「今日も素敵だった」
「それはどうも」
個室へと戻った京をリースが出迎える。その表情はニコニコと屈託なく、心なしかいつもより上機嫌に見えた。試合後のリースはいつもそうだ、自分の仕事ではピクリとも表情筋を動かさないと言うのに、京の試合を見た後だと満面の笑みを浮かべる。
人の死を見るのが好き、という訳では無いのだろう。それはまるで、京の戦う姿を見るのが好きと言った風だった。
「
「ふぅん……身請け金に回すの?」
「そうするよ、手元に残ったのはこれっぽっち」
そう言って京は苦笑いを浮かべる。彼が摘まんで見せたのは、小さな麻袋一つだけ。中には銀貨が三十枚ほど入っている。この世界で言う銀貨一枚は前世の千円札に相当する。
本来ならば金貨百枚――凡そ百万円程度の金が京の懐に入り込んでもおかしくは無いのだが、京はソレを自分の身請け金に回していた。とどのつまり、自分で自分を買おうとしていた。
しかし悲しいかな、名を上げれば上げる程報奨金は跳ね上がるも、その度に身請け金額も跳ね上がった。単純に京自身にブランドが付いたのである、結果金貨百枚二百枚では足りず、今では想像を絶する金額になってしまっている。
かれこれ十年、身請け金を積み立てて来たが未だに目標金額には届いていない。聞けば既に京の身請け金は何十億と釣り上がっているのだとか。地下闘技場の稼ぎ頭、その第一位を手に入れるというのは相当な金が掛かるらしい。
「言ってくれれば私が出すのに……」
「それじゃ意味がないでしょう」
口を尖らせてそんな事を言うリースに、京は肩を竦める。リースに金を出して貰って、仮に身請けして貰ったとしても、それは単純に持ち主が地下闘技場のオーナーからリースに変わったというだけだ。
京は自分自身の手で自由を掴み取りたかった。
その点は前世と違う、この世界では頑張れば自由を手に入れられるのだ。あの、いつ死ぬかも分からない日々、どれだけ頑張ろうと死という事実を突き付けられる無力感。それを考えれば、今の状況など優しいと思った。
しかし、それはあくまで前世を経験しているからこそ、言える事なのだろうが。
「じゃあ京が私を買って、銅貨一枚で良い」
「……もう少し自分を大切にしてくれ」
リースがとんでもない事を言い出したので、京は頭を抱える。少しだけ「マジで?」と思ってしまった自分を殴りたい、銅貨一枚とはつまり百円である。出血大サービスどころの話ではない、それで良いのか、駄目だろうリース。
因みにだが、リースは既に自分自身を身請けして自由を手にしている。闘士として活動こそしているものの、その身分は奴隷階級ではなく一般市民だ。無論稼ぎは全て自分の懐に入って来る、闘技場でも屈指の人気を誇る彼女の稼ぎは京に負けず劣らず。
リースは身請けして既に三年ほど経過しているが、その間に溜めた金銭はちょっとした豪邸が建てられる量らしい。恐らく京とリースが金を出し合うか、若しくはリースがちょっと本気を出して稼ぎ始めた上で貯蓄を放出すれば、この世界から脱却する事も出来るのだろう。しかし京はその話をずっと前から断り続けていた。
「リース、君はもう生き方を選べる立場だろうに……こんな場所からはさっさと出てしまって、自由に生きたらどうだい?」
「嫌」
京の彼女を案じた言葉は、たった一言でバッサリと切り捨てられてしまう。彼女との付き合いも大分長くなってきたが、京の事になると鋼の様に頑固となる女性だった。確かに闘技場の中で古参と呼べるのはリースと自分、そして幾人かの友人だけになってしまったが、こんなにも親しい仲になるとは京自身思っても居なかった。
「京と私が離れるときは、きっと死ぬ時、お墓は一緒の所にして貰う」
「……さいですか」
万力の様な力で抱き着いて来るリースに、京は力なく言葉を零した。
そうこうしていると、ジリリッ! と聞き慣れない金属音が部屋に鳴り響いた。それは試合用のベルでは無く、業務連絡用の通信装置だった。魔法水晶を利用した少しばかり高価な代物だ、「邪魔、ごみ」と表情を歪めるリースに戦々恐々としながら、京は部屋の壁に設置された通信装置まで歩き、その表面に触れた。
「京です、コレを使うなんて珍しい、何かあったので?」
『あぁ、京か、丁度良い、リースに出られたら面倒だった、少し話したい事がある、今から上に来られるか? 重要な話でな、お前にとっても悪くない話だ』
装置の向こう側から聞こえて来た声は京の持ち主――つまり地下闘技場のオーナーであった。少しばかり小柄な男性で、厳つい表情をしているが面倒見の良い兄貴分の様な人間だ。年齢は既に六十を超え、根は善人で、闘士としての教育こそ厳しいモノの、それは少しでも長く生きて欲しいという彼なりの優しさだったりする。本来ならばこんな裏商売に顔を突っ込む様な人間ではない、恐らく他人に言えぬ秘密があるのだろう。
無論、その事に首を突っ込む気は無い。
