異世界の地下闘技場で闘士をやっていました   作:トクサン

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彼は挑んだ、幻想に、そして――

 京は迷っていた、セシリーを探すべきか、或はリースの呼び出しに応じるか。セシリーの居場所は依然として分からず、無暗に探した所で見つかるとは到底思えない。ならばリースの呼び出しに応じるべきか、しかし京の感情としてはセシリーを見捨てる様な真似は出来ない。

 貴族地の噴水広場、アルデマ家に来る途中にある大きな広場だ。先日シーエスと外出した際にも通っていた為、京は場所を知っていた。噴水広場と言われているが、その実公園に近い、緑の植えられた広大な公園だ、昼間は人が多く喧騒に満ちているが夜は無人となる。

 

 京は走りながら出来の悪い頭を懸命に働かせ、リースの元に向かうと決めた。

 セシリーに仮に捕まっているとしても、リースは賊の雇い主である。ならば彼女と話せばセシリーを解放する事が出来るかもしれない。もし捕まっていないならば、それはそれで構わない、どちらにせよリースには聞きたい事が山ほどあった。

 

 アルデマ家から噴水広場までは走って十分程か、しかし京の脚力と持久力を以てすれば半分に短縮可能だった。石畳の地面を蹴りながら加速し、一直線に広場を目指す。深夜の貴族地は恐ろしく静かで、人影は一つも見えない。等間隔に並んだ街灯が淡く道を照らすばかりで障害一つ無かった。

 その中を京は疾走する、苦悩そのものを置き去りにする様に。

 

「っ!?」

 

 広場が見えて来た頃、京はやけに広場が明るい事に気付いた。そして時折、何かが破裂する様な音、割れる音、燃える音が聞こえて来る。リースの魔法だ、京は瞬時に悟った。彼女が魔法を使っているという事は、誰かと戦っているという事。

 京は更に速度を上げ、半ば弾丸の様に広場へと向かって駆けた。

 

「リースッ!」

 

 広場に辿り着いた京は即座に大声を上げ、彼女の姿を探す。

 果たしてそこで見た光景は――倒れ伏す『セシリー』と、その前に立つ『リース』であった。

 

「京……っ!」

 

 噴水広場の中央、そこに横たわる主人、そして京を見つけたリースは満面の笑みを向ける。京は嬉しさと悲しさの掻き混ざった様な複雑な気持ちを抱いた、これがもし日常の中の一コマであったならば、京とて笑顔で再会を喜べたのだろう。

 広場は無数の焦げ跡に破砕された石畳が散乱し、酷い有様だった。

 

「リース、その人は――」

「ん……あぁ、これ」

 

 リースは京に微笑んだまま、自分の足元に転がるセシリーを軽く爪先で蹴飛ばす。セシリーがそれで何らかの反応を返す事は無く、完全に気を失っている事が分かった。

 彼女が身に纏っているのは普段のドレスでは無く、何か白いウエットスーツの様なモノだ。尤も度重なる攻撃に表面は黒ずみ、所々痛んでしまっているが。

 

「京を身請けした貴族、セシリー、私に挑んで敗北した、それだけ」 

「それだけって……」

 

 京はリースを一瞥し、それからセシリーの元に駆け寄った。仰向けに転がし、口元に手を当てれば僅かに息が当たる。良かった、死んではいない。京は安堵に胸を撫で下ろしたが、その視界にリースの手が差し出された。

 

「京、早く行こう、他の連中が来る前に」

「………」

 

 京は差し出された手を見つめたまま、顔を顰めた。リースは何故京がそんな顔をするのか分からず、「どうしたの……?」と小さな声で問いかける。まさか手を取らない筈が無い、リースはそう思っていた、信じていた。しかし彼は一向にリースの手を取ろうとはしなかった。

 

「リース、屋敷に来た賊から聞いた――彼らは、君が雇ったのか?」

「? そう、京を助ける為に」

 

 自分を助ける為、リースはそう言った。しかし京には理解出来なかった、彼女が何故こんな真似をしたのか。そんな事をする必要は無かったはずだ、身請け先であるアルデマ家に賊を仕向ける理由は何だ? そんな理由、あるとは思えない。

 

「………っ」

 

 京はリースの手を振り払い、立ち上がった。

 リースは払い除けられた瞬間、「えっ」、と驚きの声を上げる、そして自身の差し出した手を呆然と見つめた。痺れた痛みを発する手、それを払い除けたのは京。リースは驚愕の表情を徐々に変化させ、悲しみに満ちた顔で京を見た。

 

「……一緒に、来てくれないの?」

「リース――君が何を考えて、こんな真似をしたのか理解出来ない、だから」

 

 一緒には行けない、まずは一から全部話してくれ。

 そう言おうとして、しかし京は口を噤んだ。リースの目は既に京を映しておらず、その背に庇うセシリーに向いていたから。注意が自分に向いていない、京は自分が透明な何かになった気分だった。

 

「そんなに」

 

 リースの目が暗い光を帯びる。その瞳は京の今まで見て来たリースのどんな瞳よりも暗く、そして薄気味悪い。

 

「そんなに、セシリーが大事なの?」

 

 違う、そうじゃない。

 京がその言葉を叫ぶより早く、リースがセシリーに手を向けた。そこから本能的に危険を察知した京が、素早くセシリーを抱き上げて後退する。次の瞬間には地面から炎の柱が出現し、セシリーの居た場所を焼き尽くした。

 

「ッ、リース!」

「――ねぇ、京、お願い、私と来て」

「訳も分からないまま、此処を去る訳にはいかない!」

「………」

 

 リースの顔が酷く歪んだ。それは自分の思い通りにならない事態に対する苛立ちか、或は京を唆したと思われるセシリーへの憤怒か。

 しかし、ここにきてリースは京が素直に自分の元へと帰って来てくれる気が無い事に気付いた。彼はセシリーとやらを気遣っている、それは無理矢理身請けされた奴隷の態度ではない。

 リースはそこで、そもそもの過ちに気付いた。

 

 

 ――京は、望んで身請けされたのか?

