TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
クロウはアキが薪を探しに行ってからも黙々とエッジの介抱を続けた。
治癒術には限界がある。目で見える範囲の傷は治せても消耗した体力までは戻らない。
彼女の手には血が付着している。エッジの血――彼女自身が傷つけ流させた血が。
(私に傷つけられたのに、私に傷ついてほしくない?)
クロウには訳が分からなかった。別にエッジは彼女と親しいわけでもなんでもない。
彼にしてみればたまたま出会った、それだけの人間のはずだ。
(だったら心配なんかせずに私を恨めば良い)
その方がエッジにとっても楽な筈だ。
「別に恨んでいいよ……私は気にしないから」
エッジの苦しげな顔を見つめながらクロウは呟いた。
―――――――――――
「……」
エッジが気が付いて目を開けると、目の前に満天の星空があった。
そこからずいぶん長い時間気絶していた事を、パチッという音と暖かいオレンジ色の光が辺りを照らしている事から焚き火をしている事を、エッジは悟る。
「気がついた?」
エッジが声をかけられた方に頭を向けると、クロウとアキが少し距離を空けて座っていた。
「何とか大丈夫だったみたいですね、安心しました」
エッジの体はまだ重く、彼はまだ体を起こす気にはなれなかった。
とりあえず、二人がまた戦ったりしていない事にエッジは安心する。
「火傷が治ってもいないのに、無理に動くからだよ」
不機嫌な声でエッジはクロウにそう言われた。
まだ邪魔されたことで怒っているのだろうか、とエッジは訝しむ。
「ああ、面倒かけてごめん」
「今更謝ることじゃない」
そもそも邪魔するなという意味だろう。
「いや、でも――」
エッジの言葉をイライラした様子でクロウがさえぎる。
「そんなことはどうでもいい。それより何で私やジェインに傷付いてほしくないなんて思ったの?」
クロウの顔が責めるように険しくなり、アキも少し真剣な顔になる。
「何で……傷付いてほしくないか?」
エッジはその言葉を反復するように呟く。
自分の身を投げ出してまで二人を助けようとする自分が異常に映るとは自覚していなかった様子だった。
彼の目は自然に夜空に向かった、何かを思い出そうとする様に。
「俺には随分前から親がいないんだ」
何故いきなりそんな話をするのかクロウは疑問に思ったが、とりあえずは話を聞くことにする。
「村でも俺は漁に行けないから一人で居る時間が長くて、閉じこもってる内に正真正銘一人になっててさ……そういうの嫌なんだ。自分でも他人でも」
そこでエッジはクロウの方へ顔を向けて、笑みを浮かべる。
「初めて海岸でクロウに会ったとき、クロウも何か寂しそうな顔してた」
「え?」
話に集中していたクロウは不意を突かれ、返答を返すのを忘れた。
それから、会話が止まってしまった事に気付いてクロウが更に尋ねる。
「……じゃあ、ジェインを助けようとするのは何で?」
黙って聞いていたアキは、自分が話題に出て身を竦める。
そんなアキを安心させるようにエッジは彼女の方にも笑顔を見せて言った。
「困っている人がいたら必ず助ける、当たり前のことだろ?」
何も悪びれずにエッジはそう答えた。
(ふざけているのか、それとも本気でそんなこと思ってるのか…いずれにしてもこいつは本当に――)
「馬鹿」
「え?」
クロウが小声で呟いたのがエッジには聞こえなかったらしい。
彼女は顔をあげ、まっすぐ彼の顔を見てもう一度言った。
「他人の為に自分を犠牲にするなんて馬鹿じゃないの?」
「いや、でも」
「あーあー聞いて損した、すぐに放っといて寝とけば良かった」
「聞いてきたのはクロウの方だろ!」
だんだんエッジもムキになる。
「はいはい、そうでした、じゃあおやすみなさい」
「……実は、喧嘩売ってるのか?」
「さあ?そんなつもりは全然無いんだけど」
「流石に怒るぞ」
傍から見ているアキには、クロウが本気で言ってはいないことが分かる。
不器用なのだろう、彼女はそうやって茶化す事でしか少年の真っ直ぐすぎる思いと向き合えない様子だった。
アキはそれに巻き込まれないようにそっと距離をとり、微笑みながら二人を見つめる。
が、やがて少しだけ悲しそうな顔に変わり、静かにどこかに去っていった。
喧嘩を続ける二人がそれに気付くことはない。
二人がいる焚き火の側から離れ、アキは静かに近くの林まで歩いてきた。
「良かった!無事だったか」
