「思ったよりも、人は居ませんね」
「それはそうよ、皆、自分の仕事があるもの」
指定された一時間後、京とセシリーが訓練場に足を運べばチラホラと人影が見えた。全部で二十人程だろうか、ポツポツと訓練場を遠目に眺めている。セシリーから「決闘には見物人が付くわ」と言われていたので、もっと闘技場に近い大衆を想像していたが、現実は野次馬程度である。
「腐っても我が家に仕える武官よ、私利私欲のために決闘を触れ回っていたら首が飛ぶわ、その辺りは流石に弁えているでしょう――まぁ、それでも漏れる時は漏れるのでしょうけれど」
「あの……首が飛ぶって職的な意味で、ですよね?」
「さぁ京、さっさとあの身の程知らずを叩きのめして来なさい」
京は無言で頷いた、何となく察したのである。
訓練場は百メートル×百メートル程度の大きさで、それなりにスペースがある。四方を回廊に囲まれ、屋根のある施設内から見物人が中央に視線を向けていた。回廊には剣や盾、鎧などといった武具、防具が立て掛けてある。恐らく訓練時に使用するものなのだろう。
京はセシリーの横を通って訓練場内に足を踏み入れる。
既に決闘相手は待機していた、確かシーエスと言ったか。彼は一本の剣を腰にぶら下げ、不動のまま瞼を閉じている。京が訓練場の砂利を踏みしめると、ゆっくりと瞼を開いた。
「来たか
「京って呼んでくれ、シーエス」
「……京、この決闘を受けてくれて感謝する」
訓練場の中央、二本の白線が引かれた場所で二人は対峙する。直接並び立つと、その大きさが際立った。京とシーエスの身長差は如何ともしがたい、京の腕はシーエスの太腿並に太く、彼の首を容易にへし折ることが出来るだろう。対峙するシーエスは京の発する威圧感に冷や汗を流す、だがこの場所に立った以上逃げ出すことは許されない。それは自分の名だけではなく、家名すらも
シーエスは
「――シーエス・ダルフォルン・グルジ・アスベルス、この名に於いて誓う、我が武官の誇りに懸けて、正道なる戦いを行うと」
剣を虚空に払う、そしてシーエスは真っすぐ京を見た。その目が泣き腫らしたように赤らんでいて、京は少しだけ驚く。
「目が赤いぞ? ――泣いていたのか」
「あぁ、そうだ、私は先程まで泣き喚いていた」
シーエスは涙を流すという行為を、恥じるばかりか胸を張って公言した。その立ち姿は堂々たるもので、微塵も後ろめたさを感じない。
「私は武官として此処に立っている、しかし命が惜しくないと言えば嘘だ、命は惜しい、死にたくない、だが命よりも重い
自分の弱さを認める、そうした上でその弱さを克服し戦場に立つ。それが彼の流儀であり、涙が戦う覚悟の証明であると。
京は素直に感心した、武官という人間の心の強さに敬意を抱いた、ただ心を押し殺すのではなく、向かい合った上で弱さと認める、そして克服する。それは自分が持ち合わせていなかった強さだと、シーエスという男の性根を垣間見た気がした。
無論、シーエスの言葉は完全な嘘である。先ほどまで武官室で京に喧嘩を売った事を後悔し、「マンマァアアアアア!」と叫んでいただけである、南無。
「……ところで京、武器はどうした、まさか素手で戦うつもりではないだろう」
シーエスは剣を持ったまま、怪訝な顔でそう問いかける。京は自分の姿を見下ろし、丸腰であることを確認した。そもそも、京は武器を扱えない、故に素手で戦う他無かった。他人から見れば侮っているように見られるだろうか、しかしそれ以外に戦う術を知らない。
素手対剣という、何とも体裁の悪い決闘に申し訳なさを感じつつ、「実は素手でしか戦えないんだ」とシーエスに告げた。
彼はその言葉を聞いた途端、驚きに目を見開き、それから少しの間考え込んだ。
「少し待ってくれ、すぐ戻る」
そう言うや否やシーエスは踵を返し、回廊へと足を向ける。見物人が騒めきだすが、彼は気に留めない。そして何やら剣や斧などが立てかけてある場所から離れた一角、その棚の中から武具らしき物を持って再び訓練場へと戻ってきた。
「待たせたな、コレならどうだ、使えるだろう?」
シーエスがそう言って差し出したのは、何やら手袋の様なモノだった。しかし手袋と言っても布ではなく、それは鋼鉄で出来ていた。受け取ってみればズシリと重く、それなり以上の密度で作られているのが分かる。
「これは?」と京が問いかければ、シーエスは「
「これは――良いな、拳を痛めなくて済む」
「使う奴を今まで見た事が無かったのだが……どうせ誰も使わないのなら、貰ってやってくれ」
シーエスに言われた通りに装着すれば、成程良く馴染む。元々大男用に作られていたのか、若干窮屈であるものの決して入らないという訳でもなく、何とか実用に足る大きさであった。手首の辺りに装着されたストッパーを嵌め込み、何度か拳を握る。
京はその場で軽く腕を振るい、具合を確かめた。その余波で風が吹き、シーエスの前髪が数本虚空に消えたが、シーエスは何も見なかった事にした。
ただ、絶対顔面には貰いたくないなとだけは思う、絶対に、何が何でも、土下座で許してくれないだろうか?