 

 

 それはリースが一度も考えなかった、一つの可能性であった。

 その可能性が今この場に立って、初めて脳裏を過る。あり得ないと断言出来る可能性の筈だった、だってそうだろう? 彼は自分で自分を身請けする事を最も大切にしていて、自分の身請け進言すら跳ね除けたのだ。

 それがどこぞの誰とも知らぬ貴族に頷くものか。

 

「京」

 

 リースは今にも泣き出しそうな顔で京の名を呼ぶ。

 京はセシリーを比較的安全な場所に移動させ、再びリースの前に立ち塞がった。懐かしい声で呼ばれた京は、彼女の表情を見て胸を傷める。

 何故、そんな顔をする。

 

 リースは京に問いたい事が沢山あった。

 京はリースに問いたい事が沢山あった。

 

 もしかして、京は望んで身請けを受けたの?

 何か言えない事情があるのか、リース?

 どうして私の身請けは断ったのに。

 どうしてアルデマ家に賊を仕向ける様な真似をした?

 もしかして、あのセシリーという女を好きになってしまったの?

 自分が身請けされた事は知っている筈だ。

 あの女の事を、愛してしまったの?

 これから普通の生活を手に入れて、君を迎えに行こうと思っていたのに。

 

 

 ねぇ、京……!

 なぁ、リース……!

 

 

 それは不幸な勘違い、或は相互不理解。

 お互いがお互いの過ちに気付くには余りにも遅く、対峙した二人に一度踏み出した足を戻す力は無かった。

 

「リース」

 

 京は彼女の名を呼ぶ、互いの立場が変わって尚、その響きは甘美なものとしてリースの体に染みわたった。

 仮に、仮に彼がセシリーを愛したとして。

 その彼女の為に身請けを受けたとして。

 

 

 果たして自分は――どうなるのだろう?

 

 

「ねぇ京、私、気付いたの――一番の願いは貴方が私の傍に居る事、そして私を討ち果たす英雄になってくれる事だって思った、ずっと、ずっとそう思っていた」

 

 彼女は何かを覚悟した。京はリースの纏う空気が一変した事に気付く。

 リースは着ていたローブを脱ぎ捨てる。そして彼女の瞳孔が一気に開き、周囲を炎が包み込んだ。周囲一帯、まるで京とリースを包み込む様に円を描く。閉じ込められた、京が最初に思ったのはソレだ。

 炎の監獄、その中心で二人は対峙する。高熱が周囲を支配し、京の額に汗が伝った。

 

(ドラゴン)を最後に討ち果たすのは人間の英雄、それは幻想から生まれた龍種(ドラゴニア)の根源的な欲求、けれど遠い昔に人々は戦う事を辞めた、誰もが平和を望み龍殺し何て危険な事はしなくなってしまった――」

 

 人は余りに弱い、亜人と比べて体も弱ければ魔法も使えない。そんな人間に残された道は一つ、技巧を磨き、技を極め、ただ一つの武を極める。その天に届き得る鍛錬の果てに人は龍を討つ、三百年前がそうであった様に。

 けれど人々は諦める事を覚えてしまった――それに慣れてしまった。

 

「けれどもう良い――そんな事はもう、果たさなくて良い」

 

 リースが京の前で顔を手で覆う、そこから彼女の体が変質する。龍の硬質的な鱗が皮膚に生え揃い、彼女の額に二本の角が生え出る。その姿は京が今まで見た事のない、リースのもう一つの顔……龍種(ドラゴニア)の彼女。

 

 京は息を呑んだ、彼女から暴力的なまでの威圧感を感じたから。そして同時に、その暴力を象った姿が美しいと思ったから。

 鱗に覆われ、角を生やし、その体の節々から炎を吹き上げながらリースは顔を上げる。

 彼女の瞳から一筋の涙が流れ出て、炎に揺られ虚空に消えた。

 

「京が居てくれれば、貴方さえ居てくれれば、龍の大望なんて知らない、傍にいてくれるだけで良い、場所なんて何処でも良い、それだけで良いから、それ以外は望まないから――貴方(キョウ)人生(いのち)を私に頂戴」

「リースッ――!」

 

 激烈な言葉、彼女の感情に呼応する様に、京は叫ぶ。

 

 告白と言うには余りにも苛烈で。

 想いが伝わった時は余りにも遅かった。

 

 想い人が手の届かない所に行こうとしている。

 なら、力尽くでも引き留めたい。

 けれどそれは、彼にとっての幸福ではない。

 だからこれは――()の我儘。

 

