異世界の地下闘技場で闘士をやっていました   作:トクサン

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守護者

「リースに何も言わずに来てしまった……」

 

 地下闘技場から三区離れた一等貴族地、アルデマ家の屋敷、武官として身請けされた京は割り振られた個室のベッドに転がっていた。部屋には値段を聞くのも憚られる様な素晴らしい調度品が並び、今自分が転がっているベッドなど天蓋すら付いている。

 

 極力触らないように努めてはいるものの、此処に案内してくれたセシリー――京を身請けした貴族の娘――は好きな様に使ってくれて良いと言っていた。今日から此処が京の家となるのだ、しかし京からすれば落ち着かないというのが本音である。壊したら法外な値段を請求されそうな光を放つ家具は指紋を付ける事すら躊躇われた。

 

 この世界の大都会を初めて見た京は、その規模に最初驚き、そして貴族地にある屋敷の大きさに再び驚いた。

 国内有数の貴族だけが許される土地というだけあって、土地の大きさも屋敷の規模も前世今世合わせて平々凡々な生活を送っていた京には見た事もない程であった。散歩したら一時間は敷地内を歩き回る羽目になるのではないだろうかと、そんな事を考えてみる。尤も、リースであれば魔法か何かで浮いて簡単に見て回ったり出来るのだろうが。

 

 そのリースに関しては、オーナーが「俺から事情を説明しておく、何なら手紙を送ってやれば良いさ、毎月届けてやるよ」と満面の笑みで告げられていたので、特に別れの挨拶もせずに出てきてしまっていた。

 京も本当ならば一言二言だけでも挨拶しておきたかったのだが、身請けした貴族側とオーナーが一日でも早い屋敷への移動を望んでいた為、私物を後から屋敷に送るとオーナーと約束を交わし、着の身着のままこの場に居る。

 

 リースは怒っていないだろうか、泣いてはいないだろうか。

 

 京とて彼女の事は好ましく思っていた。好意を向けられて嬉しくないと言い張る程、天邪鬼でもない、「結婚する?」と聞かれて「したい」と答える程度には好きだったのだ。少しだけ、我儘を言っても挨拶をしておくべきだったと後悔したものの、やはり身請けして貰った身でという気持ちも強かった。

 

 京はポケットの中から一枚のカードを取り出す、オーナーから手渡された京の全財産、十年の結晶。それを大事に握りしめ、これがあればリースと生きていく事も出来るのではないかと考えた。

 

 軽いノリで結婚と口にする彼女だ、好かれているとは自覚しているものの、それは一種の冗談(ジョーク)なのかもしれないと思う。けれど、病魔に犯され恋愛の「れ」の字も知らなかった前世、例え手酷くフラれる未来だとしても、経験は大切な糧となる。そう前向きに考えてみた。

 多分、実際にフラれてしまったら少し凹むだろうが――いや見栄を張った、物凄く凹むだろう、そもそも告白紛いの事を出来る自信が無い。「好き」などという言葉はたった二文字でしかないが、それを面と向かって口にするのは非常に難しいという事を京は知った。

 

「……取り敢えず、真っ当な職に就けたんだ、落ち着いたら手紙を送ってみよう」

 

 焦る事は無い、時間は自分の味方だと言い聞かせる。リースが闘技場で敗北する未来など見えないし、常勝無敗の彼女の事だ、適当に稼いだらフラっと闘技場を出るかもしれない。そうなったらオーナーに頼んで行き先を教えて貰おうと、或はオーナーから自分の居場所を聞いているかもしれない。そうしたら、逢いに来てくれたりするのだろうかと。京はそんな事を考えて、小さく息を吐き出した。

 

 京がぼうっと天井を眺めていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。慌ててベッドから飛び起きて、「はい」と通る声を上げる。すると木製の扉が静かに開き、向こう側からセシリーが顔を覗かせた。その頬は僅かに赤い。

 

「セシリー様」

「……様は要らないと、言ったでしょう?」

 

 京が彼女の名前を呼ぶと、セシリーは少しだけ拗ねた様にそっぽを向いた。京は慌てて、「すみません、セシリーさん」と呼び直す。彼女は何故か様を付けて呼ばれる事を嫌がった、流石に拙いのではと思ったが、父親であるヴィルヴァ氏からも、「娘の良い様にしてやってくれ」と言われているので、さん付けを心掛けてはいる。

 彼女は京の部屋に一歩入った後、軽く周囲を見渡し、一つ頷いてから京に向けて言った。

 

