TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
「大分使いこなせるようになってきたね、これなら一応実戦でも使えるんじゃないかな」
ラークが構えていた剣を納めて、満足そうに言う。
漆黒の翼を初めとした賞金稼ぎの面々の無事を確認した一行はマーミンの街で治療の手配や受け入れてくれる施設を見付けて担送し、治癒術の使えるリアトリスとクロウ達は街の治癒術士と共に治療を手伝っていた。幸いにして『ジード』が口にした様に彼らの怪我は軽いものが多く、決戦が近いと感じていたクリフとラークは手が空いた時間に二人で郊外の森に足を運び以前の修行を続行していた。
「ああ、付き合わせて悪かったな」
「僕にも相手は必要だからね、そのついでで戦力増強が図れるなら構わないよ」
しかしようやく奥義を会得したにも拘らずクリフの表情は浮かない、ラークもそれに気付いていた。
クリフは
「ここまで付き合ってくれた事には感謝してる……ただ、一つだけ決着つけておきてぇ事がある」
ラークも無言で、再び剣を抜いた。
二人の間に張りつめた空気が流れる。
「俺の仲間を殺したお前を、俺はどうしても許せない」
「元々僕と二人きりで修業を始めたのもその為だよね」
クリフは溜息を吐く。
「気付いてやがったのかよ」
「それはまあ、あれだけ僕に対して常に殺気剥き出しだと」
二人は話しながら半歩ずつ後ろに下がってそれぞれの構えを取る。
「で、戦う事は良いのかよ。加減無しの本気だぞ」
「この戦いを避けても君は力を出し切れないだろう?そんな迷いを抱えたままの戦力なら要らない」
そう軽く断じながらも、ラークは一つだけ気になった様でクリフに尋ねる。
単純な興味からの質問の様だった。
「一応言っておくとね僕の側は今の君に敵意は無い、だから君は今必要が無い戦いをしようとしている事になる。どうしてそんな事に命を賭けるんだい?」
「そうだな、価値……で言うならそんな価値は無いのかもな。でもな、そう言う事じゃねえんだ。多分俺に何も返るものが無くたって俺は自分が助けたいと思った奴を助けるし、戦おうと思った相手と戦う」
「感情的だね、でも思い返してみれば前回からずっと君はそうだったか。あの時は迎撃の為に向かって来たんだと思ってたけど」
青い気を纏って疑似詠唱を開始しながらクリフはステップを踏んで右腕の力を軽く抜き、ラークは低い姿勢でダブルブレードを後ろへ引く。
「じゃあ、いくぞ」
「ああ」
その掛け声と共に二人は同時に動いた。
クリフが突進で間合いを詰め、ラークがその動きを真空破斬で牽制する。
飛んで来た斬撃を身を低くする事で躱したクリフは上半身の捻りを利用しての右アッパーから左のストレートを連続で放ち、先の牽制で相手の動きを制限し動きを読んでいたラークは手首を返す動きでくるりと剣の向きを変え立て続けにその拳を払う。
一合目、二合目で防御に回ったラークは半歩下がりクリフの追撃の間合いを外しながらすくい上げる様に斬り上げを放って反撃に転じ、クリフは止むを得ず攻撃を中断し半身を引く事でその斬撃を避ける。
その勢いのまま自然な動きで後ろに下がったラークは前回の戦い同様、飛ぶ斬撃で一方的に攻撃を行おうとする。
「
「『
ラークが技の構えに移行した瞬間、クリフが疑似詠唱を完了させ全身に纏っていた気を足下に集めそこから生まれた爆発的な反発で一気に間合いを詰める。
瞬く間に自身の顎を打ち抜かんと迫ってきた拳を、ラークは咄嗟に振り上げた腕で受け止めた。
「へえ……奥義以外も前回と同じじゃないか」
「ああ、確かにお前と俺の実力差じゃ間合いが離れれば勝負にならねえよ。けどお前だってただ斬り付けるのと同じ速度で斬撃飛ばせる訳じゃねえ。間合いを離してくるタイミングさえこっちが見誤らなければお前もその有利を十全に活かせない」
「なるほど――っ、なら僕も戦い方を変えようか」
ぎりぎりと互いの体勢を崩そうと押し合っていた均衡をラークが後ろに跳ぶ事で崩す。
クリフは慌てて間合いを詰めようとするがラークはそのまま更に跳んで下がっていき、一度深練体技を使ってしまったクリフは追いつく事が出来なかった。
「今度は目で追えるかな?」
ラークは十分に離した間合いから左足を前に、右足を大きく後ろに引いて上体を前に倒し突進の姿勢を取る。
クリフの背筋に寒気が走り、彼は反射的に両腕を交差させて防御姿勢をとる。
「
ラークが飛び出したのを確認した時にはクリフの防御は弾かれていた。
5m近かった間合いが瞬く間にゼロになる。
助走をつけたラークのトップスビードは彼の姿を視認することすらクリフに許さなかった。
まだ一撃目で崩れた体勢を立て直すことも出来ない内にクリフの背後で地を蹴る音がする。
彼はその音だけを頼りに右腕の防具で、ラークの二撃目を防いだ。
その表面の革が大きく抉られ内部に仕込まれていた金属板と、右腕が悲鳴を上げる。
よろめいたクリフの視界の右端に、地を蹴る音と共に方向転換するラークの姿が一瞬映った。
(最高速での連続攻撃……全部、直線的な軌道なのに全く追い付けねえ!)
