TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
「何で?私信じてたのに……私達家族だったじゃない。ねえ、クロウ……!」
「くっ、
自分の周囲全てを覆い尽くす「ホーリーランス」に、クロウは束ねた黒い槍で大穴を空けて脱出口を作り、跳んだ。
直後、彼女が直前まで立っていた場所は剣山の様に光槍で串刺しにされる。
辛うじて逃れたクロウの前で、それを放った黒髪の少女の姿は急速に森の景色に同化してぼやけていく。
ラーヴァンを実体化させずに力を使った為にクロウの瞳は真っ黒だった。
(出血が酷い、深く斬られた……)
瞳の色が元の紫に戻る中でクロウは右腕を押さえて、ハクがどっちへ動いたのかを考える。
しかし、日が傾き落ち始めた森の中は暗く、加えて大岩や木々、丈の高い草といった遮蔽物が彼女の視界を遮っていた。
クロウが考えをまとめられない内に、今度は風を切る音だけが聞こえ彼女は仕方なく再び無詠唱で全周囲に防壁を張って守勢に回る。
防御が不得手な彼女の障壁は長時間維持できるようなものではない。
どの角度から攻撃が来るかと神経を研ぎ澄ましていた彼女は、衝撃が正面から響いてきて黒く染まった目を丸くした。
先程と異なり、今度の槍は全く『見えなかった』。
クロウの振るう「ディストーションランス」が速過ぎて目で捉えきれないのに対し、ハクの「ホーリーランス」は幻影によってその姿を森の景色に同化させる事で見えなくなっていた。
(また正面から攻撃が飛んで来たって事は、ハクは姿を消しただけで動いていない――か、そう見せかける為にわざと正面から撃ってきたか)
クロウが動いたとき時折枝や枯葉が音を立てているのと同じ様に、ハクも慎重に動かなければ大きな音を立てる筈だった。
それに加えてハクが姿を消して間もない事から、クロウは冷静に敵の位置を考える。
(発射方向のフェイクで位置を偽装する必要があるなら、向こうはまだそんなにさっきの場所から動けて無い。直線状を全部攻撃出来れば、あとは右か、左かだけ……だったら!)
三度、クロウの瞳の色が変わる。
彼女は右の大岩と、左の樹の陰の両方に狙いを定めた。
「両方同時に薙ぎ払う――サーペンツヴァイト!」
クロウは少し低い密度の黒い粒子でしなやかさを持つ鞭の様な物を複数形成すると、それを二箇所に向けて振るった。
蛇のようにうねるそれはランス系統の術より貫通力では劣る代わりに、軌道上の岩も大木も薙ぎ倒し一気に視界を開く。
「きゃ!?」
それは周囲の景色を映していた幻影をも突き破って、ハクの姿を露にする。
飛んできた枝に足を取られた彼女は慌てて投影杖『アサギリ』で再び姿を消そうとしながら、クロウを睨んだ。
視線が合ったクロウは、自分をかつて姉と慕っていた少女に呼びかける。
「これ以上深術を使わないで。ハクのそれは人を殺す力だよ、そんなもの使い続けたら戻れなくなる!」
その言葉にハクは泣きながら笑った。
「もう戻れないよ、私もクロウも同じ人殺しだもん……行く場所も、帰る場所も私達にはもう何処にも無いんだよ」
「そんな事ない。まだこうして命を大切だと思える心が残ってる限り、やり直せないなんて事無い」
木々をなぎ払った深術でそのままハクを拘束し戦闘を終わらせようとするクロウに対して、ハクはその姿を自身の母親のものに変えて見せた。
「!」
自身が手にかけた女性の姿を見せられ、クロウは一瞬躊躇う。
しかし、それはほんの僅かな時間であり彼女はすぐさま立ち直って、その女性の姿を拘束した。
否、しようとした。
(しまった、手を止めさせる為じゃなくこっちが本当の狙い……!)
