帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~   作:大ライヒ主義

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第悼と悲屠話・・・『帝国』劇場

                

 無為無策、伝統と保守の懐古主義……不合理で非効率なそれはしかし、時の流れという残酷な圧力が徐々に諸外国から帝国内部にまで浸透し、自壊作用を起こしていくのをせき止めるための、最後の必死の抵抗であった。

 

 

(狂っている……! こんな非合理的な世界など、私は認めない……!)

 

 

 ターニャ・デグレチャフはこのとき、初めて恐怖した。同時に存在Xは本当にとんでもない世界に自分を放り込んでくれたものだと、今更ながら憤りを覚える。

 

 

(なるほど、これなら神にも祈りたくなる気持ちは分からんでもない。この絶望と諦観しかない世界で、信じられるのは元より空虚な「神」だけということか……!)

 

 

 ターニャのいる『帝国』は、まさしく大陸の中欧に生まれた異界の地であった。「諸民族の牢獄」という名の結界であった。

 

 

 

 **

 

 

 

 再び、ルーデルドルフが口を開く。

 

「少佐は先ほど、無能が嫌いであると言ったな。また、自分は自由市場を信奉するとも」

 

「……はい」

 

 ターニャ・デグレチャフは、人間の理性と自由競争を信奉するシカゴ学派の学徒である。弱肉強食こそが社会の摂理であり、あらゆる規制を排除した自由で効率的な社会を理想とする。

 

 そこには非合理的な迷信も因習も存在せず、すべてが合理的かつ効率的に機能する。有能な者にはしかるべき地位と富が渡され、無能も同様に能力に見合ったリターンが返ってくる。

 

 

 よって一切の甘えは許されない。日々、自分を磨いて努力し、競争に勝ち続けた自立した個人だけが生き残れる無駄のない社会だ。

 

 もちろん個人だけではない。経営状況の悪い会社に無駄な公的救済がなされることはないし、不毛の大地で非効率な公共事業が実施されることもなくなる。

 

 

 無駄を切り捨て、無能を切り捨てる。

 それは世代間格差と地方間格差と社会間格差を生む。

 

 

 無論、格差が悪いなどという倫理的な理由はない。ターニャ・デグレチャフのような強く合理的な人間なら、勝っても負けてもそれを当然と受け止めるだろう。

 

 

 ――不便な地方より、便利な中央に産業が立地するのは当然だ。

 

 ――消費者が高い自国製品より、安い外国製品を買うのは自然である。

 

 ――企業がコスト高の自国民を雇うより、移民を雇うか国外移転するのは効率的だ。

 

 ――業績のいい社員の給料があげられ、業績の悪い社員のボーナスがカットされるのは合理的である。

 

 

 ターニャ・デグレチャフはこうした理性的な判断を受け入れるに違いない。しかし悲しいかな、大多数の人間は弱く無能で愚かである。

 

 負ければ自らの責任を恥じるより、陰謀説を唱えて他者に責任転嫁を図るだろう。事実、そのような人間によって転生前のターニャは殺されたのだ。 

 

 

 好き嫌いの問題でいえば、ターニャは無能が嫌いだ。正義は自分にあると思っている。

 

 

 だが、事実としてそういった人間がいるという現実から目をそむけてはならない。

 

(本当に度し難い! 人というのは、どうしてこうも愚かであるのか!?)

 

 

 世界にいるのが無能だからけなら、彼らが作り出したものがマトモなものであるはずがない。

 

 

 まさしく帝国は朽ち果てた巨大な老樹であった。今にも自重で倒れんとする、巨大な老樹……きっとそれは、さぞ立派な棺の素材であるに違いない。中に納められるのは勿論、すなわち『帝国』という名の死体である。

 

 

 もっとも、あるいは葬儀は既に住んでいるのかも知れなかった。

 

 

 なにせ大陸の中央に覇をとなえる『帝国』は、その系譜を古の「神聖ロマヌム帝国」に求める。しかし当の神聖ロマヌム帝国は、三十年続いた宗教戦争によって荒廃し、講和条約によって当事者たちの了解のもと「帝国の死亡診断書」が提出されている。

 

 

 だとすれば、その正当な後継者たる『帝国』とは何者なりけるや?

 

 

 長引く戦争のせいで、今や『帝国』は末期症状を呈している。だが、それも今更だ。なにせ建国したその瞬間から、四方八方を仮想敵国に囲まれている帝国は詰んでいる。

 

 

 誕生の瞬間から、帝国は滅亡を宿命づけられていた。『帝国』という国家は、生まれながらに死んでいるのだ。

 

 

 であれば、この「死者の帝国」を統べる皇帝は冥王に他なるまい。軍人たちは妖魔の侍従で、従う臣民たちは動く死者……永遠という見果てぬ夢を見続け、醒めない悪夢の中で彼らは今日も踊り続けている。

 

 

 否、しかし彼らは現実を生きている。しかしその背中には、常に“死”の影が付きまとう。かの国は戦火の中でしか維持できない。かの国民は争いの中でしか生きられぬ亡者である。

 

 

 それは悲劇か喜劇か。

 

 

 誰もが朽ち果てた骸であるということに気付かず、「真夏の夜の夢」に憑りつかれている。死者があたかも生者のように振る舞い、毎晩のように終わりのない夜の国で空虚な馬鹿騒ぎを繰り広げる。

 

 その演目を演じる劇場は、きっと『帝国』劇場という名に違いない。

 




なんとなく目の前の現実から目をそらして改革を先延ばしに、ってのは他人事じゃないと思うんですよねぇ。
 作者もよくやらかしますし、知り合いにもいますし、会社もそうだし、国もそうだし……。

 世の中ままならないものです。

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