ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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第10話 黒ポンチョの男

 ――――あれ?

 

 

 意識が遠のく。

 視界が暗転する。

 リズがわたしを呼ぶ声が聴こえる。

 

 わたしに何があったのか。

 それを理解出来ないまま、わたしは地面に倒れ伏した。

 身体が動かない、そして意識が途切れる。

 そんな中、わたしは確かに耳にした。

 楽しそうな声で、とても愉快というかのように、何かがこう言った。

 

 

「――――イッツ・ショウ・タイム」

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 2022年 11月27日

 

 PM16:05 『第一層』迷宮区

 

 

「やけに静かだな……」

 

 

 迷宮区に辿り着き、ある程度歩いたところでキリトが呟いた。

 本来であれば、エネミーモンスターである『ルインコボルド・トルーパー』が現れる筈なのに、今だにその気配はない。それどころか静か過ぎるくらいである。

 その様子はどこか、怯えているようでもある。自分たちに被害が来ないように、嵐が過ぎ去るのをただ待つかのように、エネミーモンスターは姿を表さなかった。

 

 

「どういうことだ……?」

「――――――」

 

 

 前を歩くユーキに尋ねても、黙って前だけ向いて歩みを進めている。

 いつもなら「知るかよ」と簡単に不機嫌そうに返してくるのだが、今の彼からはそれすらもない。だが冷静さを欠いている様子もなかった。

 

 怒りに燃えたぎっているのか、それともただ静かに事実だけを受け止めているのか。

 キリトもどう判断すればいいのか迷っているところに。

 

 

「あれは……」

 

 

 進行方向にあるものが落ちていることに、キリトが気付いた。

 同時にユーキは走りより、無言で落ちている何かを拾う。

 

 それは――――ペンダント。

 丸い蒼い宝石が装飾品としてつけられたペンダントが落ちていた。

 

 ユーキはそれに見覚えがあった。

 ソードアート・オンラインの稼働日初日、つまりはデスゲームが開始される前。アスナと一緒に買ったペンダントだった。蒼い宝石の付いたペンダントをアスナが、紅い宝石が付いたペンダントをユーキがそれぞれ今だに装備している。

 それが地面に落ちていたと言う事実。それはつまり――――。

 

 

「ユーキ、見ろ」

 

 

 キリトは指差し、その方向をユーキも視線を向ける。

 それは100メートルほど離れた場所。そこには細剣が突き刺さっていた。二人はそれが何なのか見覚えがある。何度も迷宮区に潜ったときに見てきた武器――――アスナが装備していた剣に間違いない。

 

 これ見よがしに、迷宮区の通路のど真ん中に刺さっている。

 明らかに不自然な状態を見て、キリトは結論付けた。

 

 

「誘っているのか……」

 

 

 まるでこうなることを予想していたかのような、誰かがアスナを追ってくると読んでいたかのような。明らかにこれは計画的犯行だった。

 もしこれが快楽的なものであるのなら、アスナを攫うようなマネはしない。その場でキルして、そこで終わっていたことだろう。だというのに、いちいち攫うという工程を挟んでいる状況。

 

 キリトはどこか不気味に感じる。

 誰が何のために、どうしてこんなことをするのか。全く予想できない。

 だがそれでも――――。

 

 

「――――」

 

 

 ユーキは足を止めない。

 そんなことを考えている時間すら惜しいと言うかのように、足早に歩を進める――――。

 

 

 だが次の瞬間。

 

 

「ッ!?」

 

 

 ヒュンッ、という風切り音が聞こえるや否や、キリトは背中に刺している剣を抜刀して、何かを弾いた。

 それは真っ直ぐにキリトへと推進していた。咄嗟に反応して、弾いたものの、それが一体何なのかキリトは理解出来ないまま弾いていた。

 

 それは『ナイフ』。

 短剣と言う割には刀身が短く、持って獲物を斬るとう概念がないように見える。どうやら投擲用のナイフのようだった。

 もちろん、こんなもの何者かが投擲しないことには飛んでこない。となれば誰かが意図的に、キリトに向かって投げつけたということになる。

 

 

「完璧な奇襲だと思ったんだが、結構COOLじゃねぇかよ『はじまりの英雄』さんよぉ?」

 

 