「さぁ、京、始めよう? これは私の我儘だから、京が好きで堪らない、龍の我儘、だから京が勝ったその時は――」

 

 リースはその言葉を最後まで口にする事は無かった、それよりも早く彼女は地面を蹴り砕き、京へと迫る。辛うじて反応した京は、手甲を突き出し防御の構えを取る。その上からリースは拳を振り下ろし、凄まじく硬い何かが京の腕を打ち据えた。

 

「ぐッ!?」

 

 ガチン! と京の手甲とリースの拳が火花を散らした。

 重く、強い。

 ガクン、と膝が落ちて数メートル程地面の上を滑って後退する。更にそこから、炎が頬を掠める。リースが地面を炎で包み、京目掛けて放つ。それらをステップで小刻みに回避し、大きくその場から跳躍。一発拳を防いだだけで、手甲は表面に凹みが出来ていた。

 

 強い、圧倒的なまでに――彼女は亜人である、分かり切っていた事だがこれ程とは。

 

 京は自分の血が冷えていくのを感じた。

 心臓は早鐘を打ち、体全体が燃え上がる様だと言うのに、血だけは氷の様に冷たくなっていく。それは何とも言えない緊張感と痛みを京に与え、口から僅かに空気が漏れた。

 

 ――彼女と戦う理由は何だ。

 

 京は理由も無く戦える程、戦闘狂ではない。死に抗う時こそ興奮を覚えるものの、京という人間が戦うには常に理由が必要だ。誰かの為、自分の為、環境の為。けれど今、リースと戦う理由が見当たらない。彼女は言った、自分の我儘だと、そして京の為に此処まで来たと。

 闘技場を後にし、京を探して走り回り、漸く此処まで来たのだろう。

 

 だが何故だ?

 

 オーナーはリースに事情を説明しなかったのか?

 

 普通に逢いに来る事は出来なかったのか?

 

 どうして彼女はセシリーを傷つける?

 

 屋敷に賊を仕向けた理由は?

 

 余りに無知、蚊帳の外、当人だと言うのに京は彼女達の事情を微塵も理解していない。それが腹立たしく、同時に悲しかった。恐らく何か思い違いがあるのだろう、すれ違うがあるのだろう、勘違いがあるのだろう。

 けれども、自分は此処に立ってしまった――立ってしまったのだ。

 

「リぃィスッ!」

 

 彼女の名を叫ぶ。それだけで彼女は、リースは少しだけ嬉しそうに笑う。

 彼女の願いは単純だ、自分と共に居る事なのだろう。今まで冗談(ジョーク)だと思っていたソレは彼女の確かな愛情表現だったのだ。

 

 リースが嫌いか?――否だ。

 京はリースが好きである、大好きである、長い時間を彼女と共に過ごした京は情も愛も彼女に対して持ち合わせている。ならば戦う理由は無い、しかし言葉で止まる程、彼女の覚悟が安いとも思わない。彼女はこの国の貴族に賊まで仕向けたのだ、そこまでした彼女の覚悟を軽くなど見れる訳が無い。

 

 なら、どうする。

 

 戦って――勝つ

 

 その後、事情を聞いて、一緒にセシリーに謝ろう、何度だって謝ろう。

 それで許されるかどうかは分からないが、頭の良くない自分ではそれ以外に思い浮かばない。あらゆるものを賠償する羽目になるかもしれない、誰かが命を落とせば取り返しがつかない、一生償う事になるかもしれない、しかしそれでも構わなかった。この戦いが終わったら幾らでも二人に詫びよう、頭を下げよう。

 だから。

 

 ――今だけで良い、この時だけで良い、どうか力を。

 

 リースが距離を詰めるべく、駆け出す。その速度は京ですら目で追えぬ程、両手に業火を携えて突進する彼女の姿は宛ら本物の龍。京が手甲を構え、彼女の一撃を受ける。業火が京の皮膚を舐め、手甲が一撃で拉げた。衝撃で京の体が揺れ、更にもう一撃。

 

「あぁアッ!」

 

 リースが叫ぶ。

 京はリースの二撃目を見切り、ダッキングによって攻撃を躱した。轟音が耳元で鳴り、風圧で髪が引っ張られる。凄まじい力だ、京でなければ体ごと押し出されてしまう怪力。だが易々とやられる気は無い、京は勝つつもりで戦いに挑んでいる。

 

【鎧通し】

 

 密着した状態からのゼロ距離砲撃、拳が唸りを上げてリースの腹部を打ち据える。衝撃が足元の石畳を砕き、リースの体がくの字に折れ曲がった。常人であれば骨を何本か砕け、悶絶する程の威力。衝撃が空気を揺らし、彼女を包む業火が僅かに揺れた。

 

「っ――ゥ!」

 

 だが無傷。

 

 リースは衝撃を完全に受け止めながら、京を見返した。その瞳に怯む様子は見られない、あの初めての戦闘から幾年、されどその差は未だに埋まらず。

 マズい、そう思って背後に跳ぼうとした京の足が止まる。ぐっ、と何かに抑え込まれる感覚。見下ろせばいつの間にか氷が京の足元を覆っていた。

 

「ごッ!?」

 

