TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第八十五話 真っ直ぐな想い

「が――ァ、は……は」

 フレットは悔しさと痛みと怒りに顔を歪め、歯を食いしばる。

 胸に受けた攻撃は間違いなく致命傷であり、既に彼は言葉を発する事も出来なかった。

 しかし、その痛みの中でフレットは尚も笑いを漏らす。

(ああ、そうか……俺はこいつに勝てた事に一瞬満足しちまったのか……なのにこいつは諦めなかった、あの状況でも俺を倒すことしか考えて無かった――は、そりゃ勝てる訳無かったな)

 エッジと自分との差を感じて、フレットはどこか肩の荷が下りた様に感じる。

 ただ、彼にも少しだけ心残りがあった。

(もう反撃できねえのか、身体が動かねえ。もっとこいつと、戦いたかったのに――あぁ、うるせえな。今良いとこなんだから邪魔すんじゃねえよ、セル――)

 握力の抜けたフレットの手から、力を使い果たして粉々になった赤い鉱石がこぼれ落ちた。

 

 

 

 戦いが終わって、倒れたまま動けなくなったエッジに仲間達が駆け寄る。

 うつ伏せに倒れた彼の身体の前面は腰から肩にかけてざっくりと斬られており、下手に動かせる様な状態ではなかった。

「大丈夫か、エッジ!?待ってろ、すぐに止血する」

「私は腹部の傷から治療します、それが終わったらエッジの向きを変えて正面からもう一度見ましょう」

 すぐにクリフが気の力の簡単な応急処置で出血を抑え、リアトリスが治癒術で一番危険な傷から治していく。

 治療を受けながら、エッジは力が抜けた様に笑って報告した。

「……勝ったよ」

「こんなボロボロになってまで、一人で戦う必要なかったでしょうが!」

 クロウがエッジの頭の方から近付いて傍らに座り、涙を浮かべながら怒った。

 とりあえず出血多量になる心配が無くなったエッジは、ゆっくりと辺りに倒れた人々の死体を見回す。

 改めて数えるとそれは実に二十にも及び、「暇潰し」と称するにはあまりに凄惨で如何にフレットが執拗に殺し回ったかを如実に示していた。

「フレットはもう止まれなかったんだよ……きっと、自分自身が死ぬまで意味も無く戦い続けたと思う、だからその役割をクロウや他の誰かに押し付けたくなかった」

 そう口にするエッジの目はどこか虚ろで、口にする言葉はまるで独り言の様だった。

 クロウはその変化の理由に気付いて明確に涙を溢れさせる。

 エッジはうわ言の様な口調のまま続けた。

「フレットは……俺が相手でちゃんと納得してくれたかな」

「馬鹿、こんな時まで、他人の為に笑おうとしないでよ。そんな事続けてたら、本当に笑い方が分からなくなるわよ」

 曖昧に笑おうとする彼の額を抱く様にして、クロウは屈む。

「私はあんたには……人を殺してなんて欲しくなかった」

 絞り出す様に言って、人を殺した直後にさえ涙を流せないエッジの代わりをする様に彼女は泣いた。

 

 ―――――――――――

 

 シリアン山門を抜けた一行は、街道の途中にある無人小屋で休息をとっていた。

 このカースメリア大陸南方の地域は田舎である事もあり、町と町の間隔が広い為街道沿いにはいくつかこういった宿泊出来る施設が設置されている。

 中は火を起こせる様に四角く区切られた「イロリ」と呼称されるシントリア由来の炉がある他は、旅人が置いていったらしい毛布が数枚あるだけだった。基本的には布団等を持ち込む事が前提とされている為用意されている物は少ない。

 こういった場所は見ず知らずの人間同士が顔を合わせる可能性も高い為本来なら避ける所なのだが、エッジはラーヴァンに乗せて運ぶのも危険な状態だったので一行は止むを得ずここを使用していた。