「武官制服が出来上がったわ、私と一緒に来て、装備一式を支給するから」

「えっ、もう出来たのですか?」

「えぇ、昨日から申請していたもの――兎に角、グズグズしないで、さぁ、急ぎなさい」

 

 そう言うや否や、セシリーはスカートの裾を翻す。京は慌てて彼女の後に続き、部屋を出た。

 武官制服、装備一式。それは武官に支給される職務用の装備と制服で、京の場合は体格が体格なのでオーダーメイドの必要があると言われていた。なので京としてはそれなりに日数が必要だろうと思っていたのだが、どうやら仕事が早いらしい。

 京の部屋から数分程歩いた場所にある『武官室』とプレートの掲げられた部屋、道中特に会話も無く周囲の景色を眺めながら歩いていた京は、「ここよ」と声を掛けられて部屋に足を踏み入れた。

 

「お待ちしておりました、セ――シリー様」

「えぇ、ウドール、彼の制服は準備出来ていて?」

 

 武官室と呼ばれる部屋はかなり大きく、中には休憩室の様なスペースとロッカーがズラリと並んでいた。数が多く、恐らく武官が準備を行うための場所なのだろう。

 部屋の中に髭を蓄えた男と一人のメイドが並んでいた。髭の男は貴族と言われても不思議ではない恰好をしていて、メイドの方も屋敷のメイドとは異なる服装をしている。

 この屋敷に来てからメイドと言う存在を何度か目にしたが、何と言うか未だに慣れない。見ていると何となく落ち着かなくなるのだ。

 

 髭を蓄えた男――ウドールはセシリーに頭を下げて挨拶を口にし、その途中京を見て口を止めた。恐らく規格外の大きさに驚いたのだろう、京としては自分が首を傾げなくても通れる屋敷の扉の大きさに驚いたが。

 しかし彼とてやり手の商人、すぐさま自分の失態を恥じ、京を意識の外へと追いやった。

 

「はい、勿論です、ホルス服飾店に至急で製作させました、寸法も完璧にオーダー通りです――こちらを」

 

 そう言ってウドールが差し出したのは、皮張りのケース。セシリーが京を見上げ、「さぁ」と促す。京は自分が受け取るのかと驚き、戦々恐々としながらケースを受け取った。そのままセシリーに言われるがままケースを開け、中を覗く。

 

「……おぉ」

 

 そこには丁寧に畳まれた一枚の制服が入っていた、白を基調とした武官用の制服で飾緒に片方の肩が隠れるマント。京は闘技場で着ていた正装よりも大きい造りの制服に感動し、それからコレを自分が着るのかと考えて少し恥ずかしくなった。

 前世の自分からすればまるでコスプレだ。

 

「一度着てみなさい、ルドワークから貰った資料通りならピッタリだと思うけれど、もし大きすぎたり小さすぎたら、もう一度寸法を合わせるから」

「えっと、分かりました」

 

 セシリーに言われ、京はケースから制服を取り出した。そしてその場で素早く上着を脱ぎ捨て、ズボンに手を掛ける。するとセシリーが慌てて「ちょ、ちょっと!?」と叫んだ。見ればセシリーは頬を赤くして、指の隙間から此方を見ている。

 ウドールも驚愕に目を見開きながら呆然と京を眺め、隣のメイドは動揺を悟られない様に直立不動を保ちながらも、僅かに濡れた目で京を見ていた。

 京は数秒ほど硬直し、それから自分が公衆の面前で着替え始めたという事実を理解する。地下闘技場での生活が余りにも長く続いたため、そういった事に鈍感になっていたのだ。

 

 リースと共に生活をしていた時は互いに素っ裸になっても気にしなかったし――ただし時折リースから感じる強烈な視線は気になっていた、尚リースの裸に関しては鋼の精神を以て自制したと言っておく――着替えで一々肌を隠すという行為が頭の中から抜け落ちていた。

 

「その……何と言いますか、立派な体ですな、ライバット氏」

 

 視線を泳がせたウドールがそんな事を口にする。人前で肌を晒す非常識さや、流石闘技場育ちの野蛮人と皮肉を飛ばす予定だった口が、全く異なる言葉を紡いだ。それだけ、京の肉体は驚異的であった、少なくともウドールが過去見た事が無いほどには。

 

「あぁっと、すみません、突然……闘技場では肌を隠すと言う習慣が無かったもので――では、少しの間失礼して」

 

