帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~   作:大ライヒ主義

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第柩話・・・民族の火薬庫

        

 ターニャにかわり、今度はルーデルドルフが質問する。 

 

「少佐、君が嫌いな人間はどういう輩か聞いても?」

 

「共産主義者を始めとする、愚かで無能で非合理的な連中です」

 

「では君が好ましいと思う人間は?」

 

「自由市場を信奉する、理性的で合理的な人間。それで有能なら文句なしです」

 

 

「それでは少佐、君自身はどちらに属すると感じているかね?」

 

 

 一瞬、ターニャは言葉に詰まる。が、ルーデルドルフの「謙遜はいい」という言葉を受けて口を開く。

 

「……私は共産主義者ではありませんし、少佐という地位につけるぐらいには評価されていると感じております」

 

「つまり、そういうことだ」

 

 ルーデルドルフは言う。

 

 人は自分と「同じ」人間を好み、「味方」だと感じる。逆に自分と「違う」人間を嫌い、「敵」だと感じる。そこに争いの根本的な原因があるのだ。

 

 

「政治は『敵』と『味方』がいないと成り立たない。我々は違いの大きい相手を共通の『敵』に仕立て上げることで、小さな差異に目を瞑り『味方』として共存できる」

 

 

 否定はできない。ターニャ・デグレチャフは無能も共産主義者も嫌いだが、前者はまだ妥協できる。目のつかぬ場所にいるなら、放置する程度には許容できる。

 しかし後者は撃ち殺すしかない。共産主義者という菌は存在するだけで害悪になるのだから、積極的に駆除せねばならない。

 

「我々の歴史は、いつも敵と味方が争う歴史だ。時代によって変わるのは、それが国内か国外かの違いに過ぎん」

 

 歴史を顧みれば、それが証明されている。共通の敵たるフランソワ第一帝政があればこそ、それまでいがみ合っていた「王国」「二重帝国」「アルビオン連合王国」「ルーシー」は同盟を組むことができた。

 

 ルーシー遠征の失敗でフランソワ第一帝政が崩壊しても、争いは植民地獲得競争という形で戦争は残った。

 

 植民地獲得競争が一段落すると、今度は保守派と進歩派が各国の国内で争い始めた。

 

 フランソワやルーシーでは革命が起こって進歩派が勝利し、アルビオンは引き分け、「王国」と「二重帝国」では保守派が勝利を収めた。

 

 

 とはいえ不満の火種は残っている。統一した『帝国』は旧「王国」および「同盟」に大幅な自治を認め、国内の少数民族にも自治権を与えたが、その危ういバランスはいつまた崩れ落ちるかわからない。

 

 

 ――ゆえに統一したばかりの『帝国』が最初にせねばならない仕事は、内の争いの火種を外に持ち出すことだった。

 

 

 共産主義国となったルーシー連邦の脅威を喧伝し、協商連合との領土問題には強気で臨み、植民地大国であるフランソワ共和国とアルビオン連合王国に対抗すべく軍拡競争をしかけた。

 

 

 そして各国もまた、対応するように『帝国』を仮想敵国として包囲網を作り始めた。大陸の中央に突如として出現した新興の超大国の脅威、それは愛国心を刺激して動揺する国内を治めるのに格好のネタであった。

 

 

「先ほど少佐は“戦争が長引けばいずれ国家は破綻する”と言ったが、むしろ短く終わっては困るのだよ。国内に争いが戻ってくる」

 

 

 そして政府が軍隊をコントロールできる国外の戦争と違って、民衆が銃を持ち警察と軍が分裂する内戦は誰もコントロールできない。

 それは望ましいものではない。予想外の不幸に比べれば、予想内の不幸の方がまだマシだ。

 

 

「だから内戦より、外国との戦争の方が合理的であるということでしょうか?」

 

「その通り」

 

 ルーデルドルフは頷き、再びタバコを吸い始める。

 

 

「我が『帝国』には2つの宗教、10を超える民族、39の領邦と数えきれないほどの自治区がある。この混沌とした火薬庫に火種を持ち込んでみろ。『帝国』という脆い倉庫など、一瞬で吹き飛ぶぞ」

 

 

 まさしく、ターニャが転生する前の世界がそうだった。

 

 

 ウィルソンの提唱した“民族自決”という気高い理想はしかし、憎悪の壁を乗り越えられなかった。その先にあったのは地獄――昨日までの隣人同士が殺し合う“民族浄化”の世界だ。

 

 血で血を洗う血みどろの内戦は多くの傷跡を残し、内戦と虐殺が起こった地域は今でも発展から取り残されている。

 

 

「しょせん、民族融和など理想論に過ぎん。異なる民族を繋ぎとめたければ、鎖で縛るしかない。戦争という容易に引き裂けぬ鎖に縛り付けておけば、囚人は牢獄の中で平和裏に寿命をまっとうできる」

 

 

 牢獄………それは外界から隔離された囚人たちの最期の安住の地だ。

 

 

 ひとたび外界に出た途端、資本も能力もない彼らは厳しい競争に晒される。ひと握りの頭の切れる者は自由を謳歌することもできようが、大多数の凡人は食い物にされて路頭に迷うだけだ。

 

 だが、鎖に繋がれて牢獄の中にいる限り、彼らは貧しくとも平等である。

 

 鎖の範囲内でしか動けぬゆえ、利益を得ることもなければ不利益も最低限。看守の言うがままに刑務作業をしていれば、最低限の衣食住は保障されるのだ。

  

 

 ゆえに彼らは今日も此処にいる。悪名高き『諸民族の牢獄』に――。

 




バルカン半島の歴史をみると、オーストリア=ハンガリー二重帝国はあのバラバラな地域をよく纏めてたと感心します。

民族が入り乱れた地域では、下手に民族自決しようとすると隣人殺さなきゃなので、昔ながらの権威主義のほうが上手くいくこともあったり。

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