救済の技法   作:倉木学人

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やっと終わったー。

後はぽつぽつ番外編を投下していきます。


10.WORLD CELL

 悩む。悩む。

 

 カウンセラーは悩む生き物である。

 出口が分からない迷宮でクライアントと共に、一緒にさまよい歩き続ける存在が、カウンセラーであると、少なくとも彼はそう思っている。

 

 だが、クライアントがいないと、どうしようもない。

 

「これで、よかったのでしょうかね」

 

 正直に言うと、叢雲のことが、不安なのだ。

 彼女は、未だ、苦しみに囚われ続けているように思えて仕方がなかった。

 

 人は生まれて、必ず幸せになる権利があるはずなのだ。

 生きることで、生きてもいい幸せを、一緒に見つけて欲しかったのだが。

 

 まあ、終わってしまったことだ。くよくよしていたって、仕方がない。

 他の艦娘のカウンセリングだってあるのだ。切り替えていこうとする。

 

 そうした中、ドアのノック音が聞こえる。

 はて? この時間は予定がないはずだが。

 

「どうぞ」

「失礼するよ」

 

 それは、美少女の形をしていたが、艦娘ではなかった。

 病的に白い肌、痩せすぎた体、くすんだ灰色の髪を持ち、死人のようだった。眼だけが爛々と輝き、その生を主張している。

 彼女はまるで、噂に聞く深海棲艦の姫のようであった。

 

 ただ、服装はおとなしいというか、目立つというか。チェックシャツとジーンズを着て、その上から貝紫のローブを羽織っている。魔術的であり、現世的でもある。それが彼女の正体を、謎にさせていた。

 

「今、大丈夫かな?」

「いいですけど。貴女は、どちら様ですか?」

 

 落ち着いた声だ。

 リスニングのCDのような、聞き取りやすい声をしている。

 

「私は叢雲が語る所の、ランプの魔人、と言えば分るだろうか」

 

 カウンセラーは、それを聞いて驚くが、納得して彼女の存在を受け入れた。

 

「どうぞ」

 

 彼女はそうして、椅子に座った。

 

「どのようなご用件で」

 

 きっちりと背をピンと伸ばして、姿勢良く佇んでいる。

 

「あの子にもう一回、コンタクトを取ろうと思ってね。こうやって、ここまで来た」

 

 じっと、そして、蒼い瞳が深くこちらを見つめてくる。

 

「どうやらあの子は、想像以上に君に気を許しているようだから、ね」

「それは、ありがたいですけど」

 

 こうして見ると、不思議な人間だ。

 叢雲は目の前の彼女をランプの魔人と評したが、カウンセラーにはそう思えるだけのものがある。

 カウンセラーはこのような人間に、かつて会ったことがない。

 

「とりあえず、何か食べる? 紅茶と饅頭でいいかな? 良いのが手に入ったんだ」

 

 彼女は、ローブの中から、ポッドを取り出し、お茶の準備を始めた。

 

 その原理は謎だが、良い香りがする。

 

「いただきます」

 

 カウンセラーは茶と菓子を口にする。

 

 美味しい。

 

 ここまでのを食べるのは、随分、久しぶりな気がする。

 

「一つ聞いても?」

「いいよ。ああ、聞きたいことは一杯あるだろう。時間の許す限り、いくらでも質問するといい」

 

 いい機会だ。

 彼女のような存在が実在するというなら。目の前にいるというなら。

 聞いてみたいことは山ほどある。

 

「何故彼女、いえ、彼に肩入れを?」

 

 やはり、それが第一の謎である。

 ひょっとすると、彼女であることに意味はないのかもしれないが、何故に彼女であると、それでも聞いてみたかった。

 

「ふむ。そう思うだろう」

 

 彼女はティーカップを置き、少し沈黙する。

 

「私は、あの子と少しばかり話をして、あの子が既に選んでいた道を、後押しただけだよ。自分の世界を紡ぐのだ、とね」

 

 それは、どういうことなのだろうか。

 カウンセラーには分からなかった。

 

「その辺りは未だ、あの子も勘違いをしている。あの子は力を手に入れたが、全てを把握するには未だ、時間が必要なようだ」

 

 彼女はカップを持ち、紅茶を口にし、口を潤わす。

 

「まず私が。どういったものであるかを話そう。私の名前はフレデリカ。信じようか信じまいか。“ここ”ではない“どこか”に住んでいる。ただの、概念として存在する人間だよ」