 咄嗟の判断、京は自分の胸部を守る様に手甲を重ねる。その直後、リースの渾身の一撃が京を襲った。魔力による身体強化、凄まじい速度で振るわれた彼女の細腕が京を突き飛ばす。氷を砕きながら後方に吹き飛んだ京は、そのまま石畳と水平に飛び、途中転がりながら減速した。

 

 受けた腕が痛みを発する、狂った平衡感覚をそのままに地面に着いた手甲を見れば、その半分がボロボロに砕けていた。強靭な鋼がいとも簡単に――手甲が砕けたお蔭で京の腕は無事に済んだ。しかし二度目は無い、彼女の攻撃を素手で受ければどうなるか、京は背筋を凍らせた。

 

 ――形状記憶 記憶物再現

 

 京が全弾回避の覚悟を決めると同時、手甲が青白い光を帯びる。そして破損した箇所を覆う様に光が展開し、みるみる内に再生を開始した。京は目を見開き、目の前で起こっている光景に見入る。

 この光には見覚えがあった、それはセシリーが訓練場で使った魔法の光と同じ。

 

「……有り難い」

 

 原理は分からないが、どうやら彼女はこの手甲に細工をしておいてくれたらしい。それは破損した手甲を再生させるもの、それが一度きりなのか永続的に使用されるものなのか、京には分からない。しかし、京はリースの攻撃を全て躱す方針に固める。

 鋼であっても彼女の前では十全の守りに成り得ない、ならば全て躱すまで。

 

「……あの女――セシリーの魔法」

 

 リースは顔を悲痛に歪ませ、唇を噛む。それは黒い嫉妬心、彼が纏う武具に魔力を通すと言う、たったそれだけの事に彼女は胸を焦がす。龍種だからとか、亜人だからとか、そんなものは関係ない――これはリースという一人の女性が持って生まれた(さが)だった。

 

「なら、何度だって壊すだけ」

 

 リースの目が細まり、京は大きく息を吸う。リースに不用意な攻撃は御法度、しかし攻撃を馬鹿正直に受ければ手甲が砕ける。ならばどうするか――一撃で戦闘不能にする、亜人をたった一撃で。

 

 一撃で倒す、そんな事が可能なのか?

 

「隙」

「――ッ!」

 

 その疑念、その一瞬が隙となった。恐ろしい加速を以てして接近したリース、その突き出した拳が京の胸に直撃する。ゴッ、という鈍い音、肉の弾ける音。辛うじて筋肉を隆起させ受けの姿勢に入っていたが、衝撃は殺しきれず骨が軋んだ。

 

 口から空気が漏れる、体が痛みで硬直する。その怯んだ隙にリースがもう一撃、その場で素早いターンを見せ側頭部に回し蹴り。ブォンッ! と風を切った足先は、吸い込まれる様に京の頬に抉り込んだ。

 

「がッ!」

 

 首を捻り、威力を殺す。しかし唯ですら高い殺傷力を持つ彼女の蹴りは、多少威力を殺したところでどうにもならない。京の体は衝撃に吹き飛び、そのまま横に転がった。

 

「沈んで」

 

 リースが両腕を広げて拳を握る、その瞬間頭上から雷鳴が轟き落雷が京を襲った。辛うじて動作から攻撃を予測した京は、そのまま転がる事によって落雷をやり過ごし、素早く立ち上がる。しかし次の瞬間には氷の礫が飛来し、揺らされた脳では全てを躱す事は叶わなかった。

 

 礫は京の顔面、腹部、足に被弾し大きく痣を残す。殺さない様にと加減はされているが、リースの魔法はそんな生温いモノではない。京は痛みに呻き、衝撃に吹き飛ばされながら地面に転がった。

 

「京、もう良いんだよ? 諦めて、楽になって」

「はぁッ、ぐっ……ここでぇ、ッ諦めたら、リースにも、セシリーにも、顔向けできない!」

 

 京は口と鼻から際限なく溢れ出る血を拭う。リースの性格を京は良く理解していた、彼女は自分に正直な女性だ、しかし同時に京という人間を何よりも大切にしている。京が本当に何かを望めば、彼女は喜んでそれを成してくれるだろう。

 だから彼女は言っていたのだ――これは私の【我儘】だと。

 

「ねぇ京、私、京に出会えて、凄く嬉しかった、凄く凄く嬉しかった――もう京が居なくちゃ生きていけないの、京だけ、京だけ居れば良いから、それ以外は何も要らないから、だからお願い」

 

 リースは再び涙を流す、その雫は頬を伝う前に――業火に焼かれて消える。

 京は思う、彼女は何処まで行ってもリースなのだ。それ以上でも以下でもない、共に地下闘技場を生き抜いた戦友で、友人で、恋人に最も近い存在で。

 

 

『これは私の我儘だから、京が好きで堪らない、龍の我儘、だから京が勝ったその時は――』

 

 

 あの時、彼女は何を言おうとしていたのだろうか。

 何を伝えようとしたのだろうか。

 京には分からない、京はリースではないから、彼女の想いを十全に汲み取る事は出来ない。けれど、考えることは出来る。この不出来な頭で、長い時を共に過ごした彼女の感情を考える事は出来る。

 

 彼女は、別れを切り出そうとしたのではないだろうか。

 或は自身に勝利し、勝者の権利を有する京がリースを跳ね退ける事を望んだのではないだろうか。

 京の為に、ただ自分を押し殺して、そう、だからコレは最後のチャンスなのだ。リースという女性にとって、最愛を手に入れる為の。

 