三度目は防げない。
それを確信したクリフは、崩れた体勢のまま再び疑似詠唱を完了させる。
「『
青い気が全方位に爆発攻撃として放たれる。
しかしラークの突進にタイミングを合わせ、カウンターとして発動されたそれは空を切る。
「前も言ったよね、その技は強力だけどもっと引き付けてから使わなきゃ意味がないって」
声と共に、巻き上げられた粉塵が収まる。
ラークは『発』の効果範囲外で足を止め、今まさに真空破斬を放つ寸前だった。
クリフは諦めたように笑いながら舌打ちする。
「その反射と減速の早さ、本当頭に来るくらい完璧な対応してきやがって……こんなに早く手詰まりにされるとはな」
斬撃がラークのブレードを離れ、クリフの頭部へと迫る。
回避は間に合わない。
防御しても二撃目、三撃目が飛んでくるのは目に見えていた。
クリフは深呼吸してその攻撃を受け入れた。
「
彼の身を包んでいた青い気の流れが加速する。内から外へ、彼の生命力を湯水の如く消費する様に。
突風の中にあるかの様なその急な変化は、本来クリフが技を使う一瞬だけ見られるものだった。
その青い急流の中に身を置くクリフの額に、ラークの放った斬撃が到達する。
「『
岩を斬り付けた様な鈍い音が響き、ラークの攻撃が炸裂した。
直撃を受けたクリフの影がゆっくりと倒れこむ。
その『影』を抜け殻の様にその場に残して、本物のクリフが目にも止まらぬ速さでラークへと迫る。
(使ってきたか)
ラークはクリフが奥義発動状態に入ったのを視認した時点で、再び最高速で飛び出していた。
ただし、今度は攻撃の為ではなく回避の為に。
先程までほとんど反応すら出来ていなかったそのラークのスピードにクリフは瞬く間に追いつき、『発』の爆発が直前にラークが蹴った地面を抉る。
今まで疑似詠唱による溜めを必要としていた技全てを瞬時に発動出来る状態になったクリフの力は、単純な総合力ではラークを圧倒していた。
自身を上回る速度で追ってくるクリフの突進を、ラークはギリギリで方向転換してかわし続ける。
反応速度という点においては「気」の力という外的なブーストに依らず、生来の並外れた肉体の速度と反射で動いているラークの方に分があった。
一方のクリフも先程までほとんど見えていなかったラークの動きを完全に追い切れている訳ではなく、幾度も相手の姿を見失いかけながら常時発動状態にした『瞬』の速度差で何とか追い縋る。
「
「くっ、『
クリフが一瞬相手の姿を見失った切り返しの瞬間を狙ってラークが斬撃を飛ばす。
音で気付いたクリフは間一髪の所でそれを先程の技で防いで、今度はその攻撃からラークの位置を割り出したクリフが反撃に転じた。
互いに気を抜けば相手の動きに付いていけなくなり、僅かにでも動きが遅れれば相手の攻撃が即座に自分を仕留める極限状態の高速戦闘。
傍から見れば緑の風と、稲妻の様な青い軌跡にしか見えない二人は何度も木々の間を行き交い火花を散らす。
どちらも決定打を欠く状態ではあったが押しているのはクリフだった。
(完全に向こうのペースか、流石に「奥義」と言うだけの事はある)
終始ラークが方向転換でかわし、それをクリフが後から追う形が続く。
(――でも、その速度で動くのに精一杯で攻め方が単調になってるよ)
ラークがわざと足を止め、その場で身の丈を上回るダブルブレードを両手に持ちかえて周囲をなぎ払う様に回転させる。
全方位へのほとんど同時の攻撃。
速度で上回るクリフがどちらから来るかを完全には読み切れずとも、常にタイミングだけは同じだった点を突いてラークはカウンターを仕掛ける。
「!?」