 山門の惨状を考えればそれ程おかしな事でもなかったものの幸いにして先客はおらず、期せずしてフレットの「通り易くしてやった」という言葉は現実のものとなっていた。

「きゃ、ちょ、この毛布!ボロボロだし虫くっついてるわよ!?」

 小屋の中に置いてあった毛布を手にしたリョウカが悲鳴を上げて、ばさばさとそれを振り回した。

 しばらく使われていなかったらしいそれからは派手に埃が舞い上がる。

「ちょっ、捨てられていった物だから当然です!ホコリを撒き散らさないで下さい、姉さん!」

 アキが怒って止めに入るがパニックを起こしたリョウカは、なかなか毛布を手放さない。

 そこへ用事があって近づいて来たクロウも顔を出し、暴れるリョウカに一歩引く。

「ちょっとアキ頼みがあるんだけど――って、何してんのよ。ここ傍で料理とかもするんだから止めてよ!」

「だって、虫!虫が!」

 すっかり気が動転しているリョウカに、クロウは呆れた顔をする。

「……虫ぐらい隙間あるんだから何処にでも入ってくるでしょうが、これだからお嬢様は――セヴァードフェイト!」

 ぐるぐると回るリョウカの手から毛布を奪い取ってクロウは懐から取り出したダガーを虫目がけて投げつけ、毛布は勢いよく衝撃波を伴って床に縫いつけられた。

「ほら死んだわよ。それよりアキ、手伝って欲しいんだけど大丈夫?」

「あ、はい。私でよければ」

 残されたリョウカは、よく見れば初めから死体だったらしき虫がバラバラになったのを見て悲鳴を上げた。

「嫌ーーーーー!」

 

 四角く灰を敷き詰めた炉の側にアキを誘ったクロウは、野菜が入った荷物をがそごそと探り出す。

「何をするんですか?今日の食事当番はクリフさんだったのでは」

「みんな外の見張りとか、薪拾いとか弔いとかで出て行っちゃったでしょ?だから、少しでも早く食事の準備しとこうと思って……ニンジンと、ジャガイモもまだあるわね。何のか分からないけど干し肉もあるし、シチュー位なら出来るかな」

 物色しながら材料を麻袋から取りだして、ふと彼女は手を止めた。

「ねえ、エッジと三人で初めて戦った時の事覚えてる?ルオンを相手に」

「え?はい」

 唐突な問いにやや戸惑いながらアキは頷く。

「私と会ってからエッジはいつも傷だらけだから、何か一つくらい私と会えて良かった事も作りたいんだよ。……ただ、ほらもう今更隠す事でも無いから正直に言うけど、私料理あんまり上手くないでしょ、だからその手伝って貰ったら少しはマシかな、って」

 若干恥ずかしそうにしながらもクロウは正直にアキに理由を話す。

 アキもそれを聞いて嬉しそうな顔をした。

「そういう事なら。ただ知っていると思いますけど、私もあんまり上手じゃないですよ」

「というか、男連中もみんな上手すぎるのよ!旅慣れてるだか知らないけどそんな理由でクリフが一番、ラークが二番だったら私が三番でもおかしくない筈だし、リアもサーカスは共同生活だったとかで普通に上手だし……出来ないのなんて、リョウカ位」

 落ち込んだクロウのつぶやきが聞こえたらしく、小屋の隅で蹲っていたリョウカが反応する。

「ちょっと、聞こえてるわよ!というか私はこんな材料がちゃんと揃わない環境じゃなければ普通に貴女より何倍も――」

「だから、気にしないで頑張ろう」

「聞きなさいよー!」

 アキも少し元気を出した様子で微笑む。

「そうですね、この間料理されていたルオンさんもお上手でしたし、一番下手な二人なりに頑張りましょう!」

 同じ様な環境で、しかも年下のルオンが自分より腕が良いという事実。

 最も気にしていた事を指摘されて、クロウはその場に膝から崩れ落ちた。

 

 

