ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~ 作:兵隊
2024年1月31日 PM22:45
第一層迷宮区 最上階
何合打ち合ったことか。十か、百か、それとも千か。
異なる剣、異なる剣術、異なる剣戟げ交差し辺りに響き渡った。
火花が散り、一瞬だけ目を覆いたくなるほどの閃光に周囲を包み、直ぐにその光は消えまた新しい火花が散る。
「――――っ!」
「っ……!」
方や左手に大盾を、右手に直剣を。方やその両の手に剣を。
方や冷ややかな視線で猛撃を受け止めて、方や歯を食いしばりながら奮う。
まったく異なる獲物を持ち、異なる剣術の両者は、異なる表情と感情のまま剣を振るっていた。
身体の損傷も異なる。
剣術、思考、戦法、何から何まで違うのだから平等などありえない。
両者は衝突を重ねる度に、戦意が削がれ、心が削られ、身体は深手を負っていく。
そして。
「――――――つっ!」
また新しい傷痕が刻まれた。
たまらず後退した所で、脇腹に出来た傷痕を抑えて少年――――ユーキは目の前の敵を睨みつけて片膝をついてしまった。
脇腹だけではない。
その身体には大なり小なり、身体の到るところが抉られ、あらゆる箇所に深手を負っていた。
――クソ……!
心の中で悪態を付くも、その程度では事態は好転などしない。
刃が抉られる寸前のところで無理やり身を捻ってやっと致命傷。何も反応出来なければ、そのまま上半身と下半身が断たたれ、そこで自分は終わっていただろう。
わかっていた、覚悟もしていた。目の前の男――――茅場晶彦は情け容赦なく、自分に刃を向けてくることくらいわかっていた。別にその点に関して、何も言うことはない。何せ相手は、そのためだけに生きてきたような者だ。今更、彼の剣が鈍ることなどありえないだろう。
ユーキが何よりも理解出来ないのは、彼の戦力に他ならない。
止めた筈の剣はすり抜けて斬られ、止められる筈のない自分の剣を容易く受け止められ、レベル差で圧倒できる筈が逆に圧倒される。
――どう言う、理屈だ……?
――レベルも、ステータスも、オレの方が上の筈だろ。
――何故オレはアイツに、手も足も出ない……?
傷だらけの己、無傷である茅場。
二人のあり方はまるで、天と地であるかのようで何もかもが違うものだった。
普段であれば、直感、虫の知らせ、野生の本能、予知めいた感覚が働く。第六感とも言った説明がつかない、ユーキのみが掴める五感を超える何かが働いていた。
それは先天的なものではなく後天的なもの。何度も死にかけていたからか、はたまた無茶が過ぎる鍛錬のおかげか、その感覚は研ぎ澄まされていき、いつしかユーキの直感はほんの少し未来を予測出来る程にまで鍛え上げられていた。
だがどういうわけか、今ではその直感が湧かない。
紙一重、皮一枚で防いでこれた少年の心意以外のもう一つの武器が、まったく機能していなかった。
――オレの感覚を含めて、野郎は“読んで”やがるのか……。
――オレの動きを、剣を、呼吸を、何もかもを“読んで”丁寧に潰してやがるってことか……!
――――なんてデタラメ。
と、心の中で愚痴る前に、茅場は動き出した。
「―――――――」
無言で、冷静に、非常に、盾を構えながらユーキに向かって推進する。
当たり前だ。何せ彼とユーキでは心構えが違う。
そこに気合など必要がない、身を引き裂くような断腸の思いも必要がない。かと言って殺されるかもしれない、という恐怖すらない。もはや茅場に勝ち負けなど判りきっている、だからこそ緊張も疲労もないのだ。
「―――――」
そして両者、間合いに入るや否や、茅場は右手に持つ直剣を下から上へ振り上げた。
「このっ……!」
ユーキは奥歯を噛み締める。
舐められたと思った。相手は片手剣、相手は両手剣。ステータスも自分の方が上。だというのに、正面から向かって来られたのだ。この程度で充分である、そう語るように真正面から。
苦痛を訴える身体に無理やり熱を込めて立ち上がり、両手で剣を握り締めて。
「ナメてんじゃねぇぞ、ボケがァ――――!」
上段から下段へと、茅場の剣に合わせて振り下ろした。
その一撃はどのような相手でも屠ってきた。フロアボスから、PKを楽しむ殺人鬼も、大岩を砕き散らし、堅牢な守りに対しても突破してきた。
それにしか出来ないからこそ、それだけを極めた。それこそが、ユーキのソードスキル『カスケード』。眼にも止まらぬ速度で、振り下ろされる絶対破壊の一撃必殺。
だが相手は、常人のそれではない。
茅場は顔色を変えることなく、あまつさえ口元を小さい笑みに変えて。
「なっ……!?」
ユーキの両手剣と茅場の直剣がかち合う直前に、茅場は自身の剣を僅かに引いた。
火花が散る。