 現れたのは男。

 物陰から現れた男は、口元をニヤつかせる。だが表情までは読めない。

 膝上まで包む、艶消しの黒ポンチョを羽織って、目深くフードを被っている男は、そのまま愉快そうな口調で。

 

 

「しかし宛が外れたぜ。アイツらまだ紫のローブの女に手こずってんのかよ」

 

 

 キリトの視線は黒ポンチョの男ではなく、男の片腕に抱きかかえられている人物に注がれていた。

 それは女性プレイヤー。装備が所々剥ぎ取られており、服の合間から肌が露出し、どこか痛々しい印象すら与える姿。

 誰か、なんて問うまでもない。今まで行動を共にしていた仲間の名を、キリトは力強く口にした。

 

 

「アスナ!」

 

 

 アスナは力なく頭を垂れているだけで、反応する様子がない。どうやら意識を失っているようだ。

 ホッとするのもつかの間、キリトは直ぐに視線をアスナから黒ポンチョの男へと向ける。

 

 男は左腕にアスナを抱きかけて、右手に一本のナイフを装備している。

 防具は軽装なもので、筋力よりも敏捷にステータスが振っていることが予想される。何よりも特出すべき点は、黒ポンチョのカーソルにあった。カーソルとはソードアート・オンラインをプレイしている者に頭上にあるものであり、モンスターの場合はレッド、プレイヤーはその色がグリーンになっている。しかし、例外がある。

 盗み、傷害、殺人といったシステム上の犯罪を行った場合、カーソルがオレンジに変色する。

 

 そして、黒ポンチョの男のカーソルの色はオレンジ。

 つまり故意にプレイヤーを一度傷つけたということになるのだ。

 

 平気でプレイヤーを傷つける人種を前にして、キリトは最大限警戒態勢に入る。

 そんなキリトを見て、嘲笑うように黒ポンチョの男は口を開いた。

 

 

「いいねぇ、その反応。ようやく俺の方を見たな『はじまりの英雄』」

「……何が目的だ。どうしてアスナを攫った?」

「目的、目的ねぇ。まぁ、色々とある。だがその前にだ――――」

 

 

 黒ポンチョの男はニヤついていた笑みを消して、キリトの隣りにいるユーキへと意識を向けて。

 

 

「ところで、貴様は何だ? 俺は『はじまりの英雄』にだけにしか用はねぇんだが」

「――――――――」

 

 

 ユーキは答えない。

 真っ直ぐに、黒ポンチョの男から目を逸らさずに、標的に照準を合わせるレーザーサイトのように蒼い瞳が黒ポンチョの男を射抜いていた。

 

 純粋な怒気。

 今のユーキを見れば、周囲の空間が歪んでいるように錯覚して見えたかもしれない。少なくともキリトにはそう見えていた。

 空気すら支配するような激しい怒りを、ひたすら自分の中に圧縮しながら、視線を黒ポンチョの男を見据えている。

 

 何度も言い争いをしているキリトすら、初めて見るユーキに冷や汗を流す。

 

 しかし黒ポンチョの男だけは違った。

 動じることなく、どこか苛立ちを含めた声色で。

 

 

「上等に睨みつけやがって。貴様はこの女のペットか? ご主人様が傷つけられてムカついてるってかぁ?」

「――――――」

「反応すらしねぇとは、つまらねぇヤツだ。『はじまりの英雄』だけだったのなら人質の身が惜しかったら、自分の身を傷つけろ。複数なら殺し合えって言うところだったが――――」

 

 

 そこまで言うと、黒ポンチョの男は左腕に抱えていたアスナを放り捨てる。

 そして不敵に口元に笑みを張り付かせて、

 

 

「――――気が変わった。お前達を叩きのめして、ジワジワと嬲り殺すことにするぜ」

 

 

 右手で短剣を持ち、かかって来いと左手で手招きを始める黒ポンチョの男に、キリトは若干身を低く構えてユーキに声をかける。

 

 

「ユーキ、わかってるな」

「――――――――」

 

 

 彼はやはり答えない。

 全神経を研ぎ澄まし、音すら余計な不純物だと言わんばかりに黒ポンチョの男のみに集中している。

 

 であるのならば、キリトの役割は決まっている。

 自分が何をすべきか確認しながら、キリトは剣を構えて。

 

 