 二人は具材の下ごしらえを終えて、薪が来たらすぐに調理を始められる用意を整えた。

 自身が切った特に不揃いな食材を見て、クロウは苦笑いする。

「本当に戦う以外は何にも出来ない自分が嫌になるよ。いや――いっそラーヴァンで斬った方が上手くいくかな」

「それは、やめた方が良いと思います」

 最後の方はやや本気で言っていた彼女をアキが止めた。

 二人は鍋に最初に煮る具材を入れる。

「これで、とりあえず出来る事はやったね」

「はい」

 そこでふと、クロウはいつの間にか微かに開いていた小屋の扉に目をやって何かに気付く。

 フレットの残した言葉が彼女の脳裏をかすめた。

 

 「バルロの野郎はこの先だ」

 

 クロウの見ている前で扉はゆっくりと閉まる。

「ごめん、何か扉のたて付けが悪いみたいだから見てくる。悪いけど居ない間に薪が来たら作り始めて貰ってて良い?」

 何も気付いてないアキに悟らせない様少し明るい声でそう言って、クロウは立ち上がった。

「え?あ、はい分かりました」

 少し戸惑いながらもアキは素直にそれを了承する。

「うん……頼んだわよ」

 そう言い残して彼女は小屋の扉をくぐり、外へ出た。

 

 小屋の外には人影は無かった。

 暮れ始めたオレンジの街道は静かで、行き交う人は見られない。

 昨今のモンスターの凶暴化の影響はこの地方では薄い様子だったが、それでも交通量は減る一方だった。

 小屋の屋根に向かってクロウは呼びかける。

「ルオン、誰もここに近付いてくる人間は居なかった?」

 持ち前の跳躍力で屋根に上がって周囲を見張っていた少年が、呼びかけに応えて顔を出した。

「居なかったよ、最後にリア達が出て行ってから誰も」

「そう」

(ルオンがそう言うなら本当に誰も近付いてきていない、もし近付けた人間が居るとしたら)

 頷いてクロウは改めて辺りを見回し、周辺で唯一ルオンの監視を逃れられる場所――森の中へ歩みを進めた。

 

 ―――――――――――

 

 《トレーヴォン森林》

 

 クロウが木々の中へ足を踏み入れてまもなく、青白い炎の様な光が目の前に現れた。

 それは彼女を導く様に、三歩分程の距離を保って揺らめく。

 無言で、クロウはその後を追った。

(フレットはこの先の道のりにバルロが待ち受けてると言った、だったらクローバーズ全員が動く。それならハクも必ずこの近くに居る筈。ここに居るのがあの子ならいきなり襲いかかって来ないのも説明がつく)

 森に入るまで「先程小屋で感じた人の視線は気のせいだったかもしれない」とクロウは自分の勘に半信半疑だったが、実際に自分を案内しようとする鬼火(ウィルオザウィスプ)を見て彼女の予感は仮定は確信に変わっていた。

(今なら戦いを避けられるかもしれない……でも私が動かなかったらあの子は必ずみんなに襲い掛かってくる)

 晴れていた日の光も森の中までは届かない。

 クロウの足の下で、湿った小枝の折れる感触がした。

 暗い森の中は見通しが悪く、開けた場所にはなかなか出ない。

 木々に視界を遮られる状況が続き、このままで本当に会えるのだろうかと彼女が微かな不安を抱き始めた時。

 大岩を乗り越えたクロウの目の前に、直前まで居なかった黒髪の少女が立っていた。

「やっぱり、クロウなら来てくれるって思ってた」

 いつの間にか鬼火は消えており、森の中は二人だけになっていた。

 痩せた黒髪の少女は無邪気に微笑み、甘える様にクロウの胸の中へ飛び込む。

「ハク……」

 クロウも一瞬複雑な表情を浮かべるも、それを受け入れて小さな少女の頭を優しく撫でた。

 ハクは抱きついたまま顔だけを上げ、嬉しそうに話す。

「ねえ、私スプラウツを抜けたんだよ」

「え?」

 突然言われた事実に、クロウは微かに驚く。

(間違いなくバルロは決戦の時が近いのを理解してる筈。なのにフレットと言いハクと言い、クローバーズの統制がまるで取れて無い……何かあったの?)

