帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~ 作:大ライヒ主義
窓から見えるメインストリートでは、変わらずパレードが続いている。
皇帝の紋章官、そして幾つかの自治を認められた王国、大公国、公国、辺境伯国、侯国、そして自由都市の代表が徒歩で行く。続いて歩兵、魔導士、そして砲兵がやはり徒歩で大通りを闊歩する。
お次は本日の主賓、帝都参事会員によって掲げられた天蓋のもとを皇帝陛下ならびに皇后殿下が歩む。それに続くのは宮内の役人に聖職者、その他諸々の有力者だ。そして最後に甲冑に身を固めた騎兵が馬を駆り、その隊長が新たに鋳造された帝国金貨を沿道の民衆をばらまく。
この祝祭行列が消えると、すぐに帝国のあちこちで今度は民衆のどんちゃん騒ぎが始まるのだ。これらの祝祭のための支出は「一公国、の年間支出に匹敵する」ぐらいであった。
それを帝都は一身に引き受ける。誰をも寄せ付けぬ難攻不落の市壁を巡らせ、天を突く高き塔を聳え立たせしヴィエンナ……いかなる無双の軍勢すら拒絶する市門を構えた、自由で誇り高き帝都こそが軍事パレードの場に相応しい。そのためなら莫大な出費も厭わない、それが市民の誇りでもあった。
もちろん、ただでさえ財政が苦しい戦争の最中に派手なパレードを行うことに眉をひそめる者もいる。そんな相手にヴィエンナ市民は決まってこう返すのだ。
それなら心配ご無用! なにせ『帝国』の周囲は敵だらけ! 偉大なる我らがライヒは世界を敵に回し、ただ一人それに立ち向かっている!
今や世界大戦の戦火は、地球上を覆い尽くそうとしている。『帝国』が過去の栄光に陶酔できる時は、もう二度とやってこないかもしれないのだ!
これでは式典どころか、この『帝国』そのものが何時この世から消えてしまうかわからない! ならば『帝国』が滅ぶ前に今一度、過去の栄光に浸ろうではないか!
愚かな『帝国』市民とて、そこまで馬鹿ではない。この戦争の先行きが暗いことは子供でも分かる。そんな胸騒ぎを薄々感じていたからこそ、より一層パレードに熱狂するのだ。
――瞬間よ、止まれ! そう、切に願いながら。
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こうして果てしない儀式は続いていく。軍事パレードが済むと、いよいよ大広場で祝辞が述べられる。煌びやかに飾り立てられた絢爛豪華な大広場で、皇帝陛下を中心に400人もの貴族に有力者がずらりと並ぶ。
それは豪華極まりないが、どこか嘘寒い。原因は、ぽつぽつと存在する空席のせいだ。
――空席の理由はもちろん、戦争だ。
戦場を離れられなかった者や、後方にいるが仕事が忙しくてそれどころでは無い者。とにもかくにも、彼らは「戦争」という『帝国』の維持に必要不可欠な行為をしているがために、帝国を祝うこの場にいることができなかったのだ。
ゆえにどれだけ煌びやかに飾り立てられてはいても、本来いるべき主のいない空席は『帝国』が本質的に不安定であることを暗示していた。
それだけで『帝国』、大陸中央に位置する軍事大国の実態が分かるというもの。だが、誰もが当然のようにその現実から目をそむけている。
その中心にいる者こそが皇帝、あるいはそう呼ばれる存在だ。ちなみに正式な名称は『帝国議会において代表される諸王国および諸邦ならびに神聖なる王冠の諸邦の皇帝』だったりする。
が、そんな訳のわからない長ったらしい名前など誰も覚えていない。そんな地位は、人々の空想と幻想の中にしか存在しない。
かつての「神聖ロマヌム帝国」同様、この『帝国』には議会もなければ代表してもおらず、神聖でもないし、皇帝自体がよく意味の分からない空虚な存在であった。
『帝国』という複雑怪奇なパッチワーク、魑魅魍魎の跋扈するグロテスクな組織は単一の中央集権国家どころか、中心を欠いた緩やかな国家連合ですらなくない。
それはまるで、複数の頭を持ち、互いが互いを喰らい合うウロボロスのようであった。
しかし、だからこそ軍事パレードは、否が応でも豪華絢爛でなければならなかった。現実には無い権力を、権威という名の空想幻想妄想で現界に召喚する。
そのためにはまず、儀礼をおろそかにしないことだ。魔術礼装が完璧でなければ、魔法儀式は成功しえぬ。
ゆえに真珠や宝石をちりばめた真紅の絹でできた将校礼服、儀礼銃、騎兵鎧、祝砲のすべてがこの日のために伝統に則り、職人技を用いて新しく豪華に作られる。
現実から目をそむけ、迷信に縋るその姿は外国人の目にはさぞ滑稽に見えただろう。だが、それでも『帝国』は必死であった。
権力がなくなればなくなるほど、権威に縋るという悲しい構図。業績が悪い組織ほど建前とか理念とか精神論に傾く感じ。
国家もそうですけど、組織が実体のないキレイ事を言い始めるとロクな未来がないと思ってたり。「金だ!金ならあるぞ!」っていう物質崇拝のほうがまだ安心できる