「行くぞっ!」

「――――――!」

 

 

 同時に、ユーキは腰に刺していた自分の剣を抜き放ち、黒ポンチョの男へと推進する。

 何よりも早く、誰よりも疾く、ユーキは黒ポンチョの男へを上段から剣を振り下ろす。

 

 黒ポンチョの男も、それを短剣で受けるのは不可能と判断したのか、凄まじい一撃を受け流す。

 だがそれでも――――。

 

 

「WOW、スゲェ力だ」

 

 

 口笛を拭いて、余裕の様子で感想をもらした。

 人を食った態度をされても、ユーキの敵意が萎えることはない。彼はそのまま力強く踏み込んで、横薙ぎに黒ポンチョの男を斬りつけた。

 

 轟!と鳴り響く風切り音。力任せに振るわれる、当たれば一撃で終わりの必殺の刃。

 それは受け流せない瞬時に理解すると、黒ポンチョの男は思いっきりユーキの刃の進行方向へと飛び、勢いを殺そうとする。

 

 短剣と両手剣がかち合う。

 瞬間、それは金属音となり、火花が散り黒ポンチョの男はふっ飛ばされた。それはチャンスだ。態勢を崩している黒ポンチョを斬るには絶好のチャンス。

 だがユーキは直ぐに間合いを詰めない。真横へと飛ぶ黒ポンチョを見ると、直ぐにキリトへと一瞥する。

 

 

「――――――」

「わかってる!」

 

 

 最初から伝わっていたように、キリトは直ぐにアスナの倒れている方へと直進した。

 

 まるで打ち合わせしたかのように、二人は同時に行動していた。

 まずユーキが黒ポンチョの男からアスナを引き離すために推進し、その隙をついてキリトがアスナの保護に向かう。

 二人のこの一連の動きにタイムロスはない。一片の狂いもなく狙い通り、アスナを保護して一時離脱。そういう結果になっていた筈だ。

 

 ――――しかし。

 

 

「甘いんだよ、ガキ共!」

 

 

 黒ポンチョの男は普通ではない。

 彼はそのまま吹き飛ばされながらも、キリトに向かって投擲用のナイフを投げつける。

 

 

「……ッ!」

 

 

 彼は何とかそれを弾いた。

 牽制ではない。そのナイフは狂いなく、キリトに向かって直進していった。吹き飛ばされながらも投げて標的に当てる。その技術は恐ろしいものであり、普通に生活して身につかない物だ。

 

 

 ――コイツ、何だ……?

 ――普通のプレイヤーじゃない……!

 

 

 背中に薄ら寒い何かを感じると、キリトはアスナの身柄を確保することを諦めて、ユーキと肩を並ばせて剣を構える。

 黒ポンチョの男の態勢は既に回復していた。ぶらりと短剣を構えずに佇む様子はどこか異様。隙だらけだというのに、全く隙がない異様な構え。

 

 最大限警戒態勢に入っているキリトに対して、黒ポンチョの男は口元に笑みを張り付かせて。

 

 

「二度も俺の投擲を防ぐとは、さすが『はじまりの英雄』様ってところか? レベルも俺よりも上、真面目にゲームに取り組んでた奴らの差ってやつかねぇ?」

 

 

 だがよぉ、と益々笑みを深めながら。

 

 

「所詮はガキだよなぁ? 俺を殺せる道理なんざねぇんだよ」

 

 

 ゾクッ、と。

 キリトの背筋が凍る。何かに背中を刺されたような、妙な感覚に陥った。それは異質な、どのプレイヤーとも違う空気を黒ポンチョの男は纏っている。

 日常生活で経験することがない現象、黒ポンチョの放った妙な感覚。それが『殺意』だと認識する前に、キリトは妙な感覚を払拭するために身を沈ませて。

 

 

「――――今度は俺から行く!」

 

 

 黒ポンチョの男へと殺到する。

 その速度は眼を見張るモノだった。先程のユーキよりも早く、尚疾く。瞬時にキリトは自分の射程圏内に黒ポンチョの男を捉える。

 それから鋭い速度で黒ポンチョの男を斬りつけた。

 

 それでも黒ポンチョの男の様子が変わることはない。

 むしろ余裕という調子で。

 

 

「鋭いねぇ?」

「――――スイッチ!」

 

 

