帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~   作:大ライヒ主義

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第腐堕話・・・諸民族の牢獄

                   

 ――人々は戦争が好きだ。

 

 

 それは勝負という争いに限りない魅力があるからだ。闘争は勝者と敗者を生み出すと同時に、特定の集団に自らが属しているという一体感を生み出す。

 

 軍服や装備は多種多様であれど、それを纏う人間に差異があってはならなかった。少数民族も多数派も、新教徒も旧教徒も、老若男女すべてが一体でなければならない。

 

 そうでなければ、違いを意識した途端にすべてが壊れてしまう。戦争に負けてしまう。危ういバランスを維持できない。ゆえに不都合な真実に蓋をして、彼らは今日も落日の帝都で幻術に興じる。

 

 

 ――皇帝陛下の下にて我らみな兄弟、その壮大な幻想に。

 

 

 **

 

 

 ヴィエンナの小さなカフェ『カニーンヒェン・ハイム』にて 。

 

  

「ふむ……悪くない。ここまで芳醇な香りにはそうそう出会えるものではないな。少尉、お手柄だ」

 

 ヴィーシャの見つけたカフェは、どうやらターニャのお眼鏡に適ったようだった。この辛辣な上司がここまで称賛するのも珍しい。

 

「はむ……それは、ごくん……良かったです!」

 

 名物のザッハトルテ――スポンジの中にアプリコット・ジャムを挟んだ濃厚なチョコレートケーキ――を口いっぱいに頬張りながら、ヴィーシャも上機嫌で頷く。

 

「でも、感謝ならヴァイス中尉に。この店を見つけてくれたのは彼ですから」

 

「ほう?」

 

 少しばかり興味を引かれた様子で、ターニャがカップから口を離す。見つめられたヴァイス中尉は少し照れた様子で、頬をぽりぽりと掻く。

 

「一応、地元なんです。昔、父の仕事の関係でこの街に住んでいた時期がありまして」

 

 少し懐かしむように、ヴァイス中尉が窓から帝都を見やる。町角の至る所に林立するオブジェや、平和で美しい街並みも昔のまま。ただ、ひとつだけヴァイスの少年時代と違うことがある。

 

「私が住んでいたのは、統一暦1916年まででした」

 

 ぴくり、とターニャの眉が動いた。帝国に住む人間なら、その年に何があったか知らぬ者はいない。

 

 

「……1916年、というと先帝が崩御された年か」

 

 

 そうです、と答えるヴァイス中尉の表情は複雑だ。

 

「先帝が崩御され、現皇帝が即位なされた」

 

 

 そして――。

 

 

「それと同時に、我が『帝国』の歴史が始まったのです」

 

 

 『帝国』とは何か? それは大陸の中心に位置する新興国家、覇権を狙う軍事大国であり、同時に多種多様な民族を皇帝一人のもとに繋ぎとめる、遅れた封建国家……民族主義の全盛期、数多の民族をひとつの権威が抑圧する『民族の牢獄』だ。

 

 

 **

 

 

 

 ――自分たちの伝統を守りたかった。

 

 

 

 始まりは、本当にそれだけの。たったそれだけの小さな願い。

 

 

 他の誰にも侵されず、支配されず。ただ、親から子へと伝えたかった。

 

 自分が子供の頃そうであったように、それを伝えた親もまた昔そうであったように。

 

 

 自由や平等といった、高尚な理想ではない。

 

 優生学や革命といった、過激な思想でもない。

 

 

 

 それは本当に、小さな歴史。

 

 

 

 たとえば母から受け継いだレシピを守るとか。

 

 訛りのキツい近所のおじさん達の言葉だとか。

 

 

 そんな細々とした、それでも掛け替えのない習慣だ。

 

 

 

 

 科学と技術と進歩の時代、理性が古き風習を滅ぼしていく世界にあって。

 

 

 彼らはそれでも伝統を守ろうとした。

 

 

 だが、しかし――その純真な願い、無垢なる祈りは牢獄の番人を肥え太らせる。

 

 

 

 

 やがて諸国民の牢獄は大陸の中心を覆い尽くし、いまや大陸全土を覆わんと欲す。

 

 

 

 

 その中心におわすは『帝国』皇帝、彼こそが『諸国民の牢獄』その番人であった。

  

 

   




 カフェ「カニーンヒェン・ハイム」

 響きを重視して名付けたので、ドイツ語文法的には間違いかもです。
 由来を気にしてはいけない。きっとしゃべるアンゴラ兎がいる。

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