後はぽつぽつ番外編を投下していきます。
悩む。悩む。
カウンセラーは悩む生き物である。
出口が分からない迷宮でクライアントと共に、一緒にさまよい歩き続ける存在が、カウンセラーであると、少なくとも彼はそう思っている。
だが、クライアントがいないと、どうしようもない。
「これで、よかったのでしょうかね」
正直に言うと、叢雲のことが、不安なのだ。
彼女は、未だ、苦しみに囚われ続けているように思えて仕方がなかった。
人は生まれて、必ず幸せになる権利があるはずなのだ。
生きることで、生きてもいい幸せを、一緒に見つけて欲しかったのだが。
まあ、終わってしまったことだ。くよくよしていたって、仕方がない。
他の艦娘のカウンセリングだってあるのだ。切り替えていこうとする。
そうした中、ドアのノック音が聞こえる。
はて? この時間は予定がないはずだが。
「どうぞ」
「失礼するよ」
それは、美少女の形をしていたが、艦娘ではなかった。
病的に白い肌、痩せすぎた体、くすんだ灰色の髪を持ち、死人のようだった。眼だけが爛々と輝き、その生を主張している。
彼女はまるで、噂に聞く深海棲艦の姫のようであった。
ただ、服装はおとなしいというか、目立つというか。チェックシャツとジーンズを着て、その上から貝紫のローブを羽織っている。魔術的であり、現世的でもある。それが彼女の正体を、謎にさせていた。
「今、大丈夫かな?」
「いいですけど。貴女は、どちら様ですか?」
落ち着いた声だ。
リスニングのCDのような、聞き取りやすい声をしている。
「私は叢雲が語る所の、ランプの魔人、と言えば分るだろうか」
カウンセラーは、それを聞いて驚くが、納得して彼女の存在を受け入れた。
「どうぞ」
彼女はそうして、椅子に座った。
「どのようなご用件で」
きっちりと背をピンと伸ばして、姿勢良く佇んでいる。
「あの子にもう一回、コンタクトを取ろうと思ってね。こうやって、ここまで来た」
じっと、そして、蒼い瞳が深くこちらを見つめてくる。
「どうやらあの子は、想像以上に君に気を許しているようだから、ね」
「それは、ありがたいですけど」
こうして見ると、不思議な人間だ。
叢雲は目の前の彼女をランプの魔人と評したが、カウンセラーにはそう思えるだけのものがある。
カウンセラーはこのような人間に、かつて会ったことがない。
「とりあえず、何か食べる? 紅茶と饅頭でいいかな? 良いのが手に入ったんだ」
彼女は、ローブの中から、ポッドを取り出し、お茶の準備を始めた。
その原理は謎だが、良い香りがする。
「いただきます」
カウンセラーは茶と菓子を口にする。
美味しい。
ここまでのを食べるのは、随分、久しぶりな気がする。
「一つ聞いても?」
「いいよ。ああ、聞きたいことは一杯あるだろう。時間の許す限り、いくらでも質問するといい」
いい機会だ。
彼女のような存在が実在するというなら。目の前にいるというなら。
聞いてみたいことは山ほどある。
「何故彼女、いえ、彼に肩入れを?」
やはり、それが第一の謎である。
ひょっとすると、彼女であることに意味はないのかもしれないが、何故に彼女であると、それでも聞いてみたかった。
「ふむ。そう思うだろう」
彼女はティーカップを置き、少し沈黙する。
「私は、あの子と少しばかり話をして、あの子が既に選んでいた道を、後押しただけだよ。自分の世界を紡ぐのだ、とね」
それは、どういうことなのだろうか。
カウンセラーには分からなかった。
「その辺りは未だ、あの子も勘違いをしている。あの子は力を手に入れたが、全てを把握するには未だ、時間が必要なようだ」
彼女はカップを持ち、紅茶を口にし、口を潤わす。
「まず私が。どういったものであるかを話そう。私の名前はフレデリカ。信じようか信じまいか。“ここ”ではない“どこか”に住んでいる。ただの、概念として存在する人間だよ」
ここではないどこか。概念として、存在する人間。
どれも、理解するに苦しい。
ただ、最後の言葉に反応する。
