ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~   作:兵隊

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第22話 BoB本選 ~先輩と後輩~④

 

 

 ガンゲイル・オンライン

 BoB本選 ISLラグナロク 砂漠地帯

 

 ――――そして、私の戦いは終わった――――。

 

 静寂が辺りを包む。心地良い、とは決して言えない静寂。。剣呑な雰囲気が決戦の地となった砂漠地帯を支配する。

 そこにいるが私達だけのような。でもそれは違うと、嫌が応にも現実に引き寄せられる。

 

 空は既に漆黒に染まっていた。

 いつの間にか日は落ちて、曇天であった空は珍しく晴れており、その空には星々が光り輝いている。まるで競うような美しいもので、殺伐とし暗雲がデフォルトに設定されているせいもあってか、夜空が見えるというありふれた現象はこの世界では珍しい光景でもあった。

 その空には、水色の中継カメラが飛び交う。意識するほど余裕なく、こんなに絶え間なくカメラが右往左往しているとは思っても見なかった。

 いつもの私なら、見せ付けてやろうと考えたのかもしれない。だがそれは――――。

 

 

「おい」

 

 

 ――――彼が許さなかった。

 

 私の首元には彼が振るっていた軍用スコップのプレート部分が宛がわれている。

 その距離は皮一枚程度の距離。彼が少しでも力を込めたものなら、私の首と胴体は切断されて、容易く頭は叩き落されることだろう。

 

 静寂とは違う雰囲気は彼から。

 怒鳴るでもなく、不機嫌な様子もなく、ただ淡々と。しかし只ならぬ凄みで辺りを支配する。

 その様子は、導火線が付く前の爆弾のよう。火種は私にあり、これからの発言次第によっては、簡単に火がつき止める間もなく炸薬となるに違いない。

 

 なのに恐ろしく平坦な声色で、彼――――私の先輩は続ける。

 

 

「オマエ、何で撃たなかった」

 

 

 表情は読めない。

 顔を俯かせて、彼がどんな顔で私に問うているのか解らなかった。

 

 私の両手にはサイドアームに装備していたグロック18が握られている。

 持つ度に震えていた両手は沈黙を保ち、不規則に動いていた心臓は静かなもの。恐怖心はなく、引き金に指を掛けて少しでも力を込めたら発射できる状態であった。

 しかし弾丸は――――発射されていない。

 

 銃口は先輩の胸部へ向けられており、装填された弾丸は起きる気配がない。引き金を引き、撃鉄が落ち、火薬が炸裂され、真っ直ぐに弾丸は先輩の身体を貫く筈であった。

 だが何も起きない。私の両手に眠るグロッグ18は眠ったまま。目覚める気配などなかった。

 

 

 私は――――撃たなかった。

 必殺のタイミングを外し、銃口を向けたまま、私は引き金を引かなかった。

 

 

「先輩だって攻撃を止めたじゃない」

「オマエが撃たなかったからだ。撃てなかったならまだ解る。仕方ない、そういう決着もある。だがこれは違う、オマエは敢えて撃たなかった」

 

 

 ここで先輩は顔を上げる。

 先程の只ならぬ雰囲気を纏った先輩ではない。右目に宿っていた焔はなく、顔は違うが眼は同じだ。いつもの私が知る先輩の、絶対の意志を伴った蒼色の双眸が、ジッと真っ直ぐに私を見る。

 

 何故止めた、と眼で問い。

 納得出来ない理由であれば許さない、と先輩の意思が断じる。

 少しの欺瞞も見逃さないように、本心を告げるように、彼は無言で訴えていた。

 

 当たり前だ。

 今まで必死に、お互い死力を振り絞り、持てる力の全てを以て、私達は戦った。

 ありとあらゆる手段を用いて、ありとあらゆる技術を行使し、ありとあらゆる技能を使い潰して、ここまで私達は戦ってきた。

 しかしここに来て、私は手を止めた。それが先輩からして見たら、手心を加えたと思ったに違いない。第三者が見てもそう感じていることだろう。先輩が憤るのも当然だ。

 

