TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第八十九話 At the lake,like last night.

 外傷はそれほど深く無かったとはいえ、ルオンとクロウの二人が負傷した事で一行は急ぎ足でファタルシス諸島手前の最後の町へと向かった。

 町、というより正確には村。

 カースメリア大陸の最南端にあるその小さな漁村に。

 

 

《漁の村 トレンツ》

 

 クロウは意識を取り戻すとすぐに跳ね起きた。

 そして辺りを見回し、どこか見覚えのある場所に首を傾げる。

「良かった、目が覚めたんだね」

 あまり馴染みの無い男性の声。

 けれど微かにその声に聞き覚えがあったクロウは、ベッドの脇に立っていた丸い男性の顔を見てようやく思い出した。

「あなたはエッジの……」

「小父だが、そうまあ血縁関係のある伯父の様なものかな」

 そう気さくに笑った彼の隣で、エッジは居心地悪そうにしている。

 クロウが見覚えがあったのも当然で、そこはかつて彼女が借りた自警団の二階のベッドだった。

「皆は!?戦闘は?」

 戦いが始まる直前に意識を失ったクロウは焦った顔でエッジを問い詰める。

「ル、ルオンが少し怪我したけど、命には別状ない。ちゃんと勝って全員無事だよ」

「そう、良かった」

 彼女の剣幕に押されるエッジを見て、ボブが笑い声をあげた。

「ははははは」

 唐突な彼の笑い声に二人は戸惑って彼を見た。

「いや、いきなりエッジ君が居なくなった時は散々探して、王都のお父さんやお兄さんにまで手紙を書いたが。元気にやっていた様で良かったよ」

「それは、その心配かけてごめんなさい」

 エッジは申し訳なさそうに俯いて謝る。

 ボブはベッドの上のクロウに尋ねた。

「クロウさん、エッジ君はキミの役に立てたかい?」

 問われた彼女は頷く。

「はい、とても……本当にとても」

 そうか、とボブは何かを納得した様に目を閉じた。

「それならエッジ君を責める訳にはいかないな。大変な旅だったようだが無事に戻って来られて良かった。おかえり、二人とも」

 エッジは素直に安心した様子を見せるが、クロウは目を伏せる。

「私は、いつも彼を危険に巻き込んでいただけで……」

 ボブは首を横に振った。

「君はグレイス夫妻の娘さんだそうだね、エッジ君のご両親の仕事仲間だったそうだから何度かお会いした事がある。そういう生真面目な所が君はお母さんによく似ている」

「お母さん、に……?」

 思わぬ所から自身の両親の話題を出され、クロウは驚く。

「ああ、だから分かるよ君は優しい子だ」

 クロウは何と答えて良いか分からない様子で黙り込んだ。

 ボブは今度はエッジの方に向きなおって、言う。

「エッジ君、ここは君の家だ。どれだけ離れても、ここはずっと。いつでも帰っておいで」

「……ありがとう」

 エッジは大きく心配をかけて尚受け入れてくれた事への感謝を強く噛みしめて、深く礼をした。

 

 ―――――――――――

 

「クロウ、その髪と目……」

「後で話す、それより今はみんなと合流しよう。話しておかないとこれからの事」

 ボブに礼を言った二人は螺旋階段を下って、詰め所の外を目指していた。

 と、クロウが足を滑らせかけエッジが慌ててそれを支える。

 気まずい一瞬の沈黙の後、どちらからともなく離れ二人は建物の外に出た。

 扉をくぐった途端、強風が二人の顔を強く打つ。

 以前から海風はずっと吹いていたが、今吹いているものはその比では無く嵐に近かった。

 二人は風上に目を向ける。

 南の海の方向――天を突く焔螺旋が伸びるファタルシス諸島の方向に。

 

