2017/3/14:文章の一字下げの修正
1.TOWN-0 PHASE-5
カウンセリングというものがある。対話をして、その中で得た本人の心の成長を基に、心の問題を解決してもらうのである。
つまり、悩みを自分で解決できるようになってもらおう、というわけである。
ここ、呉の鎮守府では、艦娘相手に試験的なカウンセリングが行われている。世間では、謎の存在である“艦娘”と呼ばれる少女たちが、これまた謎の存在である“深海棲艦”を相手に戦っている。艦娘は謎の存在であるが、どうも悩める人の心はあるらしい。
そこで、カウンセリングである。戦いの中で悩める未熟な少女たちの負担を、どうにか和らげようというわけだ。
とはいえ、なかなか上手くいかないものである。そもそも人の心はあいまいにして謎である。艦娘自体はさらに謎の塊である。
“いない艦娘の名を呼ぶ病”なんてものがあるぐらいだ。本当に艦娘の心が抱える問題を、人の手で解決できるのだろうか?
まあ、やらねばならないのだが。カウンセラーとしても、このご時世でやっと得た仕事でもある。
できることが、例え彼女たちに寄り添うことだけだとしても。それはきっと意味があるはずだ。
二月の夕暮れ。エアコンの部屋から出にくい日。ドアからノックの音が聞こえる。
今日もまた、カウンセリングが始まる。
今日は新しい艦娘のカウンセリングだと聞いているが、さて。
「入っても大丈夫ですよ」
「失礼、するわ」
ためらいつつ入ってきたのは、駆逐艦叢雲の艦娘。銀髪に赤い眼。見た目麗しく、見て一発でわかる、まぎれもない艦娘である。
「はじめまして。心理カウンセラーの倉橋佳樹といいます」
「はじめまして。私は、駆逐艦娘の叢雲よ」
「どうぞおかけになってください、叢雲さん」
そうして、彼女は椅子に座った。
「それで、御用ですか」
彼女は頷き、しばし沈黙する。
「え、と。ここって、誰にも聞かれてない、よね?」
「はい。誰にも聞かれてません。勿論、ここで話したことは一切、貴女の許可なく誰にも話しませんよ」
「そう」
カウンセリングに速度はいらない。とはいえ、歩み寄ってくれるのはありがたい。
「私が来たのは。その」
「お悩みですね」
「違う」
短く否定する。そして、再び沈黙する。
「私は」
口を開け閉めし、目は泳いでいる。言いたくないことなのだろう。
ただ、ここに来ることが提督の命令でもあると、カウンセラーは聞いている。
だが、それでもまあ、言いたくないなら言わなくてもいいのだが。
そうした中、口を開いたままにして、彼女は言葉を口にした。
「死にたがってるのが、バレたのよ」
カウンセラーは、発言を紙へと書き始めた。書いたことは、後に読み返すことにより理解の手助けになる。
「死にたがっている、ですか。ここに来ることになった経緯や、あるいはそう思った理由を聞かせてもらってもよろしいですか」
言いたくないのは、おそらく本当に死にたかったのかもしれない。止めてほしいなら、“死にたい“と口にするだろう。
隠していたことがバレた経緯。あるいは、死を望むというのはどうしてか。
どちらかに答えくれるだろうか。
「元々、私は死にたがりの性格をしていて。それは今まで隠していたのだけど。それが仕事中、提督にバレたのよ」
「そうですか」
「死にたがっているのが、余程提督のお気に召さなかったみたい」
死にたがっている人がいれば、普通はそれを止めるように働きかけるだろう。提督はそういう思いで彼女をここに連れてきたのだろう。
「死にたいと思った理由は、自己肯定ができなくて。自分自身が好きになれないから」
「なるほど。自己肯定ができない、ですか。それは納得です」
自分自身が好きになれない、か。これもまあ、納得できる。自覚しているのは驚きだ。
恐らくだが、彼女は自分を否定し続けてきたのだろう。そうしていく内にどこかで、自分の存在意義を見失ってしまったのだろうか。