 

 解っている。先輩の気持ちも痛いほど解る。私も同じことされたら、黙ってはいないと思う。むしろ先輩以上に攻撃的になっていた筈だ。

 それでも、それでもだ。私には撃てない。これまで戦ってきたのはこの時のためじゃない。先輩を倒すためじゃない。私の戦う原点は、そんなものじゃない。

 

 

「私はずっと、貴方の背中を見てきた」

 

 

 それで良いと思った。

 弱い私を彼は、ずっと守ってくれる。

 居心地が良かった。このまま彼に甘えて、一緒に一生過ごしたいと思っていた。

 

 

「貴方は否定するだろうけど、私は貴方にずっと守られてきた。それが当たり前だと思っていた」

 

 

 だがそれは対等と言えるだろうか。先輩に相応しい女であるといえるだろうか、先輩の隣に立つに足る者の想いだろうか。

 違う、それは違う。絶対に違う。先輩は、私の知る茅場優希と言う人間は、常に前に進み続ける。どれほど困難だろうと、どれほど苦難だろうと、彼は顔を上げて歩み続ける人間だ。そんな人に相応しい人はきっと、彼の道を共に歩める人に他ならない。例えばキリトのように、妹ちゃんのように、篠崎さんのように、店長さんのように、あの人のように――――結城明日奈さんのように。

 

 

「でもそれは駄目。貴方に守られるのは素敵なことかもしれない、幸福なことなのかもしれない。でも私はそれじゃ許せない。守られているだけで満足するような、その程度で収まるような、つまらない存在になりたくない」

 

 

 結局のところ私の我侭だ。

 私だけ守られているのが嫌という我侭で、私は先輩に挑んだ。

 先輩を傷つけるためじゃない、ましてや倒すためじゃない。全ては――─。 

 

 

「貴方と戦ったのは、貴方を倒すためじゃない。貴方に証明するため。朝田詩乃(わたし)と言う存在を、茅場優希(せんぱい)の中に刻み付けるため」

 

 

 なんて身勝手な願いだろうか。

 私は自分の存在価値を認めてもらいたいから、全ての優先順位を放り投げて先輩だけを狙った。

 

 浅ましく、身勝手な女だ。

 でもそれが私の全てだ。誰がどうなろうが関係ない、世界が滅んだとしても知ったことか。私にとって先輩は全てなのだから。

 

 

「だから私は貴方に挑んだ。凄く怖かったけど、凄く嫌だったけど。一緒に歩きたいから、貴方と一緒に居たいから、貴方に――――認めてほしいから」

 

 

 先輩は何も言わない。

 私の首筋に得物をあてがい、反応すらせずに、私の言葉に耳を傾けてくれている。

 

 私は両手で、先輩の腕を掴む。

 既に銃は掌から零れ落ちて、砂原のなかに消えていった。もう私には必要がないもの。認めてもらうための手段の一つでしかなかったそれを、私は意図も簡単に手放していた。

 

 

 私を見てほしい――――貴方の後輩はまだ貴方に相応しくないの?

 私の声を聞いてほしい――――隣に立つにはまだ力不足なの?

 私の存在を認めてほしい―――ーまだ私は、貴方に守られる存在でしかないの?

 

 

 私が戦う理由なんてこの程度のものだ。

 まるで子供の我侭。こっちを見てほしいから不満を口にし泣き喚く幼子のよう。聞き分けのない童のようだ。

 

 でもそれが私の全てだった。

 守られているだけでは嫌で、今度は私が彼を守れるような存在になりたい。

 彼の隣に立つに相応しい存在になりたいから、身勝手で無謀にも彼に挑んだ。

 彼と同じ視座でいたいから、私は彼と戦った。

 

 だから私は撃たなかった。

 私が戦ったのは勝つためじゃない。彼を倒すためでもない。彼に認めてもらうために戦ったのだから。

 

 

「――――そんな理由、だったのかよ」

 

 

 一方的な私の主張に耳を傾け、静寂を保っていたた先輩が口を開く。

 

