なくならないもの   作:mn_ver2

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文字数ってだいたいどれくらいが読みやすいんでしょうか?
ちなみに今回は6000字くらいです。


与えられた期限

「あと……私は誰でしょうか?」

 

「ーーえ?」

 

 空気が凍りついたのを彼女でもすぐにわかった。

 おそらく今口にしたことはこの人たちにとってとても大きなことだったのかもしれない。

 自分でもわかっている。こういった発言をする人はだいたい記憶喪失の人だと相場が決まっているのだから。

 つまり、彼女はまさに自分がそれであるということをこの時点で理解したのだった。

 

「え、えっと……ごめんなさい」

 

 とりあえず謝罪を口にする。しかし、これは何の意味をもたらさないことはわかっていた。

 

「いえ、そんな……本当に何も覚えてないのですか?」

 

 今にも泣きそうな表情で尋ねてくる。握っている手がさらに強く握られ、少し痛いほどだ。

 

「はい……ごめんなさい」

 

「そう、ですか……」

 

「は、榛名は明石さんを呼んできます!」

 

 そう言うと榛名という女性は慌ただしく部屋を走り去っていった。

 明石とはなんだろうか? 明石海峡大橋? 彼女の中で疑問が渦巻く。

 

「あの……」

 

 彼女はしどろもどろに質問を口にした。

 

「私はいったい何をしたのですか?」

 

「それは……」

 

「ここは霧島がお答えします、比叡お姉様」

 

 比叡は頷き、霧島は少し赤い目をゴシゴシと擦り、眼鏡をくいっと上げた。

 

「お姉様は私達を逃がすために……その……残って殿を務めたのです」

 

 言い淀みながらもどうにか霧島は彼女にあの時の事を包み隠す事なく伝えた。

 

「殿、ですか?」

 

「……はい」

 

 あまり……というよりむしろ、とても気分の良くない話だ。

 彼女とてその言葉の意味は知っている。

 撤退をする際、最後尾に残り、死ぬ気で敵の追撃を食い止める役割である。

 文字通りの死ぬ気で、だ。

 彼女とて真実が知りたかった。自分に何が起こり、そしてどうなったのかを。しかしそこでつい投げかけてしまった疑問はさらに比叡と霧島を苦しめることになるとは全く想像しなかった。

 

「ということは……私は戦いでもしていたのですか?」

 

「まさかそれすらも……!」

 

 霧島が驚きに目を見開き、2人とも今度こそ固まってしまった。

 

「比叡お姉様、これは……」

 

 霧島が比叡に目配せをする。彼女にとっては本当に些細な疑問だったのに、それすらも比叡たちの心を粉々に打ち砕くものでしかなかった。

 

「そう……ですね。目覚めて早々質問責めなんて失礼なことをしてしまいましたね。あとで私たちはまたここに来るので、それまでゆっくりしていてください。水は……ここに置いておきますね」

 

 グラスに水を注いで側の机の上に置くと、比叡は霧島を連れて部屋を出てしまった。

 彼女は黙って2人の背中を見つめる。

 その背中はとても小さく、泣いているようにしか見えなかった。

 

 誰もいなくなった病室で、彼女は『自分』を確認してみようと思った。

 彼女は薄水色の病衣を着ている。

 透き通るような白い手。指。そして長いサラサラした茶色の髪。

 容姿は? とても気になるが、ここには鏡はないようだから確認ができない。しかしそれは後でも大丈夫だろう。

 

「あー、あー。私は……あれ?」

 

 そういえば自分の名前を訊くのを忘れていた。それもまた後で。

 

 窓から外を覗いてみると、遠くには美しい海が広がっていた。水平線が遥か先に見え、なんとなくそれに見惚れる。

 そして、そのすぐ下を見下ろしてみると、そこにはグラウンドが設置されていて、何人かはベンチで談笑したり、また何人かは運動したりとそれぞれの時間を過ごしている。

 

「って、女の子しかいないじゃない⁉︎」

 

 そう。女の子ばかりで、どこにも男の子がいないのだ。それに、どう見ても小学生っぽい子もいるし、逆に大人のような人もいる。

 なんだかここは変な場所だ。彼女はそう思い、外を眺めるのをやめた。

 

「どうなってるんだろ……ここ」

 