しかしその火花は、剣と剣が衝突して生じるソレではなかった。ユーキの両手剣は茅場の直剣を伝いながら勢いを殺されながら、見事に受け流されてしまった。
そこで漸く、ユーキは理解した。
先程の行動は、本気でユーキを仕留める為のモノではなく、本気でユーキと真正面から斬り合う為のモノでもない。
全ては布石。最小限の動きで、最大限の戦果を得るための布石の他ならない。
この後の行動など目に見えている。
態勢を崩したのなら、立て直す前に打ち込むに決まっている。となれば狙うべきは――――首。人間の急所であり、叩き落とせば必ず絶命する箇所。
「――――っ!」
悪態を付く暇もなかった。
ユーキは無理矢理、振り下ろしていた剣を無理矢理止めて、一足で間合いを開けようと後退しようとする。
だがそれでも遅い。遥かに遅かった。
「ごっ……!?」
衝撃。
身体の右脇腹に衝撃が走り、一瞬だけ呼吸が止まる。
茅場の狙いは、首ではなかった。
彼は剣を振るわなかった。振るったのは左手に持つ大盾。それを思いっきり、ユーキに向かって殴りつける。
思っても見なかった一撃、考えても見なかった手段。ユーキは為す術なく、殴り飛ばされた。
交通事故に遭ったように、数メートルは跳ね飛ばされる。
身体は地面から離れ、地面を転がり、壁に激突してようやく停止した。
大したダメージではない。
しかし茅場の一撃は、深くユーキの心に傷をつけた。暗に彼は語ったのだ、その気になれば君は簡単に殺せる、と。茅場晶彦は暗に語ったのだ。
詰将棋のように、ユーキの攻め手を読み尽くし、緩やかに首を絞めていく。
「……」
無言でユーキは立ち上がる。
脇腹、肩口、両腕、両足。
傷口からは血ではなく、血液のような鮮紅色の光点が流れて行く。肩で息をしたまま、冷や汗を乱暴に拭う。
全身が傷だらけになることなど、ユーキにとって珍しいことではない。むしろ無傷で戦闘が終わることの方が、珍しいとも言える。
いつだって、負傷していた。死にかけることだって数え切れないほどだ。フロアボスと相対しても、殺人鬼と殺し合っても、キリトと決闘しても、ユーキが無傷で終ることなどなかった。
勝つために、負けないために、今まで剣を振るってきた。
だが今回は、今回ばかりは。
ピシリ、と確かに感じる罅。それは自分の心が欠ける音だった。
今まで感じたことのない感情。勝てるビジョンが、イメージがまったく湧かない。
分が悪いながらも勝機があった。肉を切らせて骨を断たせて、漸く勝利を掴んだ戦いなど数えきれない。ユーキの心が折れなかったのは、諦めなかったからだ。百に一つ、千に一つ、万に一つ、勝ち目が僅かでもあったから、少年はいつだって前を向き剣を握ってきた。
今回は違う。相手にはまだ余力があり、余裕もある。本気でもなければ全力を出していない。だと言うのに、こちらは本気を出しているにもかかわらず手も足も出ない。
――オレは、勝てるのか……?
――コイツにオレは、勝てるのか……?
得体の知れない感覚がユーキを揺るがし、冷や汗となってユーキの頬を伝っていく。
数手先を読み取り、着実に攻撃の手を潰していく茅場の剣は確実に、ユーキを追い詰めていった。
「やれやれ、やっと揺らいだか」
今まで無言を穿いていた茅場が口を開く。
緊張も疲労も感じ取れない口調のまま口を開いた。
「ありとあらゆる手を使い、君を追い詰めた。心理を掌握し、行動を制限し、君を追い詰めた。だが漸く揺らいだ。まったく君の諦めの悪さには呆れるな。本来であるのなら、何合か打ち合ってわかる筈だろう」
だが、と言葉を区切り茅場は冷淡な口調で続ける。
「――――これでわかっただろう」
「……っ!」
ユーキの表情は屈辱に塗れ、不甲斐ない自分を許せないというように肩を震わせる。
ソレを見ても、茅場の態度は変わらない。呆れるように、失望を含んだ声で。
「君は私には勝てない」
「……随分と調子に乗ってるじゃねぇか。誰が誰に勝てないって?」
「事実だ。今の君では私には勝てない。以前の君であれば話は違うのだろう、今の君ではなく『アインクラッドの恐怖』であった君であれば」
その言葉は、確実にユーキの心臓を掴み取るモノだった。
ドクン、と一際大きな脈音が聞こえる。何も言い返せないのは、ユーキも気付いているからだ。気付いているからこそ何も言えず、図星であるのだから否定が出来ない。
見つめることしか、出来ない。
「以前の君であれば、有無を言わずに私に斬りかかっていた。対話などすることなく、言葉など交えることなく、一切合切の躊躇もなく私を斬り捨てていた」
それは何故か?と出来の悪い生徒に問いを投げる教師にように。
無論、ユーキは答えない。答えなど既に自分の中に出ているからこそ、敢えてユーキは口にしなかった。
「決まっている、私は君の敵であるからだ。自身の敵に、『アインクラッドの恐怖』は容赦しなかっただろう。だが今の君はどうだ? 余計なしがらみのせいで、君に欠けていたモノが埋まりつつある」
