カウンセラーは考える。勿論、世界を妄想で塗りつぶした、と自称する少女についてだ。
彼女をどう扱うべきか、非常に悩ましい。
世界を変えるだけの力を得た人間、というところはまあ、置いておこう。
ともかく、艦娘と向き合っている、ということは適度に意識するべきであろう。艦種によって大小はあるが、人を容易く殺すだけの力を持った少女たちだ。力がこちらに、あるいは周囲に向かないよう、人格へ最大限の配慮をするべきだろう。それはカウンセラーにとって、これまでと変わらないことである。
問題なのは彼女といかに向き合っていくか、という所だ。彼女は自ら艦娘となることを望んでいる艦娘だ。
艦娘になったことに苦しんでいる艦娘とも、艦娘になったことを理解できていない艦娘とも違うはずだ。恐らく、艦娘になることに、特別な理解がある。
こう考えてはなんだが、何故、彼女は艦娘に?艦娘には、なりたい、と思うほどのものがあったのだろうか?
艦娘になりたい。つまり、彼女は艦娘、深海棲艦、そして妖精さんが現れる前から、彼らを知っていた、と考えるべきであろう。
彼女は、私たちの誰よりも、彼らについて明確に何かを知っている、はずだ。それについて聞いてみるのもいいかもしれない。
そうして悩み、考える内に今日もまた、カウンセリングが始まる。
二回目のカウンセリングであるが、叢雲の態度は1回目と違って自然体だ。そこにいるのが当たり前、といった感じだろうか。
当たり障りのない掛け合いの後、うんざりした態度で叢雲が口にした。
「さて、何が聴きたいのかしら」
カウンセラーの目の前には、前回と同じように、叢雲が座っている。
カウンセリングに来たくない、と言ってはいたが、しっかり来てくれたことに彼は嬉しく思う。
「前回の確認ですが。叢雲さんは、叢雲さんの基となった男性は、自分が嫌いだったのですか」
「そう。そして、今もそう思っている」
これはカウンセラーの推定通り。
「叢雲さんにとって、叢雲さんは、なりたかったものなのでしょうか」
「それは。どうなのだろう」
叢雲は沈黙する。そして、ぽつぽつとつぶやく。
「彼女自体に魅力はあったのだろうけど。いや、うん」
「貴女ではない、叢雲さんがいる、という風に聞こえますが」
叢雲は、あー、という反応を返す。
「そうね。少なくとも、“艦隊これくしょん”という作品には、私にとって価値があったのだと思う」
「艦隊これくしょん、ですか」
「ゲームの名前よ。この世には、もう、無いけど」
叢雲の視線が下がる。
「ゲームが元だったのですね。どんな作品だったのですか」
「提督と呼ばれる人物が、艦艇を擬人化した少女を率いて、深海棲艦と戦う。そんなゲームだった。そう、今は現実のことよね」
カウンセラーとしては、この世界の艦娘たちがゲームだった、というのはまあ、理解できなくはなかった。何しろ、艦娘は美少女揃いである。
そんなのが大量発生しているのだ。始め見たときは日本始まったかと思ったわ。
「ありそうなゲームですよね」
「ただ、人気はたいそうあったんだ。アニメになって、携帯機やアーケードに移植されて、公式小説もたくさん作られて、ファン活動も盛んだった」
いや、案外大したことないのかもしれない。艦艇の擬人化自体は昭和の頃からやってたらしいし。
あと昔話に、助けた鶴が美女になって家に訪ねてくるとか、うん。
擬人化は、言うほど奇妙な事ではないのかもしれない。実際に人が艦娘になるのは大問題だが。
「その中で叢雲は、プレイヤーが最初に選ぶことのできる艦娘の一人だった。まあ、気になる艦娘ではあったわね」
改めてカウンセラーは、叢雲を見つめる。彼女は、吹雪型駆逐艦五番艦“叢雲”の艦娘、つまりは擬人化娘だ。
こうしてみても、これがあの叢雲か、という印象を抱くには至らない。
初めてのカウンセリングの後、カウンセラーは彼女という艦、及びに彼女と関連する艦について調べた。艦娘と向き合うには、彼女たちの来歴を見るのが良いアプローチとなる。
と、カウンセラーは思っているのだが。
そこから見えてくる彼女の姿は。由緒ある名前と、まあそれなりの実績、ささいなトラブルに見舞われた艦。
正直に言うと、前回のカウンセリングとこの情報で彼女を判断しろ、と言われても困るのだ。
ひょっとしたら、ゲームでの彼女に何かがあるのかもしれない。
あるとしたら、そこだろう。
艦隊これくしょんなるゲームを彼は知らないので、そこを疑問に思うのである。