「ありがとうシーエス、助かるよ」
「なに、武器も持たない人間に剣を向けるのが恥であるだけだ、感謝など要らないさ――それじゃあ、京、そろそろ始めよう」
そう言ってシーエスは数歩後ろに後退し、京に剣を突き付けた。京もまた彼の威圧感を感じ取り
シーエスは構え剣先が震えないようにするので精一杯だった、構えた瞬間に京が噴出した戦意――否、殺意が全身に叩きつけられ、恐怖を覚えたのだ。対峙すれば分かる、濃い血の匂い。それは実際に彼から香るという訳ではなく、彼から放たれる重圧から感じ取ったモノだった。
シーエスは数瞬先の未来を視る――その鋼鉄の拳が自分の腹部をぶち抜いて臓物が零れる、顔面を陥没させ脳髄をばら撒く、顎先を砕き眼球が飛び出る。具体的な想像などつかなくても良い、ただ彼から発せられる見えない死という甘い香りが、自分を包み込んでいる様だった。
殺してやる。
それは京の見せた重圧の幻聴だったのだろう、脳に直接響いてくる様な声だった。心臓が早鐘を打って、キュッと歯茎が閉まる、口に広がる酸味は胃液だろうか。それでもシーエスは退かない。
シーエスは無意識の内に何かを受け入れる。
それは死という甘い概念か、もしくはこの勝負の行方だったのか。恐怖でおかしくなった訳ではない、諦めた訳でもない、ただ目の前に立つ男が圧倒的な強者であり、自分は全身全霊で挑まなければならないと確信した。
そんな事は分かっている、戦う前から百も承知だ。
後は神に祈るのみ、母の温もりは思い出した、友との絆も確かめ合った、女性の温もりを未だ知らぬ自分の半身には悪いが、シーエスは此処で果てる覚悟を決めた。
「―――」
声の無い絶叫。
開戦の合図は無い。
凄まじく鋭い踏み込みからの、突き一閃。
その狙いは喉元、首を突き破ってやると言わんばかりの勢い、実際シーエスは京を殺す気で放った。自分も死ぬ覚悟がある、ならば相手も同じこと。この場に於いて生死の心配は無用、立っていた方が勝者で、死んだら負けだ。
それは京に馴染みのある世界だった。
人の限界ギリギリの速度、飛び込む勢い、腕の力、腰の回転、足のバネすら利用して放たれた最速の一撃。京と言えど食らえば皮膚を突き破り、気道を切り裂かれ、骨を砕かれただろう一撃。
しかし京はソレを逸らした。
なんて事はない、突き出された剣に拳を添えただけだ。
触れた剣の刃とガンドレッドの表面が火花を散らし、一瞬の空白が生まれた。シーエスは最初の一撃に全てを懸けていた、開幕速攻の一撃必殺。
しかしソレを逸らされ、思考が一瞬真っ白になり、体の動作が停止する。その一瞬で良かった、京にとっては一秒すら不要な明確な『隙』であった。
京は逸らした剣に沿ってシーエスの懐に入り込む。伸びきった腕、がら空きの胴体、そこに拳を撃ち込んで下さいとばかりに。
京は腕を折りたたんでシーエスの胸部に拳を密着させた、そこから腰を落とし小さく息を吸い込む。拳と相手の距離、僅か一センチ。呼吸を体内で練り上げ、全身の筋肉を脈動させる。
【
ズンッ! と空気が震えた。
それは凄まじい衝撃が空気を伝い、地面を揺らした音。密着した拳から放たれた衝撃、それは全力で殴りつけ外側を破壊する攻撃とは異なり、内部へと浸透する