 口調は穏かなもの。

 纏っていた雰囲気は憤りを含んだものではない。ただ穏かで、かみ締めるように、先輩は続けて言う。

 

 

「そんな理由で、オマエはオレと戦ってたのか。オマエにとって銃なんて最悪なモノなのに。それを飲み込んで」

 

 

 そういうと、先輩は持っていた軍用スコップを地面に突き刺した。

 もう必要がないというかのように、私の主張を認めるかのように。

 

 

「ガキの頃からオマエは、ずっと辛い目にあってきた。周りは敵だらけで、オマエは泣き言を一つ言わない。オレはそれが我慢できなかった」

 

 

 顔を上げて、こんどこ先輩は私を見る。

 悔しそうに、許せなそうに、悲しそうな目を浮かべて、彼は続ける。

 

 

「それが今、オマエはまだ頑張ろうとしていた。オレ達に付き合って、命すら張ろうとしていた。違うだろう、それは絶対に違う筈だ。今まで頑張ってきたヤツが、それ以上頑張る必要なんてない筈だろ」

 

 

 だから彼は私を突き放した。

 彼らと同じように無茶をしないように、と。

 今度こそ私が普通の生活を送れるように、と。

 私がそんなことを望んでいないのは百も承知だ。だけどそれでも、先輩は我慢が出来なかったのだろう。私がこれ以上、辛い目に合わないようにと、自身が悪者になろうとも、私を突き放してでも、守りたかった。

 

 

「オレが要らない気を回して、余計なことをしたが、オマエは立ち上がった。オレの前に立って、オレに勝ちやがった」

 

 

 そこまで言うと、先輩は私に向かって頭を下げた。

 驚きはしない。先輩のことだ、こうでもしないと筋が通らないと考えていたのかもしれない。

 

 

「オレなんかよりもオマエは強い、オレが間違っていた。――――酷いことを言って傷つけて、ごめん」

「……許すに決まってるじゃない。貴方がすることは、いつだって」

 

 

 ――――そして、私の戦いは、

         いいえ、私達の初めての喧嘩は終わった――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからというもの私達はその場に座り込み、空白の期間を埋めるように、交流のなかった分だけ、私達は他愛のない話しに花を咲かせていた。

 久しぶりの先輩とのお喋りは楽しかった。中継カメラが視界の隅に飛んでいたが知ったことではない。逆に見せ付けるように、私は先輩の腕を掴んで離さなかった。我ながら大胆な行動であると思うが、しょうがない。久しぶりの先輩との触れ合いなのだから、テンションもハイになるというもの。今の私に怖いものなど何もなかった。

 

 

「それで先輩はこれからどうするの?」

「これからって何だ?」

 

 

 対する先輩は余裕がないのカ、振りほどこうともしない。

 これくらい甘んじて受けてもらう。些細な勝者の特権と言うやつだ。これくらいのご褒美があってもいい筈。

 

 

「まだBoB続けるの?」

「オマエに負けたのに続けるってのも妙なハナシだろ」

「そうね。先輩は私に負けたものね」

 

 

 うんうん、と噛み締めるように私は言う。事実なのだから仕方ない。そうだとも仕方ない。余韻に浸っているとかそういうことじゃない。多分、きっと、恐らく。

 

 先輩は見透かしたように、半眼で睨みつけながら忌々しそうに言う。

 

 

「……オマエ、良い性格になったな?」

「先輩のおかげよ。ありがとう」

「……どういたしまして」

 

 

 小さな抵抗とでもいうかのように、小さく舌打ちを一つ。

 見た目も相まって、小さい子供のようで可愛らしく、子供っぽい先輩の新たな一面を発見できて嬉しい。

 

 

「今頃、キリトとユウキが戦ってる頃だろうな」

「何でわかるの?」

「ユウキが戦りたがってたからな。死銃(デス・ガン)の件が終わった今なら、速攻でキリトに喧嘩を売ってる頃だろうさ」

 

 