「正直を言うなら、もっと、鳳翔さんとか、古鷹さ。いや、古鷹とか。好きな艦娘はいたのだけど。でも。その艦娘に対して、なろう、という気持ちはなかったわね」
叢雲は顔を上げる。
「ほら、いくら好きなロックミュージシャンの恰好を真似して同じ台詞を吐こうと、その人になることはできないだろう」
「なるほど」
好きな人に近づこうとか、そういう意味ではない、ということはカウンセラーに理解できる。
未だ、彼女が艦娘に成りたがっていた理由はよくわからない。
だが、この場は彼女に自由に話をさせるのが良いのだ。
「そもそも、私は、他の誰かになろう、という気持ちがなかった。私は私以外の何物にもなれないのだとは知っている」
「でも、それは。違うのでは。叢雲さんは、自分を捨てようとしたのではないのですか」
彼女は叢雲であることを望んだのではないか。カウンセラーはそう思わずにはいられない。
「私は」
彼女は口ごもる。
「私は、私以外の誰にもなれないって」
再び彼女の視線が下がる。
「でも。私が私であるのは、たまに自信が持てなくなる。私が、こうやって失敗するとね」
彼女は頭に手を当て、髪をかき混ぜる。
「今見ていること全てが他人事のように思えて仕方ないんだ。艦娘も深海棲艦も、全部自分の頭の中の出来事で。現実の自分は、未だに病院のベッドの上なんじゃないかって」
カウンセラーは、それはそうではない、と言ってやりたかった。自分を信じて欲しかった。
だが、それを口にするのはよくないことだと自制する。
「あるいは、精神病院の片隅で、譫言を繰り返しているのかも。ああ、これは、考えたくなかったな」
カウンセラーはゆっくり頷く。
「大丈夫ですよ」
彼女を否定するのではなく、受け止めてやるのが最適だと判断したのだ。否定しても、彼女はそれに肯定するだろうか。
例えば、現実を見ることができない人間に、現実を見ろといっても、直視するだろうか。
できないだろう。だから、受け止めるのだ。
いつの日か、現実を肯定できるまで。
「そこまで、私も狂ってないと信じたいね」
しばらく沈黙が流れる。
そして、彼女が再び口を開いた。
「何故、私が、叢雲であることを選んだのか。自分に近い艦娘は他にもいたはずなのに。何故、私が叢雲であることを望んだのか」
叢雲は自らのほっぺたを触り、軽くつねる。
「多分。叢雲には私が愛したかったけど、愛せなかったものがあったからなんだと思う」
「愛したかったもの、ですか。それは、艦娘としての叢雲さんですか」
「多分、そうね」
艦娘としての、つまりキャラクターとしての叢雲のことであろう。
「私が、叢雲になりきれていない、と思っているのは、何だろうな」
叢雲は、頭を軽く掻く。
「私は、叢雲というキャラに囚われすぎているのかもしれない。誰が定めた叢雲という人物がいるわけではなく。私が叢雲として行動し、叢雲の台詞をしゃべるときに、私に叢雲という名がつくのだろう」
「納得はできますね。そもそも、本当の自分、というものはありませんからね。周囲の環境や人間関係があってこそ、自分というものが作られるのですから」
カウンセラーの目の前の彼女は、叢雲という少女を演じようとしている。ゲームのキャラクターを現実で演じようとしている。
口ぶりからして恐らく、本人も馬鹿らしいと思っているのかもしれない。
「そうね。私は、自分というものに固執しすぎているのだろうな」
「大事な気づきだと思いますよ」
自分を捨てる、というのは美しいことなのかもしれない。醜い自分を捨て、新しい自分へと生まれ変わる。自分の欲望を抑え、夢を叶える。なんと素晴らしいことか。
しかし、自分は自分を守ろうとする。自分を捨てようとすると、かえって捨てれなくなる。捨てよう捨てようと思っても、自分可愛さに捨てれない。
そうしないと、自分を保てないからだ。
「分かっているわよ」
叢雲は時計をチラリと見る。
「もう少し、自分語りをしなければならないかな」
「できれば。お願いしたいです」
叢雲は軽くため息をついた。
「私はカウンセラーという人種を詳しく知らないけど、貴方たちに必要なことなのでしょうね。いいわ」
カウンセラーとしては、彼女に対し、少しやりにくさを感じている。目の前の彼女は聞けば応えるし、歩み寄り、話もしてくれる。
少々、話のリズムは独特だが、疑問に答えようとする姿勢は真面目に感じられる。
だが、この場には何かが欠けている。それは、まだ分からない。
「叢雲になれない、か。そうだな。私が叢雲に、いえ、なぜ艦娘に成りたがったという話を、もっと突っ込んでするべきかしら」