それは、まあ、死にたくなるものだ。
とはいえ、カウンセリングに来る人は大体がそうである。彼らは自身の在り方へ疑問を持っているのだ。
これが、私なのか、と。
と、そんな中、ふと彼女は顔を上げ、赤い眼差しをこっちへと向けた。
「ねえ。止めにしない? こんな話をしても、誰も幸せになれないわ」
「はあ。いいですけど」
「そもそも、こんなところに居たくない。私はもう手遅れなんだけどさ」
カウンセリング室をこんなところ呼ばわり、か。カウンセリング自体に良い印象を持っていないのかもしれない。
「何もなかった。快方に向かっているって書いて、それでいいでしょう。それなら皆幸せだって」
カウンセリングを受けることは悪いことではない、はずなのだが。カウンセリングは恥ずかしいのだろうか。
どうも、彼女は強がっているように見える。
「でも、これからどうするんです? 私としても死にたがっている人を放置するのは、ちょっと」
「そう、か」
放置も時には選択肢の一つであろう。但し、それで状態が良くなるならば、である。
カウンセラーとしては、ここで死にたがりを見捨てることはできない、と思う。例え、実際に死にたくなくても、である。
カウンセリングは大抵、長く苦しいが、その分やりがいはある。艦娘と話をしたい、と言う気持ちもなくはないが。
それに、目の前の艦娘は援助を拒んでいるが、話は通じそうだ。このまま話を続けたいと思う。
「先生は、他人の人生に興味があるのかな」
「そうですね。私自身も、人と話すのが好きなので」
これは事実だ。一対一の深い付き合いができるのも、カウンセリングの魅力なのだ。
「聞かせてもらえますか」
叢雲は顔をあげて、じっとこっちの眼を見てくる。
「じゃあ。私について教えてあげる。興味本位で聞いてほしくない話なんだけど。どこから話したものかしら」
彼女は頭に手をあて、かるく頭をかき混ぜる。
「そうね。私は、所謂、普通の艦娘とは違う。私は、叢雲になることを望んだ。だから私は艦娘なんだ」
艦娘になることを望んだ、という所にカウンセラーの手が止まった。
「叢雲であることを望んだ、ですか。望んだ、というのはどういう」
艦娘は選ばれた少女がなるものと聞いている。決して選ぶものではないはずだが。
「私、叢雲は、夢のような話から始まったんだ」
叢雲はそうやって語り始めた。
「深海棲艦や艦娘なんて存在が現れる前の話。一人の男が交通事故に会ったんだ。男も運転手も不注意で、お互いに損をした。男は意識不明の重体、運転手は、まあ、警察のお世話になった」
確かに交通事故は、よくある話だ。ごく、ありふれた、どこにでもある話だろう。
なぜそんな話を始めるのかはカウンセラーには理解できないでいる。
「そんな朦朧とした意識の中で、男は一人の少女と出会った」
「少女? ですか」
「そう」
この世ではない意識の中、男は少女を見出した。カウンセラーにとって、どこかで聞いた話だ。
ああ、メスナーという登山家が、似たような話をしていたとカウンセラーは思い出した。
「潜在意識、ですかね」
「さあ、ね」
メスナーは山を無酸素登山中に遭難し、極限状態に陥った。そんなとき、彼の傍らに少女が現れたそうだ。彼はその少女のアドバイスに耳を傾けることで、無事、下山することができた。
この話を馬鹿馬鹿しいと片付けるのはたやすい。だが、神秘的なものは、案外馬鹿にならないのだとカウンセラーは教科書で読んだことがある。
そもそも艦娘という存在が神秘的なものである以上、無視するわけにはいかないだろう。
交通事故に遭った彼も、そういった経験をしたのだろうか。
そして、それは艦娘とつながることなのだろうか。
