TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第九十話 始まりの場所、運命の地

「ラーク、本気なの?さっきの話」

「ああ、今回の戦い有効打が無く、クリフの様に回復も出来ない僕がまず間違いなく一番足手纏いになる」

 明朝の出発を前に、最後の夕食を終えた仲間達は思い思いに時間を過ごしていた。

 リアトリスとラークはシンの一族同士で、村のはずれの民家と森の間に来ている。

 まだ「命の優先順位」の話に戸惑いがある様子のリアトリスに対して、ラークが念を押した。

「君は守りの要だ、君を欠いたら僕らは『ジード』の火力を相手にまともに戦闘する事すら難しくなる。例え僕が倒れても、誰が倒れても君は自分が生き延びる事を考えるんだ……こういうのは決めておかないと、いざという時動けなくなる。この戦いは今までと違う、正真正銘全員の命がけだ」

「エッジの深海の剣があっても?」

 ラークは頷く。

「ああ、エッジは深海の剣の力を引き出せない」

「え……どうして?エッジは剣に認められたんじゃ」

 残念そうに彼は首を横に振る。

「確かに彼は剣を握れる様にはなった。如何なる利己的な感情でも抱けば即座に滅ぼされるあの剣を握れる程、エッジは本気で「他人の為に戦う事」しか考えていない。でも駄目だよ、エッジの中に、絶対に深海の剣を扱う妨げになる感情がある」

 リアトリスも気付く。

「まさか――」

「エッジが「クロウを助けたい」という気持ちまで捨てない限り、深海の剣は全ての力を発揮しない……そして多分、それは無い」

 ラークの言った言葉の意味を理解し、リアトリスも表情を引き締めた。

「じゃあ、どれだけ全員でエッジに攻撃の機会を作れるか……だね」

「他に手段が無くなれば僕が深海の剣をエッジから奪って使う。恐らく僕は死ぬが、あの剣の威力なら一撃でも負わせられれば『ジード』を倒せる……それより一番大事なのはその後だ」

 『ジード』を倒した後。

 シンの一族として二人が果たさなければいけない使命。

「『ジード』から宝珠を取り戻せば、残りはクロウが持っている分だ。彼女を倒して宝珠を完全な形に戻さなければ、例え勝てても世界は緩やかに崩壊し続ける。彼女に――いや、彼女とエッジに僕達は勝たなきゃいけない。あの二人は強い……簡単に勝たせてはくれない」

「分かってる、それでも勝たなきゃ。私も覚悟は決めてる」

 ふう、と落ち付く為に大きく息を吐いてリアトリスは付け足した。

「それとね、私もう一つ決めた事があるの」

「何だい?」

 ラークは首を傾げて尋ねる。

「私はこの決戦の最後までクロウを守る、他のみんなと同じ様に。例え最後にはクロウを死なせるのが私の使命でも、私はクロウが大切だった事を忘れたくない。この身は使命に捧げたけど、仲間を大切に思うこの心だけは……私のものなんだから」

 ふふ、と笑ってラークは決意した彼女の横顔を見守った。

 

 ―――――――――――

 

「いよいよ明日ですね」

「ああ、長かったようなあっという間だった様な、もうすぐ全部終わりかと思っても何か実感湧かないな」

 アキとクリフの二人は海岸を歩いていた。

 あまり近付くと海水で服が濡れてしまう為、二人は波から距離を取っている。

「なあ、一応ああやって全員参加する前提で作戦は立てたけど、今からでも抜けたかったら抜けて良いんだぜ。リョウカと二人でまだこれからシントリアを立て直さなきゃいけないんだろ?」

 クリフは落ちていた石を拾うと、海へ向けて投げた。

 回転を加えられた石は波の上で二度程跳ねて、沈む。

 海の動きはあまり穏やかでは無かった。

「ええ、長い目で見ればここで命を危険に晒すべきではないのかもしれません……極論で言うなら、私がこの戦いに参加しようとしているのはきっと子供じみた執着でしか無いのだと思います」

 自分の行動を客観的に分析し、自分の行動はアクシズ=ワンド王国の為にならないかもしれないと認めた上でアキは言い切る。

「でもそれはジェイン・アキとして、タリア・トウカとしての結論です。『私』はたった一つでもこの戦いで役に立てる事があるなら皆さんの仲間として戦場に立ちたい――私に出来る他の事を差し置いてでも」

