友達――とは、何時からできた言葉なのだろうか。在り方や定義を述べようにも如何せん上手くいかないと本を読みながら椎名は思う。
そもそもの話、読む本も間違えている。
『友達の作り方』『友達との仲良くなる方法百選』『異性との付き合い方』とどれをとっても友達はどういう存在かとは書き記されていない。最後のに至ってはジャンルそのものが違うような気さえしてくるタイトル。その期待を裏切らないかのように内容は男女関係を指し示す恋愛指南書であった。
そして、出逢いもまた違う。
昨夜、ラフィエルとの密会、友達になろうという提案に乗りはしたが改めて思えば色々と間違っている。ロマンティックではあった、幻想的ではあった、夢だと思えてしまうほど水泡のように繊細で触れてしまえば消えそうな記憶。
結論から言うと、生まれてこの方、1人も友達というカテゴリとして認めたことがないために、友達という存在と付き合い方に苦悩していた。
「夢……?」
病院の個室で、不確かな記憶に翻弄される。
電車で引かれたから脳がイカレた上に妄想を現実へと反映してしまったのかもしれない。
むしろそれで構わない。昨夜、彼女の手を取ってしまったのは間違いだった。確かに他の人間とは違う何かを感じていたが勘違いだと言い聞かせて、自分とは全く無関係な異性間交友の本を読んでいた時、とある一小節が目に飛び込んでくる。
『運命の出会い』
よく物語などて使われる表現。ドラマティックでロマンティックであらば、それはもう運命だと断定するような文句が叩きつけられている。
小説等で、主人公とヒロインの恋は運命的で暫定的な出会いと時間を重ねて、お互いに惹かれる。
創作であるから仕方ないが、現実では考えたくない内容だ。そんな出逢いがあるのなら、世の中に未婚者とか離婚者とか言葉が蔓延る筈もない。
と、その頁を閲覧中にノックする音もなくガラリと戸を引く不届き者が現れたのは何の悪戯か。
「邪魔するわ!」
可憐とは程遠い野蛮な台詞が飛び出した。
赤色と異質な気配の、同級生クラスメイトと関係があるように見せかけてほぼ接点無しの顔見知りが、共に。
「あの……言いにくいんですけど」
「何よ?」
「部屋間違えてますよ」
「えっ、嘘!?」
慌てて「邪魔したわ!」と踵を返したサタニキアもといサターニャを見送って、本を再び読み進める。
開けた引戸に寒さを感じていると、熱暖房のようにメラメラと燃えているサターニャが戻ってきた。
「やっぱりあってるじゃない!」
「すみません、誰をお探しですか?」
「クロハシイナ?ってクラスメイトよ」
「表札はお確めですか?」
「フッ、生憎読めないわ!」
たいして大きくもない胸を張りフンスと言い切るところ開き直っているのか、椎名は一考して最良の選択肢を選出。
「神経内科は別棟ですよ」
「な、何よそれ?」
「えーっと、他におすすめできるのは、脳神経科、脳神経外科、それとこの棟にある小児科ですね」
どれも舞天病院に備わる優秀な先生が勤務している。しかしどれも違ったのか、サターニャはあるひとつの言葉に噛み付いた。
「小児科に行く年齢じゃないわよ!」
「因みに職員御用達の食堂が第三病棟にありますよ」
「……もしかしてあんた通い慣れてる?」
呆れるようなサターニャの瞳に、椎名はたじろぐことなく本を閉じ、膝の上に置く。
病室の外からは小さな押し殺し笑いが聞こえる。
その少女とは別に、また違う少女の声が、
「なんで入らないの? ラフィ」
「おもしろ――いえ、一人で入るのは何か気が引けたので、皆さんを待とうかと」
「あいつは?」
「サターニャさんなら中ですよ」
「し、失礼なことしてないでしょうね……」
そんな言葉を言うや否や3人の少女は開いた戸から病室の中へと入る。なり、黒羽椎名の姿を見て絶句した。
「す、すみません間違えました!」
見蕩れること数秒踵を返す。ヴィーネは一言謝罪してからサターニャの襟首を掴み、退室しようとした。
個室のベッドに座っていたのは顔見知りの男の子ではなく見目麗しい少女。長く綺麗な黒髪をシュシュで一束に纏めた中性的な顔、白い素肌、どれもが男性らしさを潜ませている。
その正体に気づいたのは、まじまじと見つめていたラフィエルだけだ。