そこに真っ直ぐ飛びこみかけたクリフは右の拳で青い気を地面に叩きつけて無理矢理ブレーキをかけ、辛うじて踏みとどまる。
しかし、避けられた筈のラークの技は終わっていなかった。
「僕の技はおよそ三種類、突進、回転、遠距離攻撃に大別できる。そう、この技は回転系だ。でもだからって、遠距離攻撃に派生しないとは限らない!」
回転の軸足としていた右足に深く体重を乗せる様にラークは体勢を低くし、左足で地を蹴り落ちかけた回転速度を上げた。
同時に両手持ちしていた剣を片手で持ち直し、乱れていた剣の軌道を水平に変え回転の軌道に揃える事で剣速を更に高める。
「
「ぐあっ!」
『殻』による防御を発動させクリフが交差させた腕から血が飛ぶ。
風が吹き荒ぶ様に、ラークから周囲へと繰り出されるいくつもの斬撃が森の木々を揺らした。
不意を突かれ反応が間に合わなかった事をその血が証明していた。
(いくら奥義で全ての技を瞬時に発動出来てもそれを行うのはあくまで君自身、君がやろうと思っていないことは出来ない。それに……)
クリフは『残影殻』による身代わりを使い防御と回避を同時に行い何度も接近しようとするが、どの方向から近付いてもラークの斬撃に阻まれ、その度その場に残像を残して再接近を試みる。
五度目の『残影殻』の使用時、ラークの技の終わり際で、今まできちんと動けていたクリフがバランスを崩しかけた。
激しく彼の周囲で渦を巻いていた空気が、風に散らされた様に霧散する。
(時間切れだね、君の体力はもう奥義を制御できない)
共に修行を重ねたラークは当人と同様にクリフの奥義の性質と、持続時間を十分に理解していた。
決着を確信し、ラークは相手の動きを止めようと剣を構えた。
「まだ、だ……」
クリフの足下で風が起こり、砂煙が上がる。
体力の低下で終わりかけた奥義を、彼は無理矢理もう一度発動させてラークに突進しようとしていた。
「やめろ!それ以上は――」
ラークは思わず制止しかけた。
練毅身には時間制限がある。
より厳密に表現するなら、安全に使用できる限りが。
急激な体力消耗と、使用者の認識を超えた速度は本人が気付かない程早く限界点を超えてしまう。
高速移動中にほんの僅かにでも疲労から足がもつれれば、その速度はそのまま頭部を地面に叩き付け使用者の命を奪う。
その危険性があるからこそ、ラークは最初にその使用時間を順守させる所から修行を始めた。
にも拘らず、クリフは守り続けてきたその限界を自ら破ろうとしている。
(本当に死ぬ気なのか?僕を殺すまで、止まらないつもりなのか……)
ラークは短い思量の末、覚悟を決めて剣の狙いを定めた。
「良いだろう、君が恨みに囚われて身を滅ぼすというのなら、この先の戦いに君は必要ない――ここで果てろ、クリフ・セイシャル!」
不安定な状態になりつつあるクリフの『殻』を破る為、ラークは正面から相対しエッジに教えた真空蒼破塵と同様に真空の刃を瞬く間に一度、二度、三度と重ねて放つ。
それとほとんど同じタイミングで、クリフも残った力を加速と攻撃だけに集中して最低限の防御で飛び出す。
「――
「――
空に放った真空の刃を追う様にラークは踏み込んで加速し、直前の踏み込みで更に全身を捻って回転を加え、飛ぶ斬撃と自身の斬撃を重ね合わせる。
遠距離攻撃、突進、回転、彼の攻撃手段全てを合わせた一撃。
普段ラークが放つ真空破斬が見えない獣の爪跡なら、寸分の狂いもなく重ねられたそれらは研ぎ澄まされた一本の刃そのものだった。
その斬撃を上回る爆発的な速度で、クリフもまた正面から飛び蹴りを放つ。
ラークの様に洗練され磨きあげられたものではない、ただ『瞬』の速度に『豪』の破砕能力と『発』の破壊力を上乗せした一撃。
