帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~ 作:大ライヒ主義
宗教的な儀式を祖とする「祭り」というのは、日常の中の非日常である。ゆえにこの日、『帝国』の人々は誰もかれもが特別な日を過ごしていた。それはターニャたちとて例外ではない。
ちゃりん、と新しい客の入室を告げるベルが鳴る。恰幅の良い壮年男性だ。どうやらお忍びらしく、帽子を深く被っている。
「っ……!」
その人物が帽子を脱いだ瞬間、ターニャ・デグレチャフは弾かれたように立ち上がった。ヴィーシャやヴァイスも反射的に背筋を伸ばし、敬礼の構えをとる。
「るっ、ルーデルドルフ閣下……!」
そこにいたのは、クルト・フォン・ルーデルドルフ准将――機動戦と兵站の権威にして、参謀本部・作戦参謀次長その人である。ターニャたちが驚くのも無理はない。何故こんなところに、と目を疑うような重要人物であった。
しかし敬礼を向けられた当人はというと、煩わしそうに手を振って休めの指示を出す。
「堅苦しい挨拶は無用だ。今日は見ての通り、私用で来ている」
そう言われてしまえば、敬礼などする方が迷惑というものだ。はっ、と言われたとおりにするターニャ達だったが、やはり落ち着かない。何故このような大物がここにいるのか、見当もつかない。
「そうキツネにつままれたような顔をするな。休暇をとっただけだ。式典の方はハンスに押し付けてきた」
ハンス、というのは同期のハンス・フォン・ゼートゥーア准将のことだろう。ターニャ達の直属の上司で、こちらも作戦参謀次長である。
「休暇、でありますか」
「しっかり睡眠をとって疲れを癒し、余暇を楽しんで心をリフレッシュする。それもまた帝国軍人の務めだ。働き過ぎていざというとき、余裕が無くなってノイローゼになっては困るのだよ」
ターニャが転生する前に住んでいた島国と違い、労働環境という面において「帝国」は先進的であるようだ。「勤労は美徳」と考える転生前にいた島国特有の因習と、「労働は人に神の与えし罰」という新・旧教の教義の違いも関係あるのかもしれない。
「しかし奇遇だな。こんな所で会うとは」
暇潰しのつもりだろうか。ヴィエンナー・コーヒーを頼むついでに、ルーデルドルフ准将が聞いてくる。ターニャはヴァイス中尉の昔馴染みの店だと説明すると、納得したように「ああ」と頷いた。
「土地鑑があるのなら、知っていても不思議はないな」
差し出されたコーヒーの香りを堪能しつつ、ルーデルドルフは残念そうに首を振る。
「まったく、ここのケーキは絶品だというのに一般の帝国人はあまり来たがらない。来るのは君のように近所に住んでいた人間か、私のような余程のグルメだけだ」
ルーデルドルフの言葉に、ヴァイス中尉も「残念なことです」と相槌を打つ。
「もっとも、そのお陰で我々のような変わり者は多大な利益を得ているのだがな。行列に煩わされず、静かな店内で落ち着いてコーヒーが飲める」
「得難いことです。皇帝陛下と皇后殿下に感謝と祝福を、ですね」
共通点のある者同士で気が合ったのか、まるで旧友のように笑い合うルーデルドルフとヴァイス。対して、会話についていけないターニャはぽかんと気の抜けた表情をする。
(あ、今日の少佐はちょっと可愛いかも)
ヴィーシャはというと、滅多に見られないターニャの表情をしっかりと目に焼き付けていた。
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ルーデルドルフとヴァイスの会話を、ターニャは訝しげに聞いていた。
(確かに、この店のケーキは旨い。雰囲気も悪くない……それだけに気にはなっていた)
なぜ、こんな名店が放置されているのか。
周囲を見渡しても、テーブルは半分ぐらいしか埋まっていない。経営的にはそれでも大丈夫なのだろうが、もう少し人が居てもいいのではないだろうか。
少なくとも、首都ベルンにこのレベルの店があれば休日には満席となるだろう。
「そういえば少佐はベルンの生まれだったな」
ややあって、ルーデルドルフ准将がこちらに話をふってくる。
「はっ。ベルン生まれの、ベルン育ちであります」
貧しい修道院に転生した後、すぐに魔導師適性が認められて軍に入ったターニャだ。他の都市など仕事で少し寄るぐらいしか経験がない。
「ヴィエンナを見ていて、気づいたことはないか? 道行く人々に違和感は?」
そう言われても、転生者のターニャにとってみればベルンもヴィエンナも異国という意味では一緒である。
転生前の平たい顔と違って、彫が深く瞳や髪の色に多様性があるが、それ以上の区別はほとんどつかない。
が、大学で歴史や社会を勉強した知識から、おおよその答えを推測することはできる。
「首都に比べて、民族的な多様性に溢れています。宗教も出身も違う人々が、平和裏に共存している点が異なるかと」
ルーデルドルフの表情を見るに、正解だったようだ。満足そうに頷き、称賛とも皮肉ともつかない口調で帝都を評する。
「そうだ。ここヴィエンナは人種のるつぼだ。多様性に溢れた国際都市でもある。もっとも、――合州国ほどではないがな」
そう、文明と科学の申し子たる合州国と違い、ヴィエンナと帝国に住む人々は「自由」「平等」「民主主義」といったイデオロギーで結びついているのではない。
彼らは皆、古より伝わりし伝統に則った「皇帝」という古い権威に繋ぎとめられているのだ。
ここヴィエンナでは、民族主義と国民国家の全盛期、その時流に逆行するかのごとく中世的な文化が息づいている。多民族、多宗教、多人種のカオスな連合体が帝都を形作っているものの正体であった。
ああ、成程。そこでターニャは理解する。
なぜこのような名店が、隠れた名店どまりであるのかを。
「ここの店主は、少数民族の出なのですね」
ご名答、とルーデルドルフは頷いた。
あまり有名じゃないですけど、第一次世界大戦の前の「世紀末ウィーン」と呼ばれたオーストリア=ハンガリー二重帝国の首都ウィーンでは20世紀をリードする様々な文化が花開いたそうな。
心理学ならフロイト、生物学ならメンデル、哲学なウィトゲンシュタイン、経営学ならシュンペーター、数学ならノイマンと有名人が勢ぞろい。