 少し疲れた。喉も渇いたし、比叡という女性の用意してくれたグラスに手を伸ばす。

 

 瞬間。

 

「うぐっ⁉︎」

 

 腕に電撃が走り抜けたような痛みにうめき声が漏れてしまった。そして掴み損ねたグラスが倒れて床に落ちてしまう。

 

「……あ」

 

 パリンッ! と割れる音がして身体をビクリと震わせてしまう。痛めた腕を反射的に反対の手で抑えながら、彼女はやってしまったことを感じた。

 おろおろして周りを見るも濡れた床を拭く物は何もなかった。

 

「怒られちゃうよ……」

 

 案の定、ドアの外が急に騒がしくなり、いきなり勢いよく開け、鬼の形相で1人の男が入ってきた。

 その男は彼女のベッドの下に来るなりすぐに彼女の手を強く握った。

 

「金剛……! 本当によかった……!!」

 

 てっきり自分は怒られると思っていたのだが、まさかの全くの正反対の状態に彼女は焦った。

 その強さは思った以上に強く、男の必死さがうかがえた。

 

「少し……痛いです」

 

「あ、ああ……すまない」

 

 そう言ってパッと手を放し、男は今度はまじまじと彼女の顔を見つめ始めた。

 

「な、なんですか……?」

 

「いや……なんでもないよ。それより金剛、怪我は大丈夫なのか? いつ治りそうなんだ?」

 

「怪我は……腕を動かすと痛い、です」

 

 そう言いながら先ほどと同じように動かそうとすると、やはり痛みを感じ、それ以上無理に動かそうとはせずにだらんと力を抜いた。

 

「……そうか。あの時参加していた皆が金剛に感謝しているからな。早く元気になってくれよ?」

 

「はい……あの……」

 

「ん?」

 

「あなたの言う『コンゴウ』とはなんですか?」

 

「……は?」

 

 男のすべての動きがこの質問で止まった。

 彼女自身なんとなくだが、結構な地雷を堂々と踏んでいるような気がした。やがてすこしして、男はゆっくりと再起動した。

 

「……金剛は金剛だろう?」

 

「あ、もしかして私は『コンゴウ』という名前なのですか?」

 

「そん、な……」

 

 明らかに落胆している男に彼女は焦りながらもなんとか次の言葉を口にする。

 

「ごめんなさい……私、記憶がないらしいのです」

 

「記憶喪失ということか?」

 

「はい」

 

 ちょうどその時、再びドアを開けて4人の乱入者が入ってきた。その内3人は白い巫女服のさっき見た人だから覚えているが、最後の1人は誰だか全くわからない。

 

「提督、お姉様は……」

 

 苦虫を大量に噛み潰したような顔をして霧島が言う。

 

「ああ、俺も今知ったところだよ」

 

「……どうしますか?」

 

「ちょっと……時間が欲しい」

 

「……わかりました」

 

 彼女……金剛は会話についていけず、どうすればいいのか全くわからない状態に陥っていた。

 気がつくとベッドに寝かされていて、起きたら起きたで記憶喪失認定されて……と身の回りで事態があまりの早さで進んでいくのだから、もう金剛はその流れに流されるしかなかった。

 

「金剛さん」

 

 少し疲れたので寝よう、と思い、瞼を閉じようとした。

 

「……金剛さん?」

 

「……っ! ハイッ! 私は『コンゴウ』ですねっ⁉︎」

 

 二度目の呼びかけで金剛は自分が『コンゴウ』だということを今さらのように思い出して、ついすっとんきょうな声をあげてしまった。

 金剛以外の皆が驚いた様子でこちらを見たため、恥ずかしくなってしまい、布団を目の下まで引き上げた。

 

「ごめんなさい、金剛さん。私は航空母艦、加賀です」

 

「あっ、はい、『コウクウボカン』さん」

 

 そう言うと、なぜか突然皆が小さく吹き出したのだ。

 意味がわからず、羞恥に羞恥が重なった結果、顔が自分でもわかるほど真っ赤になっていた。

 

「な、なんで笑うんですか⁉︎」

 

「いや、『コウクウボカン』さんって……ぷくく」

 

 榛名が口を一文字に閉じていたが、とうとう我慢できなくなったようで金剛から視線を逸らして笑った。

 