再び、叢雲は顔を上げる。
「叢雲に成り損なった私も、以前の自分も、思う所はあまり変わってはいない。自分と言う存在を嫌っていること、そして、普通になりたい、と思っている」
カウンセラーはメモをする手が止まる。
「自分を嫌っているというのは分かるのですが。普通になりたい? ですか」
「理解できない、かしら。普通でない存在が、普通に憧れる話というのは」
彼女の問いに少し考え、応える。
「普通がうらやましい、と。なるほど」
「理解できるのかしら」
「深海棲艦が現れる前の社会も今の社会も、普通でない人が生きるには辛い社会だと思います」
いつの時代も、少数派というのは、多数派に迫害されるものである。
あいつは自分たちとは違うから。あいつは普通ではないから。
そういった理由で区別、あるいは差別されるものである。
それはこの社会でも変わらない。そもそもこの日本は、民主主義の国家であるのだから。
「個性というものを大事だと主張しながら、没個性であることを良しとする風潮が、日本社会にあると思いますよ」
叢雲は、ふん、と鼻を鳴らす。
「いいと思ってるけどね。この社会の在り様も」
「そうなんですか?」
「何でも社会が悪い、社会が悪いで済ませたくないからね。この社会はあって当然だと思う。彼らが悪いとは思わないわ」
カウンセラーは意外に思う。少数派が多数派を羨ましいと思うのは当然だろう。
少なくとも、彼女は羨ましいと思っているはずだ。
そして、多数派を嫌い、憎んでも、それは仕方のないことだと思っていたのだ。
「ただ、いくら私が普通になろうと努力したって、例え、神様に、いや。この場合はランプの魔人かしら。それに願おうとしても叶う事はないのだと知っている」
いや、意外でもないのかもしれない。彼女は、多数派に対して、諦めの感情を持っているのかもしれない。
「私が想像する普通と、皆が思っている普通には大きな隔たりがあるのだから。そもそも、私は皆とズレているのだから」
「ズレ、とは」
叢雲が、暗い声色で小さく、はははと笑った。
「皆、私のことを見て笑うんだ。私が失敗をする度に、私が変なことをしでかす度に私のことを噂する。私には何故皆が笑うのか分からない。そのくせ、私が笑っても皆は笑わない」
叢雲は下を向き、ため息をついた。
「何故だかは、今は分かっているのだけど」
叢雲が上を向いて、カウンセラーの顔を見る。
「ともかく、私が想像している普通は、大量生産の工業品なのさ。完成された人間、型に押し込められた作り物。そういう者に私は成りたかった」
「それは、歪ではありませんか」
とてもじゃないが、それを人間というには無理があるだろう。
人間は生物だ。皆違うし、どちらかというと芸術作品に近いだろう。
間違っても工業製品ではない。
「もちろん。そんな人間が実在する訳がない。そんな人間は、所詮作り物なのよね。それこそ艦娘みたいに」
カウンセラーは理解に苦しんでいる。彼女の言うとおりであれば艦娘が作り物という表現は正しいのだ。
彼女たちは、実在の艦艇を基に、作られたキャラクターである。
だが、彼の中の艦娘の印象と一致しない。彼が見てきた艦娘は、目の前の彼女も含めて、歪ではあるが人間らしさに溢れている。
それがどうも、奇怪に思えるのだ。
「当然、人間である私たちが、工業製品である訳がない。人間は、不完全な生き物だから。そういった意味で、人が艦になる、というのは間違っている訳で。私のように、艦娘になれないと嘆いている艦娘は、間違っている訳だけど」
艦娘とは、一体何者なのだろうか。何故、彼女たちは艦娘になりたがるのだろうか。
「私は。なんだろう。ともかく、叶わない夢を見ているんだろう」
自分を捨てて、艦になる。それにどんな意味があるのだろうか。それは素晴らしいことなのだろうか。
「ああ、言っておくけど、私が知る叢雲はこんなことを考える艦娘ではなかった。あれは、特徴的ではあったけど、普通だった。だからこそ、私は叢雲に、艦娘に、なりたがったのだと思う」
でも、こうとも思える。存在しない、絵にかいたような美少女になることが。きっと彼女にとっては、何か価値のあることだったのだろう。
それだけは、認めるべきことなのだろう。
「少なくとも、私は提督であることは望んでないのよね。例え望むにしても、画面の前の自分ではなく、画面の奥の存在であることを望んだんだ」
再び、彼女はため息をついた。
次も一週間以内でいってみる。
このペースで最後までいけたらいいなあ。