帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~   作:大ライヒ主義

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追補編
いかにして古き二重帝国は新たなる王国を打ち破ったか?①


               

 帝国士官学校構内、『近世二重帝国史』の講義において――。

 

 

 

 歴史の講義、それは己の頭脳を使うことも手を動かす事もなく、ただひたすらに教官の話を聞いて黒板に書かれたことをノートに記すだけの作業である。

 

 大部分の学生にとってはただただ退屈で時間の無駄でしかなく、歴史好きの学生にとっても既に自分で調べて知っていることを確認するだけに過ぎない。

 

 

 今年で8歳となるターニャ・デグレチャフはどちらかといえば後者の学生であり、講義で教わる内容などとうに渡された教科書で知っていた。

 

 

 だから、というべきか。生徒たちのやる気の無さに気付いた初老の教官が教科書を机に置いた時、生徒たちはちょっとした驚きをもってその行為を受け止めていた。

 

 

 

「さて、本日の講義の主題である“カールスグレーツ演習”だが、儂はそのとき王国軍にいたんじゃ」

 

 

 

 にわかにざわつき始める教室。少し考えてみれば士官学校の教官の半数以上は元軍人なのだから、最近おこった戦争のいくつかに参加していても不思議な話ではない。

 

 そしてそれが、「帝国」が成立するきっかけとなった最初で最後の戦いだとしても、だ。

 

 

 カールスグレーツ演習……その戦闘の詳細を公の場で語ることは禁じられている。同胞たる二重帝国と王国は「あくまで平和裏に統合された」というのが政府の公式見解であり、それは「戦闘」ではなく「演習」であるとされていた。

 

 

 もっともそれが詭弁であり、実際にはナショナリズムの高まりによる2つの統一運動が衝突した「カールスグレーツの戦い」であったことは周知の事実である。

 

 

 片や中世に大陸の大部分を支配した『神聖ロマヌム帝国』の復活を目論み、地方分権型の多民族国家を良しとする「二重帝国」。そして片や二重帝国を排除し、王国主導で中央集権型の単一民族国家を作ろうという「鉄血宰相」らの勢力があった。

 

 両国は帝国統一を巡って長きにわたって争ってきたが、その緊張が頂点に達した結果、「カールスグレーツの戦い」が発生し、最終的に勝利を収めた二重帝国主導で今の「帝国」統一が成立した。

 

 

 

 同じ帝国臣民が争ったという負の歴史は内戦の火種となりうるため、公の場でその詳細が語られたり教えられたりする機会は多くは無い。

 

 

 ――しかし今、当時の事情を知る生き証人の口から、その真実が語られようとしている。

 

 

 それまでの弛緩した空気がガラリと変わり、生徒たちが興味に目を輝かせる。ターニャもまた、その一人であった。

 

 

 

 ターニャの元いた世界にも、似たような事例があった。

 

 片やカビついた封建制度から抜け出せずにいるオーストリア・ハンガリー二重帝国、片や工業化に成功した軍事大国プロイセン王国……大ドイツ主義と小ドイツ主義で対立した両者の戦いは、当然の結果としてプロイセンの勝利に終わる。

 

(もし二重帝国の勝利がフランソワ共和国やレガドニア協商連合といった外国の助けありきだというのなら、まだ話は分かる。だが、聞くところによればあの「カールスグレーツ演習」では、二重帝国が単独で王国に圧勝したという……)

 

 

 にわかには信じがたい。

 

 

 事実、軍事面の大部分において二重帝国は王国に後れを取っていた。当時の王国の指導者である「鉄血宰相」もそれを知っていたからこそ、外交での孤立を悟ってからは軍事的な勝利に賭けたのだ。

 

 

 ―――そして今、ターニャの前で歴史の真実が紐解かれる

    




 久々に小ネタを投稿


 帝国=大ドイツ主義が成功してオーストリア=ハンガリー二重帝国主導でドイツ統一された説を今日も推す

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