番外編、というより、没になった案から無理やり作った話です。
その日もカウンセリングが行われた。
自分と向き合う作業は、互いに苦痛であり、労力を必要とする。
でも、必要なことだと、カウンセラーは思っている。
そんな中、カウンセラーはある提案をする。
一つ、本当に楽しいと思うことを、やってみてはどうかと。
世間の眼などは気にしなくていい。
子供の頃、夢中になって遊んでいたようなものがいい。
子供の頃に、あなたはどんな“くだらない”遊びをしていたのでしょう?
「くだらない、遊びねえ」
叢雲は頬杖をついている。
言葉を飲み込み、咀嚼しようとしている。
「そうだな、久しぶりに、あの遊びをしてみるのもいいかもしれないな」
「どんな遊びでしょう」
カウンセラーが聞く。
「チートコードを使った遊びよ」
「チートコード、ですか」
チート、というと、ズルを意味する言葉であるが。コード、というと紐? になるのか?
いや、文脈からして暗号の方か?
「あまり、ゲームとかって知らない? のよね。じゃあ、プロアクションリプレイ、とか言っても分からないか」
「ええ」
どうやら、ゲームに関する話題らしい。
ゲームが好きだった、という彼女の証言から、ある程度、話を掴む。
「テレビゲームとか、携帯ゲームとかって、コンピューターだから。極端な話、世界は数字でできているでしょ?」
「そうですね」
コンピューターは計算機だ。
0と1の二進法により計算を行い、結果を出力する。
ゲームはその結果でしかない、ということだろう。
「チートコードは、その数字を書き換えることができるのよ」
つまりは、ゲームの書き換えだ。なるほど、チートコード、か。
「なるほど」
カウンセラーは頷いた。
「コードを書き換えさえすれば、常にやりたい放題ができるのよ。努力も技術も、暗記も何もかもが必要でない。簡単に世界を書き換えすることができるってこと」
とは、彼女は言ったものの、実際にはそれだけではないような気がする。
恐らく、数字を操作するために、パソコンや専用の機械を操作する必要があるのだろう。
そうしたスキルを持ち合わせた上で、ということだろうが。
まあ、そういう苦労があったとしても、チートには変わりなかろうが。
「まあ本来は、ゲームを簡単にクリアする必要があったりとか、ゲームのデバッグに用いられる技術なのでしょうけど」
因みに、プロアクションリプレイの謳い文句もそうであった。
デバッグ、コードの書き換えは本来プログラマーの特権であるのだが。
ハッキングして、無理やり求める結果を引き出すようなものが出来るというのは、それはそれで快感、なのかもしれない。
「小さいころは、そういった遊びが好きだったわね。そうやって、小さな箱庭の世界を思うがままに、操ることが楽しかったわ」
叢雲は俯きながら、話していった。
「没データを引っ張り出して楽しんだり。ゲームのスピードを変化させ、あり得ない世界を作って楽しんだりした」
ふむ、とカウンセラーは頷く。
「箱庭の世界を思い通りに、ですか。中々興味深いですね」
遊戯療法、積木やサンドボックスに通じるものが見えてくる。
「やはり、叢雲さんにも、そういう要求があった訳ですね。世界を思い通りにしたい、と」
そういうと、露骨に叢雲は消沈する。
「まあ、そうなるわね」
そして、しばらく沈黙する。
「屈辱だわ」
彼女の気に障ることになってしまった。
どうしようか。
「別に悪いとは思いませんけど」
誰だって、世界を思い通りにしたい、という欲はあるだろう。
世界はこうであるべきだ、だとか、そう思ってもいいと思っている。
大抵の人は、現実を知ってそこで諦めてしまうのだが。
彼女は諦めきれていないのだろうか。
「そうした姿は、いささか醜悪に見えるのかもしれない。完成された作品を、自らの手で汚していく快感は。少なくとも自分は理解されなかった」
小さな世界をバラバラにし、そして再構築する。
カウンセラーにはそうした快楽を理解できる。
「世界は自分だけのためには無いと。中学のときにも言われたよ」
音楽だってそうなのだ。
憧れのミュージシャンの音楽を、自らの手で演奏する。
そうして、彼らにまた一歩近づいたのだと、幻想を抱くのだ。
だが、彼女はこう思っているのかもしれない。
「そうして現実に写る自分の姿が惨めである、と?」
「そう」
憧れのミュージシャンの音楽を、自らの手で演奏したって、彼らになることはできない。
それは、単なる模倣でしかないのだと、人は野次るかもしれない。
そうであろう。
だが、はたしてそれだけだろうか?
