TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第八十七話 勝利の対価

 クロウが次に目を覚ましたのは見覚えのある小屋の中だった。

 時間は夜明け前らしく、薄暗さで認識するのに時間はかかったものの少し前まで居た場所を見間違えたりはしなかった。

 左足に大怪我を負っていた為か、小屋に転がっていた古い毛布でしきられクロウの寝ていたスペースは隔離されている。

 ぼんやりと彼女は自分の右手を眺め、再び自分が身体を動かせる状態に戻った事を認識した。

(……私は)

 言葉を発する事も出来ない程完全に意識をラーヴァンに乗っ取られていたとはいえ、一方的に振るった暴力の感覚をクロウはハッキリ覚えていた。

 世界の全てを維持しているという宝珠の力。

 クロウ達の道の先に待ち受けている『ジード』は、その内の一つをほぼ完全に自らの力としている。

 自身の中にある力を引き出せる様になればなる程、彼女は人間離れした自身の力がそのほんの一端に過ぎないという事実に恐怖を覚え始めていた。

 つまりそれは、「彼女が出来る事は、ジードもまた全て出来る」という事に他ならない。

(あいつは今まで私達を本気で殺すつもりが無かった。でも、今度の戦いは違う。『ジード』とスプラウツは間違いなく決着を付けに来てる)

 『過剰侵食(オーバーカロード)』時のパワーとスピードが、そのまま仲間達に牙を向く様を想像してクロウは背筋が寒くなった。

 それだけではなく『ジード』は、クロウでも突破できない『色の水晶(クロマティッククリスタル)』すら破壊した禁術。そして受けた傷を瞬時に直して原型を留める再生能力を持っている。

 当然飛行能力を持った彼が高度を上げれば、武器での攻撃もほとんど届かない。

(本当に、勝てるの……いや、それ以前に正面からぶつかったら絶対に誰かが――)

 クロウは仲間達が用意してくれた毛布を無意識に握り締める。

 

 怪我を負った足がなんとか動く事を確認した彼女は、顔を洗って気分を入れ替えようと起き上がってふと気になるものを見付けた。

 自分の寝ていた布団に落ちていた数本の髪の毛。

 それ自体は寝起きなら何も不思議なものでもない。

 ただ、それは明らかに黒髪だった。

 クロウの髪は紫で、黒髪の人間は仲間内でアキとリョウカしか居ない。

(自分が寝てた所を譲ってくれたのかな?)

 或いは側を離れられない程心配させてしまったのかもしれないと思い、いずれにしてもクロウは後で謝ろうと決めて立ち上がった。

 早朝にしては、身を刺す様な寒さは無い。

 過ごしやすくて良い、などと思いながらクロウは誰かが汲んで来てくれていた水桶から水を掬おうとして、そこに映ったものに違和感を覚えた。

 水面に映った彼女自身の顔はいつもと何かが違っていた。

 しかし、揺らぐ水面ではそれが何なのか分からず、クロウは小屋の隅にあった曇った鏡の前に移動する。

(あれ……何か、暗い?)

 鏡に移った自身の顔を見て、彼女が最初に感じた印象はそれだった。

 起きたばかりでまだ何処かぼやけていた頭の芯が覚醒し、クロウは異変の正体に気付く。

 髪の色と、能力を使う時以外は紫だった瞳が色を失いかけ黒く変色していた。

 そして、周囲が薄暗いのは夜明け前だからではなく――。

「!」

 クロウは思わず外套を手にとって、逃げる様にそれで身を隠した。

「ん?目覚ましたのか、クロウ。エッジも立てる様になったみてえだしこれで全員揃うな!」

 物音に気付いたらしきクリフの嬉しそうな声が仕切りの向こうから近付いてきて、彼女は慌てて彼を制止した。

「ま、待って!」

 そのあまりに切迫した声にクリフも戸惑った様子だった。

「あ……わ、悪い。何か邪魔したか」

「いや……こっちこそ、ごめん。すぐ準備して合流するから待ってて」

 クリフが小屋を出ていく音が室内に響いた。

 大声を出してしまった事を反省しながら、クロウは変色してしまった髪と瞳を隠す為にフードを目深に被って外に出る。

 

 ―――――――――――

 

