TALES OF CRYING ―女神の涙と黒い翼―   作:ILY

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第七十九話 蒼の力

「深海の剣って、エッジ忘れたの!?今度腕を失ったら私助けられないよ?それどころか……」

 リアトリスは信じられないという表情でエッジに囁く。

 一度エッジがアエス・ディ・エウルバに触れた時の事は二人だけの秘密になっていた。

「次に触れたら死ぬかもしれないんだろ、大丈夫分かってる」

「分かってるっ、て……」

 エッジは言葉を失うリアトリスから視線を外して、一時的に下がって後衛の所まで来たリョウカに声をかけた。

「リョウカ、頼みがある」

「何?今言わなきゃいけない事なんでしょうね」

 戦闘中に喋っている暇は無いと言う様に不機嫌にリョウカは応える。

 エッジはそういう彼女の対応には慣れており、怯むことなく続けた。

「もし俺が死んだら、インペルメアブル鉱石でクロウを助けて欲しい」

 リョウカは本気で怒った表情になり、エッジを睨みつけた。

「嫌よ、死ぬ事を前提にした頼みなんて冗談でもしないで」

「俺が本気かどうかリョウカなら分かるだろ?こういう事頼めるのはリョウカだけなんだ」

 彼女はやめようとしない少年の襟元を締め上げた。

「ええ、分かるわよ。何する気か知らないけど、貴方がそこまで口にするって事はどれだけの危険があるのか貴方自身が誰よりも具体的に想定している筈だって事もね。いい加減にしなさい!特にクロウが絡んだ時の貴方の行動は度を越してるって自分で分かって無いの?」

 エッジの態度は変わらなかった。

 自分を見下ろす厳しいリョウカの瞳を、落ち着いた真剣な目で見つめ返す。

「クロウを助けたいのは俺の我が儘だ、でもその為にまだ力が足りない。だから自分の命を賭ける、自分のやりたい事の為だから」

 エッジは静かにリョウカの手を振りほどいて彼女から離れると、再びリアトリスと向き直った。

 リアトリスは目立たない麻の布で何重にも巻かれた細長い物体を取り出していた。

 エッジはそれを受け取る。

 一度直にその力に触れた彼は、布越しでもこれが禁忌の剣である事を肌で感じた。

「ありがとう、リア」

「エッジ……」

 同じ様に一度エッジが右手を失うのを間近で見ていたリアトリスは懇願するように彼の名前を呼ぶが、エッジはただ彼女を安心させるように笑って自分のさっきまで使っていた剣を地に置いた。

「深海の剣を使う、もし俺がこの剣を制御しきれ無かったら皆を下げてくれ」

 返事は期待せずにリョウカにそう告げると、エッジは氷獣の方へと向き直って深海の剣に巻かれた布に手をかけた。

 リョウカはエッジがもう止まらない事を悟って下がりながら、唇を噛んだ。

(『クロウを孤独にしたくない』エッジ、それが貴方の行動原理だった筈じゃないの?貴方が死んだ時もその理想は叶わないのよ。貴方の理想は破綻してる、自身を勘定に入れない様なそんな生き方は人の生き方じゃない……このまま行ったら)

 

 エッジは布を解き、蒼い剣の柄を握った。

 

(――貴方はいずれ自分を破滅させる)

 

 ―――――――――――

 

「こいつ、ここに来てまだ……!」

「クロウさん、クリフさん私の後ろに!――盾華(じゅんか)紅葉(もみじ)

 傷を負い、追い詰められた氷獣の突進が狭い坑道内の空間で三人を捉える。

 先頭に立ったアキが『明の天傘』の炎を全開にして盾の様に展開しその突進を受けた。

「くっ、ぅううう!」

 後ろの二人を巻き込む様にして、アキは大きく後ろに突き飛ばされる。

 最初は炎に怯んでいた敵は、もうその程度では勢いを緩めなくなっていた。

 二人と接触してバランスを崩しながらもギリギリでその突進を凌ぎきったアキは、そのまま後ろに倒れこむ。

氷屑の破者(ブレイクシュート)

