TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―

第八十八話 落葉

　初めから奥義である『練毅身』を発動したクリフは足下に集めた気の力で急加速し、敵の集団が放った深術の一つと正面から接触する。

　球形だった炎が破裂して、彼の腕を焼こうとした。

「『残影殻(ざんえいかく)』」

　『殻』の防御でクリフはその身を炎弾から守って覆い、『発』の力でそれを内部から押し返す事で『瞬』の加速の為のスペースを作りだした。

　残像の様な自分の身体と同じ形の防御壁をその場に残して、彼は瞬間的にそこから逃れる。

　全ての深練体技を同時使用する事で発動可能になった複合技『残影殻』。

　敵の攻撃を受けつつ回避するその技は結果としてその場に残像の様にクリフの姿を残しながら、次々に深術の雨を掻い潜って彼が間合いを詰める事を可能にした。

「クロウがみんな一か所に集めてくれたお陰だな、これなら何とかなる」

　クリフは密集して深術を放っていた子供達の首に、意識だけを奪う『絶』を使用していき瞬く間に五人を倒した。

「相変わらず、一人で先走り過ぎだよ――でもこれで、あと九人」

　それに続いてラークも二人の子供に打撃を加え、意識を奪う。

　子供達は慌てる時間もなく昏倒する。

　あっという間に仲間の数を減らされたバルロは『流連』のレパートに、突っ込んで来た二人を心素銃で攻撃させる。

「セッシブバレット！」

「下がって二人共――氷装華(ひょうそうか)・桔梗(ききょう)！」

　リョウカが二人を庇うように前に出て、宵の地衣を青い華の様に氷で盾に変える事で二人が後退する時間を作った。

　レパートの間合いである10ｍ程の広範囲に銃の連射を撒き散らされ、クリフとラークは一度下がる事を余儀なくされる。

　『殻』の守りが即座に使用できる状態のクリフはともかく、銃に対して有効な防御手段を持たないラークは相性が悪かった。

　一度二人を退かせた『厳岩』のバルロは、その素早い動きに既に対抗策を打っていた。

「侵犯(しんぱん)拒(こば)む境界(きょうかい)の絶壁(ぜっぺき)――ストーンウォール」

　巨木――一瞬そう見紛う程高く地面が左右でせり上がる。

「うわ、これは流石にちょっと越えられねえか」

「僕と君なら助走を付ければ届かなくはないだろうけど、それだと時間がかかり過ぎて狙い撃ちにされるね」

　いきなり変化した地形に対してクリフが漏らした感想に、ラークも同意する。

　せり上がって来た岩は城壁の様にスプラウツの両脇の回り込みを防ぎ、二人は一番攻撃の激しい正面からしか攻撃を仕掛けられなくなってしまう。流石にクリフの『残影殻』でも回避出来るルートが無いと接近する事が出来ず、二人にこの人数差で深術と真っ向から戦うだけの力は無かった。