 クリフは再び石を投げた。

「それで死んじまったら全部終わりなんだぜ、この先長い人生を生きるだろう事より大事なのか?」

 アキはゆっくり首を振る。

「私はそんな事が出来るほど強く無いんです。例えばここで私が戦いから逃げて誰かが死んでしまったら、きっと私はそれを背負って生きていく事が出来ない、この先一生私は自分に胸を張る事ができません」

「後悔しない選択、か……確かに後悔すると分かってるなら或いはそっちが正解なのかもな、アキ――」

 再び呼び間違えそうになってクリフは頭を抱える。

 そんな彼に呆れた様な女性の声が響いた。

「何回噛めば気が済むのよ、全く」

 リョウカがふわりと布を揺らしながら着地する。

 どうも海岸に並ぶ漁船の一つに乗って話を聞いていたらしかった。

「お前、どこに隠れてんだよ」

「一人で考え事してたらそっちが来たんでしょう?」

 それにしたって勝手に漁船に乗ってはいけないのでは……、とアキは思ったが何も言わなかった。

 リョウカは腰に手を当ててクリフを睨む。

「この期に及んで、まだこの子を戦いから遠ざけようとしてるの?」

「そういうつもりじゃねえよ。ただ……」

 言い淀む彼を見て、リョウカは肩を竦める。

「やれやれ、本当にあなたにとってはこの子は貴族の『ジェイン・アキ』でも何でも無いのね」

 言葉の意味が分からない様でアキはきょとんと首を傾げる。

 クリフも何を言われたのかよく分からない様子だった。

 リョウカは説明を続ける。

「貴方はトウカも、それだけじゃ無くエッジもクロウも、スプラウツの子供でさえも皆守るべき『子供』として見てるんじゃないかしら」

 クリフは図星だったらしく、微かに呻く。

「自分でも気付いてはいたのね、いえ分け隔てなく接する事が出来るのは長所でしょうけど。ただ、クロウみたいに自立してる子にはそういうの煩わしく思われる事もあったんじゃない?」

 ぐさりとクリフは思い当たる節があった様子で後ずさった。

 が、リョウカはそこで少し表情を和らげた。

「でも、それでこれだけ長く最後まで面倒見ようとしてるなら立派なものじゃない。元々それで放っておけなくて付いて来たんでしょう?子供だけで旅してた三人を」

 クリフは黙り、少し考え込んだ。

「少し違うな。それは切っ掛けで本当はそんな立派なものじゃねえ。実際クロウが言ってた様に俺も自国であるセオニアの事情が絡めばそっちを優先してたしな……俺は結局の所、普通に社会を構成して自分の事で精一杯の人間の内の一人でしかねえんだよ」

 ただ、と彼は続けた。

「エッジは、そうじゃなかった。あいつは自分自身よりも困っている他人のクロウを取った。それは馬鹿な――途方もなく馬鹿な子供の我儘だ、でもそんなカッコいい事本気で目の前でやられたら応援するしかねーじゃねえか」

 彼は鼻を擦って言った。

「俺ら大人がそういう背中押さなくてどうすんだよ」

 アキはふふっ、と笑いリョウカは呆れる。

 それでもクリフは胸を張っていた。

「でもようやく分かったぜ、何であんたが俺に対して不機嫌だったか」

「は……?」

 リョウカが眉をひそめる。

「アキちゃんの保護者としての立場取られるのが嫌だったんだな」

 彼女の表情が固まった。

 アキも冷静に記憶に辿る。

(そういえば、よく考えたら敵だった時から姉さんほとんど私の事しか話して無かった様な)

 何とも言えない表情になりながら音もなく妹に離れられ、リョウカは震えた。

「何よ……良いじゃない別に……」

 静かな怒りと共に顔を伏せたリョウカが呟く。

 感覚的に危険を察知してアキとクリフは更に離れた。

「たった一人の妹に置いていかれて寂しかったのよ私は!」

((開き直った……!?))