カウンセラーは疑問を抱く。
「ゲームの世界でもそうでしょ。普通にゲームをして、努力しまくったプレイヤーが最強の外見を保持している。技術を極めたプレイヤーが名誉を手にする。暗記しまくったプレイヤーが世界の全てを手にする」
彼女の言っていることは、正しい。
だが、その思想は区別と差別に満ちている。
彼女は尊く見えるものの価値しか認めていない。
彼女は強きもの価値にしか価値を見いだせないでいる。
「ドーピングと一緒よ。不正で手に入れた勝利は、健全な勝利にどうしても劣ってしまう」
ドーピングか、なるほど。
適切な表現だ。
確かに、健全とはほど遠いものだ。
したくなる気持ちも、分かるのだが。
それだけ勝利の蜜は甘く、やみつきになる味なのだから。
「だからまあ、チートをする人たちは、仮に現実でそういう力を得たとしても、決してその欲求が満たされることはない」
虚ろなる栄光に憧れ、ズルをして手にする。
そうした人たちが待ち受ける運命とは。
大抵は破滅であるのだろう。
しかし、どうも、話はそういう方向ではないようだ。
「例えば、そうね。ある重病に罹っている人がいるとしましょう。その人が、薬を手にしたとして、ある程度症状が緩和されるなら、その人は喜ぶのかしら」
カウンセラーは少し考えた。
そういう人たちは看たことがある。
例えば、小児の末期がん患者であったり。
「そうではないのでしょうか」
彼らは生への渇望がある。
そこに自身の生があるのなら、小さくとも喜びを感じていたのが彼らだった。
「そう思わない人もいるのだよ。もっと効果を。 “普通になりたい”と思うのだろう」
普通になりたい。
その渇望は彼女のものだったはず。
そう思わない人、とは彼女であるのだろう。
「そうだな。私は、とある歩行具をつけていることを、告白しようか」
カウンセラーは手を止める。
「歩行具、ですか」
「私は現実でも、チートをしているのよ」
現実でのチート?
何か、彼女はドーピングのようなことをしているのだろうか。
「自分がこの世界を作り直すとき、不安に思った。新たな世界で、自分は活躍できないのかもしれない」
この世界の異常は、彼女曰く、彼女が作り出したという。
それは、なるほど、そうか、とカウンセラーは受け止めている。
「とても、怖かった。現実の私を、欲しいと思ってくれる人がいて欲しいと思った
。だからチートに手を染めた」
ドーピングを白状する人のような叢雲の姿を、カウンセラーは黙って受け止める。
「私のチートは、潜水艦の位置が簡単にわかるレーダー。これで、対潜でのMVPは常に私って訳」
叢雲は薄く、笑った。
「はっきり言って、惨めな気分だ。なんで、私はこんなズルをしているのだろうってね」
喜べばよかろうに。
ズルをしていても、それで自身が救われるのであれば、良かろうに。
「でも。もっと力を、発揮したくてたまらない。私は、私はまだ、こんなものじゃない。私の持っている反則的な暴力の力を、ぶちまけたくて仕方がない」
叢雲は顔を手で覆う。
「それは、それでも。叢雲さんなのではないでしょうか。その力で救われる人もいるのでしょう?」
艦娘は、国防の要だ。そこは誇るべきではなかろうか。
「私が一連の騒動の原因である以上、どうあがいても悪質なマッチポンプになるのだけど」
そうだった。
そうでしたね。
「こんなズルしなくたって、どうせ死にはしないのにね」
叢雲はそう吐き捨てる。
「これについては、うん。あー。ファイトクラブって映画が興味深いことを言っているわね」
ファイトクラブ。
カウンセラーにとって、聞いたことはあるが、見たことのない映画だ。
「ファイトクラブ、ですか。聞いたことはありますが。どんな映画ですか。暴力の映画と聞いてますが」
叢雲はそれを聞いて、眉間にしわを寄せる。
「観たことはないの? 観てみるといいわ。タイラーが格好良いわよ」
ファイト・クラブのあらすじはこうである。
主人公の“僕”は優秀だが冴えないサラリーマン。
高級家具に囲まれながら、どこか釈然としない生を送り、不眠症となっていた。
医者を頼ると、重病の患者の集いを紹介される。
そこで、死に直面している患者たちと触れ合うことで、不眠症は解決したと思われた。
だが、“僕”と同様の女、“マーラ・シンガー”が集いに参加していることで、再び不眠症を煩わせていくことになる。