「……悪いってのか?」
「とんでもない、良いことだとも。だからこそ、君は弱くなった」
ユーキを肯定しておきながら否定する。
そのまま訂正することなく、茅場は続ける。
「この戦いは最も単純だ。生存競争などといった、曖昧で善も悪もないモノではない。私が悪で、君が善だ。この立場が揺らぐことはない。決して、絶対に、不変なものだ」
事実だけ述べると、茅場は両手を広げた。
まるで歓迎するかのように、抱きしめるかのように、隙だらけの態度で茅場はユーキを迎える。
「君の敵は私なのだ。いいや君だけではない、君達の敵は私なのだ。ならば戦え、容赦などするな。拳を握りしめ、剣を握り締め、怨敵である私を殺し尽くしてみたまえ」
「やっぱりか。やっぱり、アンタの目的は……」
「そうだ。私は君達に――――殺されるためにここまでやって来た」
やっぱりか、と舌打ちをするユーキに対して、茅場は薄く笑みを零す。
「システムをも超越する意思の力を観測したい、この現実のような世界を創造したい。それも理由の一つになるのだろう。しかし根底にあるのはこんなモノだ。私はただ死ぬために、この世界を創造した。死にたい理由は……君ならばわかるだろう」
「…………」
無言は肯定だった。
茅場優希と茅場晶彦の二人は、かつては同じ見解を示しており、同じ結末を望んでいた。
誰よりも得難い両親を、世界は平等に奪っていく。不平等なまでに、世界は平等に奪っていく。理不尽なまでに両親の命を奪い、理不尽なまでに自分を不幸にした世界を、理不尽なまでに呪う。
「故に、私は血盟騎士団を創設し、ありとあらゆるモノを見逃した。キリトくんの心意の発現も見逃し、君の無茶な攻略も見逃した。殺人ギルドの設立も見逃した。将来、万に一つ彼らの凶刃が私に届くとも限らないからね」
歌うように、謳うように、茅場は言葉を並べる。
呪いのように紡がれる言葉には、絶望の色が濃く見えていた。
それだけ、彼の中での優希の両親―――――いいや、優希の父親の存在が、茅場昭彦の兄の存在は大きかったのだろう。
一つの死で彼が絶望を抱いてしまうのほどの大きな存在だったのだろう。
気持ちは痛いほど理解できた。茅場のように独りであれば、優希も彼のように堕ちていたかもしれない。
優希が堕ちなかったのは、性根が腐っても根性がねじ曲がっても、見捨ててくれなかった存在がいてくれたからに他ならない。幼馴染というかけがえのない存在がいてくれたからに他ならない。
だから――――。
「知ったことか」
ポツリと呟くその声は、明らかな否定。
殺せ、という願いを蹴り飛ばし、自分の主張で相手を叩き潰すような強い口調で言う。
「アンタの苦労話なんて、知らねぇよボケが。オレはオレのやりたいようにやる。いつまでも、これからも――――!」
「……あくまで、君は私を殺すのではなく、止めるというのか」
明らかな失望の声。
しかし、優希の足は止まらなかった。
表情は苦痛に歪み、身体中には激痛が走り、揺らぐことがなかった心にも罅が入っている。
それでも、それでも、止まることなど出来ない。この場で茅場を止めるのは優希しか居らず、茅場を止めるのは身内である優希しか務まらないのだから――――。
「本当に君は甘い。敵には苛烈である癖に、こと身内となると君は手を緩める。だが安心すると良い――――」
聞く耳など持たない。
優希は魔王めがけて飛び出した。極限まで絞られた弓から放たれる矢のように疾く鋭く。獣染みた速度は、一気に加速し最高速でひた走る。
茅場は構えない。
余裕の表れなのか、これも策の一つなのか。だとしても、後退など思考の隅にさえ存在しない。
誰よりも速く、何よりも疾く、知覚されることもなく、一撃を叩き込んで目を覚ませてやるだけだ。
その前に、茅場は発音する。
「――――もう私は、君の身内などと言ったつまらないものではないのだから」
その言葉を耳に入って一瞬だけ、優希の身体が硬直した。
硬直と言っても、それは一秒にも満たない。本当に僅かなモノで、誤差の範囲と言えるだろう。
だがそれが、優希にとって致命的なモノとなる。
「あ―――――?」
胸部にトン、と軽い衝撃が走る。
衝撃は灼熱と変わり、灼熱は激痛へと変貌を遂げる。
ゆっくり、と。優希は視線を下方へと向ける。その胸には――――直剣が刺さっていた。
「――――」
その剣は、茅場のモノ。一瞬の隙を突き、直剣を投擲したのだろう。
優希の意識が暗転する。
いかに並外れた第六感を持っていようと、狂気染みた意志力を有していようと、少年は人間だ。人間は弱く脆い。致命傷を受けて平気でいられるほど、人間は強靭に設計されていない。
膝から崩れ落ちる。
今度こそ、茅場優希の意識は、ここで途切れるのであった――――