 海岸に並ぶ漁船や、石弓の様な投網機の更に南。

 遥か遠くの島々はそこにあると意識しなければ見落としてしまうくらい細く、二人の目には映った。

 しかし、今はそれを見落とす事は無い。

 その島々の中心から大きな二本の焔の柱の様なものが伸びているのだから。

 が、今その光景が少しずつ変化していた。

 海が渦を巻き、島の周囲で渦潮を形成し始める。

 その回転はどんどん速度を増していき、同時に空気の流れまで変わり始めた。

 渦潮で凹んでいた海面が徐々に上へ上へとせり上がって行き、海水を巻き上げる竜巻となっていく。

 それに伴って遠く離れたトレンツに吹き付けていた風も逆流し、今度は海の方向へと流れていった。

 雲一つない夕暮れの空に、ファタルシス諸島の周辺は竜巻に囲まれる大嵐の様な異様な光景となる。

「始まった……間違いなくあそこにあいつが居る」

 クロウが呟く。

 彼女は遠く離れたもう一人の宝珠の所持者を見据える様に、その方向を睨んだ。

「ジード」

 エッジは無意識に深海の剣の柄に触れる。

 異変に気付いたらしく、ルオン以外の仲間達も二人の元へと姿を現した。

 合流してすぐに、ラークはクロウの身体の変化を尋ねる。

「クロウ、君の変化は」

 溜息をついて彼女は渋々ながら認める。

「うん、今まで通りって言いたいとこだけど、残念ながらもうあんまり宝珠の力が使えないみたい。使いすぎると意識が身体から闇のディープスの方に行き過ぎて動けなくなる」

「そんな……」

 アキが息を呑んだが、他のメンバーは暗い表情ながらも大体の察しはついていた様でそれ程のショックは表に出さなかった。

 クロウは今度は自分から提案を口にする。

「それでこれからの決戦の事なんだけど……ルオンを置いていきたい」

「それは、怪我してるから?」

 リアトリスが彼女の意思を汲んで尋ねる。

 クロウは頷いた。

「それもある、けど今のルオンは命じられればきっと何処にでも付いてくる。自分の意志でも無い事で命を賭けさせたく無い」

 意外にも、最初に賛成したのはラークだった。

「僕は良いと思うよ。そもそも彼はスプラウツの、それも幹部であるクローバーズの生き残りだ。ギリギリの戦いになるのが分かっているこの戦いで不確定要素は少ない方が良い」

「他のみんなも、それで良い?」

 それ以外のメンバーからも反対の声は上がらなかった。

 クロウは一安心した表情を浮かべる。

 そこで今度はアキが提案した。

「では、次は残ったメンバーで作戦を決めないといけませんね。クロウさんのフォローを如何にするか」

「そうね、とりあえず……」

 リョウカがいきなりエッジとクロウの腕を掴む。

「へ?」

「ちょっと!?」

 二人が意味をなさない声をあげるのも無視して、彼女はずるずると二人を輪から引き離した。

「貴方達、絶っ対にちゃんと休んでないでしょう。すぐに倒れる問題児二人はどっかでデートでもしてなさい」

 抗議も聞かずリョウカは二人を無理矢理遠くへ追いやった。

「さて、と。じゃあ、全員が使える戦法を全て整理しましょうか。ここまでの戦いで使って無い奥の手がある人も居る筈よ」

 エッジ達が居なくなるとすぐに、リョウカは真剣な表情で言った。

 ここまで使う機会が無かった技、戦いの中で成長し使えるようになった技。

 それらを一つ一つ、彼らは互いに説明する。

 

「――と、じゃあ決め手になるとしたらリョウカとアキの切り札だな。で、俺とラークは空中の相手にはやっぱ有効打が無い……か」

 一通り全員が説明を終えてクリフが軽く溜息をつく。

「それともう一つ事前に決めておきたい事がある、命の優先順位の話だ」

 ラークの言葉に全員の間に緊張が走った。

「もし全員を守れない様な状況が来たら、真っ先に僕を見捨てて欲しい」

 

 ―――――――――――

 

「もう、何なのよ」

「どうしたんだろう、何か急だった気がするけど……」

 いきなり作戦会議から外された二人は行く宛を無くしてとぼとぼと町のはずれを歩いていた。

 特にこの辺りになじみがある訳でも無いクロウは、何処も行く所が浮かばず不満を顔に出す。

 代わりに考えていたエッジが、思いついた様に顔を明るくする。

「そういえば、この近くに大昔地形が変わる様な深術が使われた跡だって言う場所があるんだ」

「それって……」

 クロウの言葉にエッジは頷く。

「うん、多分最上級深術の痕跡だよ」

 

《トレーヴォン森林 奥地》

 

 二人は森の中に踏み行ってしばらく歩く。

 夕暮れだった空は暗く、夜の色に染まって来ていた。

 やがて森の木々が一気に開く場所に出て、クロウは息を呑む。

「湖……?こんなに大きな」

息吹(いぶき)御湖(みこ)って云うんだ、風で地形が抉れてこういう形になったんだって」

 エッジが説明しながら北の方角の黒々とした山を指差す。

「この方向だけ木が少ないだろ?あの山の上から撃たれた術と、この湖を作った術がぶつかったらしい」

「どんな術よそれ、ここからあの山までの範囲って」

 冗談だろうという様に呆れた笑いを漏らすクロウ。

「けど、この湖を作った術と互角だったなら有り得ない話でも無いと思うんだ」

 エッジはそう言って改めて目の前の湖を見渡した。

 澄んだ青い水面が一面に広がっている。

 その大きさは一瞬海と見紛う程で、一部に見える対岸で二人は辛うじてそれが湖なのだと思いだせた。

 海のそばではあれ程強かった風も木々に囲まれたここまでは届かないのか、湖面は静かに波打つ。

 その光景の前では自分達も小さな点でしか無いのをクロウも実感し、思い直した様子で呟いた。

「そうだね。ちょっと座ろっか?歩き通しで疲れちゃった」

 エッジは頷き、二人は並んで湖の縁に腰掛けた。

 