そんな中、家が火事となり、全ての高級家具を失うこととなった。
途方に暮れる“僕”は、飛行機で知り合ったイカした石鹸の行商人、“タイラー・ダーデン”を頼ることとなる。
彼と酒を飲んで殴り合った後、彼と設立した殴り合いの場“ファイト・クラブ”が“僕”の生において、重大な意味を持つことになっていく。
「筋骨隆々で、ワイルドなイケメンで、頼りがいのあるタフガイ。そんな人物が、あー。タイラー・ダーデンなのよ」
カウンセラーはそれを聞いて、ある人物を思い浮かべる。
彼女が愛読するコミック、WATCHMENのヒーロー、コメディアンだ。
彼も、筋骨隆々のタフガイだ。
「あなたも。そういう気持ちがあるのでしょうか」
「そういう?」
叢雲は聞き返す。
「その。タイラーのような男に、憧れとか抱きませんかね」
叢雲は、ああ、と納得した反応を返す。
「男なら誰しも、一度はあのような男に憧れるものと思ってる。自分がアメリカ人なら、あのような男を理想の姿に描いていたのかもしれない」
そこで叢雲は、ふん、と一笑する。
「ま、タイラー・ダーデンの姿は、男の下らない理想の姿でしょう。否定はしないけど。まあ、そう、思いたいのだけど」
マッチョイズム、を否定しようとしているのだろうか。
彼女の姿は、絵に描いたような美少女だ。
彼女の思惑がどうであれ、マッチョは彼女の好みではないのだろう。
「ただ、タイラーの言うことは、自分たちのような人間にとって非常に興味深いと思うわ。現代の人間は皆、物質主義の奴隷なのだと」
じっと、叢雲はカウンセラーの眼を見つめた。
「普通の人たちは、お金があることだとか、結婚していることだとか、あるいはオタク趣味に囲まれることで、あるいは。才能に恵まれることで幸せを感じているんだ」
それが、普通なのだ。
それを疑問に思わずにいるところが、特に普通なのだ。
「そして、それに疑問を持っているアウトサイダーが、自分たちなのだ」
普通は疑問を持たない。
疑問を持つならば、その人は異端者。
それが、この社会の構造なのだ。
「仮に私が、精神病院だかに行ったとしよう。そうしたら、こう言われるはずだ、”薬飲んで運動しろ”ってね」
馬鹿馬鹿しいと、叢雲はつぶやいた。
「運動して得られる肉体は、そんなに素晴らしいのかしら? それとも筋肉はすべてを解決するとでも言うのかしら?」
薬を飲んで精神を落ち着かせて、健全な肉体を作り上げることで、幸福感を維持する。
普通の人間ならそれを疑問に思わず、それを実行して救われるのであろう。
それを叢雲はそうして救われることを否定していた。
「あるいは。自分たちが、神様からチートを貰って、それで無双して、それで幸せに暮らしましたとなるとでも?」
才能があって、それで活躍して、幸せを感じること。
それを叢雲は否定していた。
「本当にそんなのって必要なの? この感覚って分かんないかな」
カウンセラーは沈黙する。
そうした幸せが、彼女にあってもよかったのだと、カウンセラーは思っていたのだった。
「あの映画が言うように。自分たちは自分たちの手法をもって、よく生きることを求めなければいけないのよ」
必死に、何かを、叢雲は伝えようとする。
「社会は決して、自分たちを救わない。連中がすることは、自分たちにマイナーの烙印を押して、迫害することだけだ。そして知れという、あなたは幸福である、と」
カウンセラーに、言葉が刺さる。
「そんな中で、生きなきゃ、って求められるのさ」
叢雲の声が、震えていた。
「チートなんか、持たなくたって、十分に人は生きられるはずなのだけどね。必要なのは、よく生きることに必死になること、なのかもしれないな」
そして、意気消沈して、叢雲は項垂れる。
「私は、恐らく、昔から、必死さが足りていないのだと」
机に伏しながら、言葉を紡ぐ。
「私たちは真剣に、戦わなければならない。例え、艦娘でなかろうと」
そうした中で、突然彼女は、戦う意思を示した。
「何故、私たちは、彼女らと戦っている? それをもっと、真剣に考えないといけないのでしょうね」
なるほど、確かに興味深い。
アウトサイダーの幸福。
カウンセラーはそれについて、もっと考えてみようと感じていた。
一応、本編の叢雲もチート自体は持っているという設定だったり。
本人が嫌がっているので使っていないだけで。
お守りとして持っている感じですね。