「ここであってますよ。こんにちわ、クロさん」
「元気そうで何よりだよ、ラフィエル」
ベッドの上の美少女――ではなく、ベッドの上の美少年は微笑む友人にそう返した。
「それで、何の用?」
個室系病室の中で舞天高校の制服を着た女子4人、水色の患者衣の少年1人、という何故か患者の方が肩身の狭い状況で椎名はぶっきらぼうに問い掛ける。
もちろん、4人の名前は固有名称として知っている。クラス内でわーきゃー騒げば見ていなくとも、声と名前で判別することが出来る。
それ以前に、昨日の今日で来たほぼ接点無しの4人に怪訝な顔でいるのが適切だろうと硬化した態度でいると、椎名は予想だにしない言葉を一人から聞くことになる。
「見舞いに来てやったわ! 感謝しなさい」
ものすごく偉そうな態度でふんぞり返るサターニャは腕を組みながら壁にもたれ、堂々とした態度を崩さない。その態度を見てヴィーネが矯正するより先に椎名が毒を吐く。
「別に要らないんでどうぞお帰りください」
「え゛」
予想外の返しだったのか、サターニャは目が点になり直立不動で硬直してしまった。
正直言って、見舞いでストレスを増やしに来られると精神的に悪い。見舞われて喜ばない人間、それが黒羽椎名という男だ。例え、綺麗な女の子4人集まろうが静寂を好む人間にとってそれは害悪でしかない。人付き合いも苦手で根っこからぼっちを営む彼にとって、見舞いは最大の攻撃と為りえた。偉そうな態度のサターニャにあまりいい気もしないのもそうだが。
「ご、ごめんね、サターニャが何かしたかな?」
思い当たる節が多いのか、下手にヴィーネは椎名の顔色を窺う。その視線を避けるように本を読み始める椎名は完全に首を折り下を向いたまま。
「別に。俺は群れるのが苦手だし嫌いなの。……なんで君達はこんなところに来たんだ?」
不思議で意味不明だ。何故、ラフィエル達が見舞いに来たのか。観察してみたところ怪我をしているようにも、病気にも見えない4人に対して至って正常な判断を下すとすれば何かのついでだと思ったのだが、元気そうに見えるということはあれしかない。
「――あ。誰か子持ちししゃも?」
「ん?」
ストレートに伝えてはいけない。と、配慮したつもりが逆に首を傾げられる。椎名は泣きたくなった。もう不用意な言動は慎むと誓う。
今度は、この空気を塗り替えるようにはっきりと口にする。
「誰か妊娠したとか?」
「……」
無言でお互いに顔を見合わせる4人。互いの現状を確認している今、ラフィエルの頭の頂点の髪の毛がぴこんと揺れて、
「……はい」
と、言い辛く俯き頷く。
「ちょっと、ラフィどういうこと?」
真っ先にラフィエルに寄り添うヴィーネ。
対して、話題をふった方の椎名は自分でふっておきながら間の抜けた顔でラフィエルを見つめた。校内で男がいるなんて噂が立つ情報は皆無。
果たして、真相を図りかねているとヴィーネが決定的な詰問をする。
「相手は誰?」
他校の男子生徒か。校内の男子生徒か。
二択の判明は、生死の境目となる。
特定された男子生徒はそのうち話題の人、時の人となるであろう。
何気に気にしながら読書に勤しむフリをして、チラチラとラフィエルを盗み見るとバッチリ目が会合を果たす。しかし彼女はすぐに逸らして、身を守るように片手で胸を抱くともう片方の手でこちらを指した。
「…………」
椎名はゆっくりと指先の直線上、自分よりも遥か遠くの窓の外へと視線を移す。
桜が舞う蒼穹が広がっているのみで、階下にも人影は見当たらない。
「あららぁ、そういうこと?」
むふふ。と、手で口元を隠して和やかに笑うヴィーネの視線は椎名とラフィエルの間を往来。
真相を図っている場合じゃない。真意を図るべきだったと今更ながらに痛感した。
「俺にそんな覚えはない」
「認めろよ」
「往生際が悪いわね」
ホームにしてアウェイ。ヴィーネはコイバナに花を咲かせる乙女のような口調で、
「いつの間にか名前呼びだしね」
とある事実を証拠にせん勢いだ。瞳はキラキラと夢見る少女のように輝いている。
「酷い……あの夜のことを忘れたんですか? あんなことまでしておいて」