 

 ここではないどこか。概念として、存在する人間。

 

 どれも、理解するに苦しい。

 ただ、最後の言葉に反応する。

 

「人間、ですか」

「そう。人の心に現れたり、こうしてこの世に現れたりすることはするが。そういった意味で、私はあの子の言うところのランプの魔人でもあるのだがね。私は人間だよ」

 

 ともかく、自分たちの理解を超えた人間、ということを言いたいのだろうか。

 

「さて、私は普段、一人で孤独に過ごしている。そんな私の楽しみの一つが、こうやって他の人間に会うことだ」

 

 そうやって、フレデリカは自分を語っていく。

 

「こうやって、君のような普通の人間と会って話すのも楽しいが。特に好きな人間は、あの子のような人間だ」

 

 あの子、というと叢雲のことであろう。

 彼女を、そして彼を特別にみているのだろう。

 

「あの子のような人間、つまり、自らの中に神を見出した人間のことだ」

 

 その言葉に、カウンセラーは詰まる。

 

「神を?」

「そう。あるいは、人として目覚めた、あるいは悟りに目覚めた、というのが分かりやすいかな」

 

 概念としては知っている。

 悟りの概念自体は、叢雲も語っていた。

 

 ただ、彼女は、悟りから未だ遠い人間であると思っていたが。

 

「あの子は元から、神を見出し易い素質を持っていた。それなりに恵まれた環境と、心身のハンデ。人一倍、世界というものを身近に感じる素質がある一人であったのだ」

 

 そう言われると、カウンセラーも多少は納得できる。

 

 仏陀も王族出身で、体が人一倍弱かったと聞く。

 悟りには、そういったことも関係するのかもしれない。

 

「そして、あの子が車に身を投じることになり、心身の機能をほとんど失ったとき、ついに、あの子は自らの神を感じた」

 

 その状況が意味するのは、極限な状況に置かれた人間のこと。

 

「自らの中に神を見出すとき、人は私の姿を見ることになる」

 

 それはつまり、メスナーの体験でもあるのだ。

 

「そうして出会った人間に、私は祝福を上げるのが好きなのさ」

 

 そうして、フレデリカは優しく微笑んだ。

 

「貴女自身はこの世界に、何もしていない、と?」

「そういうことだ。神を見出した人間は、世界を自分で塗り替える力を持っている。この世界を変えたのは、あの子自身の力だ」

 

 カウンセラーの目の前の人間は、世界を変えるだけの力を持っているのだろう。

 

 だが、それでも。自分は何もしていないのだという。

 変えたのは、彼自身であるのだと。

 

「それにしても、力をこういう方向に使う人間は、大変稀だが。この世界でも数回程度だったかな」

 

 そう言ってフレデリカは辺りを見渡す。

 

「彼女は、本当に悟っているのでしょうか。私には、そうとは見えませんが」

「だろうな。だが、明確に神を感じている」

 

 悟りというと、カウンセラーには、もっと、世俗離れしたイメージがあるのだが。

 

「あの子は、自分なりの技で、自身を救おうとしているのだ」

 

 そういわれると、叢雲の言葉を思い出す。

 自分を救えるのは自分だけなのだ、と。

 

「だが。ただ、未だ、未熟で。見出した初期の頃。自身が力を持っている、ということだけなのだ」

 

 それは、どういうことだろう。

 突っ込んでみる。

 

「彼女はどうして、このような世界を作ったのでしょう」

 

 フレデリカは頭を傾げるような素振りを見せた。

 

「なぜ、艦これの世界か。そして、なぜこうも歪であるのかと問われれば。私も知りたいところだ」

 

 その言葉にカウンセラーは不思議に思う。

 

「分からないのですか」

「ああ。私も人間だ。それなりに万能だと自負しているが、あの子の作品は。あの子だけのものだ。あの子だけが、真に理解することができる」

 

 てっきり、目の前の超人は、何もかもを理解しているのだと思っていた。

 

 それはどうも、違うらしかった。

 

「ただ、私に分かることもある」

 

 フレデリカは右手を上げ、人差し指で上を指す。

 

「神を見出していながら、現実へと戻り、他者へと自らの言葉を紡ぐ。それは、仏陀やキリスト、幾多数多(いくたあまた)の救済者の道だ」

 

 仏陀やキリストも、人々に、弟子たちに自身の作品を語ってきた。

 

 物語ることは、救済なのだ。

 

