TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼― 作:ILY
あと少しでマーミンに到着するという所で、一行が乗った馬車は再び停止した。
前回の事を思い出した仲間達はすぐに客車の外へと飛び出す。
「何だ、敵襲か!?」
クリフは周囲を見回すが、どこにも敵影は無い。
ただ、御者は南東の方角を見上げて立ちつくしていた。
仲間達もそれに釣られて空を見上げる。
「あれは……神話の中だけのものでしょう?」
「いや、忘れ去られただけで過去に実在していたものだ。遠い昔、世界はこの姿が当たり前だった」
空の色が変わっていた。
薄暗い曇り空の黒い影の輪郭を橙色が縁取っている。
しかしそれは最も大きな異変では無く、あくまで余波に過ぎなかった。
視界の彼方の土地から、遥か上空までを焔の様なものが螺旋を描いて貫いている。
始点が見えない程に遠いにも係わらずはっきり見える規模のそれが、どこまでも細くなっていくのが見て取れるほど上まで螺旋は続いていた。
雲より上へ、どこまでも伸びていくその螺旋は目を凝らせば文字通り空の「果て」まで続いている。
「空の上に……大地?」
ルオンが自身の目を疑って擦る。
しかし、幻覚ではなかった。
クロウも彼の意見に同意する。
「私も、そう見える。あれがイクスフェントなの?でも何で?今まであんな所に見えなかったのに」
シンの一族であるリアトリスがその疑問に答えた。
「二つの世界は焔螺旋で繋がっていた、言い換えれば焔螺旋が無い限り二つの世界は繋がってないの。だから今までアエスラングの大地の上にイクスフェントは本当に存在しなかったんだよ……そうさっきまではね」
「急ごう、あれが現れたっていう事は――」
ラークの言葉に馬車の中へ戻った一行は何とか御者に「これから通る街道には何の変化もない事」を思い出させて落ち着かせ、現実に引き戻した。
《ストレア洞窟前》
洞窟が見える前から一行には既に不穏な気配が伝わってきていた。
近付くにつれはっきりしてくる、土を蹴る音と地に刺さる武器の音にエッジ達は足を早める。
そうして到着した時、目の前に広がっていたのは戦闘の跡というより一方的な攻撃の跡だった。
集団同士の戦闘では無くたった一人によって倒されたかのように一か所に集中して賞金稼ぎ達が倒れていた。
彼らの指揮をとり、最後まで戦っていたらしいグローリーがエッジ達へ手を伸ばして叫ぶ。
「逃げろ!」
辛うじてその言葉を絞り出したらしい彼は、そのまま糸が切れた様に飛び散った仲間達の血の上に倒れこんだ。
「!」
グローリーが倒れるのを見て、クロウの目の色が変わる。
その一連の様子を宙から男が見下ろしていた。
以前出会った時には無かった鷹を思わせる形の黒い翼を持つその男はもはや人というより神の使いか悪魔の様なシルエットをしており、落ち着いた表情でエッジ達を見下ろすその男は――
「ジード!!」
ラーヴァンを実体化させたクロウは巨鳥に飛び乗ると同時にディープミストを周囲全てに展開し、光を通さない霧が『ジード』に逃げる間も与えず視界を奪う。
「
「無駄だ」
黒い霧が消える。
『ジード』の右腕がクロウの首を締め上げていた。
ラーヴァンが放った攻撃の直撃を受けダメージを受けたらしき彼の輪郭は、瞬く間に闇のディープスを吸い込んで再生する。
乗り手を失ったラーヴァンは空気に溶ける様にして消えた。
「いくら闇のディープスの霧で視界を奪った所で、俺と君の能力は同じだ」
彼女は返事する事も出来ず目に生理的な涙を浮かべ、足をバタつかせてもがく。
「クロウを離せ!」
エッジが深海の剣を抜き、宙に向けて蒼い斬撃を放った。
『ジード』はそれを難なく躱す。
「安心しろ、俺の力を理解していなかったその賞金稼ぎ達を殺したりはしていない」
そう言って彼はクロウから手を離す。
「――ぁっ、ごほっ!っぅ」
地に落とされ顔を伏せたまま激しく咳き込みながら必死に呼吸するクロウに、エッジとアキが駆け寄る。