「『コウクウボカン カガ』っていう名前ではないのですか?」

 

「……はい、航空母艦というのはあくまで種類であって、私の名前は加賀です。まさかこんな間違いをされるとは思いませんでした」

 

「そうなん、ですか……その、種類というのは?」

 

「すみませんがそれはまた後ほどに。それより、私はあなたに謝らなければいけません」

 

 次の行動は金剛をひどく困惑させるものだった。加賀はビシッと姿勢を正すと、いきなり頭を下げたのだった。

 

「あの時は本当にごめんなさい。私の油断がなければ、そもそもあなたがこんな目にあうことすらなかったわ。決して許されることではないことはわかっているけど、それでも謝っておきたかった。ごめんなさい」

 

 ここで、金剛に加賀の言っていることを理解できているか、と問われれば、間違いなく欠片も理解できていないと答える。

 金剛からしてみれば突然訳のわからないことを言いだしてこうして謝られているのだから。

 

「とりあえず、頭をあげてください」

 

「それは、できません。慢心しないようにといつも赤城さんに言われていた他でもない私がっ! 一航戦の誇り以前に、これは……私自身の問題です」

 

 加賀の初めての感情的な発言に金剛以外が驚いていた。いつも無表情で、どんな時でも冷静を保つことで有名な彼女がこうして頭を下げて謝っているのだ。

 金剛はどうすればいいのかわからなかったが、これは自分が動かないと何も始まらないようだった。

 

「私には……その記憶がありません。だから、許す許さないの問題じゃなくて、そもそもお門違いじゃないですか?」

 

「そんなことは……」

 

 加賀の言葉の続きを遮るように金剛は言葉を紡いだ。それは金剛としてではなく、今、ここで目覚めた『金剛』としての、率直な言葉を。

 

「だって、この『私』は今初めて加賀さんに会ったんですよ? そんな人にいきなり謝られてもこっちがびっくりします。ですがその心はちゃんと私に届いています。なので、それは私がちゃんと記憶を取り戻した時、その時に言ってください」

 

 優しく金剛は加賀の肩に触れ、顔を上げさせた。その表情は無表情だったが、肩の荷が下りたのか、どこか安心しているようにも見えた。

 

「うん、よろしい」

 

「あの……金剛お姉様」

 

「ん? 私?」

 

 比叡に呼ばれ、金剛はそちらの方を向く。

 

「はい。説明が遅れましたが、金剛お姉様を含め、私たち四姉妹は金剛型戦艦なので、知っておいてください」

 

「……ん?」

 

「金剛型戦艦です、金剛お姉様」

 

「金剛型、戦艦? ……んん?」

 

 金剛とは彼女の名前。しかし『金剛型戦艦』とはまた未知の単語が出てきた。しかも、自分の名前が使われているのだ。

 ますます意味がわからなくなり、金剛は混乱の渦でぐるぐると回っている。

 

「はい、金剛お姉様、私、榛名、霧島、です」

 

「私とあなた達は……軍艦……ということですか?」

 

「そうです」

 

「でも……」

 

 自分の身体を見て、その次に姉妹を名乗る彼女たちを見て、さも当たり前のことを思う。

 

「どう見ても人間だよね? 私たち」

 

「その通りです。でも、軍艦でもあるのです」

 

「じゃあ、加賀さんも……?」

 

「はい、『航空母艦』です」

 

「じゃあこの男性も?」

 

 話を振られた男は苦笑いを浮かべながらかぶりを振った。

 

「いや、俺は提督だよ。船じゃない。俺はここを最高責任者であって、金剛たち艦娘を指揮する者だ」

 

「かんむす?」

 

「そう。過去の戦争で沈んだ軍艦。その魂が宿った存在。それが艦娘だ」

 

「では、私もその艦娘、なのですね?」

 

「そういうことだ」

 

 一気に疲れがどっと出てきた。

 とうの昔に金剛の情報はパンクしていたが、そこにさらに詰め込まれたせいで頭が痛い。

 船の魂を宿した艦娘、そしてそれらを指揮する提督という存在。

 目覚めた直後からとても非日常的なことを告げられた金剛は一瞬冗談なのかと一蹴りにしてしまいたかったが、演技とは思えない彼女たちのそれを見て、金剛の中でしだいに現実味を帯びてきた。