「人間、ですか」
「そう。人の心に現れたり、こうしてこの世に現れたりすることはするが。そういった意味で、私はあの子の言うところのランプの魔人でもあるのだがね。私は人間だよ」
ともかく、自分たちの理解を超えた人間、ということを言いたいのだろうか。
「さて、私は普段、一人で孤独に過ごしている。そんな私の楽しみの一つが、こうやって他の人間に会うことだ」
そうやって、フレデリカは自分を語っていく。
「こうやって、君のような普通の人間と会って話すのも楽しいが。特に好きな人間は、あの子のような人間だ」
あの子、というと叢雲のことであろう。
彼女を、そして彼を特別にみているのだろう。
「あの子のような人間、つまり、自らの中に神を見出した人間のことだ」
その言葉に、カウンセラーは詰まる。
「神を?」
「そう。あるいは、人として目覚めた、あるいは悟りに目覚めた、というのが分かりやすいかな」
概念としては知っている。
悟りの概念自体は、叢雲も語っていた。
ただ、彼女は、悟りから未だ遠い人間であると思っていたが。
「あの子は元から、神を見出し易い素質を持っていた。それなりに恵まれた環境と、心身のハンデ。人一倍、世界というものを身近に感じる素質がある一人であったのだ」
そう言われると、カウンセラーも多少は納得できる。
仏陀も王族出身で、体が人一倍弱かったと聞く。
悟りには、そういったことも関係するのかもしれない。
「そして、あの子が車に身を投じることになり、心身の機能をほとんど失ったとき、ついに、あの子は自らの神を感じた」
その状況が意味するのは、極限な状況に置かれた人間のこと。
「自らの中に神を見出すとき、人は私の姿を見ることになる」
それはつまり、メスナーの体験でもあるのだ。
「そうして出会った人間に、私は祝福を上げるのが好きなのさ」
そうして、フレデリカは優しく微笑んだ。
「貴女自身はこの世界に、何もしていない、と?」
「そういうことだ。神を見出した人間は、世界を自分で塗り替える力を持っている。この世界を変えたのは、あの子自身の力だ」
カウンセラーの目の前の人間は、世界を変えるだけの力を持っているのだろう。
だが、それでも。自分は何もしていないのだという。
変えたのは、彼自身であるのだと。
「それにしても、力をこういう方向に使う人間は、大変稀だが。この世界でも数回程度だったかな」
そう言ってフレデリカは辺りを見渡す。
「彼女は、本当に悟っているのでしょうか。私には、そうとは見えませんが」
「だろうな。だが、明確に神を感じている」
悟りというと、カウンセラーには、もっと、世俗離れしたイメージがあるのだが。
「あの子は、自分なりの技で、自身を救おうとしているのだ」
そういわれると、叢雲の言葉を思い出す。
自分を救えるのは自分だけなのだ、と。
「だが。ただ、未だ、未熟で。見出した初期の頃。自身が力を持っている、ということだけなのだ」
それは、どういうことだろう。
突っ込んでみる。
「彼女はどうして、このような世界を作ったのでしょう」
フレデリカは頭を傾げるような素振りを見せた。
「なぜ、艦これの世界か。そして、なぜこうも歪であるのかと問われれば。私も知りたいところだ」
その言葉にカウンセラーは不思議に思う。
「分からないのですか」
「ああ。私も人間だ。それなりに万能だと自負しているが、あの子の作品は。あの子だけのものだ。あの子だけが、真に理解することができる」
てっきり、目の前の超人は、何もかもを理解しているのだと思っていた。
それはどうも、違うらしかった。
「ただ、私に分かることもある」
フレデリカは右手を上げ、人差し指で上を指す。
「神を見出していながら、現実へと戻り、他者へと自らの言葉を紡ぐ。それは、仏陀やキリスト、
仏陀やキリストも、人々に、弟子たちに自身の作品を語ってきた。
物語ることは、救済なのだ。
「世界を自らの作品として“開く”ことで、あの子は、世界の真理を伝え、自らと人間を、救おうとしているのだ」