 リョウカの周囲で、彼女の怒りを反映するようにゆらゆらと宵の地衣が揺れる。

「アキちゃん――」

「――ええ、逃げましょう」

 二人は即座に合意して、リョウカから走って逃げる。

 鬼の様な勢いで彼女はそれを追った。

「クリフ貴方一人っ子でしょ!一人っ子よね!?そんな人に私の気持ちなんて分からないわよ!」

「何だその滅茶苦茶な言いがかり!」

「駄目です、今の姉さんにまともな会話は成立しません。昔からああなると手が付けられませんでした」

 ザクザクと砂を踏みながら逃げる二人を、詠技の詠唱をしたリョウカが追う。

 海岸線でのその逃走劇はしばらく続いた。

 

 ―――――――――――

 

 思い思いに夜を過ごした一行は、各自のタイミングで自警団の詰め所の二階で就寝する事になっていた。

 トレンツは観光地でもなかった為大人数で同じ部屋を取る事が出来ず、ここで休めるのはボブの厚意によるものだった。

 翌朝出発する時に起こさない様に宿へ寝かせていたルオンの様子を見て来たクロウは、一人ベッドで日記をめくっている。

 既にエッジ、リアトリス、ラークの三人は眠っており、戻ってきていないのはアキ達だけだった。

(一体何やってるんだろ……?)

 クロウは不思議には思ったものの、きっとすぐに戻ってくるだろうと気を取り直してページをめくる。

 彼女が手にしているのは両親の日記だった。

 シントリアで手に入れた唯一の形見を、決戦前にクロウはもう一度見返していた。

 スプラウツで戦う事だけを教えられてきた彼女は、字が読めない。

 だからページを繰っても、リアトリスが語ってくれた以上の内容は分からなかった。

 その代わりにクロウは母親の残した文字に手を乗せ、その文字の形を観察する。

 ページを進める内、彼女の手は恐怖で震えた。

 最後に近付くにつれて文字の列は乱れている。

 それは一番最後にだけ綴られた父親の文字も同様だった。

(どんな気持ちだったんだろう、逃げながらこれを書いてた時)

 これから自分もその恐怖の大元と対峙しなければならないのだと思うと、クロウは逃げ出したくなった。

 ただ、それでも彼女はそこに綴られた想いが自分への愛情である事を知っている。

 どんなに恐怖でかすれたものでも、例え読めないものであっても、

 そこに書かれているのは両親から自分に託された「希望」なのだと、クロウはリアトリスに教わった。

(……私に、勇気を下さい)

 ふと手の汗に気付いた彼女は日記から手を離して、隣のベッドを見た。

 そこには先に横になったエッジが眠っている。

 湖までの往復の歩き詰めで疲れたらしく、彼は熟睡していた。

 疲労しているのはクロウも一緒だったが、それでも彼女はすぐには眠る事が出来なかった。

 そっとベッドから立ち上がって、クロウはゆっくりと慎重にエッジの手に触れた。

 微かな振動の様なものが彼女の手に伝わる。

 それが、今のクロウが直接手で触れて感じられる全てだった。

 温度はぼんやりとしてもうよく分からない。

(やっぱり、もう触覚も無くなりかけてる)

 手袋越しの様な僅かな感触に彼女はもどかしくなる。

 けれど、まだそこにある鼓動を感じる事は出来た。

(消させない、この鼓動を。絶対に)

 それだけでクロウには十分だった。

 

 

 夜が明け、昇り始めたばかりの日光の中でクロウは目を覚ます。

 アキ、リョウカ、クリフの三人も含めた全員が眠っているのを確認して彼女は一人部屋を抜け出した。

 螺旋階段を下り、ボブに見付かっていないのを確認しながらクロウは玄関の扉をくぐる。

 そこで大きく息を吸った彼女は、すぐ後ろから声を掛けられて縮み上がった。

「一人で行くんだね」

 慌てて振り返ったクロウの背後に居たのはラークだった。

「あんた、起きてたの?」

「生憎と皆より少しだけ耳が良いからね」

 気付かれた事に緊張する彼女に向けて、ラークは小さな何かを投げ渡す。

 触覚が弱ったクロウは、それを不器用に抱く様にして受け止めた。

 腕で挟んでしまったそれを慎重に手の平に乗せた彼女は、首を傾げる。

 八重咲きのジニアを象ったブローチ、その中心にある薄碧色の石にクロウは見覚えがあった。

「これ……」

「インペルメアブル鉱石だよ、リョウカに頼んで加工して貰った。それがあれば侵食の影響を抑えて戦える筈だ」

 止められるとばかり思っていたクロウは目を丸くする。

「良いの?これ宝珠を元に戻すのに絶対必要なんでしょ?」

「宝珠の力に対抗できるのは君だけだ、このまま全員で戦えばこっち側に必ず死者が出る。僕も君が一人で戦うのが最善だと判断しただけだよ」

 いつも通りの笑みを浮かべるラークに、クロウは少しの間何というべきか迷ったが多少の皮肉を込めて礼を言った。

「意外に良いとこあるじゃない。一応、礼は言っとく」

「礼なら要らないよ、僕としては君達が相討ちしてくれるのが一番有難いからね」

「あっそ、まあでもこれ作ってくれただけで十分だよ。あんた血も涙も無くてこういう事するのはリアにだけだと思ってた」

 可笑しそうに笑いを漏らして、ラークは言った。

「僕は自分の罪の重さに苦悩したりする様な立派な人間じゃないからね――だから、リアトリスの分まで僕が背負おうと思ったんだ。こうやって犠牲を出したり裏切ったりするのは僕の役目だよ」