およよと口元に手を当て涙ぐむラフィエル。名女優も裸足で逃げ出す名演技。
――あの夜。とは、十中八九昨夜。あんなこととは、天使の羽に触れたことだろうか。頭の上の光輪に触れたことだろうか。
「誤解を生む発言はやめろ」
「あんなエッチな触り方……!」
優しく触ったに過ぎない。椎名自身そんなつもりは毛頭なかったのだが。
「一夜限りだなんて……。私、本気だったんですよ」
冷やかな外野の視線がよりいっそう強くなる。
それはまだいい、が、義姉の舞姫菜にだけは訊かれてはいけない。
――世界が傾国を超えて崩壊する。
守りたくもない世界を守るには、謂れのない罪で土下座をするしか選択肢は残されていなかった。
「あはは……すみません。つい面白くて」
弁解も弁明もやっと訊き入れられたのは、ラフィエルが冗談だと言葉にしてからだ。罅の入った足で土下座などと中々ハードな体験を経験した人間は、自分以外にはいないだろうと思う。
ズキズキと痛む足に耐えて椎名はポーカーフェイスを取り繕う。
「ほんとにびっくりしたんだから。必死に助けたのってそういうことなのかなって」
「まぁ、ほどほどにしろよ」
ガヴリールは椎名の肩に手を置いて、さもそういう事実だけはあったかのように忠告。
「フッ、やるわね、天使を手懐けるなんて。私も負けてられないわ」
「あーもう、それでいいよ……」
サターニャだけは理解していなかったようだ。椎名は早々に諦めて楽な姿勢に戻る。
しかし、本音を言えばもう体力はゼロに近い。擦り減らして神経さえ削る所業に精神はズタボロ、ベッドに寝てシーツを被り現実を逃避する。
「というか、ほんとに何しに来たの?」
病人に対して散々な仕打ち。見舞いだとか言ったが冥土ノ土産を持ってきたオチだろうか。
「ラフィ」
「……」
ヴィーネがラフィエルの背中を押す。ついぞ無言になってしまった彼女は、どうも煮え切らない表情で微笑みを繕っている。ゆっくりと進める足は何かを恐怖しているのか、罪悪感故か――躊躇いのようにも感じられる。
人との関係を絶つ椎名にとって、ネガティブな方に感情を読み取るのは得意だった。
椎名の寝込むベッドの前に進み出たラフィエルは、取り繕う仮面を消して、丁寧に頭を下げて辞儀。
「ごめんなさい」
「む……?」
予想外の状況に、戸惑う椎名。
ラフィエルは丁寧に頭を下げたまま、顔を上げようとしない。
いったい何事か。謝罪される覚えのない椎名に、懺悔するかのように言葉を続ける。
「一度も謝っていなかったなと思いまして……別に許して欲しいなんて言いません。だけど、せめて一度だけちゃんと聞いてほしくて」
「はぁ……?」
「今回、私の不始末によって、クロさんを巻き込んでしまいました。本当にごめんなさい」
有無を言わせず謝罪するラフィエルは言い終えても顔を上げない。
赤坂刑事から報告を受けていた椎名はもちろん詳細は既に知っての通り。それ以前に校内での告白事変を知る機会があった故に、ラフィエルの言わんとしていることがわかった。
「顔を上げて」
「……はい」
やっと見れた表情は曇り気味。
椎名は不満げな表情で少女の顔を心の内に刻み込む。
そんな顔じゃない。見たかったのは、守りたかったのは、いつもニコニコと取り繕ったような素顔。
「そこは謝罪じゃなくて感謝して欲しかったな。君を助けたのは俺の意思だ。だから、巻き込まれたんじゃなくて首を突っ込んだんだよ」
「……そうですね。ありがとうございました」
雲が晴れ、笑顔を浮かべるラフィエルの頭にポンと左手を置く。椎名は自然な動作で頭を撫でる。
彼女は驚いたように目を見開いて、その瞳と視線が重なり椎名は気づいて手を離す。
「ごめん。癖でつい」
「いえ……嫌では、なかったですから」
まんざらでもなさそうだ。
「ところで、ちゃんとした自己紹介してなかったわよね。今からしない?」
頃合を見計らったヴィーネが会話に入り込んでくる。仕方なく、頷く代わりに、
「黒羽椎名。独りが好きです。以上。あと、長ったらしい名前言わなくていいから。月乃瀬さんも胡桃沢さんも天真さんも」
文句の代わりに遠回しの要求。
人間じゃないだけ、マシだが……。
「シーナって呼ぶから、私もヴィーネでいいわ」