「ねぇ京――貴方は私にとって一番大切な人、特別な人」

 

 リースは涙を零す、けれどもソレは直ぐに消える、業火によって蒸発する。流れる傍から消えて、また流れ、消える。だから彼女はきっと泣いてなどいない、リースはそう言い張るだろう。強情な人だ、難儀な人だ、京は心の底からそう思う。

 

「京しかいない、私を終わらせてくれる人は――私を幸せにしてくれる人は」

 

 リースの背に炎が渦を巻き、それは巨大な翼を象る。今までに無い程の熱が周囲に伝搬し、空気が燃えていた。肺が熱に満たされ、全身から汗が噴き出る。まるで世界そのものを焼き尽くす様に、空も、大地も、何もかも、一切合財が業火に呑まれる。

 

「私は誰よりも貴方を愛している」

 

 業火はうねり、彼女の体を包み込んだ。龍種(ドラゴニア)の誇る最大火力、熱によって視界が歪む、もう真っ直ぐ彼女を見る事さえ許されない。常人が受ければ灰すら残らない地獄の炎熱。京に奮われるのはその一端、加減のされた一撃だろう。

 けれども、五体満足で済むとは到底思えない。或は体の何処かを炭と化すかもしれない。

 

「まだ終わらせたくないの、まだ離れたくないの、まだ貴方と一緒に笑っていたいの」

 

 リースの拳に炎が集う、その圧倒的な熱量は小さな太陽を思わせた。びっしりと手には鱗が生え揃い半ば人の形を崩している、それ程までに強力な熱量。

 

 彼女の瞳から大粒の涙が流れる。

 離れたくない、終わらせたくない、ならば何故、彼女は泣くのだろう。

 それは、自分の我儘を京に押し付けていると分かっているからでは無いだろうか。自分の想いを押し付け、それを申し訳ないと感じているからでは無いだろうか。

 

 京は拳を握る。

 恐らく生涯、最も力強い拳を。

 

「だからお願い、もう諦めて――ッ」

 

 リースが大きく前傾し、炎が収縮を始める。京は歪んだ視界で彼女を捉えた、業火が象った翼がはためき、大粒の涙を流しながら彼女は叫ぶ。

 

 

 

「良いから私に勝たせてよぉッ!!」

 

 

 

 石畳を砕き、全てを置き去りにして突進するリース。その速さは恐らく、京がこれまで見て来た何よりも素早かった。迫りくる小さな太陽に、これまで感じて危機感、死ぬという確信、それを最も強く感じる。

 或はここで全てを受け入れ、諦め、拳を解けば京は楽になれるのかもしれない。全てを委ね、好きと言える人の元で延々に、淡々と。

 

 けれど――京は願う、祈る、審判者でも良い、或は他の神様だって構わない。

 

 審判者から授かった第二の命、丈夫な体、前世の記憶。

 

 今この瞬間、この時、一瞬だけで良い、他は要らない、全部やる、二度も必要ない。

 たった一秒、この命と引き換えにでも欲する。

 

 戦える力を、この想いを貫く力を。

 

 どうか。

 

 

 ――どうかッ!

 

 

「リぃィィィイスッ!」

 

 リースの拳が京の胸に突き出される。狙いは真っ直ぐ、愚直なまでに。圧倒的な熱量を前に、直撃すれば命の危機だと第六感が叫ぶ。躱すは不可能、受ければ必死。

 しかし京は恐れなかった。

 

 最速で放たれたリースの拳を、左手で掴む。

 正面から受け止める様に、全力で。

 リースの鱗と京の手甲が火花を散らし、凄まじい力に腕が弾け飛んだと錯覚する。しかし京の手は確かに、リースの拳を掴んでいた。

 そして次の瞬間にはドロリと鋼が溶け堕ちた。京の皮膚を焼き、爛れさせ、尚もリースの拳は突き進む。このまま灰となり散って、京の腕は役目を終えるだろう。指先から黒く変色し、ボロボロと崩れ落ちる己の腕を目視する。

 悍ましい光景だ、恐ろしい光景だ。

 けれどそれで良い、構わない。

 

 この一瞬に、京という人間の全てを。

 

 振り上げた右腕、肘先まで灰と化した左腕。リースの拳が京の体を穿つ前に、京の拳がリースを穿つ、それを成す。

 歯を食いしばり、指先から頭の天辺まで、余す事なく力に変える。全ての体力を絞り出し、その一瞬だけは一切の雑念を排す。痛みも恐怖も何もかも、京はその一秒だけ忘れる。

 

 まだ終わる訳にはいかない、京はまだ前世より十歳も若いのだ、十全に生きていないのだ。

 恋という奴は覚えたが、誰かと愛し合った覚えもない。恋愛成就にほど遠く、まだ世界を見て回っても居ない。まだ食べたいものがある、見てみたいものがある、やってみたい事がある、感じてみたいものがある、世界は広く十六で見たものなど前世の十分の一にも満たない。

 

 それに何より、リースとの約束を果たしていない。

 

 こんなもので死ねるものか。

 審判者は何の為に、この肉体を京に与えた?