いつの間にか中身の無い抜け殻になっていた光の像は、クロウの術をすり抜けて消える。
その隙にハクは今度こそ姿を消し、クロウは彼女を完全に見失った。
「く、――ディープミスト!」
焦ったクロウは周囲一体に黒い霧を発生させ、闇属性のディープスとラーヴァンの力を介しての感覚共有で彼女の姿を探し出そうとする。
しかし、周囲の状況を探った彼女はすぐに異変に気付いた。
(また、これ……前戦った時と同じ、周り全部を膜みたいなもので遮断されててそれより先が分からない)
幻影を映し出すためにハクが展開した「スクリーン」はクロウの周りの広範囲を覆っており、攻撃能力の無いディープミストではどうにも出来なかった。
そこへ、どこからかハクの声が響く。
「そんな霧で隠れても逃がさないよ」
数本の糸のような白い光が黒い霧の中を走り、クロウがその意図に気付いた時にはもう手遅れで彼女の身体に糸が触れる。術で接触を防ぐ事も考えたものの、相手の目的が位置の特定である以上直前で防いでも意味は無かった。
クロウは相手の視界を奪った事で互いの状況を五分に持ち込んだつもりだったが、姿を隠しながら戦う事に関してはハクの方が一枚上手だった。
左から攻撃が来るのを感知して、クロウも咄嗟に腕を振って反撃する。
「
「ブラッディランス!」
中空で黒と白の槍が交差した。
二本の槍に切り裂かれて、濃い霧に丸い穴が空く。
クロウは頭部を逸らす事で白い光を躱し、僅かに遅れて動いた髪が数本焼かれて落ちた。
一方で彼女が放った槍はスクリーンに一箇所小さな穴を空けたものの、そこにハクの姿は無い。
森の景色の一部が欠け、その向こうに同じ森が存在するという奇妙な光景が生まれる。
しかし、それは気付いたらしきハクの手によってすぐさま修正された。
偽りの森の景色が再びクロウを包む。
(やっぱり駄目だ、こんな手加減が通用する相手じゃない)
クロウはつい「ブラッディランス」の方を使っていた自分の甘さを悔いながら、改めて自分を囲むように術の基点を配置して全方位に高威力の槍を放って一気に幻影を破ろうとする。
彼女の周囲の空間が歪む。
(これで、景色の幻影を全部破壊する。そうすればハクの位置が分かる……それで、終わる)
しかし、もし槍が直撃するコースに彼女が立っていたら――そう考えたクロウの手が止まった。
幻影に閉じ込められたクロウに外の状態を知る術は無く、どうしても攻撃系の深術を使う必要があった。
かといって「マーシレススパート」や「ブラッディハウリング」の様な範囲攻撃なら、より高い確率でハクを直撃してしまう。
やるしか無いと覚悟を決めて「ディストーションランス」を放とうとしたクロウに、背後から突然呼びかける声がした。
「クロウ……」
戦意の無いやさしいハクの声音に反射的に振り返ってしまった彼女は、目の前に立っていたエッジの姿に目を丸くする。
まるで人を殺そうとした事を見抜かれている様な彼の瞳を見て、クロウは一瞬完全に動きを止めてしまった。
エッジがこの場にいる筈が無い事。
先に呼びかけてきた声はあくまでハクのもので、こんなものは罠でしかない事に彼女が気付いた時には手遅れだった。
ザン、という鈍い音が響いて、白い光の槍にクロウは足を後ろから撃ち抜かれる。
「っ……ぁああああ!」
立っていられなくなってうずくまりながらクロウは悲鳴をあげた。
動けなくなった所を見計らうように、更に真上から時間差で三つ光の槍が落ちてくる。
痛みで頭が白くなりかけながらも、クロウはそれを詠唱破棄した黒い槍で破砕した。
ここまで防がれて痺れを切らしたのか、それとも初めから消耗させる目的で攻撃してきていたのか。そこで彼女の周囲の景色は一変した。
クロウの視界全てを最初に見たのと同じ白い槍が埋め尽くす。
百を優に越える数のそれは正確に彼女を狙っていた。
当然、それは普通の術士がこの短時間で詠唱できる術ではない。
大半は見かけだけの幻であるはずだった。
しかし、その中に混ざる本物が例え一本であってもクロウにそれを見分ける術は無く、その一本で身動きのとれない彼女は死ぬ。
「こ、のっ!」
降り注ぐ数百の幻影の光槍に対し、クロウはそれら全てを叩き落す事で対抗した。
幻も、本物も、区別無く、彼女は数百の黒槍で一本残らず正面からハクの術を破る。
とても「ハクがもし物陰に隠れていなかったら」等と考える余裕はなかった。
大半の術がただ幻をすり抜けた事で驚く程静かにクロウの術は包囲を突破し、森の木々の枝を落し、表面を削り、突き刺さる事で初めて大きな音を立てた。
「っ!?――はあっ……はあっ」
と、そこでクロウはがくりと完全にその場にへたり込んだ。
彼女の瞳が意思とは無関係に黒と紫に明滅する。