「世界を自らの作品として“開く”ことで、あの子は、世界の真理を伝え、自らと人間を、救おうとしているのだ」

 

 作品には、この世の真理が込められている。

 

 それは、世の無常であったり、神の国の到来であったりする。

 

「無自覚で。その技は、未だ、未熟なれど。だが、素晴らしい道だ。その道は人間と苦難に満ちている」

 

 そして、絶対的な真理ではない最善の道を示すことで、自分と他人を救おうとしているのだ。

 

「なるほど。ですが、苦しすぎる道です」

 

 少しだけはカウンセラーにも理解できた。

 だが、叢雲を、悲しいと思ってしまう。

 

「悟っているのであれば。なぜ、このような道を彼女は選んだのでしょう。もっと楽な道があったはずです」

「なぜ、か。ふむ」

 

 誰にも自由があるはずだ。自分の意思を貫き通すという。

 

 だが、叢雲はそれを捨てていた。

 

「あの子は、とある絶望を知って、理解している。それは、人生は苦行である、ということだ」

 

 それはそうだと、カウンセラーは知っている。

 だが、反論せずにはいられない。

 

「人生は、もっと、美しいはずです。それを彼女にも、理解してほしいのですが」

 

 悟っているのであれば、それも理解できるのではないのか。

 

「あの子はそれを十分すぎるほどに、理解しているのだが」

 

 相変わらずフレデリカはカウンセラーを見つめる。

 

 ただ、その視線が険しくなる。

 

「あの子の好きな漫画を引用するなら、“楽観論者が言うにはな、この世界が宇宙で最高らしい。で、悲観論者がビビってんのはな、その通りだってことらしいや”とのことだ」

 

 つまり、奇怪なことに楽観論者と悲観論者の認識は同じ、ということだ。

 彼らの考えはこの世界が最高であると認識しているのだ。

 

 その事実にカウンセラーは戸惑うことになる。

 

「あの子は、確かに神を見出してはいる。ただし、自分だけが救われても意味がないのだとも知っているのだ。自分だけが救われても、他の人間も苦しんでいるままである、と」

 

 確かに悟ることは、人生をより良くすることに繋がるのだ。

 

 だが、それで幸福になれるというわけではなかったのだ。

 

「苦しみにとらわれ続ける限り、人は周りを苦しませようとする。それを無視するには、あの子は繊細過ぎる。あの子は、皆と一緒に救わねば、救われないのだ」

 

 もし、叢雲がそうであるのならば、救いは困難ではないのか。

 

「どうやったら、私は、彼女を救えるのでしょうか」

 

 カウンセラーは苦悩する。

 

 どうにかして彼女の力になりたいと、思っているのだ。

 

「貴女は、私は、彼女を救えないのでしょうか」

 

 フレデリカは紅茶を啜り、目を瞑った。

 

「実は私は、あの子に拒否されてしまってね。どうも、私は宗教(うさん)臭いらしい」

 

 フレデリカはランプの魔人だ。

 人を救うことは、彼女にとって、比較的容易い。

 

 相手が普通の人であれば、ほとんどの願いを叶えることができるだろう。

 

「自身を凡庸化して、生きているだけで救われる人生を送るか。それとも非凡なままに、“生まれるのが早すぎた者たちの世界”へ転移して余生を送るかを提案したのだが、どっちも選ばない、ときた」

 

 ただし、普通であればの話だ。

 

 彼女は、そう、普通でなかった。

 彼女はランプの魔人に頼ることを良しとしなかったのだ。

 

「奇怪なことではあるが。あの子も、どこかでどうしようもない自分自身を、愛したかったのかもしれない」

 

 フレデリカは小さくため息をついた。

 

「だが、君には、あの子を救うことはできると思っている」

 

 ランプの魔人にできないで、ただの人間が救うというのか。

 カウンセラーは信じられないでいる。

 

「繰り返しになるが、自分自身を救えるのは、真に自分自身だけだ」

 

 この言葉は辛い言葉だが、事実だと思っている。

 カウンセリングは、その人自身が持つ人間性というものに期待しているのだ。

 

 つまりは人間である限り、本人の問題は、本人で解決できるはずだという。

 カウンセラーもそう思っている。

 

「だから君も、あの子の一部となるといい」

 

 ただ、自分自身とは、何もその人ひとり、という訳ではないのだ。

 