 生きる為だ、人生を謳歌する為だ。

 隔世再生という名の第二人生(セカンドライフ)、それを成し得ずに死ぬなど。

 

 生きたいのだ。

 死にたくないのだ。

 生きて――生きて、生きて、生きて、生きて、生きて。

 

 

 

 

 

 リースと世界を見て回るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「負けるッものかァぁあアぁアァアアアッ!」

 

 

 

 

 咆哮、噛み砕いた奥歯をそのままに、血を撒き散らしながら京は一歩を踏み出す。足裏が石畳を踏み砕き、拳が唸りを上げた。腰の回転、単純な腕力、肩の可動範囲を限界まで活かし渾身の一撃を放つ。

 

 魂を絞り出し、命を絞り出し、繰り出された一撃は正に必殺。

 

 恐らく京は生涯、これを超える一撃を放つ事は無いだろう。己の命の瀬戸際、これ以上ない覚悟を以て繰り出されたソレは、人間の限界を超えた一撃だった。

 

 京の拳がリースの顔面へと吸い込まれる、一瞬驚愕の表情を見せるリース、その頬に手甲が突き刺さった。

 凄まじい衝撃、爆音、リースの体がエビ反りになり、足元が陥没する。余りの衝撃にリースの頬に突き刺さった手甲が指先から砕け、バラバラになって宙に散った。それはもう二度と元に戻る事は無い。

 そのまま押し切らんと拳を叩きつけ、ギチリとリースの筋肉が悲鳴を上げる。露わになった皮膚にリースの炎が纏わりつく、右腕も炎に呑まれ灰となるのも時間の問題だろう。既に鋼は溶け落ち、砕け、塵と消えた。

 けれど、退かない、退けない。

 叫び、咆哮し、己は負けぬぞと鼓舞し更に一歩、踏み込んで拳を押し込む。

 

 リースの拳と京の拳が交わり、そして――リースが小さく笑った。

 

 

 業火が晴れる。

 

 

 灼熱の地獄と化した世界が静寂を取り戻し、リースと京を囲んでいた炎の壁が消え去った。

 交差した互いの腕、地面に伏したのは。

 

 

 

 リースだった。

 

 

 

 振り抜かれた京の右腕はリースを地面に叩きつけ、その石畳を砕き埋没させていた。少女然としたリースの頬は赤黒く変色し、その亜人の耐久値を以てしても耐え切れない一撃だったことが分かる。

 彼女の瞳からは一筋の涙が流れ、その瞼は閉じられていた。

 此処に龍種と人間の戦いは終わり、勝負は決した――リースの敗北と言う形で。

 

「はァ、はぁ、ハァッ――!」

 

 京は肩で息を繰り返し、口から白い息を何度も吐き出す。体全体が熱を持っていた、最早それは呼吸と言うより排熱に近い。殴った右腕を見てみれば、指が全て黒ずみ、手首の辺りまで表面が炭化していた。さらに左腕に至っては酷いモノで、肩の辺りまで全てボロボロと崩れてしまっている。

 幸いなのは焼かれた事だろうか、出血が無い、それが唯一の救いだった。

 

「は、はっ……ハッ、ハハ、勝った――これで、リースを……っ」

 

 京の巨躯がグラリと揺れる、その続きを口にする前に体力の限界が訪れたのだ。その場で膝を着き、そのまま前のめりに倒れ伏す。焦げ目の付いた石畳に覆い被さり、京は最後の光景を見た。起き上がる気力は無かった、無論体力も。

 伸びきった腕の先にはリース。

 

 京は喜び、安堵した、彼女に勝利出来た事に。

 これで京は自らリースの傍に留まる権利を勝ち得たのだ、誰の指図でも無い、他ならない自分の意思で。恐らくリースは力で京を捻じ伏せ、強引に傍に置き続けたとしても、本当の意味で救われはしないだろう。心の何処かで、彼は自分が力尽くで従わせたと言う事実が圧し掛かるのだ。

 例え京が心の底からリースを想っていても、彼女はきっと納得しない。生涯悔い続ける事だろう、これは確信に近かった。

 

 だからこそ京は、痛みに泣き叫びそうになる中でも笑顔を浮かべられた。彼女の心の案念を守れた事が、嬉しく、何よりも誇らしかったから。

 

 

 しかし、この場に居たのは京だけではない――もう一人、居るのだ。

 

 

「京――」

 

 声がした、リースの向こう側から。

 その人物は幽鬼の様に立っており、京へと覚束ない足取りで近付いていた。地面に横たわった京は緩慢な動きで視界を動かし、その人物を見上げる。足先から、顔まで、徐々に見上げた先にあった顔は、見知ったものだった。

 

「セシリー、さん」

 

 セシリー、リースによって気を失っていた彼女だ。京とリースの戦闘に巻き込まれない場所に居た筈だが、その所々は最初に見た時よりも黒ずんでいた。どうやら炎の余波を受けたらしい、その姿に若干の罪悪感を覚えながらも、京は彼女の名を呼んだ。

 

「あぁ、京……貴方、腕が」

 

 セシリーはフラフラと京の傍までやって来ると、京の崩れた腕を見て顔を蒼褪めさせる。その唇を戦慄かせて、残った肩口にそっと手を添えると、炭化した皮膚がボロリと崩れた。

 その事に驚き、セシリーは思わず手を引っ込める。

 