ラーヴァンを実体化させない負担が大きい状態で、今まで使った事が無い程連続で宝珠の力の使用を強いられた彼女の身体は限界に達していた。
クロウの中の
回避も術の使用も出来なくなったクロウの眼に、再び白い槍の雨が映る。
ハクの深術の幻影は詠唱が無い。
それは使用するのに集めるディープスが、実体のある攻撃系の術より遥かに少ない事を示している。
この短い時間の戦闘で、二人の消耗の差は大きかった。
自身へ落下し始める槍を見て、クロウはチリアが裁縫に使っていた針山を連想した。
生死の淵にあって、浮かぶのは逆にそういった日常の光景だった。
(私の負け、当然か。始めから相手を殺す気も無い私が勝てる訳無かった)
選択肢が尽きた彼女は諦めながら、どこかこの結果を当たり前に受け止めていた。
(でも、これで良かったんだ。きっと、仇を討てばハクも元に戻れる。みんなも多分襲われない)
自分がかつて両親を奪った少女に殺されるのなら、これも報いなのだろうとクロウは思う。
(アキ、ちゃんとシチュー出来たかな)
途中で任せてしまった料理の事を思い出して、彼女ならきっと律儀にやってくれただろうとクロウは結論付ける。
残してきた仲間に思いを馳せると、彼女の頬は少しだけ緩んだ。
(エッジは怒るかな、アキやリアは泣くかも……でも、きっとみんなならちゃんと乗り越えられる。私が居なくても先に進める、そして――)
――そして、自分を欠いたまま『ジード』に挑んで全員死ぬ。
その予感が、諦めきっていたクロウの心を呼び覚ました。
(ああ、駄目だ……私はあいつらの仲間だから)
自分は自分だけではない、みんなの命も一緒に背負っているのだとクロウは初めて気付く。
例えその選択がハクを倒す結果になるとしても、彼女はもう自分の命を投げ出すことは出来なかった。
「死ねない――私はまだ、こんなところで死ぬ訳にはいかない!」
抑え込んでいたラーヴァンの意思を解放し、彼女は自分の意識を手放した。
『ジード』と対峙した時と同じ状態、『
彼女の瞳の奥で眠っていた黒い獣の意思が表面化する。
クロウの闇の宝珠の欠片が手術で埋め込まれた防壁を破り、脈打つ様にその領域を広げて彼女の身体を蝕む。
彼女が詠唱を破棄して術を使っていた様に大気中のディープスが形をとってクロウの身体に翼を与え、その翼は勢いよく加速をつけて彼女を光の槍の雨へと突っ込ませた。
自身の身体を基点とし深術を放射する事で爆発的な加速を得ながら、光の槍の雨が静止していると錯覚する様な速度でクロウは飛んでいく。
掠っただけで致命傷になる様なスピードでクロウは最初の槍とすれ違った。
当然の様にそれは次に飛んでくる槍にその身を投げ出す様な形になる。
が、彼女はそんな事を意に介する様子もなくその速度のままで、翼を畳んで身を翻した。
腕と腰の僅かな隙間を光の槍が通過する。
人間の反射では不可能な反応速度と、術の構成速度。
その二つが、敵に触れる事すら許さない程の圧倒的な運動能力を彼女に与えていた。
ハクは自身の術が発動して地に刺さるまでの短い時間に空中を走りぬけた黒い閃光を目で追う事が出来ず、クロウの姿が何処にも無い事に混乱する。
「何?……今何が――!?」
ハクが次の行動に移る間もなく、彼女が何重にも張り巡らせていた幻影のスクリーンが弾け飛ぶ。
光槍の包囲を突破して上空へ出るのと同時に、クロウは周囲の空気が歪む程の勢いでディープスを集束して黒い槍の雨を降らせていた。
樹に掠っただけでそれを粉々に「砕いて」しまう程の冷気を帯びた、視認不能な速度の槍。
嵐が直撃してもこれ程にはならないであろう暴風がそのエリアの木々だけを襲い、防御能力を持たない光の集合でしか無いハクの幻影はそんな暴力的な力を前に跡形も無くなっていた。
経験的に自身の身が無防備に晒されることに危機感を覚えたハクは咄嗟に自分と同じ姿の幻影を離れた位置に作り出し、砂塵が治まる前に自分の周囲だけを投影杖「アサギリ」による景色のコピーだけで覆った。
ハクは幻影を即座に作り出す事は出来たが攻撃系の術には全て詠唱が必要であり、獣の如き速度で無造作に深術の力を振るう今のクロウを相手に詠唱する暇はとても無かった。
(どうすれば良いの、こんなの相手に出来る訳無い)
焦るハクは上空から急降下してくる影を目にして、それが稚拙な幻影で隠れた自分に目も暮れず直接「囮」の方へ向かっている事に気付いた。
ハクは、口元に凄絶な笑みを浮かべて詠唱待機状態で設置していた残る光槍のストックを全てその囮に向ける。
どれほど速度差があっても、目標とする地点さえ分かってしまえば彼女にも対抗手段があった。
(終わりだよ……クロウ!)