　攻めあぐねる二人を敵が待つ筈もなく、再び初級深術の連打が飛来する。

　リアトリスは態勢を立て直す時間を作る為それらを障壁で跳ねのけた。

「油断しないで二人とも、クロウの話なら幹部は全部で七人。まだあと一人、セルフィーが何処かに居るかもしれない」

　彼女の言葉に、バルロが不快な事を思い出したかのように顔を歪める。

「セルフィーだと？あんな役立たずが居るものか」

「……どういう意味？」

　あからさまな罵りにリアトリスの表情が固まった。

「あれなら殺した、貴様らの相手は私達だけだ」

　驚きのあまり、リアトリスの張った深術障壁が消えかけ内部の陣の紋様だけが一瞬映る。

　彼女はすぐにそれを修正し敵の攻撃を防ぎ続けたが、その表情から動揺は消えていなかった。

「殺した？何でそんな事が出来るの！仲間だったのに」

「黙れ、貴様らの中身を欠いた感情論には反吐が出る――ロックブレイク！」

　前面全てを完全に防御しきるリアトリスに対して、バルロは彼女の足下から術を発動して攻撃を仕掛けた。

　リアトリスはそれを避けようともせず、呟いた。

「……地属性は防ぐなら質量を受け流すのを最優先に……『破壊』するなら、一点で叩き割れば良い」

　キッ、とバルロの目を見据えて彼女は叫ぶ。

「『破砕障壁(ティアリングシャッター)』」

　足下から隆起する牙の様な岩塊が実体化する瞬間に、リアトリスは剃刀の様に細い光の障壁をその中心に突き立てた。

　たったそれだけの事で、「ロックブレイク」は正常に発動する事なく壊れた積み木の様に崩れる。

　バルロは驚愕に目を見開いた。

「あの子の努力を、一生を嘲笑う権利なんてあなたに無い！」

　リアトリスが手を振ると、飛来するスプラウツ側の深術が次々に消えていく。

　炎の深術は冷気でかき消され、風の深術は軌道を変えられその余波が水の深術の方向を狂わせる。

　リアトリスが障壁で防ぐまでもなく、ほとんどの深術が前衛のラークとクリフの所まで到達する事が出来なくなっていた。

「これは……」

「いつもリアは大半の深術の弱点を直感的に見抜いて防いでる、それは言い換えれば深術を破壊する事にもまた長けているって事に他ならない。その気になればリアは大抵の深術を即座に破壊できるんだよ」

