帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~   作:大ライヒ主義

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第悼と偽話・・・万歳三唱!

        

 

 この日、帝都ヴィエンナで繰り広げられた軍事パレードは目にも鮮やかな壮麗極まる祝祭であった。そして祭りが終わって日常に帰る。夢から醒めたとき、人々は自らの心に改めて問うた。

 

 

 あれは一体全体、なんだったのか?

 

 

 この祝祭は『帝国』が皇帝の国であり、それを強大な軍隊を支えていることを改めて確認し、それを祝うものであった。つまり、この祭りの中心にいたのは皇帝と軍隊である。

 

 しかしパレードによる慶祝を受けての皇帝のお言葉は短い。

 

 

「全ての臣民に感謝と祝福を。帝国に栄光あれ」

 

 

 なんとも素っ気ない、至極あっさりしたもの。同じく軍にしても戦争の最中に精鋭部隊を引き抜くわけにもいかず、士官学校生徒のお遊戯会のような簡素さだった。

 

 そう、パレードの中心たる皇帝と軍部は幻想に惑わされることなく、極めて冷静であった。自らの仕掛けた魔術に溺れることなく、淡々と職務を全うしただけである。

 

 

 とはすなわち、このパレードの中心にあったのは「虚無」だったということだ。

 

 

 あるいは、勘の良い者なら感じ取れていたかもしれない。

 

 帝都大改造で新築された新市街――石畳の環状道路に、広々とした大通り、爽やかな木々の立ち並ぶ小奇麗な街並みでは溢れんばかりの人々でごったがえしていた。

 

 しかしひとたび帝都の中心部――すなわち旧市街に目を向ければ、それがまやかしの賑やかさであることに嫌でも気づく。王宮と大寺院がそびえる帝都の心臓部、煉瓦造りの古ぼけた旧市街では不気味なぐらい人影がなかった。

 

 

 外側だけが賑やかで、中心はあくまで虚無……この張りぼてこそが帝国の忠実な再現であり、帝都というミニチュアに現れた帝国の縮図でもあった。

 

 

 式典が日常のミニチュアであるのならば、それが失敗するはずもない。非日常の中の日常は人々を安心させる。かくして世界大戦の最中、『帝国』の中心・帝都で行われた壮大無比な軍事パレードは、その中心に虚無があることによって成功した。

 

 

 もちろん、一時のモラトリアムが終わると、人々は容赦のない現実に直面する。

 

 悪化する経済、不足する物資、配給の列、徴兵された家族や友人の戦死報告……それでも皇帝は宮廷の奥にある政務室で自動機械のように淡々と政務をこなす。軍隊もいつもの泥まみれの戦場で、ひたすら塹壕を攻めて守る日々を過ごす。

 

 

 **

 

 

 そもそも、派手な軍事パレードを軍事大国である『帝国』が行うということがある意味では矛盾している。

 

 『連合王国』などでは、長い伝統と安定した立憲君主の気風が滲みついている。それゆえ、わざわざ手の込んだ軍事パレードなど必要ない。そんなものを目に見せずとも、人々は無意識レベルで共有している。

 

 

 だが、『帝国』ではどうか。

 

 

 もとよりバラバラな諸民族の寄せ集めである。一体感に連帯感、絆に友愛など望むべくもない。帝国支配体制の在り方についての結論は、とうの昔に不文律として確立されていた。

 

 すなわち美しいピラミッド状の中央集権国家ではなく、様々な勢力のごった煮から成る緩やかな国家連合である。皇帝は飾りでしかない。

 

 

 しかしそれでも、あるいはだからこそ皇帝家は権威の象徴としての地位に執念を燃やし続けた。軍隊という権力と、皇帝家という権威。それは二つに一つであり、どちらかが欠けても正当性を有しない。

 

 

 ゆえに『帝国』は屋台骨が揺らげば揺らぐほど、勇ましい軍事力と皇帝家の伝統、そして帝国を帝国たらしめる「戦争」にしがみついたのである。

 

 否、もはや帝国には巧みに演出された虚無が実際の政治に及ぼす力を信じる以外、何も手立てがなかったのだ。

 

