あれからカウンセラーは友人と話をして、ゲームに関連深いと思われる彼らの文化、所謂オタクの文化について調べてみた。友人は私がオタクの文化に興味があると聞くと、喜んで情報提供をしてくれた。いくつかの参考文献を貰い、調べてみたが中々に興味深い。
文献の中には、叢雲の語りの中で、彼女が恐らく参考にしたであろうものもあり、彼女への理解がより深まったような気がした。
友人との話の中で、艦を美少女にするゲームについて、つまりは艦隊これくしょんについて聞いてみた。
艦隊これくしょんというゲームについては、当然というか予想通り、知らないという答えが返ってきた。しかし、似たような戦艦を少女にしたゲームについては知っているときた。
そのゲームは、かつてネット上で人気を誇っていたゲームであるという。今はネット環境の衰退もあって、媒体を変え、細々とした活動に留まっている。が、非ネットの環境の中で根強い人気がある、らしい。
そのゲームには、奇妙な噂が存在している。曰く、このゲームが流行するにあたって、“何者かによって存在を消されたゲーム”が存在するらしい。あるゲームの消滅がきっかけとして、このゲームが大流行することになったそうだ。しかし、誰もそのゲームのことを知らない。
何故なら、何者かは自分たちの頭の中を操作することにより、存在そのものを消してしまったから、という一種のオカルトである。
消されたゲームは、間違いなく“艦隊これくしょん”であろう。友人との会話の中では出さなかったが。
彼女の言ったことが現実すぎて、頭が痛い。
友人には何故そんなことを聞くのかと聞かれたが、仕事上、艦娘というものとかかわっているのだと答えるとある程度納得してくれた。
友人は、戦艦の少女と艦娘は、直接何かしらの関係があるのでは、と疑っていないようであった。しかし、興味深いコメントをしてくれた。曰く、“彼女たちは萌えそうで萌えない”のだと。
突っ込んで訪ねてみると、艦娘は戦艦の少女とアイドルに似ているが、そのどちらでもない存在である、とのこと。リアルではあるが、リアリティのない存在。それが、艦娘だそうだ。
彼に限らず彼らは艦娘が苦手らしい。何故なら、艦娘のことを意識すると、戦艦少女のことを楽しめなくなるから、だそうだ。
現実ではあるが、現実感のない。思い当るところはある。それは恐らく、艦娘がやけに頑丈で死ににくい所や、彼女らの正装であったりするのだろう。
カウンセラーも少しは彼女らと彼らについて理解できただろうか。
しかし、オタク趣味というものは、今一つカウンセラーには共感しにくいものであるのだが、彼女もそういう趣味を持っていたのだろうか?
少し、違和感がある。何かが、彼女の人となりと一致しないような気がする。
“叢雲”のイメージと合わない。彼女は、イメージを大事にしているようである。“オタク”の言葉が差別的なニュアンスを持っている以上、彼女をオタクと呼ぶのは憚れる。
彼女と話をして、そのことを確かめてみるのもいいだろう。
そうして、今日もカウンセリングが始まる。
さて、カウンセラーは知り得た知識を基に、叢雲へ接近しようと試みる。
先日の話の続きであったり、戦艦の美少女のことであったり、オタクについてを話してみたのだが。
「そう。よく調べているわね」
彼女の反応は非常に淡泊であった。
「あまり、興味なさそうですね」
それに、叢雲は鼻を鳴らす。
「私は自分のことをオタクだとは思ってないし」
少し、叢雲は考える。
「マニアとなら言われたことはあるけど。自分は、そっちの方がしっくりくる」
「愛好する者ではなく、執着する者、とういことですか」
「側から見ればどう違うのかとは思うのだけどね。多分、こっちが適切でしょ」
オタクとマニアがどう違うのかと問われても、カウンセラーは解釈が人による、と答えたい。
