帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~   作:大ライヒ主義

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第夜話・・・当然の摂理

      

 『帝国』共通語を母語としない、少数民族は『帝国』全土に10以上も存在する。彼らが表立って迫害されることは無いが、かといって差別や偏見が完全に消えるわけではない。

 

 

(どうりで客の黒目黒髪の比率が高い訳だ。人口比率の割に金髪碧眼の客がほとんどいない)

 

 

 ほとんどの少数民族はある程度の自治権を認めれた地域に住んでいるが、民族が入り乱れた地域も存在する。そのような場所で少数派は多数派に目をつけられないよう、ひっそり生きるのが密かな生活の知恵だった。

 

 

 

 もっとも、昔からずっと共存できていた訳ではない。ジェノサイド一歩手前までいったこともあるし、転生前のターニャがいた世界では、多民族国家の多くは民族対立の激化によって内戦を経験していた。

 

 

 だが、この世界の『帝国』はそうではない。

 

 

 『帝国』国内に住む全ての民族が、互いに手を携えて列強の脅威に立ち向かっている。民族や宗教は違えども、共に命を預け合う戦友として肩を並べている。

 

 

(まさか………!)

 

 そこに思い至ったとき、ターニャの脳内でひとつの不吉な予想がよぎる。

 

(この忌々しい戦争の原因は、“そこ”なのか………!?)

 

 ターニャ・デフレチャフは合理主義者である。ゆえに戦争などという、非生産的な行為は憎むべきものだと断じていた。せっかく作ったものを自分たちで壊し合うなど、非合理的にもほどがあると……。

 

 

 そう―――――思っていた。

 

 

 だが、現実はそうではない。違うのだ。

 

 

 その真実に、今しがたターニャは気付いてしまった。

 

 

 **

 

 

 ターニャ・デグレチャフは克己心に溢れる幼女であった。常に自分を磨き、成長せねば社会の荒波で生きていけないことを自覚している。それゆえ好奇心は人一倍強かった。

 

 

「ルーデルドルフ准将……恐れながらひとつ、質問してもよろしいでしょうか?」

 

 

「ふむ、何か気になることでもあったかね?」

 

 ルーデルドルフは火のついたタバコを口から離すと、フゥーと大きく息を吐いて先を促す。

 

 

「准将は『ヴィエンナ体制』について、どう思われますか?」

 

 

 フランソワ第一帝政の崩壊後、大陸でスタンダードとなった反動保守体制。ナショナリズムの高まりを受けた「諸国民の春」によって粉砕されるまで、半世紀にわたって大陸に平和をもたらした国際秩序。

 

 今では多くの国民国家が、かの体制を「悪」であると決めつけている。曰く、自由主義と民主主義を弾圧し続けて社会の停滞をもたらした、旧態依然とした復古主義の思想であると。

 

 

 だが、ターニャはそれに賛成しない。

 

 

 むしろ勢力均衡にもとづく国際協調によって、長期にわたる安定と秩序を大陸にもたらしたのだと考えている。国家は戦争という非生産的な行為から解放され、資本を新技術に投資することで産業と文明が進歩する礎を作り出した。

 

 しかしルーデルドルフの口から出た答えは、ターニャと意見を異にするものであった。

 

「短期的には成功かも知れん。だが、半世紀もの長きにわたって続いたのは大きな間違いだった」

 

「なぜ、そう思われるのですか?」

 

「戦争が無くなり、長い平和が訪れたからだ」

 

 ルーデルドルフの口から出た答えは、まさに戦争狂のそれ。同じく狂人扱いされているターニャですら戦争を非合理的だと断じているのに、ルーデルドルフはむしろ戦争こそが合理的で国家にとって必要なものであると主張する。

 

 

「政治には、戦争が必要なのだ」

 

 

 ルーデルドルフの発言は、かの有名な『戦争論』の内容を踏まえたもの。すなわち、“戦争とは政治の継続であり手段である”と。

 

「ヴィエンナ体制は勢力均衡と国際協調によって、戦争という手段を禁じた。手段が減れば選択肢が減り、やがて政治が歪なものになるのは分かり切ったことだ」

 

 ヴィエンナ体制が自壊するのは必然であり、時間の問題だったとルーデルドルフは断じる。

 

「幸か不幸か、当時はまだ新大陸や暗黒大陸に列強の力の及ばぬ地域があった。だから植民地獲得競争という、戦争の輸出ができた」

 

 しかし、それにも限界がある。統一暦1850年になると、世界地図はほぼ列強の勢力図で埋め尽くされてしまった。

 

「輸出できなくなった戦争が、大陸に返品されるのは当然の摂理だった……ということでしょうか」

 

「その通りだ。だから我々は戦争を再開した」

 

 悪びれもせず、ルーデルドルフは言い放つ。自分たち軍部が強硬手段をとるのは、「仕方ないからやった」ことではなく、「望んで自ら仕掛けた」ことなのだと。

 

「しかし戦争は財政とマンパワーにかける負担が大きくは無いでしょうか? 長引けばいずれ国家は破綻します」

 

 狂人と呼ばれるターニャにしては、ひどく常識的な意見。いや、ターニャ本人は自身のことを常識人だと思っているのだが。

 

 ともあれ、この意見に反論できる者がいるとすれば、それこそ本物の狂人であろう。ところが、ルーデルドルフはあっさりとそれを肯定する。

 

 

「いや、逆だ。戦争があるからこそ、国家は存続しうる。国家には戦争が必要だ」

 

 

 まるで「腹が減れば食事をするだろう」と言わんばかりに、あっさりと彼はそう言い放つ。

 

 

 ――それは理性と合理性を信条とするターニャにとってそれは、にわかには受け入れがたい思想。

 

 

 だが、先ほどターニャの頭に浮かんだ仮説が圧倒的な説得力をもってそれを肯定しつつあった。戦争という忌むべき非合理性の塊が、いかに合理的であるかをルーデルドルフが証明しつつある。

  




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