近くの木の影から、シリアンでも彼女と密かに話していた銀髪の男が出てくる。
その口調は真剣に心配そうだった。
「万が一、あの女がお前を襲ったりした場合の為にルオンをつけさせてたんだが、あいつでもあの女は手に余ってな……すまない、あの後大丈夫だったか?」
やや早口で質問してきた男に対して、アキは浮かない顔で返事をした。
「はい……シビルさん、あまり心配しないでください。私がちゃんとシントリアまで彼女を連れていきますから」
軽い拒絶を示され、シビルは幾分言葉の勢いを弱める。
「ああ、分かった。が、ただ無理だけはするなよ」
「分かってます」
シビルの方はまだ何か言いたそうだったが、これ以上言ってもアキは聞かないと判断したのか、そのまま背中を向けて去ろうとする。
「シビルさん」
その背中に向けて、アキが引き止めるように呼び掛けた。
「ん?」
軽く頭だけをアキの方に向けて相槌を打つ。
「私が――私達がしていることは人として正しいんでしょうか?」
しばらく沈黙があったが、やがて男が答えた。
「悪いとしたらそれはこんな事をお前にさせてる俺達の方だ、お前は悩まなくていい」
「でも、私だけが逃げるようなことはできません。彼らを騙そうとしているのは私ですから」
「すまん、こんなことを押しつけて」
男は申し訳なさそうに言った。
「……心配しないでください、ってさっきも言いましたよね?何もかも、元はといえば自分で選んだことです」
このままだと相手をさらに悩ませてしまうと気付いたのか、アキは無理に笑顔を作ってみせた。
「あとは私に任せてください」
「このカースメリア大陸を出るのもあと少しだ、次に会うのは中央大陸に着いてからになるからな」
「分かってます」
その言葉を最後に二人は別れた。
アキが焚き火のところまで戻ってみると、クロウは既に眠っておりエッジが一人で火を見つめて座っていた。
「どこへ行ってたんだ?」
別に怪しむ風でもなくエッジが尋ねた。
自分のことをまるで疑わない彼の様子に、アキは良心が痛む。
「すみません、少し一人になりたくて」
「捜しにいこうかとも思ったんだけどさ、クロウが先に寝ちゃったから」
この時ばかりは、アキは心の中でクロウに感謝した。
「暗くなってからは危険だからあんまり離れない方が良い……俺が番してるから今日はもう寝ていいよ」
そう言いながらもエッジは軽くあくびをした。
「あの、私はまだ眠くないので私が番をします」
「良いのか?」
「はい」
「ごめん、じゃあ寝たくなったら俺を起こしてくれればいいから」
そう言うと、エッジは横になった。
すぐに聞こえる寝息が二つになる。
やはり無理をしていたのか、とアキは悲しくなる。
まだ怪我が全快したわけでもないだろうから、当然だろう。
(……貴方は関係無いのに、ごめんなさい)
アキは心の中でエッジに謝った。
声を出さなければ伝わるはずが無いことなんて分かっていたが。
しかし、ここで声に出せるほどアキは大胆にはなれなかった。
逆に、謝らずに平気な顔をしていられるほど無神経にも。
(私がやらなきゃこの国は大混乱になる。私にはお二人の事はどうすることもできない……私は、なんて無力)
もし運命なんてものが存在しているなら、アキは運命を受け入れるしかない自分を呪った。
―――――――――――
クロウが気が付いて目を開けると朝だった。
エッジはまだ寝ている。
(ジェインが起きてるのはその代わり……か)
途中で交替したのか、あるいは早く目が覚めたのかは知らないが、クロウにとってはそんなことはどうでも良かった。
「いつまで寝てるつもり?」
とりあえず彼女はエッジを起こしにかかる。
クロウは気持ちの整理がついていないアキとの会話を避けた。彼女は声をかけたくらいでは起きないエッジの耳を、頭が持ち上がりそうなくらい引っ張る。
その様子にアキは何か言いたそうな顔をしたがクロウは無視する。
「?痛、痛い!やめろクロウ!」
彼女の期待どおりのリアクションでエッジが跳ね起きる。
「おはよう」
当たり前の様にクロウはあいさつする。
「おはよう……っていうか毎回起こし方おかしいだろ」
「はいはい、ごめんごめん」
クロウはエッジの恨みがましい視線を感じたが、無視する。
「何食べる?パン?卵?ベーコン?」
「じゃあ、パンと卵で」
それを聞いて、クロウは荷物から材料を取り出して手渡す。
「分かった、はい作って」
「……作らせる気なら、聞くなよ」
「作って貰う人に決めてもらう方が良いでしょう?」