彼女をマニアとするならば、どう表現したものか。オタクが艦娘を一般的に好み、愛しているとするならば、彼女もまた、好み、愛しているのだろう。ただ、彼女の場合は、艦娘に固執している、と表現するべきなのだろうか。
そこで、カウンセラーはかねてから疑問に思っていたことを聞くことにする。
「普段叢雲さんは、どうやって過ごされているのですか? 例えば、趣味とかどうしてますか?」
死にたいと思う人間にも、日常はある。艦娘でいえば、仕事の時と、仕事以外の時があるわけだ。彼女は仕事以外の時に何をしているのだろう。
苦痛に感じる日常を、どうやって紛らわせているのだろう。
「まあ、あるけど。クラシックを聞いたりとか、あとはゲームしたりとかね」
「クラシックは分かりますが。ゲームは普段、どんなのをやってましたか?」
クラシックについては、まあ、いいだろう。言うならば、恐らく“叢雲っぽい”からだ。こっちを聞いても、飾った彼女を聴いてしまうような気がする。
彼女自身により近いのは、ゲームではないかと当たりをつけ、聞いてみることにする。
「ゲームは、あー。うん、自分はパソコンでゲームするのが昔からの習慣だったわね。今は自粛しているけど。初雪とか夕張あたりに誘われてすることはあるわ」
叢雲は俯く。
「一人では、パソコンでローグライクとか。皆とやるときは、皆でできるゲームを、まあ、スマブラだとか、桃鉄だとかをやるわね」
「ローグライク?ですか」
「不思議なダンジョンって知らない? シレンとか、トルネコとか、ディアボロとか。それに類するゲームをこっそりやってんのよ」
彼女はそっぽを向いた。
「知らないなら気にしなくていいわよ。知らない人に説明するほど、知ってほしい訳ではないし」
「説明したいなら、私はそれで構わないのですが」
彼女の台詞からは、説明したいという気持ちが表れている、気がする。
「アンタ。じゃないわね。御免なさい。先生、えーと」
しばらく、叢雲は言葉を選んでいるようだ。
「遠慮しとくわ」
それに対して、カウンセラーは苦笑する。
「私はいいのですけどね。普段、叢雲さんは地が出せないのでしょうし」
「別に。結構、普段から地は隠せてないのだし」
叢雲はため息をつきながら、言葉を紡ぐ。
「ただ。知らない人に知識をばら撒いて、これが知識人のすることなんです、って自慢顔しても、私は賛同できないのよ」
カウンセラーは、それはどうかな、と思った。
それはそれで、“楽しい”ことなのではないか? と。彼女の場合は特にそう思える。
「兎に角、知りたいなら、自分で調べて頂戴。ゲームの話題はあまりしたくないわ」
まあ、本人がしたくないと言っているので、無理に強要することはないのだが。艦これの話なら進んでしそうではあるのだが、ここら辺は不思議である。
「趣味と言えば、先生はどうなの?」
叢雲はそう聞き返す。
「私は映画やロックを鑑賞するのが好きですね。後は、旅行とか。ですかね」
「どれもいいものね。私も好きよ」
カウンセラーとて人間だ。休日はよくツタヤでCDやDVDを借りて、鑑賞している。旅行に関しては、最近はあまりできていない。
実は深海棲艦のせいで、長距離の旅行ができなくなったのはちょっと残念に思っている。
「映画といえば。先生は、君の名は、は見たかしら?」
「ええ」
先日公開されて、異様に長く上映されている映画の名前が話題に上がる。
「あれは良かったわねえ。恋愛ものってことで敬遠していたけど。素敵な恋だったわ」
その点に関しては、カウンセラーもそう思う。アニメ映画で、あそこまで心動かされるとは思ってなかった。
「ただ。入れ替わりとか、観てて恥ずかしくなるタイプのTSだったわね」
「TS、ですか」
叢雲は顔を上げる。
「TS、つまりトランスセクシュアル、性転換。らんま1/2とか、おれがあいつであいつがおれで、ってあるでしょ。あれみたいに、男女が入れ替わる作品のことをTSっていうのよ」