「彼女の正体については、私も気になる所だったけど。ともかく、出会うと二人はゆっくりコーヒーブレイクを楽しんでいたんだ。楽しかったな。出されたコーヒーもチーズケーキも美味しかった」
叢雲の顔に、柔らかさが表れている。しかし、すぐに元の顔に戻った。
「でも、楽しい時間はあっという間だった。突然、少女が言ったんだ。“そろそろ夢から目覚める時間だ。君は現実へと戻るのだ”」
彼女の視線が下がる。
「すると男は。情けないことに駄々をこねだしたんだ。“現実なんて、もう見たくない。どうしてこのまま死なせてくれないのか”ってね」
男はどうしようもない現実に疲れていたのだろうか。死にたい理由には十分だろうが。
「ま。そう言われても少女は困るわけで。“そうは言われても、生きようとしているのは、君の意思故だろう。本当に死にたいのならとっくの昔に、君は君の手で死んでいる”」
それは正論だろう。死にたい、という人に“じゃあ、なぜ死なないのか”と言うようなものだ。
正しいが、酷でもある。
死にたい、というのは死ぬほど苦しいというメッセージなのだ。
じゃあ死ねよ、と返すのは無慈悲な拒否となるだろう。
「男はそれを聞くと静かに泣き出した」
やはり酷であったようだ。男は痛いところをつかれたのだろう。
「そして、言ったんだ。“この世に戻りたくない。信じるものが何一つない世の中で、生きるのはもう嫌だ”」
「それは。辛い言葉ですね」
信じる物がない、というのは重大だ。少なくとも男は自分と言うものを信じていないのだろう。
それこそ、目の前の彼女のように。
「少女はそこでこう提案したんだ。“じゃあ現実に信じるものがあれば、君は生きようと思うのかな”って」
カウンセラーには、ようやく目の前の彼女が言いたいことがつかめてきた。
「信じがたいことに、その少女は私の理解を超える何かを持っていた。つまりのところ、彼女は言わば、ランプの魔人だったんだ。彼女は言った。“君の妄想を現実にしよう。現実を君の意思で塗りつぶそうじゃないか”」
もし、願いが叶うのならば、あなたは何を望むのだろうか。
「私は妄想を口にした。そうして目を覚ますと、私は叢雲だった」
そうして沈黙が訪れた。叢雲は目の前のカウンセラーの眼を見て、様子をうかがっている。
「なるほど」
さて、どう表現したものかとカウンセラーは考える。目の前の彼女をどう見るべきか。
この世は、少女が妖精さんに浚われ、艦娘に作り変えられる世の中だ。彼女の言うところの、“ランプの魔人”は俄に信じがたいのだが。
しかし、そういった成り立ちがあってもおかしくはない、かもしれない。
少なくともそれは、彼女の中に明確に存在していると考えるべきだ。
「この世界の、艦娘と、深海棲艦、妖精さん、そして叢雲さんは。つまり」
「私が、望んだ結果なんだ」
ははは、と力なく彼女は笑った。
「やっぱり変かな。私」
「どうしてそう思うのでしょう。何が変なのでしょうか」
彼女が何を気にしているのかが、カウンセラーには理解できないでいる。ランプの魔人に遭った、と言った所だろうか?
「だって、こんな世界を望むなんて、可笑しいでしょう? 世間では、国毎の艦娘の保有数で格差の問題が生じ、深海棲艦のせいで飢餓と砲撃に苦しむ国が増え、今日もまた、妖精さんに誰かが浚われている。こんな世界のどこが良いのか、分からないでしょう?」
彼女は俯きながら話し続ける。
「誰も、こんな世界を望んではいないはずなんだ。こんな、どうしようもない世界は。もっと楽しい世界を、見てて笑顔になれるような世界を、皆は望むとは分かっていたさ」
彼女は再び顔に手をあて、髪を掴む。
「でも。これが、自分の望んだ通りの世界なんだ。自分の、本気の冗談だったんだ。分かってくれとは言わないけどさ」
そうして、再び彼女は沈黙する。
これが、カウンセラーと、“始まりの艦娘”との長い戦いの始まりであった。
次は、たぶん一週間後ぐらいだと思う。