帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~ 作:大ライヒ主義
「当時の勝敗予想は五分五分だったが、儂ら王国軍の兵士は皆が自軍の勝利を疑っておらんかった。なにせ二重帝国の軍備ときたらそりゃあ、酷いもんだった」
開戦時の兵力は、王国軍とその同盟諸邦を合わせておよそ50万。これに二重帝国から「未回収のイルドア」奪還を目指すイルドア王国軍30万を加えれば80万の大軍勢だ。
対する二重帝国軍の兵力は同盟諸邦と合わせても60万だったから、必然的に戦争は南北から挟み撃ちにしようとする王国軍を、二重帝国軍が防衛する形となった。
「儂はそのとき、主戦場のベーメン王冠領に送られた。王国軍は二重帝国の首都である帝都ヴィエンナを目指し、その前地であるベーメン王冠領で二重帝国軍を包囲殲滅する計画じゃった」
序盤から戦争の推移は王国の有利に進んでいた。
強大でありながら旧態依然としていた二重帝国と異なり、王国では「鉄血宰相」の指揮のもと、全軍を「参謀本部」が一元的にトップダウンで管理できるシステムとなっていた。
戦略構想でも王国軍は、外交によってギリギリでイルドア王国を同盟軍に引き込むことに成功し、敵の戦力を南北に分割することが出来ていた。
当時の参謀総長は、主戦場を二重帝国側の「同盟」諸邦でなく二重帝国本国に置いた。
二重帝国が同盟国の「同盟」のひとつサクスン王国から首都ベルンへ兵を進めるであろう事を予測し、そちらを20万の兵士で足止めしている間にベーメン王冠領へと30万以上の大軍を進めて、一気に二重帝国の首都ヴィエンナを目指すという計画を立案した。
隣国の介入を避けるための戦争は短期決戦とされ、分進合撃によって途中の二重帝国軍を包囲殲滅することが決定された。
王国軍参謀本部はもともと軍隊の迅速な移動に必要な道路整備に熱心だったが、とりわけ有能で知られた当時の参謀総長は最新技術である鉄道と電信設備を重視していた。
ベーメン方面には王国側から5本の鉄道が整備されていたのに対し、二重帝国側からは1本があるのみだった。そのため開戦してからの王国軍は、二重帝国軍の予想を遥かに超えた迅速かつ整然とした進撃を行うことができた。
こうしてベーメン王冠領に侵入した王国軍32万に対し、二重帝国軍が動かせた兵力はわずか24万だった。
二重帝国側の同盟軍60万のうち16万は同盟諸邦の軍隊ではるか西方にあり、残りの20万は北上してくるイルドア王国軍30万人の迎撃に割かれていた。
「こうして“量”の面で儂ら王国軍は優位に立った。残る“質”の面では……」
二重帝国の兵士は全く持って話にならなかった、とその教官は皮肉っぽく笑った。
「鉄血宰相」が心血を注いだ王国軍は、丈夫で装填時間が短い鋼鉄製の後装式大砲や世界初の後装式軍用ライフルを装備し、どちらも前装式であった二重帝国軍に対して発射速度の面で遥かに凌駕していた。
射程こそ二重帝国軍の方が長かったものの、伏せ撃ちができず脱走兵を防ぐため密集した戦列を組んで戦う二重帝国軍の兵士は圧倒的な火力の前に次々になぎ倒されていった。
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