　リョウカの疑問に、ラークが答える。

　リアトリスの攻勢で再び追い詰められたバルロは、レパートを殴り付け腕を引きずる様にして無理矢理前線に彼を立たせる。

「何を呆けている、押し返せ！」

「っ……シャイニングレイザー！」

　ルオンを倒した集中砲火をレパートは再び放ち、リアトリスも流石に深術では無いそれを破砕する事は出来ず障壁で防ぐ。

　狭い門の様なストーンウォールの狭間、そこを絶えず飛んでくる深術とレパートの銃撃は簡単には突破できなかった。

　そんな状況で、ここまで戦況を観察していたリョウカがリアトリスに尋ねる。

「リアトリス、今の術を空中で防ぐのまだ出来る？」

「はい、でもあの銃っていう武器の攻撃までは」

「それは私が何とかするわ、そっちの二人も援護をお願い」

　仲間達が頷いたのを見て、リョウカは宵の地衣を突破力に優れる制圧形態『鋒矢(ほうし)の型』に変える。

　身体の周りに布を巻き付け、大きく深呼吸する様に息を吸い込んで彼女はリアトリスの守りの外へ飛び出した。

「蝶旋舞(ちょうせんぶ)！」

　回転しながらのリョウカの突進が、風車の様にレパートの銃撃を弾き飛ばしながら進む。

　一瞬の間があったものの、敵の攻撃は一気に彼女に集中した。

　何らかの術を唱えているバルロと銃を必死に連射しているレパートを除いてもまだ敵の子供は七人。

　幹部で無い彼らが使用しているのは大半が初級深術であったものの、流石にそれだけの攻撃が集中すればリョウカも一溜りが無い。

　三角形を描く光弾と、歯車の様な水刃が彼女に迫る。

「させない」

　それをリアトリスは円錐形の障壁で分解した。

　術はその中心を突かれ、自らの推進力で結合を失いバラバラになっていく。

　後続の礫岩や氷弾も同様だった。

　子供達が放つ深術は尽くリアトリスによって、リョウカに触れる前に破壊される。

　リョウカはみるみる正面から間合いを詰めていった。

　が、間合いが詰まれば詰まる程術が到達するまでの時間もまた短くなり、リアトリスの「破砕障壁」の使用間隔も加速度的に上がっていく。

　そこへ、

「真空破斬！」

「『瞬』！」

　クリフとラークも続いて深術障壁の蔭から飛び出した。

　ラークが真空の刃を連続で放ち、クリフが気による爆発的な加速で一気に間合いを詰める。

　真空の刃一つ一つは深術に威力で劣る為、部分的に勢いを削ぐ程度のものでしかなかった。

　が、それをクリフが飛び出すのと同時に行った事で、焦った敵の狙いはリョウカ、ラーク、クリフの三者に分散する。

　クリフが直線的な軌道で迫り、リョウカにもまた前進され、敵の先頭に立ったレパートは彼らの進行を止められ無い事に焦っていた。

「くそ……くそっ！」

　その顔からは血が流れ、明らかに何度もバルロに殴られている。

　レパートは戦意を失いながらも、「逃げる事は許されず、背を向ければセルフィーと同じ様に殺される」という事実がどこまでも彼に引き金を引かせ続けていた。

　リョウカを追い越して先陣を切るクリフの急接近にレパート以外の子供達も焦りを見せる。

　深術士は詠唱が出来なければ戦えず、間合いを詰められれば戦えない。

　勝敗が決まったかに見えたその時、バルロがその詠唱を終えた。

「閉(と)ざす龍顎(りゅうがく)、不抜(ふばつ)の牙門(がもん)――」

　残された唯一の進行ルート、その両脇が再び大きくせり上がりクリフは隘路の中心に立たされる。

　ラークの警告が飛んだ。

「まずい、下がるんだ！いくら『殻』があっても両脇から挟まれたら、その防御ごと押し潰される！」

　しかしクリフは下がろうとしなかった。

「悪いラーク、けど俺は……こんな奴相手に退く訳にはいかねえ！」

　真っ直ぐに、『瞬』の持てる最大加速でクリフは絶壁に挟まれた谷の中心を駆け抜ける。

「――秘奥(ひおう)、地顎門(ちがくもん)」

　バルロの声と共に、クリフの両側の絶壁が閉じる。

（駄目だ、間に合わない！）

　クリフが隘路を抜けるより早く、バルロの奥義が彼を押しつぶしにかかる。

　ラークがダブルブレードを振るって門を攻撃するが、その程度ではびくともしなかった。

「……全く、世話が焼けるわね――詠技(えいぎ)、翠風(すいふう)」

　リョウカの声と共に一陣の風の帯が谷間を吹き抜けた。

　そのほんのひと押しがクリフの追い風となり、僅かに彼を前に進ませる。

　クリフのすぐ後ろで「地顎門」が閉じた。

　彼の足下で空気が渦を巻き、その腕に堅い物体を砕く『豪』の光が宿る。

　レパートが目に涙を浮かべ、半狂乱になりながらクリフへ深素銃を連射する。

　が、連続使用で稼動限界が来たのか彼の手の中で銃は弾が出なくなり、カチカチと虚しく音を立てた。

「何でだよ……くそっ、くそっ、クソオオオ！もっと強くなりたい、死にたくない、戦いたくない！」