 ウドールに苦笑いを向け、それからさっさと済ませてしまおうとズボンをぐっと下げた所で、その腕にセシリーが飛び付いた。

 

「待っ! あっ、貴方ッ、何故まだ着替えを続行しますの!?」

「ファッ!? えっ、あの、だって着替えろとセシリーさんが……」

 

 突然飛び掛かって来たセシリーに京は驚き、困惑する。予想以上の怪力で掴みかかって来たセシリーは、絶対にズボンを降ろさせまいと京に密着し、それからキッとウドール――正確に言うと、その隣のメイドを睨めつけた。

 

「貴方の肌を他の(ばいた)に見られッ――ごほんッ! そ、そちらに着替え用のスペースがあるのよ! こんな場所で着替えないで頂ける!?」

 

 途中まで何かを叫んでいたセシリーは、一度咳払いした後にウドールの背後にあるカーテンで仕切られたスペースを指差した、彼用に急遽用意された特別スペースである。京はセシリーの言葉に、「あ、着替えのスペースあったんですね」と頷き、制服を掴んで着替えスペースへと足を進めた。

 

「……その、凄まじいですな、彼は」

 

 その後ろ姿に、ウドールは万感の思いを込めて言った。

 体格は大きく身長もある為、見栄が良い。それで顔が残念だったら闘技場上がりだからと蔑めるが、その顔立ちは凛々しく美しい。更には情報によると闘技場ではトップを張っていたとか、腕っぷしも折り紙付きだ。

 その非常識さも含めて、だが。

 

「え、えぇ……こちら側としては、心臓に悪いわ」

 

 セシリーが心なしか疲れた表情でそんな事を言う、ウドールは、「ははは、確かに、何をしでかすか分からない恐ろしさがありますな」と笑ったが、セシリーは首を横に振った。

 

「道を歩けば女が寄って集って、しつこく何度も話しかけられる、本当に害虫よ、喧しい事この上無い、それで万が一何も知らず付いて行ったりしたら……私が付いていないと駄目ね、買い主だもの、私が買ったのだから、だからこれは権利よ、私には彼を独占する権利がある、本当に心配で堪らないわ――あぁ、心臓に悪い」

「えっ?」

 

 聞こえて来た言葉に、ウドールは疑問符を浮かべた。しかし直後に、「何でもないわ」とセシリーが微笑む。ウドールは先程の言葉の真意を確かめようとして、しかし彼女の笑顔に何か底知れぬ威圧感を感じ、口を閉ざした。

 これは触れてはならない類のものだと、直感的に悟ったのである。商人の勘は時として命を救う事がある。先の言葉は忘れよう、ウドールという男は何も聞いていないと。

 

「あの、すみません」

 

 そんな事を思っていると、部屋に京の声が響いた。ウドールが()かさず「どうしました?」と声を掛けると、カーテンの向こう側から申し訳なさそうな声で京が言う。

 

「実は、ちょっと服の着方が分からなくて――コレ、どうやって着たら良いのでしょうか」

「あぁ、そういう事でしたら――ヘテラ」

「はい」

 

 ウドールが隣のメイド――ヘテラに声を掛ける。すると彼女は一つ頷き、カーテンの方へと足を進めた。メイドが主人や客人に服を着る補助を申し出る事は何ら不思議な事ではない、この場に於いてもごく自然な仕事の一つであった。何よりヘテラ自身も、美男子で筋肉質な男性に奉仕できる事に若干の喜びを感じていたりした。

 ヘテラがカーテンの目の前まで足を進め、「失礼します」といざカーテンの中に入ろうとした直前、その肩に手が置かれる。

 

「駄目よ」

 

 セシリーである。

 にっこりとした笑顔で、しかし有無を言わせぬ威圧感を伴ってヘテラの肩を握りしめていた。ミチミチと嫌な音を立てる肩に、ヘテラは表情を崩さぬまま冷汗を掻く。

 

「ウドール、貴方が手伝ってあげなさい」

「はっ? あ、いえ、しかし――」

「ウドール」

「アッ、はい」

 

 メイドを引き留められ、突然指名されたウドールは言われるがままにカーテンの向こう側へと消える。私の仕事ではないとか、何故男の着替えを手伝わなければならないのだとか、そういう不満はセシリーの笑みで吹き飛んでしまった。

 どうやらこの男はセシリー様にとっての特別らしいと、ウドールは戦々恐々としながら思った。

 