「ここって、私がハクと戦ったのと同じ森の中かな?」

「ああ、広い森だから」

 そっか、と呟いてクロウは彼女と戦いを繰り広げた北西の方角に目をやった。

 今居る場所からは見えなかったが、そこもこの息吹の御湖と同様広範囲で木々が焼失している。

 ハクが最期に自分の身と引き換えに発動させた光の柱は禁術に迫る威力を発揮していた。

「ねえ、エッジ」

 明らかに問いを含んだ呼びかけにエッジは首を傾げる。

「フレットがモンスターをけし掛けたりしなければハクはスプラウツになんて入らなかった。死ぬ事も……ねえ、私は悪くないよね?」

 真っ直ぐに懇願する様な目をしたクロウに、エッジはどう返事をするのか躊躇う。

 確かに彼女の言う事にも一理あった。

 事実としてフレット達スプラウツのメンバーは初めからハクという少女の特異な才能に目を付け、それを狙っていたのだから。

 しかし、それでも人を手にかけた事実を、当事者でも無い自分が「悪くない」等と片付けて良いのかエッジは迷う。

 答えに窮するエッジの前で、クロウはふっと目を細めて笑った。

「――ごめん、嘘だよ」

「え?」

「今のはさ、エッジならもしかして頷いてくれるんじゃないかって思ったの。そしたら……それに甘えて逃げるつもりだった」

 溜息と共に彼女は言った。

「ずるいんだよ私は。ハクの人生を狂わせた事も、この手にかけた事実も全部忘れて逃げたいの。全然優しい人間なんかじゃない」

 エッジは黙って聞き続ける。

「でも、もう言わないよ。いつまでもエッジに甘え続けてる訳にはいかない」

「甘えてるなんて、そんな事」

 否定しかけたエッジに、クロウは首を横に振って言った。

「私は最初からずっと、一人じゃ戦えなかったんだよ。エッジが一緒に戦ってくれたからここまで来られただけ。なのに私はずっと自分勝手だった……ごめん」

「……」

 気まずい沈黙が流れ、クロウは話題を変える。

「エッジはさ、人が傷付くのが嫌いで傷付けるのも嫌いなのに、どうして自分で戦う事に拘るの?」

「それは……」

 今度はエッジが悩みながら言葉を考える番だった。

 クロウは湖面を眺めて大きく深呼吸しながら答えを待つ。

「そこが一番クロウに近い場所だから」

 その答えを聞いて、彼女は吹き出しそうになった。

「真顔で言う?そういう事」

「それは……まあ、そう聞いたらそういう風に聞こえるかもしれないけど」

 茶化されたら気恥ずかしくなったのかエッジは顔を逸らし、クロウはからかう様にその顔を覗き込んだ。

「えー?『そういう風』ってどういう意味?」

「な、何でも良いだろ!」

 二人が湖畔で戯れていると、不意に風が凪いだ。

 静かに波が消えていき、二人の見ている前で湖は鏡面の様になる。

 夜空の星々が一面を絨毯の様に埋め尽くし、森の木々と境界がなくなっていく吸い込まれる様な光景に二人は思わず動きを止めて見とれた。

「……綺麗だね、世界が壊れかけてるなんて嘘みたい」

 エッジも彼女の言葉に同意して静かに首を縦に振る。

 と、突然クロウがエッジにその身を預けてより掛かる。

「な、いきなりだとびっくりするだろ」

「へへへ」

 クロウも気恥ずかしかったのか彼女はわざと低い声で笑って誤魔化す。

 エッジは「仕方が無いなあ」と溜息をついて諦めた。

 二人はそのまましばし黙って湖面を見つめた。

 エッジは傍らの少女の髪を見て、色褪せて変わってしまったそれに顔を伏せる。

「ねえ、少しだけ周り暗くなっちゃうけど、ちょっと深術使っても良い?」

「大丈夫だけど……?」

「あ――」

 戸惑いながらもすぐに了承したエッジに対してクロウは何かを言いかけるが言えず、目を閉じた。

 黒い霧が辺り一帯を包む。

 エッジに配慮してなのかそれは戦闘時のもの程濃くはなく見通せなくは無かったが、夜空と湖はぼんやりと暗く霞んだ。

「……この景色をずっと覚えておきたかったの、全部きちんと」

 微かに困惑する少年の肩に頭を預けて、クロウは閉じた瞳の裏側で闇との感覚共有でその景色を脳裏に焼き付けた。

 暗く霞んでしまった本物の視界の代わりに。

 

(ごめんね。本当はもう、こうしないとちゃんと見えないんだ)

 声に出せないその言葉を抱いて、彼女は心の中でエッジに謝った。


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