帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~ 作:大ライヒ主義
だが、歴代皇帝の作り上げてきた黒魔術も今や限界であった。老骨に鞭打って動き続けた帝国は軋みはじめ、動くたびに自壊し、徐々に動くことも適わなくなっている。
逆らえぬ時の流れにより、『帝国』が崩れゆく日はひたひたと迫ってきている。死に体の『帝国』が完全に動きを止めたその日に、千年の長きにわたる伝統に終止符が打たれるだろう。
その瞬間に『帝国』は崩れ、複数のグループはそれぞれの感情と利己的な理性に突き動かされて四方八方に飛び散り、やがて互いに血で血を洗う争いの渦中に放り込まれることになるだろう。
――だが、今はまだ“その時”ではない。
だから『帝国』が完全にその動きを止めるまで、バラバラな帝国臣民の共通の傘としての、『帝国』の機能は止めてはならぬ。『帝国』の中心たる「戦争」は決して中止してはならぬ。
そのためには、戦争を維持し続けなければならないのだ。
かくして皇帝と軍部は絶望と希望の二つを抱いて、諦めることなく無謀な戦争に挑み続ける。朝早くから夜遅くまで、休まず働く。人を殺し、殺され続ける。建物を破壊し、破壊され、膨大な屍と残骸の山をせっせと築き上げていく。機械仕掛けの人形のように、ひたすらに勤労に努める。
それは一種のデウス・エクス・マキナ――。
皇帝は『帝国』の中心であるが、それすらも真の中心である「戦争」の前ではひとつの歯車に過ぎなかった。消耗品である兵士と一緒であり、まさしく「帝国臣民は平等」である。名前など必要ないし、死ねば次の皇帝が即位するだけ。代用品は幾らでもいた。
ゆえに要求はただひとつ。ひたすら、資源が尽きるまで戦争を続ければよい。全てを使い潰して燃やし尽くすまで、『帝国』は血塗られた道を歩み続けるのだ。
それでこそ『帝国』の系譜は脈々と受け継がれていく。判断業務は一切放棄され、何もかもがルーティンワークであった。
今までずっと、そうやって『帝国』は続いてきた。ならば今さら疑う余地などあろうはずが無いではないか!
戦争こそが『帝国』の道なのだ。この『帝国』の骨格は寸分たりとも変えてはならぬ。何も変えないし動かさない。すべては思考停止という決定機能にゆだねる。
それが『帝国』の国是だった。
その国是は、虚無を目指している。
誰もが畏怖する軍事大国『帝国』の中心、その虚無は「戦争」ただひとつが担っている。それこそたったひとつだ。それしか、2つの宗教、10を超える民族、40近い領邦、7000万の帝国臣民を結びつけるものが無いからだ。
そこまで思い至ったとき、ターニャ・デグレチャフは打ち震えた。えもいえぬ感情が体の内側からこみ上げ、世界が暗転するような錯覚を覚えた。
しかし、現実はここにある。『帝国』という空虚な現実は目の前にある。それでこそ人は恐れ怖く。
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ルーデルドルフが、ゆっくりと口を開いた。それは死期を告げる死神のようで――。
「少し、話が長くなってしまったな。少佐、君の疑問は晴れたかね?」
「はっ! 小官のために貴重なお時間を割いていただき、感謝に堪えません!」
「いや、なかなか楽しい話だった。流石はハンスが見込んだだけのことはある」
ルーデルドルフはタバコを灰皿に押し付け、カップに残った最後のコーヒーを呑み込む。
「では、これで失礼する。せっかくの休暇だ、楽しみたまえ」
悠然と去ってゆくルーデルドルフ。その後には、虚無が残った。
まるで最初から、そこは誰もいなかったように……。
ある意味では、彼もまた一人の死人なのかもしれない。死者の国で何かに突き動かされるように、ひたすらに踊り狂う操り人形。意思を持たぬ、死神の傀儡。
「………っ」
もはや窓の外から覗く壮麗なパレードも、完璧に薄ら寒いダンス・マカブル(死者の踊り)にしか映らなかった。“ラインの悪魔”ターニャ・デグレチャフをもってしても、その空虚さに耐えるのは難しい。
ターニャは追加のコーヒーを頼み、逃げるように非現実の世界に飛び込むしかなかった。
作中の「帝国」が拡張主義であるのを、地図を踏まえて作者なりに考えた結果・・・。
一見すると国土増えてるから強そうに見えるけど、民族も宗教も経済レベルもバラバラ過ぎて逆に内政詰んでね!? 国内対立ぜったいにヤバいだろうし、なんとか纏めないと……
→戦争すればいいじゃん!敵の敵は味方!
という発想になりました。昔から国内の不満は戦争で逸らせ、って色んな偉人が言ってますもんね。