「酷い、こんな、京の、大切な体に――ッ!」

 

 蒼褪めていたセシリーの表情が、徐々に変貌する。その表に出る感情は『憤怒』、セシリーは立ち上がると倒れ伏しているリースに目を向けた。

 瞬間、京はゾッとする。何か言い知れぬ悪寒が体を巡り、思わず残った右手でセシリーの足首を掴んだ。本来の京の十分の一にも満たない握力だ、振り解くのは容易だろう。しかしセシリーは力任せに振り解く事も無く、京を見下ろして言った。

 

「京、この手を退けて、私にはやらなければならない事があるのッ――!」

「ぐッ――駄目です……駄目ですよっ、セシリーさんッ!」

「離してッ、離しなさいッ! 私は、この女をッ!」

 

 セシリーの右手に光が宿る、それは魔法によって造られた疑似的な雷。それを振りかぶりながら、セシリーは倒れ伏したリースの元に行こうとしていた。京はソレを必死に止める、彼女を行かせてしまえばリースは死んでしまう、そんな予感があった。

 決して離してなるモノかと、京は炭化した腕で必死に彼女を繋ぎ止める。痛みに叫びたくなる衝動を堪え、脂汗を滲ませながら何とか踏ん張る京を見て、セシリーは涙を零した。

 

「どうして――どうしてなの、京? そんなに、そんなにこの女が……っ?」

 

 セシリーは振り上げた腕を下ろし、呆然と京を見る。セシリーからすれば、こうまでしてリースを庇う京の姿は見たくないものだった。何故、どうして、セシリーは疑問を抱く。何故こんなにも必死になってリースを庇うのか、彼女は京の腕を燃やし散らしたのだ。そんな事は許せない、例え京が彼女を好いていたとしても――それは明確な反逆行為であった。

 

「この女では、貴方を幸せに出来ないわッ! 物を知らず、亜人で、人を簡単に殺せる力を持っている怪物、貴方の片腕を奪った、それなのにッ――他の女なら構わない、貴方が心から愛していて、本当に好きだと言うのなら、死ぬ程嫌だけれど、殺したくなる位妬ましいけれど、私は我慢出来るわッ! ……けれど、この女だけは認められないッ!」

 

 セシリーは心の底から京を好いている、愛している。

 彼の望みならば出来得る限り叶えたい、そう思うのは自然な事だろう。そしてセシリーが最終的に求めるのは京の幸せであった、そこに笑顔の自分が居れば何も言う事無しだが、京が他の女性を愛する可能性だってある。

 無論、セシリーは京の愛を勝ち取るべく無尽の努力を行うだろう。

 彼の為ならどれだけの手間暇も惜しまず、邁進する筈だ。

 しかし、万が一、億が一、彼が本当に心から愛した女性が自分でなければ――セシリーは身を引く覚悟もあった。無論、死ぬ程嫌だ、考えるだけで嫉妬に狂いそうになる、けれど決して可能性はゼロではない。

 セシリーは京の幸せを一番に考えていた、だからこそ――その片腕を捥ぎ取ったリースを、彼女は絶対に許せない。

 

「この女は、貴方を絶対不幸にする――それがどうして分からないのッ!?」

 

 咆哮の様な叫び、凄まじい剣幕。その憤怒に京は一瞬気圧され、思わず指先の力が緩んだ。その瞬間にセシリーは踵を返し、そのままリースの元へと向かってしまう。気付いた時には既に遅く、再び伸ばした腕が彼女を捉える事は無かった。

 

「此処で殺すッ――例え京が私を恨んだとしても、貴女は彼にとって害にしかならない!」

 

 女の勘か、或は最愛に向ける想いの強さが彼女の背を押す。セシリーは魔法を込めた拳をリースに向かって振り上げ、その魔力をナイフの様に尖らせた。魔法礼装によって増幅された魔力収集能力が十全に発揮され、極一部分のみの魔法使用であれば亜人に迫る出力を見せる。

 セシリーの狙いは心臓、このまま鋭利な魔力で以て胸を貫き、そのまま心臓に雷撃を撃ち込むつもりであった。如何に強靭な亜人の肉体とは言え、魔法的強化もされていない素の状態であれば限度がある。今のリースは少しばかり硬い亜人に過ぎないのだ。

 

「死んで――ッ!」

 

 振り上げた拳を打ち下ろす、真っ直ぐリースの胸に向かう拳を京は必死の思いで見ていた。体を動かそうとして、しかし全ての体力を絞り尽くした肉体は意識を繋ぐのもやっと。

 拳は何の抵抗も無くリースの胸に直撃し、雷鳴が鳴り響いた。

 

 死んだ――そう思った。

 

「――ッ!」

 

 しかし、拳を打ち込んだセシリー本人が息を呑む、浮かべる表情は驚愕。

 拳は確かにリースの胸を捉えたが、その拳が胸を貫く事は無かった。手に感じるのは硬い感触、まるで鋼でも殴った様。セシリーが目を凝らせば自分の拳の先に薄い魔法障壁が張られていた、それがセシリーの一撃を食い止めていたのだ。

 セシリーの背中にゾッと悪寒が奔る。

 魔法を使えると言う事は、つまり――

 

「汚い手で私に触れるな」

 

 リースが瞼を開き、自分を見ていた。

 