エッジはまだ何か言いたそうな顔をしていたが諦めた様子で離れていたジェインにも声をかける。
「アキも同じで良いか?」
「あ、はい!」
そんな様子でエッジを間に挟みながら三人で会話し、出来た朝食を食べている内に朝焼けの光は徐々に昼の空へと変わっていった。
しばらくして、街道を歩き始めた頃。
会話することなく三人は歩いていたが、やがてエッジが沈黙を破った。
「クロウ、あの白い髪の子供のことそろそろ話してくれるか?」
エッジがその話題に触れると確実にクロウの顔が暗くなった。
「あの子の正体を知ればあなた達にも危害が及ぶ可能性があるけど、それでも聞きたい?」
エッジは無言で頷いた。
アキは歩きながら前を向いたままで反応を示さなかったが、クロウはそれを肯定ととったのか、あるいは無視したのか話を始めた。
「あの子は《スプラウツ》という集団の一人だよ」
「スプラウツ……?」
エッジには聞き覚えの無い単語だった。
「知らなくても当然。スプラウツは表に出るような集団じゃないから」
「どういう意味だ?」
「スプラウツは、身寄りのない子供や深術の素質を認められた子供からなる集団なの。全員が深術の訓練を受けたエキスパートのね」
「子供?」
クロウが頷く。
「そう、例外も何人かいるけどほとんどは私より年下の子供ばっかりだよ」
よく分からない、という表情でエッジが尋ねる。
「何で子供だけなんだ?」
「さあ?小さい時から言うこと聞くように徹底的に教育するから命令聞かせやすいのかもしれないし、単に集めやすいからかもね」
平静に話していたエッジの表情が徐々に崩れる。
「言うことを聞かない子供は……?」
「だから、聞くようにするんだよ。殴ってでも、肌を焼いてでも。そうやって術を教えて、術を使わなきゃいけない状況におけば皆最後は大人しくなる」
絶句するエッジとは対照的に、クロウは淡々と話し続ける。
まだクロウとはあまり話したくないのか、アキは口を開かなかったがその目はもう前を見ていなかった。
「そんなのおかしい、何でそんなに当たり前みたいに言えるんだよ!」
思わず詰め寄ったエッジの顔を、無表情だったクロウが張り飛ばす。
アキは驚いて振り返った。
「何であなたが怒るのよ、まるで関係ない上にルオンにも勝てなかった癖に!」
エッジは尻餅をついてうな垂れたまま顔をあげなかった。
しばらくそのまま沈黙が続いたが、多少落ち着いたクロウがやがて口を開いた。
「言い忘れたけど、スプラウツには普通の子供たちの他にそれを統制する『セブンクローバーズ』っていう実力者達がいる」
そこで一呼吸置いてエッジの目を正面から見る様にして言った。
「その内の一人が『
(……あんな強さの奴がまだいるのか)
エッジは全く攻撃することもできずに敗けたあの少年の実力を思い出して寒気がした。
「私はそこを逃げ出してきた、それで追われてるの。分かった?」
そこまで聞いてエッジは疑問に思ったことを口にした。
「聞いたかぎりだと、あのルオンっていう子はスプラウツでもかなり重要なんだよな……どうしてそんな奴が逃げ出したクロウ一人を捕まえるためにわざわざ来るんだ?」
しばらく沈黙があって、それからクロウは答えた。
「……王都の権力者が裏で絡んでるらしいから、多分そいつが絶対に情報を漏らしたくないんだと思う。普通なら逃げ出そうとした子供はその時点で死んでる予定だから」
「この国で高い地位にあるような人間が何故子供を捕まえてまで、そんなことをするんだ?」
「さあね、私には分からない――ところで」
今まで見向きもしなかったアキの方を向いて尋ねる。
「あなたは逆に反応が薄すぎない、『ジェイン』?」
射るようなクロウの視線を避けてアキは目を伏せる。
「い、いえ、あまりにひどい話だったので……ショックで」
納得していない様子で、クロウはアキの顔を覗き込もうとする。
「やめろよ、考えすぎだ」
エッジが制止した事でクロウはそれ以上追及しようとしなかったが、まだ信用していない様子だった。やがて彼女は諦めたように軽く息を吐き、道の先へと向きを変え歩き出す。
「……もうこの話は終わりでいい?ここでのんびりしてるわけにはいかないって分かったでしょう」
そう言うとクロウは少し足を早めた。
アキも暗い表情のまま、その後に続く。
最後尾に一人取り残されたエッジも行き場の無い憤りや、子供達の境遇を想像しての悲しみ、様々な思いを内に抱えながら続く。
(あのルオンとかいう子の目……あんな風になったのもその『スプラウツ』とかいうもののせいなのか?)