 前衛、後衛を入れ替えるための合図をユーキに送る。

 初撃で斬りつけてこちらの攻め手になり、次のユーキの重い一撃で態勢を崩させて、最後に自分が斬って相手の戦意を挫く。それがキリトの作戦だった。

 一度斬れば、相手も怯むだろうと、彼は本気で思っていた。だからこそ、一度下がり態勢を立て直す。ユーキが絶対に相手の体勢を崩す。その為にも一度下がる、という信頼の表れでもあった。

 

 だがキリトは真に理解していなかった。

 自分たちが相手をしているプレイヤーがどれほど異端な者なのか――――。

 

 

「――――隙ありってやつだよなぁ!」

「なっ――――!?」

 

 

 キリトが下がる、と読んでいたのか。

 黒ポンチョの男は間髪入れずして、三本目の投げナイフを投擲する。完璧に意表を突く攻撃に、キリトは為す術もなく仮想世界で作られた自身の身体にナイフが刺さる。

 

 痛みはない。

 どこか違和感しか感じないまま、すぐに投げナイフを抜いて態勢を立て直そうとするものの。

 

 

 ――え……。

 ――身体が……!

 

 

 力なく身体が崩れ落ちる。

 まさか、と。HPゲージを見る。ナイフを刺さったことにより僅かにゲージが削れている。

 

 

 ――ゲージが点滅している。

 ――これは、麻痺状態……!?

 

 

 点滅している意味。それをキリトはよく理解している。

 ベータテスターだからこそ、直ぐに理解した。今のキリトの今の状態は麻痺。文字通り行動不能のステータス異常である。

 

 

 ――調合スキルを習得していれば、たしかに麻痺を付与した武器が出来る。

 ――でもそれはレベル1だ。

 ――素材的にも今の階層ではそれ以上のモノは作れない。

 ――モンスターに使うモノじゃない。

 ――完璧にプレイヤーだけを狙ったモノ……!

 

 

 そこでようやくキリトは理解した。

 黒ポンチョの男の異質な空気。どのプレイヤーと違った空気を纏う、彼の正体。

 

 

 ――アレは攻略に躍起になっている奴じゃない。

 ――アイツはプレイヤーだけを狙っている。

 

 

 崩れ落ちたキリトに意識が向いてしまったのか、ユーキの行動が一瞬遅れる。

 だがそれでも早い。彼は再び上段から勢い良く剣を振り下ろすものの――――。

 

 

「貴様に至っては論外だ」

「――――――ッ!」

 

 

 最初のやり取りの再現のように、凄まじい一撃を受け流して、そのまま脇腹を斬りつける。

 レベルの差があるせいか、それも僅かなもの。すぐに態勢を立て直し、構うことなく黒ポンチョの敵を斬ろうと振りかぶるものの。

 

 

「――――」

 

 

 ユーキもキリト同じく崩れ落ちた。

 HPゲージが点滅していることから、同じく麻痺状態。

 

 しかしそれでも、眼は死んではいない。

 真っ直ぐに、ただ標的に銃口を向けるように、ユーキは黒ポンチョの男へと意識を向けている。

 

 それでも黒ポンチョの男の余裕が崩れることはない。

 むしろユーキの無様な姿が気に入ったのか、笑みを深めながら。

 

 

「一撃は確かにスゲェもんだが、それだけだ。だから動きも読まれんだ、よ!」

 

 

 立ち上がろうと藻掻く、ユーキの顎を思いっきり蹴り飛ばして追い打ちを掛ける。その様子はHPゲージを削るよりも、彼の自尊心を削ることを重点に置くような振る舞い。

 それでも睨むことをやめないユーキを、何度も何度も何度も何度も、頭を踏みつける。

 

 

「やめろ!」

「あん?」

 

 

 キリトの静止の声。

 そこでようやく黒ポンチョの男の凶行が止まった。それでもユーキの頭を思いっきり踏みつけて、視線を倒れているキリトへと注がれる。

 

 満足したのか、黒ポンチョの男は笑みを浮かべて。

 

 

「これが対人戦って奴だ、弱い麻痺でも脅威になる。モンスターを殺すよりも、Thrillingだったろ?」

「スリリング、だって……?」

 

 