 

「それで……これから私はどうなるのですか?」

 

 いつまでも寝転がった状態ではマズイと思い、せめて上半身だけでも、と榛名に手伝ってもらいながら身体をゆっくりと起こした。

 提督は難しい顔をし、加賀、比叡たちは困っている様子だ。

 

「正直、今決めることはできない。俺だってこの現実をまだ受け入れきれていないからな」

 

 提督は金剛の落として割れたグラスを手で拾い、ポケットから出した黒いハンカチで濡れた床を拭き始めた。

 

「無理をしなければ、明日には車椅子つきで退院することができるそうだ。明石曰く、一週間もすれば全快するそうだ」

 

 提督以外は安堵のため息を吐いたりして金剛の無事を喜ぶ。

 

「ーー金剛は忘れているが、俺たちは深海棲艦という敵と戦争をしている。そこに戦いすら忘れたお前を復帰させるのはどうかと思う」

 

「戦争、ですか」

 

「ああそうだ。実際、その敵と今までどうやって戦ってきたのかも覚えていないんだろう?」

 

 金剛は一瞬思い出そうとしたが、その成果は得られず、素直にこくりと頷く。

 

「だから、この戦争に参加するかしないか、金剛自身に決めてほしいんだ」

 

「私自身、ですか」

 

「戦争に参加を決意するもよし、俺たちを忘れて平和な生活を送るもよし。どっちにするかは金剛の自由だ」

 

「提督、本当にそれで……⁉︎」

 

 榛名が狼狽して提督を見つめる。

 

「比叡、榛名、霧島、加賀、お前たちはどう思う。俺は間違っているだろうか?」

 

 4人は下を向いて黙りこくってしまう。

 4人からすれば金剛は戦友であり、その前に大切な友だ。その友がどこかに行ってしまう、というは本音を言うとどうしても嫌なのだ。

 

「一週間。一週間後にどっちにするか聞かせてもらう。それでいいか、金剛」

 

「はい。でも……」

 

「わかってる。加賀たちだって本当は一緒に戦ってほしいと思っているはずだ」

 

「なら私は別に……」

 

「ーーいやダメだ。同情抜きに真剣に考えてほしいんだ」

 

 提督のその声は頑として譲らない、そんな声だった。

 やがて床を拭き終わった提督はそれでグラスの欠片を包み込む。咄嗟に金剛はありがとうございます、と言うと、気にするな、と提督は返した。

 

「ねえ、本当は私に残ってほしいの?」

 

 金剛は4人に質問してみる。

 それにすぐさま反応したのは比叡だった。

 

「それはもちろん……! ですが、提督の言っていることはとても正しいです。だから、お姉様がどっちを選んだとしても……私はそれを尊重します」

 

 自分の姉がいなくなる。そんな恐怖を比叡は抱えているのだろう。そんなことを言えば榛名、霧島にだってこれは当てはまることだ。

 4人そろって家族なのだ。1人でも欠けてしまうともうそれは家族とはいえなくなってしまう。苦楽を共にし、生きてきた家族。今の金剛にはそのような実感があまり湧かないが、比叡たち妹から見たらどうだろうか。

 

 ……それはとても辛く、悲しいことだろう。

 

「新しい水は後で俺が持ってこよう。それに……ほら、もう夕方だ。俺も仕事が残っているし、お前たちだって明日の準備があるから四六時中金剛の側にはいられない」

 

 提督は、お前らも後で戻れよ、と加賀たちを催促させた後に部屋から出ようとした。

 

「明日から一週間、金剛は車椅子なしではこの鎮守府を回れない。これでは誰かがいないといけないようだなー」

 

 そして、胸ポケットからメモ帳を取り出して確認すると、わざとらしく棒読みで言い始めた。

 

「おっとー、どうやら運良く加賀、比叡、榛名、霧島に明日から一週間休暇が与えられているようだー。有意義に使うといいー」

 

 そう言い残し、提督はドア開け、部屋を出て行った。

 加賀は相変わらずの無表情だったが、3人の表情が光が射したように明るくなったのは言うまでもない。




ここから完全に更新不定期になります。
最低月一更新で頑張ります。

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