 戦闘狂ってやつか、と呆れたように肩を竦める先輩に、私は死銃(デス・ガン)の件の事を思い出していた。本当にどうでも良かったらしく、我ながらつくづく先輩しか見ていなかったのだな、と思う。それだけ全力だったということにしておこう。

 

 

「良い機会だ。草原地帯にいるから見て来いよ」

「先輩はどうするの?」

「オレはここでリタイアだ。ぶっちゃけ疲れた。一歩も動きたくない」

 

 堂々と言う彼に、思わず笑みが浮かべてしまう。

 正直にも程があり、何よりも新鮮だった。これが先輩ではなく、等身大の彼なのかもしれない。そう考えたら可愛らしい。今までカッコいい面しか見ていなかったが、なるほどこれからはこんな一面も見れるのか。それは不味い非常に不味い。テンションがどうにかなってしまいそう。

 

 一度冷静にならなければならない。

 私は立ち上がり、お尻についていた砂を払い、極めて冷静な口調を意識して。

 

 

「二人がどれくらい強いのか、見ておくのもありね」

「……何で浮かれとんだオマエ?」

「浮かれてないわよっ!」

 

 

 見抜かれて恥ずかしい。

 顔を赤く染めて、私は誤魔化すように思わず、それこそ考えなしに口を開いていた。

 いわゆる、理性が本能に追いついていない状態。浮かれた心はどうしようもないほど暴走している。

 

 

「そもそも、いつまで先輩は私のことをオマエって言うの!? 私、勝ったんですけど! 貴方に勝ったんですけれど! 負けた人は勝った人の言うことを聞かなければならないと思うんですけど!」

「どういうテンションで、どういうキャラだオマエは」

 

 

 呆れた口調で言うと、確かにと私の言い分を受け止めて納得して。

 

 

「だが一理ある。何でもは無理だが、オレに出来る範囲なら叶えてやるよ」

「何でも!?」

「何でもは無理だって言ってんだろ。善処はする。試しに言ってみろ」

 

 

 じゃあ、と口を開きかけるが、私は尻込みをしてしまう。

 ずっと考えていた、先輩と一緒に過ごすなんて漠然とした願いよりも、ずっと考えていたことがある。言うタイミングがなかった。何せそれは、小さい頃から言われていた。ずっと呼んでいたあだ名を言い続けるように、訂正するタイミングがなかった。

 だがここに来て、絶好の状況。ここ以外でいつ訂正できるというのか。

 

 先輩を見る。

 今か今か、と私の提案を待ってくれている。

 不思議そうに首を傾げて、かなり愛らしい。抱き締めたいという衝動を抑える。

 

 女は度胸。

 大丈夫だ、今の私は強い。私にとって最強の先輩に勝ったのだから、今日一日くらいは無敵の女。

 意を決して私は口を開く。何だったら、先輩と戦ってたとき以上に緊張している。

 

 

「名前」

「名前?」

「そう、名前」

 

 

 いまいち要領の得ていない先輩に、私は消え入りそうで頼りなく震えた声で。

 

 

「これからは、名前で、呼んで……」

「……それだけでいいのか?」

「うん。今、呼んで……」

「は? 今?」

 

 

 先輩は空を見上げる。

 そこには中継カメラの姿。見せ付けるためにも使っていたそれは、今となっては枷でしかない。

 

 きっと先輩は実名は不味いと思ってくれているに違いない。

 この世の中だ。名前だけで特定される可能性すらある。だが私にはそんなものどうでも良かった。暴走した欲望が後先を考えられるわけもなく、私の夢の一つでもある“先輩に名前で呼んでもらう”ことに、必死であった。

 

 

「耳元で言えば大丈夫だと思うから」

「そうかもしれねぇが、そんなんでいいのか?」

 

 

 もっと欲を言えば、自然と名前で呼んでほしかった。言う事を一つ聞く、という前提ではなく、ごく自然とした流れで名前呼びに変化するようにしたかった。

 だがそんなこと言ってられない。ここだ、ここしかないのだ。私はやっと先輩と肩を並べるようになった。同じ視座に立ち、守られる存在ではなくなった。であるのなら後一歩、ここでもう一歩踏み込まないとならない。来るべき備えとして、あの人は名前呼びで、私だけ苗字読みとかやってられない。私だって名前で呼ばれたい。直ぐにでも。今すぐにでも。

