或る時計塔におけるわんわんおの講義   作:古戦場火

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ゴシックホラーにおける文字通りかませ犬の人狼を焦点を当てて書いてみました。
可能性の獣ならぬ夜行性の獣ですが、読んでいただければ幸いです。


プロローグ

 宙(ソラ)のなか、青い地球を眼下に置き六人の戦士と一人の老人が、視界に収めきることが到底かなわないような巨大な獣と戦っていた。

 戦士たちの呼び名は『大熊の如き者(ベルセルク)』、老人の呼び名は『魔術師の座(セイズヒャル)』。

 

 対して、彼ら交戦している巨大な獣、直径が3,474.3 kmある月を背後に背負い、完全に隠しきる威容の獣の名はハティ・フローズヴィトニル。

 フローズヴィトニルの名が示す通り、北欧最強の巨人の一人『破壊の杖(ヴァナルガンド)』の息子である。

 父親と同じ狼の姿で月を運ぶ星の運搬者にして、北欧最強の狼『月の犬(マーナガルム)』と同格とされるこの獣は、六人の名もなき英雄達の剣をその身に受け、魔術師の呪術に身を侵されながらしかし一人ずつ確実に戦士達を殺していった。

 

 一人、また一人と巨狼に殺され、火の玉となって地球に落ちていく仲間たちを見て、戦士はそして魔術師はさらに闘志を燃やす。

 

 ―――我々はこの獣を葬るために生まれ、今まで研鑽を積んできたのだ‼

 

 

 時代に選ばれた英雄たちは絶望的な状況でありながらなお笑う。

 巨狼の爪牙に刈られ、卓越した剣技の冴えも空しく体に致命傷を負った戦士はヴァルハラに召し上げられる刹那、仲間の戦士が熊の毛皮に身を包み勇ましく斬りかかる姿を、そしてその奥で神域の『呪歌(セイズ)』を紡ぐ魔術師の姿を見た。

 

 彼は確信する。

 勝利の時は近い。

 意識を手放した戦士の遺体は会心の笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 そして・・・

 最後のベルセルクも遂には果て、戦場に立つのは魔術師と巨狼だけになった。

 

 魔術師は傷こそ負っていないものの前衛を失い無防備に、巨狼は戦士に受けた決して浅くはない傷と魔術師に受けた呪により満身創痍になっている。

 

 一見すれば魔術師に僅かに分があるかに見える戦況、しかしそれはあくまで表面上の話だ。

 

()()()()()()()()()()

 父親のようにその強大さと運命づけられた絶対不可避の勝利により死ねないのではなく、羊を追う牧羊犬のように月を後ろから追い立てる星の運搬者としての権能。

 月を飲みこむ大食とは別に持っているもの。

 つまり、()()()()()()()()()()()()である。

 

 月は未だ宙(ソラ)にあり、巨狼はその存在を小揺るぎもさせていない。

 

 

 故に、巨狼のその問いは自然なものだった。

 

「貴様は狂しているのか?・・・いや、あり得ん。馬鹿でもわかるはずだ!」

 

「・・・その言葉を聞いて、今初めて勝利を確信したよ。貴様が父親と同じく人間の言葉を解し発する巨人でよかった」

 

 ―――これでヴァルハラにて胸を張って仲間と再開できる。

 そう結んだ老人の安堵したような顔の意味がハティには分からない。

 

 そしてハティの疑問が氷解するより先に老人が口を開いた。

 

『運命・オオカミの冬(フィンブルヴェト)』」

 

 

 

 

 

 1887年イギリス・グレアム伯爵領

 

 若い男が4~5人、馬に乗って走り回っているのをバギンズ老人と中年の男が眺めていた。

 バギンズ老人も若者もそして中年もみなグレアム伯の調教厩舎で雇われた調教師であり中年の男は現役時代、名の売れた騎手でもあった。

 

 馬好きで有名なグレアム伯は自身の厩舎から出走させた馬でなんども輝かしい栄光を手にしており、その厩舎の調教師たちを仕切るバギンズ老人の下には何人もの部下がいる。

 先代の伯爵の時代から熱心に勤め上げたバギンズ老人は、遠くで馬と戯れる部下を見て目を細めた。

 寡黙なバギンズ老人にとってそれが精一杯の喜びの表現なのかもしれない。

 

 外での仕事を中年の男にまかせ、馬房の掃除のために厩舎へ戻る道をたどっていたバギンズ老人は道の先、厩舎の手前に数人の人間がいて、直ぐ近くに数台のキャリッジ(馬車)が止まっているのを見た。

 その人影の一つはバギンズ老人の姿を認めると大声で老人を呼びながら手を振ってきた。

 その動作や声に覚えのあったバギンズ老人は急ぎ足でキャリッジの方へ向かう。

 