「あの子の人生の中で、生きるのだ。あの子にとって、大切なものとなるように。例え、君が死のうとも、その意思は彼女の中で生きるように、ね」

 

 自分の思いを彼女に伝えるのだ。

 つまりは、自分もまた、彼女に自分を開かなければならないのだ。

 

「その時を期待して、ただ、続けると良い。あの子に近づきたければ、近づくと良い。あの子の作品を理解すればするほど、それだけあの子は喜ぶだろう」

 

 作品には、思いが込められている。

 思いを理解し、寄り添えれることが出来るのならば、彼女の救済に繋がるかもしれない。

 

「近づくための素養も、君は十分に得てきているようだ」

「それは、精神的な意味で、ということですかね」

 

 決して、今までの努力は無駄ではないのだろう。

 それをこれからも続ける限り。

 

「ああ。それと、肉体的にもね。最近、自身の周りに妖精さんを見るだろう。それは、艦娘になるサインらしいな。あと一週間のうちに、君も艦娘の仲間入りだな」

「はあ? でも。いや、そうか、彼は」

「まあ、繰り返すが、どうやらあの子は、想像以上に君に気を許しているようだ。止めて欲しければ、あの子に言うと良い。あの子ならば、それもまた良しとするだろう」

 

 艦娘になることは、どうも彼女の理解に必要、という訳ではないらしい。

 

「艦娘になれば、よりあの子に近づけるだろうが。最も大切なことは別にある。君が彼女に語り続けることは、彼女の救済への道へと歩むこととなるだろう」

 

カウンセラーは決意を抱き、フレデリカに問う。

 

「最後に。聞くのは野暮かもしれませんが。私は、これから、どうすればいいでしょう?」

「それはどういう意味だろう。何を迷っているのかな」

 

 フレデリカにとっては、十分、カウンセラーは分かっているはずだった。

 

「艦娘になるかもそうですけどね。私も迷っているのですよ。拒否された私が、艦娘の、そして彼女と会うことを続けていいのかと」

 

 覚悟はほぼ、決まっている。

 ならば、後押しするのみ。

 

「ならば、迷い続ければいい。君たちの職業はそういう仕事だろう」

「そうですか」

 

 カウンセラーは苦笑する。

 

「くよくよするな、とでも言われると思ったのですが」

 

 それを聞くと、フレデリカは頷き、微笑んだ。

 

「その姿は。とても人間的だ。その思いこそが、善く人生を生きる道であり、人を救う道なのだ」

 

 悩む姿は一般に敬遠されがちだ。

 だが、フレデリカは悩む姿もまた、良し、と思うのだ。

 

 悩む姿もまた、人間であると、認めていた。

 

「そろそろ時間だな。他の艦娘のカウンセリングもあるのだろう。私はここで失礼させてもらうよ」

 

 彼女は、時計を見て、カウンセラーもまた、時計をつられて見ていた。

 

 もうじき、別の艦娘が来る時間が近づいていた。

 

「最後になるが。あの子に伝えてやるといい。私は君を待っているよ、と。君自身の作品が、世界が人間を、そして君を真に救うときが来るのを。例え、至るには永遠に未熟であれど。私は、君らを、温かく応援するつもりであると、ね」

 

 上手くいくかは分からない。ひょっとしたら、上手くいかないのかもしれない。

 

 それでも、フレデリカは、支えようと思っていた。

 

「その時が来るのは長い時間がかかるであろうが。続ける限り、いつか、やってくる時が来ると、私は信じている」

 

 カウンセラーに深い、何かがこみあげてくる。

 

「ありがとうございました」

「うん」

 

 良い時間だった。

 このまま、もっと、話を続けてみたいと思っている。

 

 だが、もう終わりが近づいていた。

 

 この時間に終わりが訪れるのだ。

 彼もまた、現実に戻らねばならない。

 

「では、君も自らの神を見出すことがあれば。また会おう」

 

 フレデリカは扉を開き、外に出ようとすると、彼女の存在が消え始めた。

 なんて事はない。彼女もまた、彼女の現実へと帰るのだ。

 

「その時に自らの世界を開くのならば。また、それも素晴らしいことだろう」

 

 そうして、微笑んで、消えていく。

 

「その時まで、さようなら」

 

 そう残してフレデリカは去っていった。

 

 そう、彼らの人生は、まだ、始まったばかりなのだった。

 

 

 彼らの苦難の人生は続く。

 だけど、それは不幸でも何でもないのだった。


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