 

 

 力強く頷く。

 梃子でも動かない私の雰囲気に、根負けした先輩は右手の人差し指を下に向けて。

 

 

「屈め。今のオレじゃ届かん」

「はい」

 

 

 言うや否や私の行動は早かった。

 残像を残すような勢いで膝を曲げて腰を落とす。

 

 先輩はそんな私の耳元に唇を寄せて、誰にも聞こえない声量で。

 

 

「――――詩乃」

「――――ッ!!」

 

 

 ぼっ、と顔が火照るのを自覚する。

 爆発したように、アクセルをベタ踏みしてするように、0から100に一気に頂点に振り切るように、勢いよく私は先輩から離れた。

 彼の名前呼びは、的確に私の脳を破壊していった。好きな人から名前を呼ばれるなんて、これほど破壊力があるのか。これは不味い、非常に不味い。幸せすぎてどうにかなってしまいそう。

 

 これは麻薬だ。

 少しでも摂取したものなら、定期的に味合わないと、身体が中毒症状に犯されてしまう。

 

 悟られてはいけない。

 先輩に悟られてはいけない。

 今が夜で本当に良かった。明るいうちであったのなら、直ぐにバレてしまう程度には、私の顔は赤く染まっていることだろう。

 

 努めて冷静に、涼しい顔でどうとでもない様子を演出し、幾重にも仮面を被るように。

 

 

「調子が狂うわね」

「それじゃ止めるか」

「絶対に止めないで。止めたら許さないから」

 

 

 それだけ言うと、私は誤魔化すように、首元から離れたマフラーを拾い上げる。

 照れ隠しに、自分の首元にまた巻こうとするが手を止めた。それから先輩を見て、それを自分の首元ではなく――――先輩の首に巻かせた。

 

 きっと彼はその意味を理解していない。

 情緒不安定だった後輩が急にマフラーを拾って、自分に巻いてきたくらいの感覚しかないだろう。

 

 今はそれでいい。

 私がマフラーを巻いた意味なんて先輩が知らなくても良い。

 でも伝えないとならない。宣誓のように、私は事実だけを伝える。

 

 

「先輩」

「なんだ?」

「今のうちに言っておくけど、私は狙ったら逃がさないしつこい女だからね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 数分後

 

 

 さて、と一言呟いてモブ(ユーキ)腰を上げた。

 ギチギチと身体を構成している何かが砕けかけて悲鳴を上げる。既に彼の身体は活動限界一歩手前。少しでも気を許したものなら、意識や闇の中に容易く落ちていくことが安易に想像ができる。

 

 予感はしていた。

 これからここに誰が来るのか。

 そして自分に何を伝えに来るのか。

 

 

 先程まで喧嘩して、遂に和解を果たした後輩の姿はない。

 彼女は草原地帯で繰り広げられている決闘を見物に向かっている筈だ。恐らく、その決闘は頂点の一角に座する者同士の戦い。出来ることなら、モブ(ユーキ)も物見遊山で高みの見物をしたかった事だろう。

 

 しかしそれは出来ない。

 告げたとおり、もう一歩も動けなかった。それは比喩表現ではなく、文字通りの意味で。向かったところで途中で力尽きることは目に見えているし、仮に到着出来たとしても、その頃には決闘は終わっていることだろう。

 

 つまりは一歩も動けない、というのは本当のことだった。

 だがそれと同時に、予感もあり彼は後輩――――シノンに着いて行かなかった。

 

 もう一つの決着を見届けるために。

 炊き付けた事への責任を取るために、来るかもしれないし来ないかもしれない待ち人を待ち続ける。

 

 待ち人は、来た。

 何かを引きずると音を伴って、地面が砂原ということもあり、足を取られながらもモブ(ユーキ)の元へと近付いてくる。

 