その彼が、少しばかり弾んだ声色で話していた。何か良い知らせでもあったのだろうか、京は首を傾げながら今から行く旨を伝えた。
「京、誰?」
通信装置から手を放すと、フッと光が消える。京の話し声は聞こえたようだが、相手の声は対象者にのみ聞こえる。特に隠すような事でもないので、京は「少しオーナーに呼ばれたんだ」と素直に答えた。
すると彼女の機嫌がみるみる悪くなる、試合は三日に一度の頻度なので、今日、明日、明後日は誰にも邪魔されず部屋で二人きりだと喜んでいたリースは、甘い蜜月――あくまで彼女視点――を邪魔されて不機嫌になっていた。
「何だろう、身請け金の途中報告かもしれないし、まぁすぐ終わると思うよ」
「……分かった、待っている」
だから早く帰って来てね、と。
リースは不機嫌そうに呟いた。京としてもそれ程長い用事になるとは思っていないし、これ以上リースの機嫌が悪くなると物理的に消滅しそうなので、早く帰って来ようと決めた。
体育座りでベッドの上に転がるリースに苦笑しつつ、適当に身だしなみを整えた京は上――地上へと向かった。
その背をリースは寂しそうに見送る。
リースとて高々数十分、長くても一時間程度で戻ってくると思っていた。あの男は長話が好きだが、暇では無い筈だと。
しかし、その日――京が部屋に帰って来る事は無かった。
☆
「どうだろうか、悪い話では無い筈だ、寧ろ破格の待遇だろう」
現在、京は地上の応接間にて二人の貴族と対面していた。お得意様用に揃えられた調度品はどれも一級品で、隣に座るオーナーに至ってはいつもと違う煌びやかな服まで来ている。
そういう京も、この応接間に来る前に裏方さんに掴まって、あれやこれやと服装を整えられた訳だが。前世ならばスーツとでも言えば良いのだろうか、日本に馴染みがある京からすると軍服の様な恰好だと思った。
黒を基調とした服装、金色のボタンに飾緒まで垂れている。
しかし元々大柄な男性が着用する為の服であっても、京が着るとパツパツだ。特に大胸筋や腕周り、脹脛のふくらみは一目で分かるレベルで、これならまだ普段着の方が良かったのではないだろうかと思った。
「はぁ……」
京は目の前の男性――貴族然とした男の言葉に、気の抜けた返事をする。男の話は単純で、何と自分を身請けしたいという話であった。身請け金は既に用意出来ており、本人の意思確認さえ終われば直ぐに支払えると言う。
京からすると驚くべき内容だった、というか自分も身請け金の積み立てをしていたのですが……と。
「無論、人並みの生活は保障しよう、君を兵士にするつもりもない、ただ我が屋敷で武官として勤めてくれば結構だ、なぁに、そんな難しい仕事ではないさ」
「はぁ……」
何度となく繰り返される返事、目の前の男性は次々と身請け先の事を語ってくれるが、正直京としては「そんなん、突然言われても」という状態であり、右から左へと流れている。
そして男性の隣に座す女性――恐らく娘か何かなのだろう、彼女は京が応接室に入ってからずっと視線を向けており、何となくその視線がリースから向けられる視線に似ていて、落ち着かなかった。
「武官の仕事は毎朝娘の警護をしてくれるだけで良い、後は屋敷の見回りとかね、君は腕に自信があるようだし、なんたってルドワークの秘蔵っ子だ、私もその点に惹かれてこの話を持って来た、訓練場で他の武官の面倒を見てくれるならボーナスも出そう、教官の真似事だと思ってくれれば良い、どうだろう?」
京は男の視線を追って娘と呼ばれた女性に視線を向ける、何となく避けて顔を逸らしていたが、話に出されては視線を向けずにはいられない。そうして交わった視線、一方的な熱視線を受けていた京は少しだけ居心地悪そうに彼女へ微笑んだ。
ぽっ、と擬音が付きそうな程に赤くなる頬、彼女は慌てて顔を逸らし、何でも無い風を装った。
「いや、しかし、その、ですね……オーナー、自分の身請けの積み立ては」
今いくらですか、場合によっては断りたいのですが――と口にしようとした京の肩に、ポンと手が置かれた。それは隣に座るオーナーの手であり、京を見る彼の表情は驚く程穏やかだった。彼の顔がずいっと近付き、京の肩を強く掴む。
「京、オメェ、この地下闘技場を出た後、アテはあるのか?」
「アテ……?」
「そうだ」
穏やかだが、真剣な声色で話すオーナー。その眼は確りと京を見つめており、本気で自分の身を案じているのだという事が分かる。アテ、とオウム返しした京に、オーナーは淡々と口にした。
「ここの闘技場での稼ぎは莫大だ、このまま稼いでいけば数年で自分を買い戻す事も出来るだろうよ、オメェは優秀だ、きっと稼ぐ――だがよ、その
オーナーの言葉を聞いて、「どうするって……」と言葉に詰まる京。日本であれば、フリーターでも何でも、取り敢えず仕事を見つけるだろう。しかし、この世界ではどうだ、そもそもバイトみたいな事は可能なのか?