『ジード』の明らかに人間のものではない姿を観察したラークは悔しそうに顔を歪ませた。
「そうか君はやはりもう生物ですらなく、宝珠の欠片と同化しているんだね。それで生体感知術式を突破したのか」
「俺は焔螺旋の真下のファタルシス諸島に行く、戦うつもりならそこに来い。逃げるなら俺からお前達には手を出さない」
『ジード』は翼を大きく広げ飛び去ろうとした。
その彼をアキが呼び止める。
「待って下さい『父上』」
『ジード』の動きが止まる。
「その反応、それにあなたが現れたタイミングと、姉さんとの会話、ジェイン・リュウゲンの後を引き継ぐ様なその行動……やはりあなたが彼を操っていたんですね」
「……」
彼は答えず、アキの言葉の続きを待った。
「戦争を起こそうとしたのはまだ分かります、最終的に自国の利益を考えての事ならそれも考え方の一つだと。でも、あなたはシントリアの人々を殺した。私にはそれにどんな意味が分かりません。かといってあなたが無差別な殺戮をしているとも思えない、それにしてはあまりに回りくど過ぎる」
アキの言葉からは大勢の人を殺した彼に対する嫌悪が滲んでいたが、彼女はそれをなるべく表に出さない様にしようと懸命に押し殺していた。
「君の見立てはおおよそ正しい、俺は大勢の人間を殺そうとしている。が、確かにただ殺すのなら今すぐにでも俺が三国の主要な都市を破壊すれば済む」
『ジード』は静かに彼女の言葉を肯定した。
「だが、そんな事をすれば恨みの連鎖を生む。人々は俺を憎むだけだろう。個人は自然と同等の力を持っても『個』として認識される限り、人の世のあり方を規定するルールにはなれない。人々はそれを圧政としか見なさず受け入れないからだ」
だから、と彼は南西の焔の柱を指差す。
「人間の数を一度減らすのに自然で効率的な方法を選んだ。戦争と、神話の時代の再現を。これで二つの世界は本来の
アキは前に踏み出して叫んだ。
「答えになっていません、あなたは何の為にそんな事をするのかを口にしていない!」
「今より平和な世界の為だ、人はあまりに自分達の周囲に目を向けないまま数を増やし過ぎた。自分達の都合で世界中を歩き回っている間、ただ身を守る為に戦う生き物達を殺す事に君達だって目を向けなかっただろう」
そう一方的に言って、『ジード』は今度こそ飛び立つ。
エッジ達の上で彼の広げた黒い鷹の羽が強い風を起こし、砂を巻き上げた。
「失う痛みを経験していない人間達には他者を思いやる事などできないんだ。親や社会に見捨てられる子供があんなに居る世界がより良い世界な筈が無い。君もそう思うだろう?クロウ・グレイス」
まだ声を出せないクロウが赤い目で上を睨んだ時には、もう『ジード』の姿はなかった。
リアトリスは既に負傷した漆黒の翼と仲間達の治療を始めており、リョウカとクリフもそれを手伝う為すぐに動き始めた。
三人は彼らの傷の度合いを確かめたり、動けないものに肩を貸したりして町への移動を開始する。
一時的とはいえ親子の様な関係にあった相手の行動にアキは表情を暗くしてはいたが、クロウの事を優先し彼女に肩を貸す。
クロウはそれを断って多少ふらつきながらも自分で立ち上がる。
ただ一人、考え込んでいたエッジが他の仲間を手伝いに行こうとするラークを呼び止めた。
「ラーク、三つの宝珠の力が開放されてこれから具体的にはどうなるんだ」
「元々アエスラングは光と水と火の世界、イクスフェントは闇と風と地の世界だ。属性を制御する宝珠が六つ揃っていない状態でそんな事をすれば世界のバランスが急速に二極化して生物が棲めない環境になる……筈だけど、彼はそこまでするつもりは無いみたいだね。多分モンスターを始めとした生態系が更に変化して、気候にも異常がはっきり出始める。それからこの賞金稼ぎ達が以前そうだった様に精神に異常を来たす人達も出てくる」
ラークはそう説明した。
(それが、そんな事が『平和の為』?)