 驚きはしなかった。

 先程も言ったとおり、予感がした。

 故にモブ(ユーキ)は驚きはしない。振り返り目にした姿がどのようなものでも。例えその姿が――――

 

 

「よう」

 

 

 ――――自分以上に痛ましい姿であっても。

 

 眼があり、鼻があり、口もある。

 髪の毛も生えているし、それが人であり、プレイヤーの一人であることが辛うじてわかる。

 しかし何とか人の姿を保っているような状態でもあった。無事である箇所を探す方が難しく、右腕は肘の辺りからもがれており、左眼辺りは抉られているかのように潰されている。

 

 他人が見たら悲鳴を上げられるかもしれない程度には痛々しい。

 だがモブ(ユーキ)は片手を上げて、気安い口調でそのまま続けて。

 

 

「随分と男前になったな?」

「そういう先輩こそ」

 

 

 対する彼も――――シュピーゲル(新川恭二)も笑顔で応じる。

 とはいっても、口角が上がっており、辛うじて笑っていると解るくらいに酷い表情だ。本人に痛覚はないとしても、見ていて気持ちのいい姿ではない。

 

 とはいえ、モブ(ユーキ)にとってその姿が当たり前でもある。

 無傷で戦いを終わらせた方が珍しく、数えるくらいしか経験したことがない。大抵の戦闘を無傷で終わらせる方がおかしい。主にそれが、忌々しい英雄(キリト)であったり、常に騒がしい義妹(ユウキ)であったりする訳だが。

 

 軽口を軽口で返す余裕のあるもう一人の後輩に満足したのか、それとも彼が行なった成果を誇らしく思っているのか、口元を緩めながら問う。

 

 

「オマエがここにいるってことは、ケリが着いたんだな?」

「はい、キッチリ倒してきましたよ」

 

 

 そういうとシュピーゲルは肩をすくめる。

 困ったような口調で。

 

 

「でも腐ってもSAO帰還者(サバイバー)でしたよ。演技してしっかり油断させたのに、一撃で倒しきれませんでした」

「あー、なるほど。だからそんな有様なのか」

「自力が違いすぎました。しっかり反撃されましたし、殺されかけましたよ」

 

 

 ははは、と乾いた笑みを浮かべてシュピーゲルは続ける。

 

 

「どこかの誰かさんが手傷を負わせてくれてなければ、僕は負けてました。ありがとうございました先輩」

「……話しが見えねぇよ」

「ここで白を切りますか普通?」

 

 

 半ば呆れた口調でシュピーゲルは言う。

 

 

 

 彼がBoB本選に参加していたのは全ては、死銃(デス・ガン)となった兄を止めるためでもあった。

 事の発端は自分達兄弟が始めたことだ。計画を練り、殺害方法を考えて、どうやったら事故に見せかけれるか入念に下準備を始めた。シュピーゲルが――――新川恭二にとって不幸なことは、事故に見せかけて人を殺せる環境が整っていたこと、何よりも実の兄が――――新川昌一がソードアート・オンラインで快楽殺人者に成り果ててしまったことだ。

 

 順当に行けば、このまま彼も兄のような存在に成り果てていたことだろう。

 しかし状況が変わった。かつては想い人でもあった人が、先輩と慕う存在が――――茅場優希が現れたことで、状況が一変した。

 

 優希と交流し、いかに自分が恐ろしい事を為そうとしていたのか、漸く恭二は気付くことができた。何を考えていたのか、と後悔しなかった日はない。

 恭二が兄とその友人と距離を開けることは必然であった。だがこれでいいと思った。自分がいないと死銃(デス・ガン)計画は頓挫するし、兄も眼を覚ますことだろうと考えていた。

 

 結論から言うと、恭二の判断は甘かった。

 昌一は眼を覚ますどころか、計画にのめり込み始め、ゼクシードというプレイヤーを手に掛けていた。本当に瀬戸際だった。恭二が気付いて通報したから良かったものの、何も知らずに過ごしていたものなら、ゼクシードは死んでいたことが安易に想像ができる。

