帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~ 作:大ライヒ主義
指揮の面でもまた、王国軍は世界の軍隊の最先端をいっていた。
王国軍によって発明された「参謀本部」は、国王の直属であるとされ、全ての作戦に対しての指揮権を有していたため一元的な命令遂行が可能であった。
対して二重帝国の参謀本部は形だけしか真似られておらず、それぞれの指揮官に助言する程度の機関で命令系統は古くからの慣習に縛られた無秩序なものであった。
それに加えて、王国の軍事教育も二重帝国よりも優れていた。王国の参謀将校は自ら率先して考えるよう訓練されていたが、二重帝国では忠誠心や伝統がもっとも重視される中世の軍隊さながらであった。
そして兵士もまた、多民族国家である二重帝国では様々な民族からなる軍隊の寄せ集めである。
人種も民族も言語も文化に習慣もバラバラな兵士たちが統一された行動など出来るはずもなく、そもそも指揮官の話している言語を理解できない部下が半数以上であった。
「そして軍備が古臭ければ、二重帝国の戦争計画もまた中世の戦闘そのもの。彼らの構想は実に単純なもので、ベーメン王冠領にある3つの要塞に兵士を立て籠もらせ、現地で根こそぎ徴発した食糧をもって長期持久戦を行うというものじゃった」
もちろん王国軍がそんな挑発に乗るはずもなく、被害の大きい攻城戦は避けて電撃的に首都を目指して進軍していた。
「だが、世の中すべてが予想通りに動くものではない。かつてどの軍隊も経験したことのない王国軍の快進撃は、予想もできない結果をもたらした」
早い話が、進撃速度が速すぎて補給が追い付かなかったのだ。
王国内ではまだ、あらかじめ敷設された5本の鉄道が機能していたから問題は起こらなかった。
しかし二重帝国のインフラ整備の遅れは王国の想像以上で、ベーメン王冠領は二重帝国でもっとも発達した工業地帯でありながら、わずか1本の鉄道と予算不足で崩れかけた橋に、穴だらけの道路という有様であった。
もちろん車なども通っているはずがなく、現地住民に聞けば二重帝国軍は補給の大部分を昔ながらの馬に頼っているという体たらく。
そのため王国軍の補給線はベーメン王冠領に入った途端に支障をきたし、国境沿いには山ほどの物資が積み上げられるも最前線では補給が滞り始めていた。
「王冠領にあった要塞のうち2つは回避していたが、最後に残ったカールスグレーツ要塞だけはそうもいかなかった。物資が足りず、かといって後方からの到着を待てば短期決戦という戦争計画が根本から揺らぎかねない」
外国の介入も予想され、ついに参謀総長は最初に到着した王国第1軍14万人をもってカールスグレーツに立て籠もる二重帝国軍20万に総攻撃を命じた。
もちろん数で上回る上に要塞に立て籠もる敵に攻撃するなど正気の沙汰ではない。当然、王国第1軍はかつてないほどの抵抗に合い、対照的に負け戦続きだった二重帝国軍は初めての本格的な勝利に湧きあがり、戦闘開始4時間後には二重帝国軍は反撃に転じていた。
「じゃが、それも全て参謀総長の手の内じゃった。参謀総長の真の狙いは要塞に立て籠もる敵を平野へ引きずり出して野戦に持ち込むこと。罠に釣られてノコノコ安全な要塞から出てきた敵軍を、別方向から分進してきた王国第2軍12万と合わせて3方向から包囲殲滅するのが、彼の真の狙いであった」
初老の教官の話に皆が引きつけられる中、ただ一人ターニャは冷静であった。
(そう、ここまでなら元いた世界と大差はない。第2軍はやや遅れるも、最終的には戦場に到着して包囲殲滅が完成するからだ……)
だが、ターニャはひとつだけ失念していた。この世界ではあまりに当たり前で、それゆえ気付かなかったたった一つの違いに……。
この話のモデルとなった普墺戦争、プロイセン軍が鉄道でブイブイきかせてたという話はよく聞きますが、実のところオーストリア領内に入ってしまうとそうもいかず進撃速度が急激に低下して……と後のWW1を先取りしたかのようなgdgdが起こってたらしいです