごと吹き飛ばす大砲が放たれた様な異様な地響きと、固い何かの瓦解音。

 もしそれが今自分達のいる場所を直撃していたら、と考えると彼女は怖かった。

 と、どこかで怒声が上がってチリアは子供達を反射的に庇う。

「屋内に逃げろチリア、外はどんどん危なくなってきている」

 そんな子供達と彼女の前に、クリフと同じ部隊「蓮の水鳥」に所属していた青年――マイロが現れた。

 彼はチリアに孤児院の中に入る様促しながら、子供達を守って周囲を警戒する。

「ありがとう、あんたも気を付けて」

「クリフに頼まれたからな、離れる訳にはいかない……姿が無くても何処までも勝手な奴だ」

 マイロにそれ以上負担をかけない様に、子供達全員をしっかり連れながらチリアは孤児院の扉をくぐった。

 安全な室内に逃れながら、彼女はそこに居ない少女の事を案じる。

(無事でいるんだよ、クロウ)

 

 

 

 蒼い剣の輝きは黒い翼に乗って飛んだ。

 クロウの飛行速度でエッジの握った剣の軌道が、空中に蒼い跡を残す。

 その遥か眼下でリアトリスが最初からコレクトバーストを発動し、詠唱を開始していた。

「包み込むそよ風……地(うるお)す雨水……堅牢(けんろう)なる岩肌にして、万難(ばんなん)絶つ烈火(れっか)

 二人は彼女の詠唱時間を稼ぐため瞬く間に『ジード』に迫る。

 一気に間合いに入って来た自身を脅かす禁忌の剣を、『ジード』は身を捩る様にしながら方向転換して躱した。

 片翼だけになった事で彼の飛行速度は低下していたとはいえ、それを追う二人の内飛べるのはクロウだけ。

 重い荷物を負っているのも同然の彼女は曲がる瞬間二人分の重量で遅れ、『ジード』に大きく引き離される。

「エッジ、方向転換の瞬間に足場を空中に作るからそれを蹴れる?」

「ああ、スピードは加減しなくて良い。早めのタイミングでさえ出してくれればこっちで合わせる」

「言ったわね!」

 急加速してクロウは再び『ジード』の後を追う。

 彼が目の前で方向を変えるのを見てクロウも進行方向に障壁を展開し、一気に向きを変えた。

 遠心力でエッジが大きく外に引っ張られて二人の繋いだ手が伸び切った瞬間、エッジも障壁を蹴って進行方向を変え持ち直す。

「まだスピードのロスが大きい。クロウ、もう一歩前の位置に作れるか?」

「分かった、その代わりほとんど回転しながら走って蹴る様な形になるわよ」

「大丈夫、それで良い!」

 一歩間違えれば手が離れてしまう様な速度を出すクロウと、極限まで自分の動きを彼女に合わせるエッジ。

 連携で二人の動きは見る見るうちに速くなっていく。

 『ジード』の飛行速度が低下した事でそれを上回る飛行速度を手にしていたクロウは、瞬く間に彼との間合いを詰める。

「落ちろ、ブラッディランス――千連驟雨(トレンティアル・サウザンド)!」

 再び距離を詰められ、『ジード』は深術を頭上からエッジとクロウ目掛けて放った。

 彼の手の一点から広範囲の空間に向かって円錐形に黒い槍が無数に飛ぶ。

「エッジ!」

「ああ!」

 同じ方向に向かって飛んでいた二人は、掛け声と共に別々に動く。

 クロウが大きく後ろに宙返りし、慣性で前へ飛ぶエッジは障壁を駆け上がる様に蹴った。

 同時に逆方向に動いた二人の繋いだ手が中心となって、それは急激な回転を生み出す。

「「転翔斬(てんしょうざん)!」」

 エッジが剣を振るうのに集中できる様、クロウは両手で彼の手を掴んだ。

 蒼い剣閃の帯が、車輪のように槍の雨を切り裂く。

 拡散した深海の剣の元素破壊能力は二人の周囲の槍をまとめて消し去った。

 しかし、

「くっ、ブラッディランス!」

(めぐ)らす雷網(らいもう)()らえて()がす――スパークウェブ!」

 二人は自分達の方に向かって来なかった黒槍を必死に叩き落とす。

 それらはエッジがコレクトバーストを使用した雷の包囲を破り、クロウの追撃を振り切って地表へ落ちていく。

「――陽光(ようこう)差す午天(ごてん)に……時の境界(きょうかい)生む宵闇(よいやみ)よ……」

 未だリアトリスの詠唱は終わっていない。

 防御を持たない仲間達の上に、黒槍の雨が降り注いだ。

 