エッジは今聞いた話を反芻する。
クロウは『教育』と言った。
そのせいなのだろうか?
だけどクロウは少なくとも感情は失っていない。
だったらいったい何があったというのだろう?
まだあんな年端もいかない子供に何が。
そんなことをひとり考えていると、突然クロウの声がしてエッジは我に返った。
「――もうすぐマーミンに着くよ、多分もう見えてると思うけど」
言われてエッジが街道の先を見ると、確かに町があった。
シリアンよりやや大きく、建物の造りも木だけではなく石も合わせて使われていて、より立派な感じだ。
道の所々に何故か馬がいるのも見えた。
「マーミンは別名、馬の町とも呼ばれるくらいこのカースメリア大陸の交易の中心として栄えている町だよ」
(それで馬があんなにいるのか……じゃあトレンツに居た頃、魚を買いに馬に乗ってきていた商人もここから?)
クロウの説明を聞いてそんなことを思いながら、エッジがふと何気なくアキに目をやると俯いて元気が無かった。
スプラウツの話をした時からずっとだった。
「大丈夫、か?」
エッジは少し近づいて横から声をかけてみる。
「え?……あ、はい、大丈夫です」
そうは言うもののやはり元気がなさそうだ。
「ショックだよな、あんな話聞いたら……子供を道具みたいに扱うなんて」
「ええ、そう、ですね。すぐには無理でも、無くさなきゃいけない事だと、思います」
それを聞いてエッジは少し安心した。
アキも自分と同じ様に感じていたのだと分かって。
これ以上、今かけられる言葉は無いと判断してエッジはアキから離れ、また黙々と歩き始め――ようとした。
「止まれ」
突然の何者かの警告が三人に飛び、何時の間に近づいてきていたのか四人の男が草陰から出てくる。
明らかに武装しており、殺気が普通の町の人間ではない。
エッジだけでなく、アキとクロウもそのことに気付いたらしく表情が鋭くなる。
「旅人か?悪いがこの先は通れないぜ」
「何で?」
クロウの口調から、苛立っているのがエッジにも分かる。
「そいつが武器を持ってるからだ」
答えた男がエッジの武器を指差す。
「それでも通るって言ったら?」
クロウは完全に喧嘩腰だ。
「そういうわけにはいかねぇ」
そう言って男達は全員が軽く武器に手をかける。
「――ウィンドエッジ」
何の警告も発せず、クロウは一番前にいた偉そうな男の周囲に風の刄を発生させた。
「ぐおあっ!」
体の表面に傷ができ怯んだが男は倒れない、多少ながら戦闘慣れしているようだ。クロウの方も流石に大怪我させるような本気は出していない。
「気を付けろ、こいつら深術を使うぞ!」
傷を押さえながら先頭の男が叫ぶ、同時に一人の男がエッジに向かって剣を抜いた。
「ここは私に任せてください」
アキは冷静にそう言うと、傘を開いた。
「
剣を抜いた一人に向けて地面を強く蹴り飛び出し、同時に傘を相手に向けて最大限のリーチで突き出す。
「ぐほぉっ!」
傘の勢いそのままに、剣を抜いた男は後方に吹き飛んでいく。
ズザザッという男が地面をすべる音に少し遅れて、男が立っていた場所に剣が落ちるカランという音が響いた。
「この野郎!!」
味方がやられたのを見て残りの三人も棍棒のような武器を持ってアキの方へ走りだす。
その落ち着きを無くした様子とは対照的に、アキはゆっくり深呼吸して傘に両手を添える。
男たちが目前に迫ってもアキはその態勢を崩さず、何かに意識を集中させているようだった。
男たちが武器を振り上げ、エッジが危ないと思った瞬間、アキが動いた。
「
両手で掴んだ傘を、素早い動きで自分の周囲を回転させるように振る。
同時に自身も回転しながら軌道を上へあげていき、傘で螺旋の軌道を描く。
その軌道を綺麗になぞるように白い光が傘からほとばしり、その光は男たちを宙に吹き飛ばした。
「――
アキが動きを止め、再び深呼吸したときには男たちは全員地面で気絶してしまっていた。