 目の前の相手の戸惑いに気付かない様子でハクは話し続ける。

「だからね、クロウがスプラウツが嫌だったらもう戻らなくて良いの。また一緒に暮らそう?」

「それは……」

 クロウは答えを躊躇う。

 決して彼女と一緒に生活するのが嫌だった訳ではなく、今頷けば何かの取り返しが付かなくなるのを感じていた。

 言い淀んだ彼女を見て、ハクの表情が曇る。

「やっぱりあの人達が邪魔するの?クロウの周りに居る深術士(セキュアラー)じゃない人達が」

 そっか、と何度か呟いてハクは今ずっとクロウが歩いてきた道の方を見た。

 その目からは急速に光が失われていく。

「……やっぱり先にあの人達を殺さないとダメなんだ」

 今にもエッジ達を殺しに行こうとする小さな少女の肩を、クロウはしっかりと掴んで引き留めた。

「ハク、止めて!もう人を殺さないで」

「えっ?何で?あ、大丈夫今度はエッジさんは殺さないよ?あの人は優しいもんね、ちゃんと私達深術士の敵だけを殺してくるから」

 クロウの剣幕の理由が分からない様子で一瞬ハクは目を瞬かせた。

 そんな彼女の態度を見て、クロウは首を横に振る。

「違う、違うの……深術士じゃない人でも、どんな人でも簡単に殺しちゃ駄目なんだよ!」

「何で?だってクロウは殺してたよ?私の村の人達は悪い人達だったんだよ、私のお父さんもお母さんもみんな死んだ方が良い人達だったんだよ」

 出会った頃とあまりに変わってしまった少女の言動に、クロウは唇を噛む。

 変わってしまった原因が何なのかクロウは理解していた。

 もっと早くに自身の口から伝えるべきだった言葉を、彼女はゆっくり口にする。

「私は……殺しちゃいけない人達を殺したの。あの時、私があなたの両親を……殺したのは、二人が死んだ方が良い人だったからじゃない。無知だった私が、何の意味もなく私の力の巻き添えにしたの」

 クロウは自分で自分の罪を口に出す。

 言い訳も誤魔化しもせずに伝えなければ、ハクも自分も前に進めないと彼女は悟っていた。

 たとえそれが、どれほどお互いにとって目を背けたい事でも。

 

 ハクはしばし沈黙した。

「何で……?」

 黒髪の少女は震える声で切り出した。

 その声は今にも泣きだしそうだった。

「何でそんな嘘つくの?……深術士じゃない人は皆私達を差別して殺しに来る悪い人なんでしょう?だから、私のお父さんとお母さんも死ななきゃいけなかったんでしょう?全部嘘なんだよね!?」

 ハクは必死で「優しいクロウ」に縋り、同時に受け入れられない現実に口を戦慄かせた。

 クロウは歯を食いしばって、彼女の夢を覚ます。

「嘘じゃ、ない」

 ハクの顔から表情が抜けていった。

 彼女はクロウに抱きついたまま虚ろな表情で目を伏せ、小さな声で言った。

 

「……死んじゃえ」

 自分の頭上から迫る深術の気配にクロウは反射的に跳び退こうとする。

 が、背に回されたハクの腕は、いつの間にか彼女を逃がすまいと捕える様に強い力を込められていた。

 クロウは力ずくで無理矢理振りほどく様にして、ハクの腕から逃れる。

「ッ!?」

 白い光が縦に落ちてきて、クロウの右腕に鋭利な包丁で裂かれたかの様な赤い線が走った。

 殺意に満ちた何の手加減もない攻撃を受け、彼女の背に寒気が走る。

「死んじゃえ、死んじゃえ!クロウなんて大っ嫌い!!」

 『純白』のネイディールだった少女の叫びと共に、クロウの視界は数えきれない光槍の穂先で埋め尽くされた。


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