真空破斬(しんくうはざん)!」

 氷獣の突進の終わり際を狙っルオンの放った貫通力の高い矢もこの相手を前にしては威力が半減しており、弾かれる。

 ラークが放った真空の刃も、岩と金属が接触した様な音と共に厚い皮膚に弾き返される。クロウが深術で負わせた傷の箇所以外では、彼らの攻撃は一つとしてダメージを与えられていなかった。

 ラークは舌打ちしながら、自分の方へと飛んで来た氷の棘を避ける。

「こうなったら私が一撃で吹き飛ばす、威力上げる分範囲の制御が甘くなるから皆下がって!」

 それ以外に方法が無い事を実感し始めていた仲間達は、彼女の警告を聞いて可能な限り氷獣との距離を取った。

 そうしてクロウの前に空いたスペースに、蒼い輝きを手にしたエッジが飛び込んだ。

「エッジ!?」

 

 

 

 アエス・ディ・エウルバを手にした瞬間、エッジは以前と同じ感覚を感じた。

 剣を握っている筈なのに重さが分からず、指先からあらゆる感覚が――手がそこにあるという感覚ごと抜けおちていく感覚を。

(力を貸してくれなくても良い……ただもう少しだけ持ってくれ)

 自分自身の死を間近にしても、エッジの中に不思議と恐怖は無かった。

 諦めにも似た静かな決意の中で顔をあげた彼はふと、氷獣――ナーリーフと目が合う。

 必死で、自分達を倒そうとする獣の目はどこまでもまっすぐだった。

 リョウカが口にしていた事をエッジは思い出す。

 

 自分達の皮を剥がれ人間に使われるのがどんな気持ちなのか。

 ただ自分の居場所を求めて手に入れた家に人間が踏み行ってきたら、自分だったらどうするか。

 エッジはそれを思うと涙が零れそうになる。

(……ごめんな)

 目の前の氷獣に敵意を持って剣を振るう事などエッジには出来なかった。

 しかし、彼が剣を振るわなくてもラーク達は間違いなくこのモンスターを倒す。

 ここで手を止めればただ彼自身が死に、クロウはまた一歩死に近付くだけなのだと言い聞かせて、エッジは自分の身体を無理矢理前に進めた。

 彼の手の中で剣の感覚が戻る。

 代わりに何か水の入った筒を振っている様な重さをエッジは感じた。

 その「重さ」の移動に合わせて剣の表面を蒼い光が走っていく。

 しかし剣先がぶれる訳ではなく、実際に重心は変化していなかった。

 エッジが強いディープスの流れの様に感じるそれは、限りなく触覚に近い存在感を持っている。

 彼は剣を包むその蒼い光を、最も振るい慣れた動きに乗せて放った。

 

魔神剣(まじんけん)・「(あお)」!」

 

 地を這う衝撃波が蒼い輝きを乗せて奔る。

 いつもより速い訳でも無く、激しく砂埃が上がるわけでも無かった。

 ただ、それはラークの力を以てしても傷一つ付かなかった氷獣の前脚を軽々と両断した。

 切れ味鋭い、などというものではない。

 その魔神剣は触れた瞬間にその箇所を消滅させていた。

「なっ……」

「エッジさんその剣は……」

 一瞬にして戦況を覆したアエス・ディ・エウルバの力に仲間達は言葉を失う。

 氷獣は何が起きたのかも分からない様子で倒れこむ。

 そうして自身の目の前に落ちてくるナーリーフの頸部に向かって、エッジは歯を食いしばって剣を振るった。

「はああああああっ!」

 彼自身が驚くほど容易く、剣は頑丈な皮膚を貫いた。

 エッジの手に返る手応えは無く、痛みさえ無かったのか氷獣の瞳は驚きに見開かれたまま動かなくなる。

 それから遅れて、巨獣の身体が地に落ち粉塵を上げた。

 

 誰も口を開かず沈黙が流れる。

 エッジはしばし剣を抜いたまま氷獣の亡骸を前に立ちつくした。

 その静寂を、彼に向けて力強く地を蹴る音が破る。

 エッジはその明らかな殺気に咄嗟に振り向き、深海の剣を振るう。

 ダブルブレードで彼に斬り付けようとしていたラークは大きく跳躍して、それを躱す。

 その行動を目にしてエッジはようやく自身の足元に落ちている碧色の鉱石に気付いた。

 ラークは着地すると、再び身を翻してエッジに迫る。

 エッジも応戦しようとするが直前の彼の行動が引っかかる。

(何であんな大きな動きで避けたんだ?……まさかこの剣、武器ですら触れただけで破壊するのか?)

