帝国建国記 ~とある休日、カフェにて~   作:大ライヒ主義

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第悼話・・・真夏の夜の夢

                

「この国には、戦争が必要だ」

   

 ルーデルドルフの口から紡がれる、絶望に満ちた世界観。その虚無と薄ら寒さは、転生者にして歴戦の勇者たるターニャ・デグレチャフをして戦慄させるに十分なものであった。

 

 

 この国は、どうしようもなく狂っている………!

 

 

 そしてそんな化け物を生み出した世界もまた、キチガイじみている。

 

 

 帝国主義? 植民地獲得競争? 国家独占資本主義?

 

 そうであるのなら、まだマシであっただろう。資本主義の強欲ゆえに戦争が起こると説いた、マルクスはなんと素晴らしき希望に満ち溢れた世界に生きていたことか!

 

 

 この世界には、そのいずれも無い。夢も希望もなく、絶望と虚無に満ちている。

 

 

 ただ国家が存在するだけで、戦争が起こるのだ。その維持には戦争が欠かせない。人が動物を狩って食事をするように、『帝国』が生きるためには他国を狩らずにはいられないのである。

 

 それこそが何代にもわたって途切れることなく続けられた『帝国』の歴史であり、伝統であり、文化の真髄であった。

 

 

 ああ、何ということか! 『帝国』の威信はとうの昔に地に墜ちていた。「帝国に政府は存在しない。ただ皇帝があるだけである」と揶揄された、古びた封建国家である。

 

 

 ――名誉も! 栄光も! 始めからそんなものは無かったのだ!

 

 

  あるのは数百年にわたって続けられてきた、歴史という永久機関。その中で大きな歯車となるか、小さな歯車になるかの違いだけ。

 

 そこは誰もが諦観し、ルーチンワークを続ける虚無の世界。空虚な帝国の中枢で、その心臓たる皇帝は顔色一つ変えることなく自ら造営した宮殿で黙々と政務に励む。軍部もまた参謀本部の奥深くに閉じこもり、物資とマンパワーという薪を戦争という暖炉にくべ続ける。その燃えカスは、兵士たちの手でせっせと積み上げられ、無残な死体の山が築かれていく。

 

(しかし……それは非常に疑いようもなく、合理的だ……)

 

 長い歴史の中で歴代の皇帝、そして軍部が悟ったことは――否、直感的に感じ取っていたことは、いかなる改革、どんなわずかな手術にもこの脆弱な身は耐えられないということであった。

 

 皇帝が耐えられないとはすなわち、『帝国』が耐えられないということである。皇帝の意をくんだ軍部はこの真理を封印した。真実を暴く無意味さを悟っていたからである。

 

 

 ――なればこそ、争いの火種は国外へ。国内は和を以て貴しとなす。

 

 

 ひとえにそれは、問題の先送りに他ならなかった。『帝国』はひたすら問題を先送りにした。先送りにし続けた。

 

 そうでもしなければ、この古き伝統に支えられた『帝国』は一瞬のうちにバラバラになってしまう。対立が噴出する時とはすなわち、帝国が滅亡する時であった。

 

 

 ゆえに『帝国』が重視すべきは、一に秩序、二に秩序、三・四がなくて五に秩序。ひたすら対立の芽を摘み取り、安定の維持に努める。

 

 

 変化は許されない。改革などありえない。

 

 

 『帝国』という家は、千年の長きにわたって無節操な改築を繰り返してきた。今や柱一つを動かせば、どこか崩れるか分からぬ。修理しようにも、複雑に絡み合った構造は住人ですら把握できていない。

 

 ならば維持する方法はたった一つ、現状維持の道だけである。全てをあるがまま、為すがままに任せる。無為無策、独創的なまでに非独創に徹するのみ。式典の作法ひとつ、法律の一言一句に至るまで、何も変えてはならぬ。

 

 

 それでこそ『帝国』は存続し、生きながらえるのだ。

 

 

 そう、『帝国』はその強靭な意志の力で無為無策に徹した。己を空しくして、ひたすら大陸の中心部に壮大な虚無と停滞を作り上げた。そこから発せられるのは、過去の歴史が蓄積してきた神聖で神秘的なオーラである。

 

 何もしない! ひたすら何代にもわたって皇帝を輩出し続けた伝統に頼り、古い迷信の威光でもって時の流れに立ち向かおうとした。『帝国』崩壊の危機に対し、全くの無為無策をもって臨んだ。

 

 

 ――時よ、止まれ! 汝は誰より美しいのだから

 

 

 それは御伽の世界。その結界に守られている限り、魔女は魔術によって永遠の若さを保っていられる。

 

 しかしひとたび鏡を手に取り、自らの姿を眺めてみる。そこに映し出されるのは、醜くい老いさらばえた腐肉と骸骨の残骸だ。現実から目を逸らし続けた悪魔は、真実を目にした途端に醜悪な本来の姿へと戻ってしまう。

 

 

 『帝国』もまた、『帝国』という名の牢獄にいる限りは何とかその体を維持できる。ひとたび市場を開放し、進歩的な思想を引き入れた瞬間に瓦解するだろう。

 

 

 自由貿易は無数の職人とギルドを潰し、市場競争は地方と中央の格差を増大させる。

 

 民主主義は貴族と平民の対立を激化させ、国民運動は国体を変える。

 

 民族主義は分離運動を引き起こし、新技術と科学は宗教と迷信とのあいだで憎悪を駆り立てる。

 

 

 それは紛れもない劇薬。下手をすれば患者を殺しかねない、危険な外科手術だ。

 

 

 しかしこの期に及んで『帝国』を改革するという大手術に耐えられる体力が、果たしてこの老帝国に残っているのだろうか。

 

 

 ――これが百年前なら、『帝国』にはまだ改革を続ける余裕があった。しかし問題を先送りにして老い続けるうちに、今ではそんな体力も無くなってしまった。

 

 

 だが、敢えて夢から醒めることもあるまい。宮殿の執務室に終日こもって、黙々とルーチンワークをこなせば時間は過ぎていく。それが皇帝の信念であり、決意であった。

 

 そして皇帝に付き従う軍人たちもまた、この『帝国』唯一の憲法を一字一句たりともおろそかにせず墨守した。

 

 

 あるいのは永遠に続くかと思われる戦争、戦争、また戦争!

 

 

  ああ、悲しいかな! タネが割れれば何のことは無い。皇帝と軍部も例外なく、自らの作りだした『諸国民の牢獄』にかんじがらめに縛られていたのである。 

   




「戦争の歴史が国民の歴史を作る」みたいなのは世界史を学ぶと感じます。

国民国家誕生の地であるフランスなんかも反革命の外国軍に攻められて初めてパリと地方が「同じフランス人」としての意識に目覚ましたし、かくいう我ら日本もそれまでの「藩」から「日本国民」としての意識が芽生えたのは諸外国の脅威あってこそですし。

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