「――」

 

 その瞳の暗さに、ゾクリと肌が粟立つ。しかし、ここで諦めると言う選択肢は無い。

 セシリーが魔法障壁ごとリースを貫こうと魔力を収集、手の雷光が凄まじい発光を始める。しかし、それよりも早くリースがセシリーの腕を掴んだ。

 

「邪魔」

 

 その一言でセシリーの体が浮き上がる、視認も難しい程の速さで魔法を行使、セシリーの体を風で吹き飛ばした。吹き飛ばされたセシリーは宙を舞い、石畳に叩きつけられ痛みに呻く、元よりリースによって傷つけられた体、既に彼女も限界だった。

 

「ふふっ――京、あぁ、京、信じていた、本当に、信じていた、私を倒すって、予想を超えるって」

 

 リースは未だ覚束ない足取りで立ち上がる。その頬には大きな痣が残っていたが、鱗が生え揃い痣を隠した。それから何度か額を叩いて、リースは心の底から嬉しそうに京を見る。その瞳には歓喜の色、そして僅かな悲しみを感じさせる色。

 

「やっぱり京は強い、凄く強い、私はその強さを信じていた、心の底から――だから、私の勝ち

 

 京は呆然とした表情でリースを見上げる。既に立つ力も無く、拳さえ握れない。彼が再びリースに挑む事は不可能、それは火を見るよりも明らかだった。

 

 リースは分かっていた、信じていた、きっと京ならば自身の予想を上回ると、一時とはいえ龍種を越えて見せると。そう、分かっていた、信じていたのだ。

 分かっていたならば――対策も可能。

 

「衝撃緩和」

 

 リースが自身の頬に触れると、そこを中心に青白い光が奔る。それは予め彼女が仕込んでいた衝撃を軽減させる魔法。リースは京が頭部を狙うと分かっていた、今まで地下闘技場で戦って来た京の亜人戦術を知っているが故に。

 彼は頭部を揺らし、意識を飛ばす事を対亜人では重視する。だからこそ予測出来た、尤も想像以上の威力で数秒ほど意識が飛び、復帰に時間が掛かってしまったが。

 それはリースからすれば嬉しい誤算以外の何物でもない。

 

「リー……スゥッ!」

「ごめんね、京、ごめんなさい、我儘な龍種で、ごめんなさい――でもこれで、やっと一緒」

 

 リースが微笑み、京は自身の無力さに歯噛みする。既にリースと京の戦いは終わり、勝者は敗者へと転じた。

 リースは京の元に足を進めると、巨躯の彼を簡単に持ち上げる。対抗する力さえ残っていない京は、薄れつつある意識を懸命に繋ぎ止めていた。

 

「待ち……な、さい」

 

 リースは京を抱いたまま踵を返す。

 しかし、その背後でセシリーが震える足を叱咤し立ち上がろうとしていた。既に体は限界で、貴族として最低限の武芸しか学んでいない彼女からすれば、リースとの戦いは自殺行為以外の何物でもない。

 しかし、だからと言って退けるモノでは無かった。

 

「返しなさい、京を――貴女、だけ、にはッ!」

「本当に邪魔」

 

 リースがセシリーに手を向ける。その瞬間、彼女の手から火炎球が撃ち出されセシリーに着弾した。人間一人ならば簡単に火達磨に出来る熱量、しかしソレをセシリーは魔法障壁で辛うじて防ぐ。

 しかし、第二撃である落雷が前方に集中していたセシリーを穿ち、雷鳴と共に彼女の悲鳴が轟いた。そのまま膝を着き、小さく痙攣しながら倒れ込むセシリー。

 

 リースはその姿を脇目に、小さく息を吐いた。本当ならば殺してやりたい程に憎い相手だ、嫉妬心もある、しかし京の愛した人物であるならば殺す訳にはいかなかった。それをしてしまえば、京が悲しむ。

 雷撃は威力を最小限にまで抑えてあった、痙攣しながら倒れ込んだモノの、外傷は殆ど無い。精々体が動かし辛い程度だろう、その内目も覚ます筈だ。

 尤も目を覚ました先に京の姿は無いが。

 

「京を抜きにすれば嫌いじゃなかった、貴女の事は――負けると分かって挑む事は、本当に難しい事だから」

 

 リースはそう言って、倒れ伏したセシリーを横目に夜の闇に紛れる。

 後に残るのは破砕された石畳に、炎によって焼かれた広場、最早形も残らない噴水モドキ。先程まで鳴り響いていた轟音は既に無く、静かな夜風だけが流れていた。

 

 

 こうして貴族地の歴史に残る大襲撃は幕を閉じ、アルデマ家長女の負傷、武官十三人殉職、賊二十名が死亡し、残りは多少の金品を強奪して逃げ出した。内十名は国内脱出の前に捕らえられたが、残った面々は国外逃亡を成功させ行方を晦ませた。

 至急帰還したヴィルヴァ氏が行方不明となったエンヴィ・キョウ・アルデマ=ライバットの捜索に乗り出したが、主犯格とされるリース・ヴァルヘイルは既に行方が分からず、セシリーの証言から彼女に誘拐された京の居場所も分からず仕舞い、結局事件は進展を見せず。

 

 京とリースの二人は国内から姿を消した。

 

 




 次回、最終回です。

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