帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~ 作:大ライヒ主義
――人々は戦争が好きだ。
それは勝負という争いに限りない魅力があるからだ。闘争は勝者と敗者を生み出すと同時に、特定の集団に自らが属しているという一体感を生み出す。
軍服や装備は多種多様であれど、それを纏う人間に差異があってはならなかった。少数民族も多数派も、新教徒も旧教徒も、老若男女すべてが一体でなければならない。
そうでなければ、違いを意識した途端にすべてが壊れてしまう。戦争に負けてしまう。危ういバランスを維持できない。ゆえに不都合な真実に蓋をして、彼らは今日も落日の帝都で幻術に興じる。
――皇帝陛下の下にて我らみな兄弟、その壮大な幻想に。
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ヴィエンナの小さなカフェ『カニーンヒェン・ハイム』にて 。
「ふむ……悪くない。ここまで芳醇な香りにはそうそう出会えるものではないな。少尉、お手柄だ」
ヴィーシャの見つけたカフェは、どうやらターニャのお眼鏡に適ったようだった。この辛辣な上司がここまで称賛するのも珍しい。
「はむ……それは、ごくん……良かったです!」
名物のザッハトルテ――スポンジの中にアプリコット・ジャムを挟んだ濃厚なチョコレートケーキ――を口いっぱいに頬張りながら、ヴィーシャも上機嫌で頷く。
「でも、感謝ならヴァイス中尉に。この店を見つけてくれたのは彼ですから」
「ほう?」
少しばかり興味を引かれた様子で、ターニャがカップから口を離す。見つめられたヴァイス中尉は少し照れた様子で、頬をぽりぽりと掻く。
「一応、地元なんです。昔、父の仕事の関係でこの街に住んでいた時期がありまして」
少し懐かしむように、ヴァイス中尉が窓から帝都を見やる。町角の至る所に林立するオブジェや、平和で美しい街並みも昔のまま。ただ、ひとつだけヴァイスの少年時代と違うことがある。
「私が住んでいたのは、統一暦1916年まででした」
ぴくり、とターニャの眉が動いた。帝国に住む人間なら、その年に何があったか知らぬ者はいない。
「……1916年、というと先帝が崩御された年か」
そうです、と答えるヴァイス中尉の表情は複雑だ。
「先帝が崩御され、現皇帝が即位なされた」
そして――。
「それと同時に、我が『帝国』の歴史が始まったのです」
『帝国』とは何か? それは大陸の中心に位置する新興国家、覇権を狙う軍事大国であり、同時に多種多様な民族を皇帝一人のもとに繋ぎとめる、遅れた封建国家……民族主義の全盛期、数多の民族をひとつの権威が抑圧する『民族の牢獄』だ。
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――自分たちの伝統を守りたかった。
始まりは、本当にそれだけの。たったそれだけの小さな願い。
他の誰にも侵されず、支配されず。ただ、親から子へと伝えたかった。
自分が子供の頃そうであったように、それを伝えた親もまた昔そうであったように。
自由や平等といった、高尚な理想ではない。
優生学や革命といった、過激な思想でもない。
それは本当に、小さな歴史。
たとえば母から受け継いだレシピを守るとか。
訛りのキツい近所のおじさん達の言葉だとか。
そんな細々とした、それでも掛け替えのない習慣だ。
科学と技術と進歩の時代、理性が古き風習を滅ぼしていく世界にあって。
彼らはそれでも伝統を守ろうとした。
だが、しかし――その純真な願い、無垢なる祈りは牢獄の番人を肥え太らせる。
やがて諸国民の牢獄は大陸の中心を覆い尽くし、いまや大陸全土を覆わんと欲す。
その中心におわすは『帝国』皇帝、彼こそが『諸国民の牢獄』その番人であった。
カフェ「カニーンヒェン・ハイム」
響きを重視して名付けたので、ドイツ語文法的には間違いかもです。
由来を気にしてはいけない。きっとしゃべるアンゴラ兎がいる。