「ハア、ハア・・・、伯爵様。・・・ようこそお越しくださいました」

「息切れしているぞ。無理するなよ、爺さん」

「いえ・・・ハア、ハア・・・。伯爵様がいきなり来なさるものですから・・・驚いて駆けてしまいました」

「悪かったな。何しろ急な話だったんだ。・・・喜べバギンズ、貴様の終の棲家が見つかったぞ」

 

 いつものように自分の雇い主である伯爵と馬の話に興じようとしたバギンズは、伯爵の思わぬ一言に固まった。

 

「はっ?な、なんです?」

「年を取ってお前も以前のような仕事は出来なくなっただろう?私もいい加減お前を休ませてやらねばと思っていたんだ」

「そんな!あっしはまだ働け―――」

「まあ、最後まで聞け。―――実はお前を引き取りたいという奇特な方が居られてな、もちろんただ飯ぐらいとはいかないがここより断然負担の少ない厩舎だ。―――うちの『彗星号』に大いに楽しませて貰ったらしい。お前に恩返しがしたいんだと」 

「ですが・・・」

「安心しろ。私の寄り親だからよく知っているがそこの御当主は立派な御仁だ。お前に言っても解らんだろうが、現職の第二大蔵卿であらせられる。粗略に扱われることは無いだろうよ」

「・・・わかりました。・・・伯爵様、今までお世話になりました」

「ああ、・・・お前の育てた後進がしっかり育っている。厩舎の心配は必要ないからな?」

「それはあっしが一番知ってます」

「違いない。・・・いまそこの家の執事がキャリッジの中で待っている。詳しい説明は彼から受けてくれ。私は少し馬を見てくるよ」

 

 そう言って伯爵は厩舎へ向かった。

 

 一人残されたバギンズ老人がおずおずと馬車に近づきドアをノックすると、中からテール・コートの執事が現れ、老人を中へ招き入れた。

 

 

 

 

 ●

 馬車に乗り込んだ執事と調教師は、しばらく会話せずにお互いの顔を見合っていた。

 会話の口火を切るべき立場の執事は、言葉を選んでいるのか口を開けては閉じを繰り返している。

 その様子を見てバギンズ老人は―――クスリと笑った。

 

「ずいぶんと・・・、ずいぶんと杜撰な暗示だ。伯爵は普段あんなに答えを急いだりしないのだよ」

 

 言葉と共にバギンズ老人の姿が霞む。

 一瞬、老人がらせん状に捻じ曲がると即座に霞が晴れ、そこにいたのはどこか気品のある中年の男であった。

 

『幻術(シヨンフヴェルヴィング)』・・・」

「おや、知っているのか。それは重畳だよ―――魔術師君」

 

 執事が思わず呟いたのを見て、バギンズ老人であった男は笑みを浮かべて言葉を投げる。

 その男の嬲るような視線を受けて、執事は吐き出す言葉を決めた。

 

「貴方様を私ごときの暗示で欺けるなどと思いあがってはいません。せめて興味を引ければと・・・」

「結果、まんまと私をつり出すことに成功したというわけか。しかしその口ぶり、まるで私が誰か知っているみたいだ」

 

 男の笑みが深くなり口の端が嗜虐的にもちあがる。

 畳みかけるように男は問いを発した。

 

「そういえば最近、私の身辺を探っている者がいると『犬』が吠えていたな。片田舎の平凡な調教師を調べていったい何が分かったのかね?」

 

 その問いに答えるため執事は唇を少し湿らせ、姿勢を正して衣を改め男の目を見る。

 

「・・・正直に申しますと身辺を調べさせていただく前から貴方様の正体は分かっておりました。調べておりましたのは貴方様が本物かということで、それもいま結論が出ました」

「私の正体は一介の調教師、バギンズだよ」

「いえ、あなた様の正体は―――」

 

 そこでいったん言葉を区切り執事は心を落ち着けた。

 確信を得ていても、その名を軽々に口に出すべきではないという恐れの気持ちが彼をそうさせたのだ。

 

「―――貴方様の名前はフルート・セイズレーティン。『()()使()()』フルート・セイズレーティン様です」

 

 その名を呼ぶときの執事の態度からは強い憧憬と深い敬意が感じられた。

 

 その様子を見て男の顔から軽薄な笑みが消える。

「『魔法使い』というのは否定しておこうか。だが名前があっているのは認めよう。・・・どうして分かったのかね?」

 

 男の問いに対して執事は首を横に振った。

 

「私からはお答えできかねます」

「ならばお前の主人にでも聞こうか」

「そうしていただければ幸いです。このままお連れしましょうか?」

「準備がいいな」

 フルートは笑った。

「最初からそのつもりでしたので」

「してやられた、というわけか」

「恐縮です・・・」

 

 

 

 走り出したキャリッジの中で男―――フルートはふと思い出したように執事に質問した。

 

「ところで、お前の主人の名くらいは教えてもらえるのかね?」

「・・・私がお仕えしておりますのは『ジグマリエ家』、そして当主オーフィス・ジグマリエ様です」

 

 執事の答えに満足したのか男―――フルートは目を閉じ座席に体を預けた。

 

 

 


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