「私もガヴリールでいいよ」
「フッ、次は私の番ね」
サターニャだけが、奇妙な立ち方をする。
右手を顔の前に立てて、不敵な笑みを浮かべる。
まさしく、あれは――
「私は大悪魔胡桃沢=サタニキア=マクドウェル。地獄を統べる者!!」
――ジョジョ立ち。
口上を終えると満足そうに椎名へと手を差し出した。
「今日は記念すべき日ね。あなたを私の下僕第一号にしてあげるわ!」
「結構です。本来なら精神科を紹介したいけど、ちょうど専門機関があるのでそちらはどうでしょうか。厨二科なら第四病棟にありますので」
一筋縄ではいかないわね。と、サターニャは諦めすぐさま引き下がる。
「ともかく、友達になったんだから携帯の番号くらい教えてよ。私達も教えるから」
突然、携帯電話――スマホ――を取り出したヴィーネ。
自然な動作で取り出されたから、椎名も自然と今日届けられた携帯を取り出して、不意に問い掛ける。
「ねぇ、友達ってなに?」
これまで友達を認めたことがないために、友達という概念に存在に疎い。友達とはどうあるべきか、どういう存在か、億劫になってしまう。
かつてのヴィーネからすれば、まるで出会った当初のガヴリールと接している気分で、なんとなく思ったことを口にする。
「心許せる仲の良い人とか、心置きなく何かを話せる存在とか、そんなとこじゃないかな」
「じゃあ――」
ひとつだけ言いたいことがある。
4人が首を傾げる中、
「間違ってたらごめん」
「はい」
一応の謝罪をしてから、椎名は口にする。
「もしかして、ヴィーネとサターニャって悪魔?」
「……っ!」
今ならくっきりと見える不穏な気配。教室内でどうも違和感だけが拭えず、ずっと気になっていたことだ。他の人とは違う匂いがした。感覚的に椎名にはそれがわかるのだ。
「――見える、悪魔に!?」
看破されたヴィーネは嬉々として椎名の手を握る。よほど嬉しかったのか、椎名の唯一自由な左手を両手で包み込み顔は接近する。
――近い近い。女の子なら恥じらいを持ちなさい。
なんて、ある程度ぼっちでも女子耐性のついた椎名には慌てふためくことではなかった。だが、悪魔の物珍しさに観察は忘れない。
「フフ……ようやく私の偉大さに気づいたようね」
「犬に弄ばれる大悪魔ねぇ?」
「あ、あれは手加減してやってるのよ!」
そうは見えない。犬相手に涙目のサターニャを何度か見たことがある。
「じゃあ、ガヴちゃんは何に見えます?」
未だ二択しかない中で、ラフィエルの出した問題に椎名は目を凝らして、
「……………………天使?」
初期のガヴリールの姿を思い出して、答えを導き出した。ついでにある出来事も思い出す。
「もしかしてあのパンツって……瞬間移動とかそういう能力?」
「よぉーし! おまえをイイヤツだと思った私が間違いだった、消してやる!!」
パンツが高校デビューしたことについてどんな力を使ったのか知りたかったのだが、ガヴリールの取り出したラッパに興味が逸れる。
「それは?」
「今から嫌でも知ることになるさ……生きていたことに後悔して死ねぇ!」
「ちょっとダメですよガヴちゃん。それ吹いたら!」
ラッパを吹こうとしたガヴリールを羽交い締めにして、ラフィエルは必死の形相で救援を要請する。
「これは『世界の終わりを告げるラッパ』です。一度吹けば、世界は滅びます」
「いっそのこと滅ぼせば?」
そんなの関係ないと椎名は煽る。そんな投げやりな態度にいいんですかー、とラフィエルは問い掛けるが、何が困るのか。
「見てないで止めてください!」
「しょうがない」
たぶん、おそらく、現在最高位の魔法の言葉を唱えよう。ガヴリールにだけ響く言葉。全ヒキニートに通じる魔法の言葉。
「世界が滅んだら、ネトゲできなくなるぞ」
「はっ――!?」
やっと正気に戻ったガヴリールはラッパをどこにともなく仕舞う。
天使と悪魔と人間と、奇妙で愉快な日常の幕開けを確かに此処に。少しだけ、学校に早く戻りたいと初めて思えた一日だった。
※男の娘という種族ではありません。
シュシュ? 理由は後々。たぶん、そのうち出るさ。
一応、心の蟠りは払拭しておこうの回。
おそらく、次からもっと日常的な話しになると思います。