 何とか動ける様になったエッジは、小屋の外で折れてしまった剣を見つめていた。

 彼が自分より強い相手と戦う為に編み出した秘奥義「インディグネイト・ジャッジメント」。

 初撃の深術が避けられても二撃目の剣が落ち、二撃目が破られても再集束による三撃目で止めを刺す。

 相手に何度破られようと止まらない不屈の雷剣――切り札を征する切り札とも言うべき技だったが、その分武器への負担は大きい。

 或いはフレットの攻撃の前では、最後まで発動せず砕け散ってもおかしく無かった。

 海上都市でエッジが兄に敗れて捕まった時失った剣の代わりに、リョウカが買ってくれたやや細身の長剣。

 何処にでも売られている、ごくありふれた武器。

(短い付き合いになっちゃったけど、この剣には沢山の事を教わった気がする)

 最後まで戦ってくれた武器に感謝しながらそれを鞘に納め、エッジは残ったもう一振りの剣に手を置いた。

 禁忌の剣――『アエス・ディ・エウルバ』。

 決して使ってはならないという警告を持ったその剣を使いこなせていない事を、彼はフレットとの戦いでも痛感していた。

(それでも、もうこの武器しか無いんだ)

 フレットとの戦いで感じた無力さを胸に刻みながら、エッジは顔を上げる。

 

 小屋から出てきたクロウは仲間達に歓迎されながら誰と交戦したのかを報告し、それから少し離れた所に一人で居たエッジに気付いて近付く。

「毎度の事で言うのもあれだけど無事に治ったんだね、エッジ」

「クロウも。……どうしたんだ?そのフード」

「ああ、えっとこれは、まだ少し肌寒く感じるってだけだから気にしないで」

 それぞれに一騎討ちを切り抜けた二人は互いの無事を喜ぶ。

 他の仲間達同様、クロウの戦いの跡を見ただけで何があったのか知らないエッジはクロウに尋ねた。

「かなり激しい戦いだったみたいだけど、やっぱり相手はスプラウツだったのか?」

 クロウは頷きながらもすぐには答えなかった。

「エッジ、私……」

 そこで彼女は何かを漏らしそうになりながらも、言うべき言葉はそれではないと思い直した様子で言葉を飲み込んだ。

「勝ったよ、ネイディールに」

 そう言いながら笑みを口元に浮かべて見せた彼女が手を強く握り締めているのを見て、エッジは追及せずに微笑み返した。

「そっか、クロウが無事で良かった」

 

 ―――――――――――

 

 一行は『ジード』の待つファタルシス諸島に向けて慎重に南下を続けていた。

 クロウがまだ本調子では無く、空中で術が不安定になるリスクからラーヴァンに乗っての飛行は止める、という結論が仲間達の中では出ていた。

 が、当の彼女は「この先で待ち受けているバルロは絶対に正面から正々堂々戦いを挑んでくる様な事はしない」と、一人離れてラーヴァンによる周囲の警戒を続けていた。

 そうして一人休まず術を使い続けるクロウに、リョウカがいきなり宵の地衣をかぶせる。

「ほら、体調が悪いなら身体冷やしちゃダメよ」

「ちょっと――」

 身体の変化を隠そうとしていたクロウは突然の事に慌てて抗議しようとした。

 が、リョウカはクロウにしか聞こえない様に耳打ちする。

「押さえもせずにフード被ってるだけだと、強風でバレるわよ。隠したいんでしょ」

 予想外の言葉に戸惑いながら、クロウも小声で返した。

「気付いてたの?」

「ええ、倒れてたあなたを運んだのは私だから。他の皆は気付いていない筈よ」

 クロウは疑わしそうにでリョウカを見つめる。

「へえ、よく誰にも見られなかったわね」

「ええ、見られそうになったら『貴女を着替えさせてるとこだから服着て無い』って言ったら結構皆あっさり離れてくれたわよ」

「は――ぁ!?」

 思わず裏返った声を出した彼女を、リョウカは面白がる様に観察する。

 玩具にされている事に気付いたクロウは顔を赤くしながら、話を戻した。

「で?本当に黙っててくれるんでしょうね、この目の事とか」

「一応信頼して貰って良いわよ、私も貴女と同意見だから。正面からの戦闘ならともかく、多人数に不意打ちなんてされたら一溜りもない。他の皆――ああ、ラークは違うわね。ともかく皆は反対するでしょうけど今の私達にはどうしても貴女の索敵能力が必要なのよ。だから体調の事は黙ってるわ」