 (シン)の一族がいくら強力な治癒能力を持っていようと、その仮定が正しいならたった一撃でも致命傷になりかねない。

 その考えがエッジの中に僅かな躊躇いを生む。

 そんな隙を見逃すラークでは無かった。

 エッジが横凪ぎに振るった剣のすれすれを飛び越えながら、走ってきた勢いそのままに身体をねじって飛び蹴りを放つ。

飛燕脚(ひえんきゃく)

「ぐっ!」

 エッジの側頭部をラークの回し蹴りが直撃し、エッジは地に伏せられた。

 手を伸ばすも起き上がれない彼に代わって、ラークが足元の鉱石を拾い上げる。

「僕にとっても、君にとっても最悪な展開は『君が感情に任せて、何の成果も得られずこの石を消費する事』だ。これは僕が保管する」

 エッジの殺気だった目を見下ろして、ラークは冷たく言うと背を向ける。

「……深海の剣を使いこなしたんだね、歴史上その剣に担い手がいた事は無い。君が世界で最初の深海の剣の使い手だ、おめでとう」

 振り返らないままラークはそう付け足して、鉱石をしまうとエッジから離れた。

 

 すぐにインペルメアブル鉱石に気付かなかった事。

 ラークを相手に躊躇してしまった事。

 そして、後悔してなおラークを殺したくないと思っている自分自身を不甲斐なく思って、エッジはやり場のない憤りを拳に乗せて地面に叩きつけた。

 

 ―――――――――――

 

 目的を果たしたにも関わらず、イクリスタ坑道を後にした帰りの馬車の中で一行は重い空気に包まれていた。

 エッジもラークも互いに口を開かず、それ以外の仲間も自然と口を開きにくくなる。

 リアトリスがエッジの身を案じて彼の隣の席に近付くと囁く様に尋ねる。

「エッジ、本当に大丈夫?もし少しでも異変を感じたらすぐに剣を手放してね……一度持てても、これからも安全とは限らないから」

 言われて彼は頷く。

 エッジは今まで使っていた剣と、深海の剣の二本を帯剣していた。

 深海の剣はまだエッジが完全に使いこなすには重く、それでいてほとんど抵抗なくあらゆるものを斬ってしまう為使いこなすには不安があった為だ。

 エッジが話したくないのを感じたのか、リアトリスはそれだけ伝えるとまたすぐにラークの隣に戻った。

 

 それと入れ替わる様に今度はクロウがエッジの隣に身を寄せて話し掛ける。

「どうしてあんな無茶したの、あそこまでしなくても勝てる相手だったでしょ?それに何でラークと石を奪い合おうとしてたの?」

 ラークとエッジが事前に交わしていた会話を知らないクロウは困惑した様子で尋ねる。

 エッジは目を伏せたまま答えなかった。

 クロウは眉を寄せる。

「ねえ、エッジ何か隠して無い?言いたくない事なら無理に話さなくても良いけど、抱え込みすぎてエッジが潰れるのは私嫌だから、その……私が聞いた位で力になれる事なんて無いかもしれないけど、聞いて楽になるんだったら――」

「何でも無いよ、大丈夫」

 エッジは口の端にだけ笑みを浮かべて見せ、彼女の言葉を遮った。

 明らかに不自然な反応を示すエッジにクロウの表情は暗くなる。

 けれど彼のその笑顔を前にしてそれ以上の問いを続ける事はクロウには出来なかった。

「エッジ、私が本当に辛かった時エッジが一緒に居てくれただけで私には救いだった。でもエッジが私にしてくれた様に私だってエッジの事が心配なの」

 そこまで言ってクロウは少し怒った様に目の前の少年を睨みつけた。

「許さないからね、私の為にあんた一人が傷付くなんて。仲間でしょ?」

「……」

 クロウはそう言って会話を終わらせる。

 エッジは微かに目を伏せたまま深海の剣の柄を撫でて、聞こえるか聞こえないか位の声で呟いた。

「大丈夫だよ……」


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