エッジは力み過ぎて一度鞘にしまうのに失敗しながらアエス・ディ・エウルバを納める。
それ以上握っていれば、エッジは怒りで剣に呑まれてしまいそうだった。
彼の反応を見て、ラークはぽつりと漏らす。
「君はジードに似てるよ、彼も君みたいに目の前で困っている人間を見捨てておけない性格だった……きっと昔の彼だったら今の自分の言葉に同じ様に憤っただろうね」
エッジは困惑し、それから怒った。
「じゃあ何でそんな答えになるんだよ!人を助けたいのに……その手段が人を減らす事だなんて」
「さあね、彼はシンとしての自分の力の使い道を常に問い続けて、里を無断で離れていたから。その間に何があったのかは知らない、でも彼はそこで一つの答えに行きついたみたいだ。『宝珠の力はただ隔離するべきものじゃなく、人の世界の為に使った方が良いものだ』って。或いは……もしかしたら彼の心は僕らに分からないだけで何も変わっていないのかもしれない」
ただ、とラークはまるで目の前に居るのがジードであるかの様に、エッジを見つめて言った。
「エッジ、誰かを助けたいという気持ちは尊いものだと思う。でも人間は同じ思いを抱き続けているつもりでも、いつの間にか在り方そのものは初めと真逆になってしまう事がある。君が大切にするものは人を助けたい気持ちなのか、人を助けるという結果なのか。それを定めていないなら君もいつかジードと同じ道を辿るかもしれない、それだけは忘れないで欲しい」
そう言って自分に背を向けるラークの後姿を見ながら、エッジは安易にそんな事は無いと断じる事が出来なくなっていた。
(もしかしてラークは、前から俺にジードの影を重ねてたのか?)
言葉だけではエッジはジードが自分に似ている等到底信じられなかった。
けれど、一時期を彼と共に同じ里で過ごしたラークの言葉からは本気で言っている事が伝わってきて、それを感じとったエッジは嫌でも自分がジードの様になる未来を想像してしまった。
(そんな事にはならない、絶対に)
エッジは表情に考えている事が出ない様にきつく拳を握りしめ、いつも通りの調子でクロウとその側に居るアキに話しかける。
「大丈夫か、クロウ」
「平気、まだ少し、呼吸は落ち着かないけど。この位なんとも無い」
下を向いたままのクロウの顔をアキが心配そうに覗き込む。
「しばらく休んだ方が良いです、グローリーさん達の治療が終わったら念の為にリアさんに診てもらいましょう」
「……また手も足も出なかった」
喉の痛みよりむしろ、そちらの方がクロウにとっては深刻な様だった。
それを励ます様にエッジが笑う。
「なら次勝とう」
「そうです皆さんで一緒に戦えば、きっと勝てます」
アキも彼の言葉に乗ってきたのを見て、クロウがむっ、と眉をしかめる。
「ちょっとエッジ。あんたがあまりに能天気だからアキにも伝染し始めたじゃない」
「ええっと、それって悪い事ですか?」
どう反応して良いか分からない様子でアキが困った様に笑みを浮かべる。
「当たり前でしょう――エッジ、あんたのせいでアキまでガンガン死にに行くようになったら、どうする気よ」
「俺……そんなに死にに行ってるか?」
「うん」
クロウが大真面目な顔で即座に首を縦に振ったのを見てアキが思わず吹き出し、本気で怒っていた訳ではないらしいクロウも笑顔を見せ、エッジも二人につられて笑った。
そして、心の中で思う。
(誰かを傷付けて良いはずなんか無い、傷付けちゃいけないものはここにあるんだから)