 

 

 しかし、もう終わりだった。ほとんど仮死状態の『帝国』を蘇生させる術はもはや存在しない。

 

 

 

 軍事パレードも今となっては万能薬になりえぬ。戦争というカンフル剤も、あと僅かしか残っていない。

 もっとも、それすら病の痛みから逃れるために、麻薬を打つようなものだ。豪華絢爛な祭りに甘美な勝利という、一時の壮大な幻術を楽しむだけのもの。

 

 『帝国』という病人がまだ生きているのか、とっくに死んでいる分かる者はどこにもいなかった。毛は抜け落ち、皮膚は爛れて摺り剥け、肉は腐敗している。

 やがて白骨が砕けて朽ちるのも時間の問題だろう。最後に残るのは、腐臭の漂う残り香だけだ。

 

 

 そんな破滅へと続く未来を薄々感じていたからこそ、人々は帝都に集い、派手な軍事パレードをやり遂げた。そこに「我らみな兄弟、皇帝に仕えし帝国臣民なり」との一体感なる幻想を存分に享受した。

 

 

 民衆は共通の敵を必要とする。なにしろ、ここ数十年間大規模な戦争らしい戦争はなかったのだ。後でどれだけ多くのツケを払うことになっても、嫌いな奴をボコボコにしたいという欲求は日常世界の中でくすぶり続ける。知らず知らずのうちに、日常の営みの中で不平不満の火薬は蓄積してゆく……。

 

 それはいつの日か、小さな火種が引火し、発火し、大爆発を引き起こすだろう。人々はその瞬間が来るのを、じっと待つ。ただひたすらに待ち続け、問題を先送って今日を生き続ける。

 

 

 ところでその「人々」とはいったい何者なのか? もちろん帝国の臣民である。

 

 

 それではこの事実は何によって確認できるのだろうか? 法律によってだろうか。

 

 

 

 ――とんでもない!  では何か? もちろん戦争だ!

 

 

 

 共通の敵がいる、それが唯一の共通点なのだ。

 

 

 ゆえに帝国臣民のアイデンティティーは勇ましい軍隊と、9000万の帝国臣民を統べる皇帝陛下の御姿にある。諸外国の脅威に、今こそ一致団結して立ち向かわねば!

 

 バラバラな臣民が戦争によって一体となり、陛下に忠誠を誓って軍を祝福する、またとない機会である。戦争に裏付けられた皇帝陛下の権威と帝国軍の権力こそが、9000万の人民が目にしうる、唯一の『帝国』であった。

 

 

 その陛下は今年、即位八周年をお迎えになられた。軍隊も戦争に今のところ勝っている。

 

 

 ならば我ら帝国臣民のとるべき行動は何か? 不平不満を述べることか? 意識を高く持って国の将来を模索することであろうか? 

 

 否、答えは否。ただ全てを忘れ、今を楽しめばよい。誉れ高き『帝国』臣民であることのできる、今この瞬間を。

 

 

 

 誰かが言った。さぁ、皆で今日という日を祝おう!

 

 

 

 

 ――皇帝万歳!!!

 

 

 

 

 ――勝利万歳!!!

 

 

 

 

 ――戦争万歳!!!

 

 

 




 なんだか釈然としない形ですが、今作はこれで完結とさせていただきます。


 最後に、ここまで読んでくださった読者の皆様に感謝いたします。

 執筆のきっかけは「幼女戦記」の地図で「帝国」の国土がドイツとオーストリア=ハンガリー両方を含んでいることに衝撃を受けたことにあります。オーストリア愛をこじらせた結果、ノリと勢いだけを頼りに書き上げてきました。

 それでもこうして最後まで走り切ることができたのは、ひとえに読者の皆様に応援していただいたおかげです。

 本当にありがとうございました。



 それから最後に改めて。



 オーストリア=ハンガリー二重帝国を愛する、全ての人に。



 そして「幼女戦記」を愛する、全ての人に。



 作者より、本作を捧げさせていただきます。

 ありがとうございました。

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