作品には、この世の真理が込められている。
それは、世の無常であったり、神の国の到来であったりする。
「無自覚で。その技は、未だ、未熟なれど。だが、素晴らしい道だ。その道は人間と苦難に満ちている」
そして、絶対的な真理ではない最善の道を示すことで、自分と他人を救おうとしているのだ。
「なるほど。ですが、苦しすぎる道です」
少しだけはカウンセラーにも理解できた。
だが、叢雲を、悲しいと思ってしまう。
「悟っているのであれば。なぜ、このような道を彼女は選んだのでしょう。もっと楽な道があったはずです」
「なぜ、か。ふむ」
誰にも自由があるはずだ。自分の意思を貫き通すという。
だが、叢雲はそれを捨てていた。
「あの子は、とある絶望を知って、理解している。それは、人生は苦行である、ということだ」
それはそうだと、カウンセラーは知っている。
だが、反論せずにはいられない。
「人生は、もっと、美しいはずです。それを彼女にも、理解してほしいのですが」
悟っているのであれば、それも理解できるのではないのか。
「あの子はそれを十分すぎるほどに、理解しているのだが」
相変わらずフレデリカはカウンセラーを見つめる。
ただ、その視線が険しくなる。
「あの子の好きな漫画を引用するなら、“楽観論者が言うにはな、この世界が宇宙で最高らしい。で、悲観論者がビビってんのはな、その通りだってことらしいや”とのことだ」
つまり、奇怪なことに楽観論者と悲観論者の認識は同じ、ということだ。
彼らの考えはこの世界が最高であると認識しているのだ。
その事実にカウンセラーは戸惑うことになる。
「あの子は、確かに神を見出してはいる。ただし、自分だけが救われても意味がないのだとも知っているのだ。自分だけが救われても、他の人間も苦しんでいるままである、と」
確かに悟ることは、人生をより良くすることに繋がるのだ。
だが、それで幸福になれるというわけではなかったのだ。
「苦しみにとらわれ続ける限り、人は周りを苦しませようとする。それを無視するには、あの子は繊細過ぎる。あの子は、皆と一緒に救わねば、救われないのだ」
もし、叢雲がそうであるのならば、救いは困難ではないのか。
「どうやったら、私は、彼女を救えるのでしょうか」
カウンセラーは苦悩する。
どうにかして彼女の力になりたいと、思っているのだ。
「貴女は、私は、彼女を救えないのでしょうか」
フレデリカは紅茶を啜り、目を瞑った。
「実は私は、あの子に拒否されてしまってね。どうも、私は
フレデリカはランプの魔人だ。
人を救うことは、彼女にとって、比較的容易い。
相手が普通の人であれば、ほとんどの願いを叶えることができるだろう。
「自身を凡庸化して、生きているだけで救われる人生を送るか。それとも非凡なままに、“生まれるのが早すぎた者たちの世界”へ転移して余生を送るかを提案したのだが、どっちも選ばない、ときた」
ただし、普通であればの話だ。
彼女は、そう、普通でなかった。
彼女はランプの魔人に頼ることを良しとしなかったのだ。
「奇怪なことではあるが。あの子も、どこかでどうしようもない自分自身を、愛したかったのかもしれない」
フレデリカは小さくため息をついた。
「だが、君には、あの子を救うことはできると思っている」
ランプの魔人にできないで、ただの人間が救うというのか。
カウンセラーは信じられないでいる。
「繰り返しになるが、自分自身を救えるのは、真に自分自身だけだ」
この言葉は辛い言葉だが、事実だと思っている。
カウンセリングは、その人自身が持つ人間性というものに期待しているのだ。
つまりは人間である限り、本人の問題は、本人で解決できるはずだという。
カウンセラーもそう思っている。
「だから君も、あの子の一部となるといい」
ただ、自分自身とは、何もその人ひとり、という訳ではないのだ。
「あの子の人生の中で、生きるのだ。あの子にとって、大切なものとなるように。例え、君が死のうとも、その意思は彼女の中で生きるように、ね」