 ゴクリ、と。思わず唾を飲み込んだ。

 この男、本気で言っているのか、とキリトの視線が訴える。

 このデスゲームにおいて、HPゲージは命そのもの。つまり全て削りきれば死んでしまうものだ。ゲームであっても、遊びではない。HPゲージがなくなれば本当に死んでしまう世界。

 そんな中、黒ポンチョの男はスリリングで済ましてしまった。

 

 演技ではない。

 今、相手をしている男は本気でそう思っている。思った上で、プレイヤー達を傷つけて愉しんでいる。

 

 

「お前、の目的は、何だ……?」

 

 

 キリトの声が震える。

 恐怖をしているのではない。ただ理解を拒んでいるのだ。キリトというプレイヤーの人間性が、黒ポンチョの男を理解することを拒んでいる。

 

 そんなキリトを嘲笑うように、黒ポンチョの男は愉悦に声を弾ませて。

 

 

「ンなもん、簡単なもんだ」

 

 

 キリトに静かに近付いて、腰を下ろして。

 

 

「『はじまりの英雄』を殺すことだ」

「――――ッ!?」

 

 

 明確に『殺す』と意思表示されたキリトは表情が強張る。

 その様子を満足気に確認し、頷くと黒ポンチョの男は立ち上がりアスナの倒れている方へと優雅にゆっくり足を進める。

 

 

「貴様を殺せば、プレイヤーは絶望に落ちるだろ? それが見たいだけなんだよ」

「そんなことをして意味あるのか!」

「意味はねぇさ。絶望するプレイヤー共の無様な姿を見るのが面白そう、その程度の理由しかねぇよ」

「――――な」

 

 

 今度こそ言葉を失った。

 自分がゲームオーバーになれば、どれほどのプレイヤーが絶望するのか皆目検討もつかない。だが少なくとも、黒ポンチョの男はキリトをキル出来れば、ほとんどのプレイヤーは絶望すると確信していた。それほどまでに『はじまりの英雄』の異名は重要なモノと捉えているのだろう。

 そうなればまた再び、活気づいていたプレイヤー達の闘志は今度こそ挫かれることになる。

 

 はじまりの英雄をキルした正体不明のプレイヤーの存在に、プレイヤー達は怯えて疑心暗鬼の日々を過ごすことだろう。

 そうなってしまえば、プレイヤー達の殺し合い。とても攻略なんて出来る状態ではなくなるだろう。

 

 そんな最悪の状況を視野に入れて、黒ポンチョの男は宣言したのだ。

 はじまりの英雄である――――キリトをキルする、つまり殺す、と――――。

 

 唖然としているキリトを見て、黒ポンチョの男は爆笑する。

 そして再びアスナを左腕に抱き抱えて。

 

 

「おいおい、そんな顔すんなよ。たかがGAMEだろ? 貴様が死ねばゲームオーバー、またやり直しゃいいだろ」

 

 

 おっと、それが出来ねぇから全員必死になってんのか、とクツクツと喉を鳴らして笑いながら。

 

 

「それじゃ殺す――――前に俺もちょっと愉しむか。よく見たらこの女、結構良い女だもんな?」

「待て――――」

「ちょっとガキ臭えが、まぁいいだろう。こんな世界だ、もっと愉しまねぇと損だよな?」

 

 

 キリトがやめろ、と。

 口を開く前に、それは起きた。

 

 

「―――――え?」

「―――――おい」

 

 

 キリトが眼を丸くさせて、黒ポンチョの男の余裕が剥がれる。

 

 ソレはゆらり、と立ち上がった。まるで蜃気楼のような、芯がないかのような異様な立ち姿。ソレを二人は存在を認めた。

 その手には剣を握られており、顔は附しており表情は読み取ることが出来ない。

 

 黒ポンチョの男は呆然と。

 

 

「おい、麻痺はどうした」

 

 

 蜃気楼――――ユーキは答えない。

 ゆらり、と足元をふらついたまま、ゆっくりと黒ポンチョの男へと歩を進める。

 

 

「聞いてんのか、テメェは――――!」

 

 

 自由になっている右手で、新たに投擲用のナイフを投げつける。

 避ける動作すらしない。面白いように、そのナイフはユーキの身体へと突き刺さる。

 

 その戦果に、思わず黒ポンチョの男はニヤける。

 だが直ぐに、それはつまらない戦果だったと思い知らされる――――。

 

