……ウィークリー任務がめんどくさいこの頃。
6日目の昼下がり。太陽は頂点まで昇り、さんさんと照りつける日射しが暑い。
ガングートと提督はもう少し話しこむらしいから、金剛はひとり食堂を出ていった。
んーっと伸びをして、大きくあくびをする。
ちょうどグラウンドで遊んでいる睦月たちがこちらに気づき、手を振ってくれた。
全く、元気な子たちだ、と金剛はほくそ笑んで手を振り返した。
何度も言うが、今日が6日目。
明日には提督に金剛の決断を告げなければならない。まだどちらにも傾いていない現状に、自分は果たして答えを導きだせるのかと不安になる。
……なんとなく、海を間近で見たくなった。
残る残らないにせよ、艦娘たちがこの海を守るために戦い続けることに変わりはない。
艦娘は過去の大戦で奮闘した軍艦の魂を引き継いだ存在だという。
しかし実際金剛にはそんな自覚はないし、歴史……『金剛』の経緯を学んでも特に心に響くものはなかった。せいぜい轟沈したことについて少し悲しくなった程度だ。
悲しみを感じても、自己投影することはできない。
それは『金剛』としての誇りというか自尊心というか……が共鳴ーーというべきかーーしていないからなのだろうか。
やがて海に着いた金剛は浜辺に腰を下ろした。
脚をいっぱいに伸ばし、後ろに手をつく。さらさらした奇麗な砂をその手で感じ取る。
空気を大きく吸い込んで、吐く。
そしてただ呆然と水平線の彼方を眺めた。
風の吹く音。または波の打つ音。あるいは海の生気。
もし自分が残る決断をしたら、この海を守るために深海棲艦なる敵と戦わなければならない。それはきっと怖く、恐ろしく、どちらかというとそういった面の方が遥かに経験する回数が多いだろう。
だがしかし、残らないと決断したのなら。
この鎮守府を去り、普通の世界でその辺にいるごく一般の女性として生きていくことになる。そこに将来への希望があり、さらにそれは無限大であり、きっと人生が満ち満ちたものとなるに違いない。
極端に言ってしまえば、苦しい方か、楽しい方、どちらを選ぶか、だ。
だらしなく口を開け、ぽかーん、と顔を上げる。
まだ二人だけにしか訊いていないが、どちらも立派で、素晴らしいものだった。その理由さえあれば毎日を戦い抜いてみせると胸を張って答えてみせたのだ。
きっと二人の心はとても強い。理由がなんであれ、それのために尽くす覚悟は金剛は見たのだから。
……では、残るとしたら、自分は何のために戦うのだろうか。
「……」
糸口すらつかめず、思案に暮れる。
これは果たして怠惰なのだろうか。
明日には決断しなければならないのに、未だこの様。
真剣に考え始めたのは本当につい最近になってからだ。
それまでは妹たちやその他の子達と遊んでばかりで何も考えていない、ただの馬鹿だった。
手を目一杯に広げ、背中を砂浜に預ける。
先ほど昼食を食べたばかりだから、これでは眠気に誘われて眠ってしまいそうだ。
すぐに起き上がった金剛は海に踵を返して鎮守府へと帰っていった。
まだやるべきことは残っている。時間は限られているが、まだ十分にある。
力強く歩く金剛の顔は、決意に固く彩られていた。
◆
シスコン三姉妹は金剛の様子を遠目で見ていた。
しかし、青葉から借りた装備は今は工房に隠して来ている。
彼女らとて顔を出すべきではないタイミングなどは弁えている。
特に今などがそうだ。
「悩んで……ますね」
木陰から顔を覗かせていた霧島が小さくつぶやいた。
霧島の目には金剛が黄昏ているように見えた。
きっと決断について悩んでいるのだろう。
この一週間ほど、霧島たちは金剛に猛烈なアタックをした。それはもう自分たちでもやりすぎではないか、というほどに。
しかし後悔は欠片もしていない。
もし金剛がこの鎮守府からいなくなってしまえば、もう金剛と会うことはできなくなるだろう。もちろん金剛は建造なりすれば再会できるのは確かだが、『あの』金剛ではないのだ。本質は同じだとしても、ズレがどうしても生じてしまう。
「どうやら心配なのは私たちだけではないようですね……ほら」
榛名が横を向きながら言う。
霧島は催促されてそちらに顔を向けると、また別の木陰から赤城と加賀が同じように金剛を見守っていた。
しばらくするとこちらに気づいたようで、加賀が視線を送ってきた。
さすがに声に出すわけにはいかず、比叡たちは軽く会釈を返した。
比叡たちも、加賀たちも、金剛がどちらを選択するのかがとても気になるのだ。
なんといっても、圧倒的な力を持つ蜘蛛に対し、不動の殿を務めてみせた金剛。そんな勇ましい姿を置いていった、ある意味罪とも言える重荷を彼女たちは背負っているのである。
仕方ない。仕方ない。
その時の判断、そして今振り返ってもそれは最善の判断だったと胸を張って言えるだろう。