たった一センチの距離だったというのに、シーエスの体は大きく後方に吹き飛ぶ。地面が僅かに罅割れ、衝撃で砂塵が舞い上がった。
シーエスは五メートル程地面と水平に吹き飛び、そのまま砂利の上を転がった。十メートル程離れた場所でシーエスは漸く停止し、そのまま起き上がることも無く
最初は苦悶の表情を浮かべ、数秒してやけに気持ちよさそうな顔に変わり、そこから再び下痢を我慢する様な顔となり――果てに白目を剥いて脱力した。
「ふぅ―――っ」
長く息を吐きだす。全身の筋肉を一瞬のみ稼働させ、拳を伝って相手に叩きつける、ただそれだけの技。
コレは京が『相手を殺さない為に使う』一つの力であった。闘技場では顔馴染みの闘士、あるいは個人的な理由で殺したくない相手にのみ使っていた。
手を抜いたとは思われない程度に威力を高め、しかし決して殺しはしない使いどころの難しい力だ。京はシーエスという男を殺す必要が無いと判断した、仕事の為に人を殺すのであれば京は躊躇しない、しかしソレはあくまで仕事上、どうしても殺さなければならない相手に限る。
京はシーエスを善人だと思った、或いは尊敬できる武官だと思った。故に手は抜かず、決して殺しはしない暴力を以て勝利した。
肋骨は何本か折れているだろうし、肺を圧迫した、
見物人の殆どは京の圧倒的な怪力を前に言葉を失っていた、それは然もすれば熱狂的な信者を生んでしまう程の力。彼の美麗な容姿と恵まれた体格も合わさって、既に何人かの女性及び男性は危なげな目で彼を見ている。
しかし、彼からの呼びかけで見物人は自意識を取り戻し、我先にと倒れたシーエスに駆け寄った。
守護者相手に喧嘩を売ったりするシーエスであるが、根は善人である。貴族的な思考を除けば比較的穏やかな人間で、平民は守るべき存在と豪語し、武官という仕事にも誇りを持っていた。
故に、屋敷の人間からも評判は悪くない。そんな彼に差し伸べられる手は少なくなかった。
白目を剥いて蹲っていたシーエスは、同僚や知人の手によって担架に乗せられる。そこに先程シーエスと行動を共にしていた二人組――エンツェとデルフォが駆け寄って必死に声を掛けていた。その様子はこれから死を受け入れる友人を、必死で繋ぎ止める様な姿だ。
心配しなくても死にはしない、そもそも全力でぶん殴った訳でも無いのだ、少し大袈裟である。
「シーエスッ、お前頑張った、超頑張った!」
「漢だよ、お前漢だよォォッ!」
「ぁ……ぉ……おれ……頑張…った―――ヴッ」
「しッ、シィぃエェスぅゥゥウウ!」
死なない――
死んだらごめん。
ちょっと勉強が切羽詰まって来たので更新が途切れ途切れになるかもしれません。
申し訳ありません。
ちょっと「この成績はマズいやろ」と自分でも危機感を覚えるレベルになってしまったので、真面目に勉強します……。
ストックが溜まり次第投稿しますので、不定期更新になると思います。
ただそこまで遅い投稿にはならないと思うので、一週間に二回、上手くいけば三回は投稿したいと思っています、出来なかったらゴメンナサイ<(_ _)>
学校が始まったら更に更新し辛くなるので、此処で何とかストックを……!
沢山の方に評価、お気に入りを頂いているので完結だけはさせたいです…。