「――一応、これで大丈夫な筈です」

態々(わざわざ)すみません、ありがとうございます」

 

 一分、京が着替えに掛かった時間である。ウドールがカーテンを引いて京のお披露目をすると、セシリーが感嘆の息を吐いた。

 彼が着れば実に絵になるだろうと思ってはいたが、想像以上であった。

 白は貴族に好まれる色で、顔立ちが美しく体格も良い彼が着用すれば宛ら聖騎士の様な印象を見る者に与える。上下白の武官服、胸に輝く【守護者(シュヴァリエ)】の模様、肩に掛かったマントは専属武官の証。金の飾緒が良いアクセントとなり、彼の筋肉を程よく見せながらも、ゆったりとした着こなしは確実に周囲の女性の目を惹く。

 セシリーだけではなく、ヘテラですら見惚れる始末。

 

「男の私から見ても、実にお似合いです」

「そうですか? ありがとうございます、そう言って貰えると嬉しいです」

 

 ここまで来ると完敗だと、どこか吹っ切れた様な表情で言うウドール。実際彼から見て、その服装は良く似合っていた。単純に男性から似合っていると言われた事に嬉しさを感じた京は、嬉しそうに、しかし少しだけ恥ずかしそうな表情で笑う。

 セシリーはその屈託のない笑顔に惚れ直しながらも、小さく自分の手を抓って自分の意識を覚醒させた。痛みでも与えておかなければ、トリップしてしまいそうだったのだ。

 

「んんっ、京、少し此方(こちら)に」

「? はい、セシリーさん」

 

 頬を赤らめながらも何とか恰好を崩す事を回避したセシリーに呼ばれ、京は彼女の前に疑問も抱かずに立つ。「少し屈んで下さる?」と威圧的に命令され、京は慌ててその場に片膝を着いた。

 

「ふぅ、ごほんッ、では――(わたくし)、ヴァン・シヴィルハッサ・ジ・アルデマ=セシリーの名に於いて命じる、常に私の剣となり盾となり、厄災を振り払う光と成れ、その身は我が家と共に在り、守護者エンヴィ・キョウ・アルデマ=ライバット――

 

 その健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、私を愛し、私を敬い、私を慰め、私を助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか――いえ、誓いなさい」

「ん……はて? セシリー様、守護者就任の文言が違いま――」

「部外者は口を慎んで下さる?」

「アッハイ」

 

 京は突然告げられた事に驚き、そして後半何やら聞き覚えがあるなと思った。しかし、この世界の風習やら何やらに疎い自分が聞き覚えがあるなどと、そんな筈はない、気のせいだと頭を振った。

 しかし、何と答えれば良いのか。京は少しの間悩み、セシリーの前で情けなく眉を下げた。脇で石のように固まっているウドールを他所に、セシリーは京に向けて柔らかく微笑む。

 

「そんなに硬くならないで、真っ直ぐ私の目を見て――『誓います』と一言口にすれば良いの、何も難しい事は無いわ、簡単でしょう?」

「えっと……はい」

 

 優しい笑顔を向けられ、京は小さく息を吸う。これが儀式的なモノだとは理解しているが、こういった経験が皆無である京にとっては緊張の瞬間であった。故に「文言の内容は良く分からないが、きっと彼女の武官になる為に必要な事なのだろう」と、実際それ程気負わずに、それこそ「今日ヒマ?」「うん、暇」と言うレベルの気軽さで京は口にした。

 

「誓います」

 

「ッっぅ~~! ――素晴らしいわ」

 

 身悶え、歓喜のガッツポーズを隠し切れないセシリー。それを真摯な目で見つめる京、どこか羨ましそうに二人を見つめるヘテラ。

 (のち)にウドールは語る、「あれは半ば詐欺()みていた」と。

 

 

 




 感謝ッ、感謝の六千字ッ――!

 読者の皆さんに感謝を伝えたくて倍の量を書きました。
 まさか三日続けてランキング一位になれるとは思っておらず、評価して頂いた方も百名を超え……此処まで来ると若干のプレッシャーを感じて参りました今日この頃です。
 布団に入って「こんなの読みてぇ」なんて妄想していた物語がこれだけ多くの方に読まれているという事実に、何と言うか嬉しいやら恥ずかしいやら非常に居た堪れない気分です、はい。

 兎にも角にも、これだけ多くの方に応援して頂いているので、引き続き執筆の方、頑張っていきたいと思います。評価、感想、どしどし送ってくれると嬉しいです、バッチコイ。

 

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