「黙れ、弾が出なくとも深術は使えるだろう。それも間に合わないならその身で盾になれ、弾除け位にはなるだろう！」

　レパートの襟首を後ろから掴んで、バルロは彼を自分の身代りにしようとする。

　止めを刺そうとするクリフの跳躍が迫って、レパートは反射的にその目を閉じた。

「お前は、もう戦わなくて良いんだ――待ってろ」

　かけられた言葉に目を丸くするレパートの上を、クリフが飛び越えバルロへその拳を振りかぶる。

「舐められたものだな、術士なら近接戦闘の武器も持って居ないと思ったか」

　バルロが錬成手甲「岩堵」でクリフに狙いを定める。

　『練毅身』使用中でも宙に居る彼にそれを回避する事は出来なかった。

「いいや、舐めてねえ！そんなもん正面から受けて立ってやるよ！――瞬発豪破掌(しゅんぱつごうはしょう)！」

　間合いの外から先に殴りかかったバルロの動きに連動して、空中に岩の礫(つぶて)が発生しクリフを叩き落とそうとする。

　タイムラグなど無いに等しいその一撃を、クリフの拳は『豪』の力で打ち砕いた。

「ご、ああぁっ！？」

　酷く惨めな声と共に、あっさりとスプラウツを支配していた老人は倒れた。

　同時に、時間切れになった『練毅身』が解除されクリフはその場に膝をつく。

　意識を無くした自分達のリーダーに、残された子供達は困惑する。

　何年もの時間を縛られて来た彼らは、すぐさま自分達が解放された事を理解する事が出来なかった。

　その空気を察して、クリフが乱れた呼吸を正しながら周りに居る子供達に語りかける。

「お前らさ、行く所無いならセオニアに来いよ。「蓮の水鳥」のクリフの紹介だって言えば大丈夫だ」

　レパートがその申し出に半信半疑で顔を上げる。

「は……？何言ってんだよお前、今の今まで殺し合いしてて頭の切り替えどうなってんだよ……」

「良いじゃねえか、こんな何も無いとこで時間置いて座ってたら話す気分になるのかよ」

　蹲ったレパートと子供達に、クリフは笑って手を差し出した。

「結果が同じなら早い方が良いだろ？」

「全く、無茶して……死にかけた自覚無いのかしらね、あれ」

「無い訳じゃないと思うけど、きっともうそれは大事な事じゃないんだよ。彼にとっては」

「そうだね……そうやって後ろじゃなく前を向けるのはクリフさんのすごい所だと思う」

　リョウカ、ラーク、リアトリスの三人も戦いが決着したのを見届けて、彼らのやり取りを少し離れた所から見守る。

　そんな彼らにクリフが手を振って呼んだ。

「おーい、こいつら船に乗る金も持って無いって言うんだけど、リョウカの金で何とかならないか？」

　リョウカのこめかみに青筋が立つ。

「あなたねえ、貴族を財布か何かと勘違いしてるんじゃないの？ウチは全焼して、私とトウカの決闘で完全に崩れたのよ！？」

「最後の自業自得だろ！ちょっと金貸してくれるだけで良いんだって、王様が後で建て替えてくれるだろうから」

「あのねえ、そういうのは普通その当人に一言話通してからやるものよ。あなた大人なんだから金銭の事はしっかりしなさい」

「いや……そうは言ってもこいつらここにずっと居させる訳にもいかないだろ……？」

「何もしないなんて言ってないわ、良いわよ――その代わりお金返って来なかったら貴方に倍にして請求回すからね」

「！？」

　しばらくして、バルロが目を覚ます。

「よう、お目覚めかよ」

　辺りに子供達はおらず、岩に腰かけたクリフと、杖を握りしめて立つリアトリスの姿だけがあった。

「トドメを刺せ」

　倒れたままの老人の言葉に、クリフは彼を睨んだ。

「……殺してなんてやらねえよ、勝ち負けを生き死にとセットでしか考えられない様な馬鹿は、生きてその重さを考えろ」

　ふん、とバルロは鼻を鳴らした。

「そっちの娘はそうは思っていないようだが？憎い、と顔に書いてあるぞ」

　考えを見透かされ、リアトリスは杖に込めた力を強める。

「殺したいよ、それでセルフィーが戻ってくるなら……」

　でも、とリアトリスは唇を噛んだ。

「それは言い訳だから。本当はただ残された私が貴方を許せなくて、殺したがってるだけ。だからこれは私の問題」

　目に涙をためながら、怒鳴りそうになるのを堪えて彼女は続けた。

「だからこの殺意を以て私は貴方を許す。この殺意をセルフィーを失った痛みとして抱いたまま、私はそれを受け入れて生きていく」

　その言葉を最後に、二人は老人をその場に残して立ち去った。

　残されたバルロは倒れたまま一人、服の下の火傷の痕をなぞる。

「最後まで身勝手な事を……だが、」

　宙を仰いで、諦めた様に老人は呟いた。

「私はそれに負けたのか」

　彼がそうして戦うのを辞めた瞬間。

　スプラウツは本当の意味で壊滅した。