「なるほど」
ゲームの話はしたくないが、この話題は彼女の興味をひくらしい。
「君の名は、の流れは美しいわ。男女が、時空を超えて、互いに入れ変わり、離れ、繋がり、理解しあう。まさに、美しい愛の形だわ。観てて恥ずかしかったけど。TS作品として見ても秀逸だったわねえ」
「はあ」
そこで沈黙が流れる。
「あまり人には言いにくいけど。私はTSが好きだったのよ。ゲーム以上に恥ずかしい趣味だけど」
「ゲームもそうですけど、どうしてそこまで恥ずかしいと?」
カウンセラーは、彼女に恥の気持ちが異常に強いよう感じる。
日本は恥の文化だというが、彼女のその気持ちはどこから湧いてくるのだろう。
「現実もそうだと混同されたら、困るからよ」
彼女は俯く。
「それは、相手が幼稚ではありませんか」
ゲームをやっているから殺人を起こすだとか、オタク趣味だから現実でもだとかを思い起こす。現実はそんなことないのだが。
世間で言う異常者がゲームや虚構の世界に入り込むのは簡単だ。彼らの望む世界がそこにあるからだ。
だが、その逆はない。虚構の世界を好むものが、その世界を望むとは限らない。
その逆を思うのは、単にゲームや虚構の世界をよく知らないためで、知らない故に怖いからだろう。
「そうね。でも、口に出す連中は、口に出すでしょ?」
叢雲は薄軽く笑う。
「叢雲さんは、現実と虚構は対立すべきものと思っていますか」
彼女は少し戸惑った反応を見せる。
「違うの?」
「現実と虚構の対比はありがちですが、思想的には少々古い考え方になりますね。現代の思想では、現実と虚構は対立するものではなく、現実も虚構の中にあり、また、虚構も現実の中にあるとの見方もあります」
この話はカウンセラーにも難しい話ではある。ただ、決して現実の世界だけが我々人間が生きる世界ではないのだと、この話を聞いていて思ったものだ。
現実の上にある映画やロックの世界に、生きるものがいたっていいものだと、そう思ったのだ。
「現実と虚構か。虚構も、私の生きる世界であったのなら、どれだけよかったのだろうな」
叢雲は自身の髪を掴む。
「私は、それでも、現実に生きるのを望んだんだ」
そうして沈黙が再び流れる。
「考えると、TSってジャンルは謎よね。なんで私、ここまで好きだったのだろう」
カウンセラーはここで聞きに徹する。
「私も詳しいわけじゃないけど。恐らく、こういった嗜好の前提には、“虚構のものを愛せるか”が関わっているのだと思う」
虚構のものを愛すること、つまりは現実でないものに、重きをおけるということだろう。
「何か、分かりやすい例って何かしらね。ああ、先生はツンデレってご存知?」
「確か、普段は好きな異性に辛くあたっているけど、時たま優しさを見せる、ような人物の傾向でしたっけ」
カウンセラーはその言葉を知っている。
そういや、高校の部室にツンデレカルタなるものがあったなあ、と思い出す。
あれは酷かった。
「現実となると好きな人間は別の、少数派にあたるのではないかしらね。いや、意外といるかも。たとえば、普段は暴力男だけど、時々優しい男に惚れる女、とか」
「そ、それは納得できますが」
まあ、それも一種のツンデレだろうが。
それをツンデレと呼んでいいものか。
「そして、虚構のツンデレを好む人間は、それとは違うはずだ」
それはカウンセラーも思う。
それに実際にツンデレな女性と付き合うのは、ちょっと、と思う。こういってなんだが、プライドの高い女性は付き合ってみると面倒臭いのである。
「現実のものを愛するか、虚構のものを愛するか、それらがどう違うのか。私には分からない。どちらも、尊重されて然るべきだとは思うけど」
叢雲は首をかしげる。
「話を戻そう。TSの醍醐味は、恐らく、男性が女性になることに、あるいはその逆であることで、理想が完成するからだろう」