 但しと、リョウカは厳しい表情で付け加える。

「力を借りるのは敵を見付けるまでよ、戦闘は私達に任せて貴女は下がっていなさい」

「なっ、一人で見てろっていうの?私も戦うわよ」

 しかし、クロウに詰め寄られてもリョウカは首を縦には振らなかった。

「いいえ駄目よ、今回の事でよく分かった。貴女の力は無尽蔵に見えるけど決して無限じゃない。ここで限界を迎えられたら困るの」

 クロウは納得がいかない顔を見せたが、しかし「嫌だ」と言えばリョウカはあっさり手の平を返して裏切りかねないのを知っていたので黙っていた。

 リョウカはそんな彼女を見て満足そうに微笑む。

 

「エッジ、大丈夫か?」

 リョウカとクロウが会話していたのと同じ頃。

 横を歩いていたクリフに話し掛けられたエッジは、はっと顔を上げる。

「ああ……いつもリアとクリフには世話になってばっかりだな。もう動けるよ」

 申し訳なさそうに言うエッジに対して、クリフは手を横に振って笑う。

「違う違う、体調の事じゃねえよ。何か思いつめた顔してたから」

 え、とエッジは思わず戸惑った声をあげる。

 それを見たクリフは少し真面目な声で元気づける様に言った。

「俺達の戦う目的は皆違うかもしれないけどよ、お前は一人で戦わなきゃいけない訳じゃねえんだ。あんまり一人で多くを背負いすぎるなよ」

 そこでようやく、エッジはどれだけ仲間達に心配をかけてしまったか気付く。

「……ありがとう」

「おう、今回は手出さなかったけど次からはもう少し頼ってくれて良いんだぜ」

 クリフは、エッジがフレットを殺した事には触れなかった。

 エッジも今問われれば答えられる自信がなく自分からは話題に出さない。

 けれど、ただそうしてクリフが気にかけてくれた事が一番エッジには嬉しかった。

 

 と、不意にラーヴァンと感覚を共有していたクロウが顔を上げ宵の地衣をリョウカに返す。

「ルオン」

 低い声で彼女は共に育った少年の名前を呼び、ルオンも無言でそれに応えて弓に矢を番える。

「十時……いや、十一時の方向に五人、二時の方向に四人深術士(セキュアラー)

「距離は?」

「大体250」

 位置を聞いてルオンは耐冷弓『フレキシブルスナイプ』に冷気を集めて狙撃状態に切り替え、尋ねる。

「それだと仕留められないけど良いの?」

「うん、属性技で右の陣形だけ崩してくれれば良い。私が先に深術を撃つと気付かれる」

 ルオンが頷いたのを見て、クロウが後続の仲間達に告げる。

「みんな、この先でスプラウツが散開して待ち受けてるから、私とルオンで先制して正面方向に敵を追い込む」

 全員がそれを聞いて武器を構えた。

「待ちなさい、クロウ。あなた身体が――」

 手渡された宵の地衣を纏いながらもリョウカが彼女を制止するが、その声はルオンが放った矢の音にかき消された。

氷屑の破者(ブレイクシュート)

 一行の右前方へ青い一筋の矢が走り、それを追って冷気と衝撃波がガリガリと木々の間と地面を削る大きな音を立てる。

 そこへ人間が慌ててそれを避けようと逃げる物音と、矢が直撃した樹が倒れる音が続いた。

 左側の敵も動き出し、茂みの陰から詠唱と共に炎弾が一行を狙う。

「く……行け!ラーヴァン!」

 クロウはそれを意に介さず長時間の索敵のせいか、やや荒い呼吸で右手を振り下ろした。

 上空を旋回していた巨鳥が視界外からその翼を鎌の様に変化させて急降下する。

扇氷閃(せんひょうせん)