「ラーク、俺の武器に溜めた分先に使うぞ」

「了解、水属性だっけ?」

 迫る避け様の無い深術の雨を見上げて、クリフとラークが並んで武器を構える。

「姉さん、そちらからお願いしても良いですか?」

「良いわよ、任せなさい」

 リョウカの『宵の地衣』から、アキの『明の天傘』へ栗色の光が走った。

 クリフが身を低くし足払いの様な動きで水の陣を作る。

 リョウカは八の字を描く様に舞い、アキはその場で斧を振り回す様に武器をスイングさせた。

 直後、クリフの武器からラークの武器へと青い光が走る。

 

 ―本能共鳴技(インスティンクティブ・リンクアーツ)

 

龍虎滅牙斬(りゅうこめつがざん)!」

双舞(そうぶ)天月(てんげつ)!」

 水流と共にクリフが放ったアッパーに乗ってラークが跳び、受け取った水のディープスで水柱を飛瀑(ひばく)へと成長させて降下と共に叩きつけた。

 同時に、アキとリョウカが鏡に映した様に揃った動きで武器の軌道を上へと変え、それをなぞる様に岩が実体化する。

 交差する様に牙を剥いた大地と、龍の様に渦を巻きながら吹き上がる水流がリアトリスを含めた五人のいる地点を辛うじて守り抜いた。

 エッジとクロウは、ほっと胸を撫で下ろす。

 アキが上空の彼女に届く様に叫んだ。

「クロウさん、私達全員の武器に溜められるだけのディープスを集束(コレクト)しました!私達の事は無視して戦って下さい!」

 頷いて、クロウは再びエッジと共に『ジード』に攻撃を仕掛けた。

 接近を阻止しようと彼が放った「ブラッディランス」を、二人の連携の回転斬り「転翔斬」が打ち払う。

 エッジの剣の光が撃ち洩らした分の攻撃は、クロウが羽根を広げて「ブラッディランス」で迎撃する。

 一対一では回避以外の選択肢が難しかったクロウは、エッジの助力を得た事で最短距離を選択して『ジード』との間合いを詰める事が可能になっていた。

 回転の勢いそのままに迫って来た二人の斬撃を『ジード』は(すんで)の所で避ける。

 一見すると優勢なのはエッジとクロウだったが、二人の表情に余裕は無かった。

 二人は離れかけた敵との距離を直ぐ様詰める。

 

 リアトリスが詠唱を開始してから明らかに『ジード』は地上の仲間の方を狙っていた。

 その為、エッジとクロウは何とか自分達に注意を向けさせようと猛攻を繰り返す。

 地上の仲間達が『本能共鳴技』で防げる攻撃は精々二、三回。

 それが分かっていたからこそ、エッジは全員の武器にディープスのストックがある事を知っていても「スパークウェブ」を使用せざるを得なかった。

 不意に、逃げる一方だった『ジード』がいきなり反転して接近してきて二人は身構える。

 その脇をすり抜ける様にして、彼は急降下した。

「しまっ――」

「くっ、逃がすか!」

 エッジが「魔神剣・「蒼」」で追撃をかけようとする。

 しかし、明らかに手遅れだった。

(まずい、さっきの術全部が直に降り注いだら!)

「――真なる守りは(へだ)たりに(あら)ず、其はただ仇成(あだな)す者のみを退ける」

 リアトリスの詠唱も終盤に差し掛かっていたものの間に合わない。

「お別れだ、ディエルアークとその仲間達」

 エッジとクロウが大半を消し去ったものでも、四人がかりで相殺するのがやっとだった『ジード』の力。

 二人の手の届かない所から、彼はそれを仲間達へと向けて放とうとした。

 

 そこへ、彼方から小さな青白い光が飛来する。

 小石の様なそれは『ジード』の胸に吸い込まれる様に接触した。

 動作を妨害するには程遠い威力の干渉。

 しかし、それは黒羽の青年に接触すると開花する様に大きく光を放ち、

 彼の全身を氷で拘束した。

 

 

 

 

 

 

 

 その遥か北方の漁村トレンツで村人全員から歓声が上がる。

 氷のレンズで命中を確認したルオンも軽く息をつく。

 

 少し前、戦いに置いていかれたルオンは海の彼方を目がけて一人幾度も弓を引いていた。

 しかし、耐冷弓「フレキシブルスナイプ」の性能を最大限に発揮させても数㎞離れた所で高速で飛行する『ジード』を捉えるのは困難で、幾度も矢を放つ内に少年の手は赤くなりかけていた。