「まだ死んでないわよ、勝手に犠牲にするな」

 クロウも目を伏せて呆れた笑いを漏らし、それから最後に念を押した。

「頼んだわよ、皆に気付かれないで」

「ああ、全部が終わった頃に向かうよ」

 ラークも真剣な表情で応える。

 それを確認して、クロウは改めて大きく息を吸い込んだ。

混沌(こんとん)より生まれし(ひな)(あか)き世界に()辺無(べな)し、されど瞳閉(ひとみと)ざし(うち)なる影に落ちるなら、生出(せいしゅつ)せし姿は一つ、暗澹(あんたん)たる闇よ、我を導く翼となれ――ラーヴァン!」

 確かめるように一つ一つの言葉を紡いで、彼女は唱えた。

 クロウの身体が少し浮かび上がり、それを支える様に黒い巨鳥が現出する。

「じゃあね、ラーク」

 その一言を残して、彼女を乗せたラーヴァンは海へ向けて吹き続ける風に乗って飛び上がった。

 たった一人でそれを見守るラークに見送られて。

 

 ―――――――――――

 

 荒れた海上を、彼女は風を切って進んだ。

 緊張で痛む腹部を軽く押さえながらも、クロウは不思議と楽なのを感じていた。

 地上では階段を下るだけでバランスを崩しそうになる身体も、空中ではむしろ安定している。

 それが、いよいよ身体よりもラーヴァンの方の体感が強くなっているからなのだと彼女は理解しつつも、今はそんな巨鳥の支えを素直に有難いと思った。

「あんたともこれでお別れかもね……ラーヴァン」

 答える声は無かったが、クロウにとっての相棒はそれだけの存在で十分だった。

 彼女はいよいよ前を見据え、竜巻に囲まれた中心の焔螺旋を睨む。

 近付くにつれ、暴風から飛び散る水飛沫がラーヴァンとクロウを濡らした。

 朝の光の中でも、天変地異の様なその光景は異様に映る。

 ゆっくりと位置を変える風の渦の狭間を縫って、クロウはまっすぐに決戦の場所を目指した。

 

 

「来るか……」

 焔螺旋の手前に浮かんでいた『ジード』は、近付いてくる自分と同じ気配に目を開く。

 目を開いた彼は、決戦の地に迷い込んだ者が居るのに気付いた。

 小さな一羽の鳥。

 その姿に『ジード』は手を差し伸べ、とまらせる。

 飛び疲れたのか、警戒もそこそこに休むその姿を彼は穏やかな表情で見守った。

「この世界は人間だけのものでは無いのにな……もう少し待っていろ」

 茶色の鳥は青年の手から飛び立った。

 出口を求めて飛んだその姿は、島の周囲を回る竜巻の一つに巻き込まれて瞬く間に見えなくなる。

 穏やかなままの彼の瞳は、それを映していなかった。

 

 

 《ファタルシス諸島中央 焔螺旋》

 

 