 同時に、ルオンが三本の矢をクロウの正面に落とした。

 氷柱が仲間達の身代わりをして敵の深術を止め、ラーヴァンが敵の隠れていた茂みを刈り取る。

 隠れていたスプラウツの子供達はクロウに追い立てられて一方向へと逃げていく。

「逃がすか……っ」

 仲間達もその後を追って行くがいち早く先頭を走っていたクロウが、目眩を感じた様にふらつく。

 そこへ籠もった小さな爆発音が響き、銃が放たれる。

「クロウ!」

 咄嗟に割って入ったルオンが彼女を庇って矢を放つも、その特殊な武器の攻撃は彼の効き腕である右腕を捉えた。

 ルオンは痛みに顔をしかめながらも、待ち受けていた発砲者である少年の方へと弓を向ける。

 深素銃『始』――それを持つ少年、『流連』のレパートへ。

「クロウ、ルオン……お前らさえ居なけりゃ!」

「く……!」

 レパートの深素銃の銃口と、ルオンの耐冷弓の矢が正面から向き合う。

「シャイニングレイザー!」

氷屑の破者(ブレイクシュート)!」

 二丁の銃を交差させて放たれた光の矢と、冷気を纏って激しく回転する氷の矢。

 それぞれの放った技は中間で互いを削り合い、軌道が僅かに逸れた。

 氷の矢はレパートの左腕を掠め、ルオンは左肩に直撃を受け弓を取り落として倒れこむ。

 それに続いて、突然ラーヴァンが悲鳴の様な声を上げると空気に溶ける様に消え、クロウも彼の後を追う様に倒れた。

「ルオン!クロウ……!?」

「しっかりして下さい!」

 エッジとアキが二人に駆け寄り、そこで倒れてフードが外れたクロウの髪の色が真っ黒になっている事に気付く。

 傷でうずくまっているルオンと異なり、クロウは目を見開いたまま意識を失っている様子で、色を失いかけて黒く擦れた瞳は宙を見つめていた。

「クロウも限界が来たか、力が使えないならどの道用済みだったな」

 意識が無い彼女に対して冷たい言葉を投げながら、子供達を従えた『厳岩』のバルロも姿を現す。

 その言葉にエッジとアキが激昂する。

「お前……!」

「バルロ、貴方は、どこまでクロウさんを道具扱いすれば気が済むんですか!」

 老人は鼻を鳴らし、見下す様にアキを見た。

「お前とて初めは同じ様にクロウに接していた筈だ、あの方の言う事も聞けぬ愚かな娘が」

「愚かだった事は否定しません、けれどそれは自分で考えずただ父に――ジェイン・リュウゲンに従っていたその盲従こそがです」

「では、今度は自分の責任で死ぬが良い」

 主を否定されたバルロは子供達に指示を出し、十数人の子供達が放った初級深術がエッジ達に降り注ぐ。

 倒れたルオンとクロウを助け起こそうとしていた二人は即座に反応することが出来なかった。

「――そんな言い方あるかよ、子供が生きる場所作んのが大人だろうが」

 奥義「錬毅身」の青い輝きを四肢に纏ったクリフが、彼らを守る様に割って入る。

 炎弾、氷牙、水刃、光波の尽くを叩き落とした手首を振りながら彼はエッジ達に言った。

「エッジ、ここは俺達に任せて下がれ」

「クリフ……」

 逃げる事を躊躇うエッジをクリフは振り返り、軽く微笑む。

「守ってやれクロウを、それはきっとお前にしか出来ない事だ」

「トウカ、貴女も二人を連れて下がりなさい。詠技(えいぎ)――氷河(ひょうが)

 第二波の深術を放とうとする敵の詠唱を、今度は押し寄せる氷の波が阻む。

「初級深術は詠唱が短いとはいえ、やっぱり深術ね。どうやら宵の地衣の補助がある私の方が早いみたい」

 立て続けに子供達の術を防がれ、バルロは怒りも露に割り込んで来たリョウカとクリフを睨む。

「目障りな」

「生憎と私は最初からジェイン家の敵だから、目障りなのは今更じゃない?」

 向けられた殺意をリョウカは皮肉で返した。

「みんな……ありがとう、頼む!」

 エッジとアキが倒れた二人を連れて下がり、入れ替わる形でリアトリスとラークが前に出る。

 クリフ、リョウカ、ラーク、リアトリスの四人は十六人の敵と向かい合う。

「殺せ……あの方の遺志を邪魔する者全て、お前達の命を賭して!」

「何が命だ、子供を生き延びさせる選択も背負えない大人が偉そうにすんじゃねぇ!」

 バルロが吠え、一斉に詠唱を開始した敵の集団の中へクリフが先陣を切って飛び込んだ。


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