 何度も何度も目標を外しながらそれでも真剣に矢を放ち続ける彼を見兼ねたトレンツの人々は、漁業用の投網バリスタを一つ改造した。

 とはいえ急造のそれは比較的丸い石を弾として飛ばすのがやっとで、ルオンの深術で初速を底上げしても撃ち出すのに大人数の力を要した。

 何度も遥か手前で落ち、ファタルシス諸島の周囲の竜巻に叩き落とされた弾が目標を捉えたのを見て、村人達は一丸となって喜ぶ。

 ただ一人、今の一撃が偶然に過ぎない事を分かっていたルオンだけが険しい表情で次弾の準備をしていた。

「ボブ、ちょっと離すのが遅かった」

 ルオンに睨まれたボブは縮こまる。

「す、すまない」

「ははは、こんな小さい子に怒られちまったな!」

「仕方がないだろう!私はこんなもの触るのも初めてなんだぞ!」

 村人たちの間で笑いが上がったが、本気でボブを責める者は居ない。

 それを見てルオンは少し考えて、言った。

「……でも、今のままで良い」

 ボブは戸惑った様子だったが、ルオンが次の狙いを定めたのを見て大綱を引き号令をかける。

「よーし、皆!さっきと同じ様に思いっきり引くぞ!」

「おおー!」

 村人達の力で本来引き絞る距離より更に長く大綱は引かれ、それを客観的に判断したルオンが狙いを微調整し深術の詠唱をする。

 見ず知らずと言っていい大勢の人間が自分に手を貸してくれるのを見てルオンは思った。

(さっきも全員完全に同時に離せてなかった……けど、それがお互いに打ち消し合ったから真っ直ぐ飛んだ。だったら多分……それで良いんだ)

 ふと、彼は『孤氷』と呼ばれた自身の狙撃していた距離を思い出し、それの何倍の距離を狙っているのかを考えて可笑しくなる。

 ルオンの出した合図で村人が一斉に手を離し、その力を凍って固定されたバリスタの土台が余す所なく弾に乗せた。

 氷の力を込められた弾は白い筋を残しながら真っ直ぐに南の空へ翔ける。

 彼の心はもう孤独でも無ければ、凍りついてもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 二撃目の氷弾が『ジード』の身体を直撃し、彼の全身を氷の結晶の中に閉じ込める。

 予想もしなかった助けに全員が驚く。

 クロウはその攻撃の威力に呆れた笑いを漏らす。

(ここからどれだけ距離あると思ってるのよ、そんなのもう狙撃でも何でも無い。そんな当たるか分からない攻撃に……全力を込めて撃ったの?)

 ルオンが全力を込めて発生させた氷も『ジード』はすぐに砕いてしまう。

 しかし、その僅かな時間だけでも十分だった。

 エッジの魔神剣が届き『ジード』は攻撃を中断して回避に移らざるを得なくなる。

 そして、リアトリスはその詠唱の最後の一節を終えた。

(ありがとう、ルオン……あなたが作ってくれた時間、絶対無駄にしない!)

現存(げんそん)せし最後の聖櫃(せいひつ)よここに!――七重想結界(しちじゅうそうけっかい)、リマイン・アーク!!」

 紫、黄緑、水色、茶、真紅、白、黒。

 実体化するかしないかの薄い七色の光がリアトリスから飛び出し、直線的軌道で仲間達の頭上の空で枝分かれしながら大樹の枝の様な伝達網を形成していく。

 まるで植物の成長を早回しする様なその光景。

 範囲こそ上空のエッジやクロウまで包み込む程の規模だったものの、明らかにそれはまだ防壁としての機能を備えていなかった。

 そこへ、『ジード』が再び深術を放つ。

「それでは間に合うまい……ブラッディランス――千連驟雨(トレンティアル・サウザンド)

「いいえ、ここから三十秒、あなたの攻撃は一つだって通さない」

 無数の黒い槍の一番最初のものが触れるのと同時に、リアトリスが張り巡らせた網に真紅の光が走った。

 大樹が花開く様に、リアトリスの張り巡らせた網の外縁部全体に瞬時に七色に輝く水晶が形成される。

 空を覆い尽くす様な『色の水晶(クロマティッククリスタル)』の防壁と、黒槍の群れとが接触する音が無数の箇所で発生した。

 鈴の様に不思議に透き通った、それで居て鳥肌が立つ様な数の、明確な危険を伝える雨音。

 それと共にリアトリスの防御術は『ジード』の術を完全に防ぎ切った。

「みんな、この術が保ってる間が最初で最後のチャンスだよ。お願い、ここで決めて!」

 そう口にした彼女の目からは以前『色の水晶』を砕かれた時の恐怖の色は消えていた。


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