叢雲は俯き、髪をかき混ぜる。
「聞いた話だけど、そもそも変身という行為には、例えば魔法少女とかがそうだけど、未熟な存在からの完成、を意味するらしい」
例えば、魔法少女を少し考えてみよう。彼女らは普段、日常に生きる未熟な少女だ。しかし、危機に瀕すると変身を行い、戦う存在へと変わる。 つまりは日常からの脱却であり、それが彼女らの願望であるのだが。
「つまりTSを求める人にとっては、男性であった女性、あるいは女性であった男性の姿が、未熟な存在から成熟した、“完成された”存在であるのだろう」
TSされた存在もつまりはそういうことだ。日常を生きる未熟な存在が、変身により完成された存在となる。その完成は、本人が望んだことかもしれないし、望まないこともあるだろう。その場合、その完成は、読者や作者が望んだものであるのだろう。
「現実的な話、性転換手術なんかを受ける人は、性同一性障害だけだとは思えない。別の性を生きることは、その人にとってそれだけの価値があるはずだ」
そこで彼女はため息をつく。
「なぜ、それが完成された姿なのかは、私には分からないけど」
カウンセラーは少し考え。
「なるほど。実に興味深い話であると思います」
頷きながら、そう答える。
「フランス哲学、だったと思うのですが。本来、人間とは男性的なものと、女性的なものを両方兼ね備えているそうです。つまり、男性的なものだけを持つ存在から、女性的なものを持つことで、人間という存在の完成を目指している、のだと思います」
ここで言う男性的なものと女性的なものはジェンダー的なもの、文化的な男らしさや女らしさといったものかもしれない。あるいはセクシュアリティ的なもの、生物的な男らしさや女らしさといったものかもしれない。
「そして、叢雲さんもそうであると」
どっちにしろ、彼女は現実で男性でありながら女性的なものを求め、艦娘へとなったのだと考えられる。
「そうなのだと、思う」
少し、叢雲は考え。
「ただ、私は未だ、未完成のままだ」
そして呟く。
「私は、この姿になるにあたって、完成された理想、というものを持たなかった」
それは、カウンセラーが前にも聞いた話だ。
「前も言ったけど。理想の自分に、現実の自分を近づけることに、一体どれだけの価値があるのだろう。憧れの人と同じ服装をすること、厚化粧を塗ること、整形手術を受けること。そして、自分だけの神に理想の体を求めること」
なるほど。前回は理解できないでいたが。今回は理解できた気がする。
「その人にとっては、他人をぶち殺してでも叶えたい願望なのだろう。だけど、いくら現実を変えようとしても、それが笑われるのならば、それに価値があるとは思えない」
彼女は虚構と現実を混同しているのだ。
彼女はTSされた存在を本来、虚構の存在とみなしている。
そして、TSを現実に持ってきたことをみっともないとも思っている。
虚構と現実の混同を恥じる理由は、犯罪者を連想させるからだろうか。
「だから、私の正体に関しては、本当に人に言いにくいのよ」
カウンセラーはその言葉に疑問を持った。
「最初からそうですけど。私は良かったのでしょうか」
言いにくいなら、言わないでいい。
だが、何故、ここまでカウンセラーである自分に語るのか。
「私は、先生、というか。カウンセラーという人種のことを信頼しているわ。貴方たちは、鏡よ。自分というものを見せるために、貴方たちは自分を語らせるのよ」
カウンセラーはドキリとした。
思った以上に、彼女は自分たちをよく見ている。私たちは、語らせることで、正しい認識を目の前の人に期待しているのだ。
注意せよ。ニーチェ以降から言われていることを。
深淵を見つめるとき、深淵もまた、お前を見つめているのだと。
彼女が自分を見つめるのは不思議ではないが、彼女を見ていると、まるで自分が見られているような錯覚を覚え、気分が悪くなる。