幸い、京は健康な肉体がある、顔も良い、場合によっては適当な職を見つける事が出来るかもしれない。しかし確実ではない、京はこの世界の字も読めないのだ、話せるし聞けるが、書けはしない。
知人も、知り合いも居ない、頼れる人が居ないのだ、この場所を除いて。
そこまで考えて、京は少しだけ恐ろしくなった。
この世界から抜け出す事ばかりを考えていて、その後の事を少しも考えていなかった。そこまで考えが及んでいなかったと言っても良い、環境を抜け出す事ばかりに目をやって、その後を考えていなかったのだ。
その点、リースは違う、彼女はこの環境を抜け出す為に貯蓄を行っていた。彼女は知っていたのだ、自身が【
「……お前が良いなら、身請けした後も闘技場で戦って貰っても良い、自分の自由の為じゃなく、単純に金の為に殺せるって言うなら問題はねぇよ、オメェが居れば闘技場は安泰だしな――けどよ、お天道様に顔向けて、胸張って、真っ当に生きていますと言える仕事に就くチャンスは少ねェ、特に俺やお前の様な人間にはな」
その通りだと思った。
前の世界でも同じだ、一度裏に堕ちた人間は表に戻って来る事が困難。それは十年この世界に身を置いて知っている、自分を身請けして、外に出られるのは少数だ。しかしその中には意気揚々と外に出て行き、再びこの世界に戻って来る者も居る。外の世界で生きられず、泣く泣くこの世界へと戻って来た人間だ。
環境が違いすぎるのだ、一度馴染んでしまえば、暴力の
「だからよ、悪い事は言わねぇ、このチャンスを無駄にしてくれるな――可愛い息子が、いつまでもこんな
「オーナー……」
京を見るオーナーの顔が、ふっと緩んだ。それは慈愛に満ちた表情だった、十年、彼の元で過ごした、それは京にとっては長い時間だったし、オーナーにとっても長い時間であった。所有者と、所有される側、京は売られる側で、オーナーは売る側だ。
しかし、オーナーにも人の情がある、六歳の時から面倒を見ていたオーナーからすれば京は自身の息子と言っても違いなかった。
京は不意に切なくなった、何か言い表せない感情が胸を燻った。
オーナーは京の肩に置いていた手を引っ込めると、上着のポケットから何かを取り出す。それは一枚のカードで、表面にはエンヴィ・キョウ=ライバットと書かれてあった。唯一読むことが出来る、京の文字。
この闘技場に来た時に、オーナーが教えてくれた文字だ。京はこれしか読めない、これしか書けない。
「オメェの積み立てていた、身請け金だ、全部中に入っている、現金で渡しても良かったが、それだと邪魔だろう? 折角の貴族様からの身請けだ、キッチリ受けて胸張って生きろ、そんで――嫌になったら、この金でノビノビ暮らせ、一生分の金をオメェは十年で稼いだ、誰にも文句は言わせねぇよ」
前半は堂々と、そして後半は向こう側に聞こえないように小声でオーナーは告げる。京はカードを受け取った、殆ど見た事は無かったが、前世で言うクレジットカードと同じ様なものだとは何となく理解していた。この中には京が稼いだ十年分の報奨金、それが丸々入っている。
「――窮屈な思いはさせないと約束しよう、我が家に迎えさせてくれ」
貴族の男が京を見つめる、決定権が自分にあるとは理解していた。しかし、これだけの事をして貰って首を横に振る事は出来ない。
自由を自分で勝ち取る事は叶わなかった、けれど差し出された手と恩情を無下に出来る程、京は腐っていない。それだけはしてはいけないと、そう思った。
京は暫くの間唇を噛み、これからの未来に想いを馳せ、静かに頷いた。
「――宜しくお願いします」
深く、深く頭を下げる。
貴族の男が安堵の息を吐き出し、オーナーが鼻を啜った。
それが正しい選択だったのかは、誰も知らない。
しかし、ただ一つ言える事があるとすれば。
「――ッ!」
京の目の前で、喜びの余り叫びそうになる体を必死に抑えつける貴族令嬢。彼女にとっては最高の選択であったと、その事だけは間違いない。
オールド・ワンが進まない(血涙)
本当なら闘技場に来た時から描写しようと思ったのですが、正直めんどく……取捨選択って大事だと思ったので、切り捨てました(`・ω・´)キリッ
来週の地下闘技場~は。
「リース、激おこ」
「貴族令嬢、ママになる」の二本です。(嘘)
それでは皆さん、次の投稿でまたお会いしましょう。