自分の思いを彼女に伝えるのだ。
つまりは、自分もまた、彼女に自分を開かなければならないのだ。
「その時を期待して、ただ、続けると良い。あの子に近づきたければ、近づくと良い。あの子の作品を理解すればするほど、それだけあの子は喜ぶだろう」
作品には、思いが込められている。
思いを理解し、寄り添えれることが出来るのならば、彼女の救済に繋がるかもしれない。
「近づくための素養も、君は十分に得てきているようだ」
「それは、精神的な意味で、ということですかね」
決して、今までの努力は無駄ではないのだろう。
それをこれからも続ける限り。
「ああ。それと、肉体的にもね。最近、自身の周りに妖精さんを見るだろう。それは、艦娘になるサインらしいな。あと一週間のうちに、君も艦娘の仲間入りだな」
「はあ? でも。いや、そうか、彼は」
「まあ、繰り返すが、どうやらあの子は、想像以上に君に気を許しているようだ。止めて欲しければ、あの子に言うと良い。あの子ならば、それもまた良しとするだろう」
艦娘になることは、どうも彼女の理解に必要、という訳ではないらしい。
「艦娘になれば、よりあの子に近づけるだろうが。最も大切なことは別にある。君が彼女に語り続けることは、彼女の救済への道へと歩むこととなるだろう」
カウンセラーは決意を抱き、フレデリカに問う。
「最後に。聞くのは野暮かもしれませんが。私は、これから、どうすればいいでしょう?」
「それはどういう意味だろう。何を迷っているのかな」
フレデリカにとっては、十分、カウンセラーは分かっているはずだった。
「艦娘になるかもそうですけどね。私も迷っているのですよ。拒否された私が、艦娘の、そして彼女と会うことを続けていいのかと」
覚悟はほぼ、決まっている。
ならば、後押しするのみ。
「ならば、迷い続ければいい。君たちの職業はそういう仕事だろう」
「そうですか」
カウンセラーは苦笑する。
「くよくよするな、とでも言われると思ったのですが」
それを聞くと、フレデリカは頷き、微笑んだ。
「その姿は。とても人間的だ。その思いこそが、善く人生を生きる道であり、人を救う道なのだ」
悩む姿は一般に敬遠されがちだ。
だが、フレデリカは悩む姿もまた、良し、と思うのだ。
悩む姿もまた、人間であると、認めていた。
「そろそろ時間だな。他の艦娘のカウンセリングもあるのだろう。私はここで失礼させてもらうよ」
彼女は、時計を見て、カウンセラーもまた、時計をつられて見ていた。
もうじき、別の艦娘が来る時間が近づいていた。
「最後になるが。あの子に伝えてやるといい。私は君を待っているよ、と。君自身の作品が、世界が人間を、そして君を真に救うときが来るのを。例え、至るには永遠に未熟であれど。私は、君らを、温かく応援するつもりであると、ね」
上手くいくかは分からない。ひょっとしたら、上手くいかないのかもしれない。
それでも、フレデリカは、支えようと思っていた。
「その時が来るのは長い時間がかかるであろうが。続ける限り、いつか、やってくる時が来ると、私は信じている」
カウンセラーに深い、何かがこみあげてくる。
「ありがとうございました」
「うん」
良い時間だった。
このまま、もっと、話を続けてみたいと思っている。
だが、もう終わりが近づいていた。
この時間に終わりが訪れるのだ。
彼もまた、現実に戻らねばならない。
「では、君も自らの神を見出すことがあれば。また会おう」
フレデリカは扉を開き、外に出ようとすると、彼女の存在が消え始めた。
なんて事はない。彼女もまた、彼女の現実へと帰るのだ。
「その時に自らの世界を開くのならば。また、それも素晴らしいことだろう」
そうして、微笑んで、消えていく。
「その時まで、さようなら」
そう残してフレデリカは去っていった。
そう、彼らの人生は、まだ、始まったばかりなのだった。
彼らの苦難の人生は続く。
だけど、それは不幸でも何でもないのだった。