クロウがその手に形成した鉤爪で幻影のハクを捉える瞬間に重ねて、ハクはその背後からホーリーランスを放つ。
光が散って、ハクは何が起きたのか理解する間もなく膝をついた。
「え……?」
ぽたり、という水音に気付いて彼女は視線を下げ自分の胸に突き刺さって消えていく光の槍の残骸を見つめた。
真紅に染まった純白の刃が空気に溶けた事で、血液は音を立てて彼女の足元へと流れていく。
「何で……何であなたの方が早いのよ!」
どんな術でも目標を認識し、術に必要な量のディープスを集め、術の形を第一元素ハイエスで構成するプロセスを経ており、例え唱える時間を無くしても発動時間をゼロには出来ない。
それはハクが既に発動していた術が到達するまでの一秒にも満たない時間よりも、後から気付いたクロウが「それら全てを行い、術を発動させる速度」の方が早いという事に他ならなかった。
もうとても人間とは呼べないその動きに、ハクは憎しみの目を向ける。
「許さない……許さない、私の何もかもを奪ったケダモノ」
コレクトバーストの虹色の光がハクの身体に吸い込まれた。
その流れを彼女は術の為に大気中に留める事もせず、どこまでも自身の身体の中へとディープスを溜め込み続ける。
「許さないゆるさない、ゆるさないゆるさない!」
集中する為の自己暗示であり、術に託す思いでもある詠唱を、彼女は言葉の意味も失いながら憎しみの呪詛で埋め尽くした。
幻影によるミスリードも行わない無防備なハクの姿を見つけて、ラーヴァンが意識を乗っ取ったクロウは真っ直ぐに彼女に襲いかかる。
ハクの身体が白く輝き始めた。
彼女が何をしようとしているのか悟って、ラーヴァンの中に微かに残るクロウの意思は必死に抵抗した。
(――!!)
クロウは彼女を止めようとして叫んだ、襲いかかる自分の身体を止めようともがいた。
しかし、ハクはクロウを殺す為に術の詠唱を続け、クロウの体は黒い雷の様に一直線に鉤爪で彼女の身体を刺し貫いた。
がくりと折れたハクの頭から、最後の一節が漏れる。
「――
(ハク……)
彼女の身体全てを媒体とした爆発が、天へと高く白い光の柱を登らせた。
二人の激戦で荒れ果てた森のエリアが瞬く間に焼失する。
その中心に居たクロウは、最大出力の深術による加速でそこから逃れようとしていた。
急激な方向転換から肉体を保護する為に深術障壁も並行して展開しているものの、ハクの最期の深術はまるで彼女の憎しみそのものであるかの様に宝珠の力であるそれを容易く溶かす。
文字通り目と鼻の先に白熱する炎を感じながら、クロウは飛び続けた。
彼女の視界の景色全てが意味をなさない線になる中で、常に同じ位置についてくる炎の壁は世界そのものを吸い込んでいる様に見える。
森が無くなり地形が変化する程に拡大した所で白い光の柱は終息し、辛うじて逃れたクロウはどさりと何かを落としたのを感じながら尚もそのまま慣性で少しの間飛び続けた。
彼女の口の中に砂の味が広がる。
(あ、れ……?)
違和感を覚えたクロウは後ろを振り返り、寒気を感じる。
先程落とした「何か」は彼女自身の身体だった。
クロウの身体は浅い呼吸を繰り返したまま死んだような目でうつ伏せに倒れ、全く動かなくなっていた。
(体が――動かない)
一度意識すればはっきりと、クロウは自分が地面に伏せって口が地面に触れているのを同時に感じた。
自分が立ち上がれない様を、彼女は宙から闇のディープスを通して見せられる。
口の中の砂が不快で彼女は吐き出そうとするが、身体は人形の様にピクリとも動かなかった。
手を着こうとしても腕は動かず、膝を立てようにも脚には全く力が入らない。
そうしている間にも、危機が去った事でクロウと分離したラーヴァンは大気に還って消え始めた。
自分自身がバラバラになっていく恐怖の中でしかしクロウはどうする事も出来ず、闇のディープスが完全に宙に消えた所で彼女は完全に意識を失った。