帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~ 作:大ライヒ主義
――会議は踊る。されど進まず!
かの有名な「ヴィエンナ会議」の伝統は、今なお帝国に息づいている。戦争の最中にもかかわらず、この式典のためだけに『帝国』を構成する4つの自由都市と35の領邦の代表が一堂に会するのだ。
では、果たしてそれに何の意味があるのであろうか?
士気高揚? あるいは息抜きであろうか? 否、ひとえに伝統である。
遥か昔から当然のように行っているのだから、それで良いではないか。これまで続けてきて何の問題もなかったのだから、どうして今さら辞めなければならないのか。
いや、むしろ続けるべきである。続けることにこそ、意味がある。
我らが「帝国」を祝福する式典を意味がなくても続ける。かくして「帝国」はその存在に意味がなくとも続いてゆく。我ら臣民はそこに安住の地を見出すのだ――。
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「あ、来ましたよ! 皇帝陛下と皇后陛下の馬車です!」
遠くに見える絢爛豪華な馬車を指して、ヴィーシャがもっとよく見ようと窓から身を乗り出す。ヴァイス中尉もその姿を一目見ようと目を細める。
「帝国統一の象徴にして、融和の英雄たちか……」
「はい! 戦争を止めるために、仲の悪かった両国の王子と王女が手を取り合う……ロマンチックな響きです!」
『帝国』臣民なら誰もが知る美談。勿論それが脚色された寓話であることは、さすがにヴィーシャやヴァイスの歳なら気付くことだ。
それでも――。
「ただの政略結婚、と済ますには惜しい話ですからね」
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「鉄血宰相」の失脚により、一触即発となった王国と二重帝国。
戦えば二重帝国の勝利間違いなし、外交的にも孤立という崖っぷちに追い込まれた王国は、中世から使い古された起死回生の一手を持ち出す。
政略結婚――すなわち「王国」の王女を「二重帝国」の皇子に嫁がせ、共通の君主として戴くのである。
つまり実態はともかく、建前上は「王国」は「二重帝国」の一部となる。「三重帝国」と呼んでもよいかもしれない。
いずれにせよ、「二重帝国」主導の“大”帝国主義による統一を認め、替わりに敗戦という決定的な破滅を防ぐための取引であった。
対して「二重帝国」の方もまた古き良き伝統に従い、この提案を受け入れた。
幸いなる皇帝家よ、汝は結婚せよ――。
これは単なる外交上の勝利という以上の意味を持つ。大陸に伝わる古き力が、誕生したばかりの新しい力に勝利した瞬間でもあった。
時よ、止まれ! 破滅の瀬戸際にあって「王国」は中世まがいの伝統に回帰し、進歩と発展の流れを封じ込める。
伝統は伝統であるがゆえに、古きは古きがゆえに強い。迷信、因習、風習、しきたり、慣例、習慣……そうした力に世界を変えてしまうような力強さこそないが、長く脈々と続いた歴史が持つ力は細く長い。
歴史の糸は切れぬ。断てぬ。引き裂けぬ。
かくして『帝国』は古き力の結集によって誕生した。滅んだはずの「神聖ロマヌム帝国」が、歴史に逆行するように復活したのである。
それは国の範図だけではない。政治体制までそっくりそのまま、公国に自由都市といった大小様々の領邦はその地位を保障された。
独自の軍に法律と高度な自治権を有する「国家の中の国家」を認めるという、寛大な処置と引き換えに皇帝に忠誠を誓う。これで中世の国家でなくて何であるというのか。
連邦、あるいは連合国家ですらない国家連合。無数の頭を持つウロボロス……まさしく「神聖ロマヌム帝国」の現代版アップデートに他ならない。
ともあれ『帝国』は建国された。大陸の中央に位置する新たな覇権国として、実態はともかく皆が祝い合う。その影響は良くも悪くも甚大であった。
旧王国の首都ベルンでは電話回線がパンクし、ビジネスマン達は建国による経済変動の対策に追われる羽目になった。街角では号外が出され、劇場や映画館では観客全員に起立を呼びかけたうえで『神よ、皇帝を守りたまえ』が演奏された。
対して帝都ヴィエンナの市街地では商業施設の機能が停止し、群集が号外を奪い合い、シェーンブルン宮殿に出入りする皇族を一目見ようと宮殿付近に殺到するといったような事態にまでなり、ヴィエンナの街は大混乱に陥った。
それほどまでに『帝国』建国の影響は大きかった。
『帝国』こそは諸民族融和の象徴であり、かつて南の「二重帝国」と北の「王国」、そして大小あわせて37あった自由都市、選帝侯国、大公国、公国、辺境伯国、侯国が「ひとつの国家」として生まれ変わった瞬間だからだ。
だが、『帝国』は建国のその瞬間から呪われていた。その誕生は誰からも祝福されない。列強は『帝国』の存在を脅威と見なし、滅ぼそうと躍起になっている。
生まれながらにして、若い覇権国は血塗られた修羅の道を歩むことを宿命づけられていたのだ――。
順番間違えた(汗)
大ドイツ主義が勝利していたら、『オーストリア=ハンガリー=プロセイン三重帝国』になっていたんでしょうか?