しかし、歯が折れるほどギリギリと噛み締め、我慢しなければならないほどの苦悩がそこにはあった。
ーーお姉様をひとり残していけない。
三人揃って金剛に追従しようとするも、それは他ならぬ金剛によって止められた。
唯一後悔していることといえば、そこで無理にでも金剛を説き伏せなかったことだ。
今となってはもうどうしようもない、バタフライエフェクト。
「私は、金剛お姉様を守りたい……今度こそ」
己の拳をぎゅっと握りしめ、比叡が目を伏せる。
思い起こすは、血の涙を流しながら半ば強引に榛名と霧島に手を引かれて撤退する自分の姿。
あんな……あのようなボロボロの姿の金剛を置いていく苦しみがまるでそこにあるかのように、また比叡の心を締めつける。
金剛が浜辺に寝転がったと思えばすぐに立ち上がった。
その顔は何か決意に固められていて、ああ……やっぱりお姉様だ、と安堵する。どこが、と問われると具体的には答えられないが、なんとなくだ。
木陰に隠れながら金剛の後ろ姿を見送り、よくわからない緊張感から解放された比叡たちは息をついた。
そして、木に手をつこうとして霧島が腕を伸ばしたが、見誤っのか、空を掴んむ。
「ーーあれ?」
結末は言わずもがな、無様にコケた。
◆
「失礼します」
執務室に入ってきたのは大淀だ。
その手には一通の手紙が握られている。
「大本営からの返事が返ってきました」
「ほいよ、サンキュ」
提督は大淀から手紙を受け取ると、端を乱雑にハサミで切った。
そして中から紙を抜き取り、目を通す。
「……ま、予想通りっちゃあ予想通りだわな」
読むか? と大淀に紙を渡し、大淀もそれを読む。
「金剛の記憶喪失の原因を『未知の深海棲艦との戦闘によるもの』って送ったらこれだ。『未知の深海棲艦とは何か。詳細な情報を提供せよ』か。……どうせ知ってるくせに」
「知ってる……ですか? 大本営が?」
「おっと、これは他言無用でよろしくな」
「それはどうしてーーはい、わかりました」
提督の無感動な表情が、大淀に裏があると思わせた。
度々聞く、提督の意味不明な発言。きっとそれらは全て大事なもので、変に追求するべきではない。
提督とは、深海棲艦と戦う艦娘たちを率いる役職。
軍に属するものであるから、軍規は厳しく、罰則もまた同様。
提督はきっと、『提督』という枠組みから外れて、何かをしているのだ。またそれがどれほど危険なものなのかすらわからない。
深海棲艦との戦い以外にも提督の戦場は存在している。そう大淀は確信していた。
「なんと返事を返すつもりなのですか?」
「そうだな……よし、無視しよう」
「無視はダメでしょう⁉︎」
「ダイジョブダイジョブ。向こうも返事なんて期待してないだろうよ」
その根拠はいったいどこから湧き上がるものなのか、大淀には不思議でならなかった。
大本営は事実上この鎮守府の上位……つまりは管轄上なのだ。そして今、提督は大本営からの返事を無視すると言ってのけたのだ。
これは間違いなく違反であり、罰則は免れないはず。
それなのになぜ。
「俺と『大本営』の関係は所詮そんなもんなんだよ。だからそんなに深く考えなくていいぞ、大淀」
「そう、ですか?」
「ん」
しかし、そんな提督を影ながらでもいいから支えたいと思った。
「提督、提督が何を考えているのか私にはわかりませんが、何か力になれることはないのでしょうか?」
「悪いけど、ないな」
はっきりとした拒絶。
本当にすることがないのか。それとも信頼されていないのか。
大淀は肩を落とした。
「そう落ち込むなって。お前らにはお前らの仕事がある。で、俺には俺の仕事がある。それだけだ。それに……誰にでもひとつやふたつ、知られたくない秘密はあるだろう?」
いたずらっぽく笑う提督。
「例えば……そうだな……お前なら、夜な夜な自室に籠もってはあんなことやこんなことを……」
「ど、どうしてそれを……!」
「え?」
慌てふためく大淀に提督は目を丸くさせた。
「え?」
「適当に言っただけなんだけど……」
数秒の沈黙が流れる。
完全に両者ともフリーズしたが、先に再起動したのは大淀の方だった。
「あ、あははーー! そうですか! そうですよね! 適当に言ったのが実際に当たることなんてないに等しいですからね! もう、嫌ですねぇ提督は」
あまりにもわざとらしいとぼけ方は、逆に全力で肯定しているようにしか提督には思えなかった。
「大淀」
「……はい」
「お前がナニしてるのかまでは訊かないし、このことは忘れるわ。だからその……悪かったな」
「嫌ですやめてくださいそんな申し訳なさそうな顔して謝られたら逆にこっちが虚しくなるじゃないですか!!」
耳まで真っ赤にして、大淀は目尻に涙を溜めながらそう叫んだ。
今回は少し少なめ。
次回、金剛、決断す。
一章の終わりということで、たぶん少し長めに頑張りますね。