疲弊した状態のクリフ自身、既に人の運動速度を超えたその蹴りが正確にどこに向けて放たれるのか分かってはいなかった。
斬撃と蹴撃の交差は一瞬で、二人は相手の姿もきちんと視認できない。
ただ二人は経験と感覚のみで互いの位置を探り当て、自身の動きだけに全力を注いで必殺の一撃を届かせた。
ラークの剣は揺らいだクリフの『殻』の防御を貫いて彼の喉元へ、クリフの右脚は上段からラークの胸部へと斧の様に振り下ろされる。
どちらの狙いも正確で、どちらも必殺の威力を持っていた。
或いは再び同じ事をすれば勝敗は逆転していたかもしれない。
ほんの僅かな軌道の交差が雌雄を分けた。
「がっ――っはぁ」
キィィン、という耳に響く金属音と共にクリフの右脚がまとった『豪』の武器破砕が剣を根元からへし折り、ラークの身体は遥か後方へと吹き飛ばされた。
骨の折れる音がし、空を仰ぎ見ながら木々の枝を折ってラークは飛ばされ、二度程地面を背中で跳ねてようやく止まった。
(そういえば前にも……こんな事があったっけ)
ぼんやりと、ラークは初めてクリフと会った時の事を思い出す。
あの時と違ったのはもうそれ以上動けない事。
今の一撃は、
呼吸すらままならない自身の身体を顧みて、ラークは自分の敗北を悟る。
「おめでとう……君の敵討は成功みたいだね」
ぼんやりと呟いたラークの言葉をかき消す様に、クリフの笑い声が響く。
地面に膝をつきながら笑うその声はとても朗らかで、荷が下りた様に軽いものだった。
「どうして笑う?まだ僕にトドメを刺してないよ。そういうのは、殺してからするものじゃないのかい」
不思議に思って尋ねるラークに、クリフは面白がる様に答えた。
「はは、いや、こっちだって肩斬られてあと少しで死ぬとこだったからよ、お互いよく生きてたなと思って」
最後の言葉に嬉しそうな響きがあるのを感じとって、ラークはこれ以上クリフに戦うつもりが無い事に気付く。
ひとしきり笑って、クリフは穏やかな声で言った。
「俺は馬鹿だから、こうやって戦わないと気持ちに整理が付けられなかった。けどお互い死ぬ気で戦って無事に生き伸びて、俺が勝ったから……もうそれだけで十分だ」
ラークは呆れた顔をして、それからため息を漏らす様にして笑った。
「……やれやれ、本当に……敵わないな」
「武器を、壊した?」
日が傾きかけた所でようやくボロボロになって仲間達の所へ戻った二人を出迎えたのは、青筋を立てたリョウカだった。
宿の入り口の床に正座させられ、二人は説教を受ける。
「貴方達、私達が怪我人の手当てや受け入れ先の確保で忙しくしている間に、何してたのかしら?」
口調こそまだ穏やかだったが、その端々と時折痙攣するように震える拳が明確に彼女の怒りを物語っていた。
「そろそろ決戦が近いって分かって無いの?訓練で、それもよりによって市場にまず出回って無い様な面倒臭い武器の方壊す様な本気の戦闘するなんて何考えてるの?貴方達」
徐々に口調が早くなる彼女の怒りに焦って、クリフが反論する。
「し、仕方ねえだろ!こっちも本気で反撃しないと死ぬとこだったんだか――あ」
その言葉でリョウカの目に殺意がこもったのを見て、クリフは口を滑らせた事を悟る。
顔を真っ赤にしたリョウカが宿の真ん中で叫んだ。
「死にかけた……?信じられない、何で男ってこうな訳!?そこの武器の修理のお金と手配は誰がすると思ってるのよ!ちょっとそこに直りなさい!うちの国滅びかけてて今お金無いのよ!!」
止まらないリョウカを前にして二人は顔を見合わせ、それからどちらからともなくつい笑いがこぼれる。
この日、出会って初めてクリフとラークは笑い合った。