 竜巻の壁を抜けたクロウは、ゆっくりとラーヴァンから降りた。

 その勢いで彼女はバランスを崩して膝をつく。

 一度ラーヴァンから離れた彼女は、もう自分の手でそこから起き上がる事も困難だった。

 焔螺旋の根元のこの島は開けた何も無い岩肌が広がる。

 島そのものの大きさは然程ではなく、半刻もあれば一周できそうだった。

 焔螺旋の根元は地表付近で細かい光となって散っており、世界中のディープスが緩やかにそこに向かって流れる事で初めて焔螺旋が形成されているのが見て取れる。

 竜巻に囲まれたその様は天然のコロシアムの様でもあり、天を突く(きざはし)に何かを捧げる祭壇の様でもあった。

 地に伏せたままのクロウは、両手を着いて上体を起こし頭上の『ジード』と対峙する。

「ここから全部が始まったんだっけ。あんたがイクスフェントから持ち込んだ闇の宝珠が割れて片方はジェイン・リュウゲンに、もう片方は私の両親に渡った。そうだよね?」

「ああ、そうだ。が、何故一人で来た?グレイスの娘」

「さあ、何でかな。絶対に来なきゃとは思ってたけど……そこはあんまり考えて無かった」

 真意を測り損ねた様子で『ジード』は目を細める。

「正直言えばあんまりあんたのやろうとしてる事には興味が無いんだよ。私は守りたい程この世界を愛している訳でもないし、人を殺すななんて説教出来る立派な人間でも無い。出来る事なら逃げ出したい」

「なら何故ここに立つ?」

 クロウは拳に力を込めた。

「私が逃げても戦う奴らが居るから。私は勇者じゃないから世界なんて背負えない、あんたが私の知らない所で何人殺すとしても自分の命を賭けてまで止めようとは思わない……だけど、私の仲間が――大切な人が一人でも死ぬっていうなら、私は命を賭けてあんたと戦う」

 『ジード』の冷めた視線を彼女は精一杯睨み返す。

「私がここに立つ理由なんて、それで十分でしょ?」

「なるほど、そうだな」

 『ジード』が鷹の様な巨大な翼を広げ、上へ上へと高度をあげ始める。

 戦いが始まるのを肌で感じ取って、クロウは最後に一つ尋ねた。

「そうだ一つだけ確かめておきたい事があったの」

「何だ?」

 日記を見付けた時からクロウが気付いていた小さな矛盾。

 ずっと燻っていた疑問を彼女はぶつける。

「私に『クロウ』って名前を付けたの、あんたなの?」

「何を言っている、それはお前の両親が――」

「考えてくれたのは私の両親だよ、それは知ってる。でもそれはおかしい、私にこの宝珠の欠片を埋め込んだ時に両親が死んだなら、私の名前は後で日記を見た誰かが付けた事になる」

「……両親の仇として、俺を怨むか?」

「そういうんじゃないよ、私が殺したんだとしてもあんたが殺したんだとしても、この宝珠の力のせいで私の両親が死んだ事に変わり無い。ただ、この名前結構気に入ってるから、はっきりさせておきたかっただけ」

 そうか、と呟いて『ジード』は一気に高度を上げた。

 焔螺旋に沿って上昇し、雲の高さまで達した彼は大気に命令を下す様に手をかざす。

 クロウの視界の遥か果てに小さな黒い針の様なものが映った。

 一本だけに見えたそれはよく見ると幾つも幾つも増え、これから降りだす雨粒の様に雲の表面を覆い尽くす。

 それは全てが、クロウが使用して来たのと同じ黒槍だった。

「あれ一本でも当たったら死ぬとか、冗談きついよ」

 彼女もラーヴァンを自分の前面に配置し、ありったけの黒槍を並べる。

「ブラッディランス――」

「ブラッディランス――」

 黒槍の雨が、全てクロウに狙いを定める。

 クロウもラーヴァンの術を砲台の様に空に目がけて角度調整する。

「――千連驟雨(トレンティアル・サウザンド)

「――三百連(トライス・ハンドレッド)!」

 一斉に降り注ぐ黒槍の雨が空を埋め尽くした。

 クロウも放つ黒槍を正面一点に集中し、それを押し返す。

 だが、それはあくまで正面のみであり、横から、上から、射角の下から更に飛来する槍の圧倒的物量でみるみるクロウの術は折られていった。

(ダメだ、とても相殺しきれない……っ!)

 ラーヴァンが槍の直撃を受け、悲鳴をあげる。

 それは限界が来た事を示していた。

 更に数十の槍が貫通し、形が揺らいでいた巨鳥はかき消される。

 あっさりと自分の今までの戦い方を破られて、クロウは黒槍が今まさに自身を串刺しにしようとしているのを認識した。

(どうせ動かなくなるなら、この身体全部あんたにあげる。だからあんたも――持ってる力全部ありったけ、私に寄越せ!)

 黒い翼が、彼女の背で鴉の様に大きく広がった。

 クロウの瞳の色は元に戻らない程黒く濁り、獣の様な殺気が滲む。

 『ジード』もそれを見て身構えた。

「来い、決着をつけよう」

「これで全部終わりにする。行くよ、ラーヴァン!!」

 クロウの咆哮と、突き刺さる槍の音が島全体に響き渡った。


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