 

「――――」

 

 

 ――――倒れない。

 新たに麻痺状態を付与されたにも関わらず、ユーキは倒れない。

 

 

「――――オマエ」

 

 

 ここで初めて、ユーキは口を開く。

 

 

「――――ンなつまらねぇことのためだけに、アスナを傷つけたのか?」

 

 

 言葉だけ聞けば、普段よりも冷静なくらいに感じられる。

 だがしかし、それが間違いであると、その場にいた全員が気付いた。普段のユーキを知っているキリトはもちろん、全く知らない黒ポンチョの男ですら、その言葉の裏に何があるのか感じ取る。

 

 怒り。

 単純にして、純粋な感情。

 極限にまで熱された怒りを圧縮した心火。それが蜃気楼のように、陽炎のように人の形を象った。今のユーキは正にそんな状態であった。

 

 キリトも初めて気付いた。

 これが本当にキレたユーキの姿。先程の怒りなどまだ、彼にとって怒りの内に入らなかったことを、キリトは理解した。

 

 

 ユーキの歩みは止まらない。一歩一歩力強く、前にだけ進む。

 

 

 ――――イメージするのは剣を持っている自分自身――――。

 ――――怒りのまま振りかぶり、目の前にいる影を切り捨てる――――――。

 ――――斬る度に、返り血を浴びる――――。

 ――――それだけで、力が湧いてくる――――。

 ――――怒りはとどまることを知らない――――。

 ――――返り血浴びる毎に、力が湧き出てくる――――。

 

 

「――――テメェ、は、何だ……?」

 

 

 呆然と口を開く黒ポンチョの男に答える者はいない。

 一歩一歩、近付いてくるユーキに、一歩下がる。

 

 

 ――何をやってんだ俺は。

 ――こんなガキに、俺は何をやってる!

 ――死に損ないじゃねぇか。

 ――ただの死に損ないだ。

 ――だというのに、何故俺は……『恐怖』している……!?

 

 

 そこまで自問自答して、眼の前を見る。

 そこには、己に『恐怖』を感じさせた男の姿が。

 ユーキは剣を両手に持ち右方に構える。剣先を天に掲げ、その様子は昇り龍のようで、一撃に何もかもを掛ける。そういった構えをしていた。

 

 

「貴様、わかってんのか? 俺は人質を――――」

 

 

 言い終わる前に、ユーキは剣を振り下ろす。

 斬ッ!っと。

 黒ポンチョの男の左肩口から斜めに振り下ろし、上半身を斜め一直線に貫き、黒ポンチョの男はそのまま地面に叩きつけられて後方へ二転三転転がりながら吹っ飛んでいく。

 

 アスナに外傷はない。

 黒ポンチョの男だけを斬り飛ばして、支えがなくなったアスナを抱きとめて。

 

 

「――――触るな」

 

 

 黒ポンチョの男が吹き飛んでいった方向へと真っ直ぐ見つめて。

 

 

「コイツは、オマエが安々と振れていい女じゃねぇんだ――――」

「ハハハ、『お前』じゃねぇだろ。『俺達』の間違いじゃねぇのか?」

 

 

 皮一枚。

 黒ポンチョの男は何とか生きていた。

 

 だがそれでも彼は愉しそうに笑みを浮かべて。

 

 

「貴様の眼、スゲェな。そんな眼してる奴は見たことがねぇ」

「…………」

「何もかもを憎んでる、そんなクソのような眼だ。なぁご同輩、貴様は何人殺してそんな眼になった?」

「…………」

「同じだよ、貴様も俺も同じ狢だ。貴様だけそこにいるのは、卑怯じゃねぇか?」

 

 

 ユーキは何も答えない。

 自分の言いたい事を言って、満足したのか黒ポンチョの男は立ち上がると。

 

 

「『はじまりの英雄』様を殺そうと思ったが、スゲェ収穫だ。また会おうぜ、『俺の恐怖』。次会ったら、貴様を俺の立っている場所まで引きずり込んでやる――――」

 

 

 煙幕。

 小さな球体を地面にたたきつける。

 それだけで、煙が瞬時に立ち込めた。

 晴れた頃には殺人鬼――――黒ポンチョの男は姿を消していた――――。

 

 

 

 

 

 


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