 

 説得もした。

 肉親には見向きもされずに、今となってはこの世でただ一人の肉親でもある。

 だが昌一は耳を傾けない。弟である恭二の言うことなど届かずに、SAOでの戦友であったという金本敦と共に死銃(デス・ガン)計画を推し進めていく。

 

 彼らがBoB本選にて、デモンストレーションとしてあるプレイヤーを殺す計画を練っていたことを、恭二は知っていた。

 それこそが“はじまりの英雄”、“絶剣”、そして――――“アインクラッドの恐怖”であった。どうして二人が彼らの存在を知っていたかなど最後までわからなかった。もしかしたら、自分の知らないところで協力者がいたのかもしれない。

 考えるだけ無駄であった。三人が狙われている。それも一人は自分が知る人物が狙われている。それだけで充分であった。恭二が兄を止める理由としては充分すぎる理由であった。これ以上、兄に罪を重ねさせないためにも、先輩を守るためにも、恭二は戦ってきた。

 

 

 今まで、自分一人で事を進めてきたつもりだ。

 巻き込まないためにも、兄を刺激して犠牲者を増やさないためにも、影に身を沈めて行動してきたつもりだった。

 

 それ故に、疑問に思う。

 目の前の先輩はどこで察知したのか。

 わざわざ、危険である死銃(デス・ガン)を狙い、自分が止める前に弱体化までさせていた。

 

 どうせ最後だ。

 こうして彼と会話出来ないかもしれない。

 だからシュピーゲルは素直に疑問を口にした。

 

 

「先輩はどうして、僕が死銃(デス・ガン)を止めると思ったんですか?」

「喫茶店で忠告してきた時だな」

「そんな前ですか……」

 

 

 おう、と言うと優希は続けて。

 

 

「オマエとアイツの関係は知らねぇが、あの時のオマエは“何が何でも自分でケリをつける”って眼をしてたからな」

 

 

 それに、と言うと優希は羨ましそうに、自分には持ってない強さを持っている恭二を羨望しているような口調で。

 

 

「オマエは自分の限界を知ってる。自分に出来る事が解ってるし、自分に出来ない事も解っているヤツだ。そんなオマエが、ケリを付けるって眼をしてたんだから、そうなんだろう」

 

 

 そこまで言うと、オレにもオマエくらいの利口さがあればな、と忌々しげに呟いた。

 

 対して恭二は、驚愕したのか残った右目を大きく見開いていていた。

 それだけ、たったこれだけで、彼は自分を信じたというのか、と。現に優希は行動で示していた。死銃(デス・ガン)を仕留める事も出来たのに敢えて見逃し、片腕を切り落として弱体化させて、後の事は恭二に託し、自分の目的であるシノンとの決着を優先させた。

 

 言葉には出さないから誤解され。

 行動で示すから解り辛く。

 何も言わないから理解されない。

 本当に自分達の先輩はどれだけ不器用なのか、と恭二は考えていると彼が言っていた「自分は一言足りない」と口にしていたことを思い出す。自覚していてもそうなのか、と思っていると。

 

 

「まぁ、今回は余計なお世話だっただろうけどな」

「余計なお世話、ですか?」

「オマエの事といい、詩乃(アイツ)の事いい、今回のオレは空回りしっぱなしだったからな。オレが出張らずとも、オマエなら死銃(デス・ガン)を一人で倒してただろうさ」

「いや、本当に助かりましたよ。滅茶苦茶強かったんですからあの人」

 

 

 自身の事を過小評価し、こっちを過大評価し続ける優希を見て思わず、恭二は抗議の声を上げた。

 兄が五体満足でいたのなら、確実に負けていたことは戦った本人が一番理解している。片腕を亡くし、主装備であったエストックを模した武器すらなく戦ってこれだけ致命傷を負わせられたのだ。優希の介入がなければどうなっていたかなんて、火を見るよりも明らかだろう。

 

 当の優希は、納得していない様子だ。

 自身の後輩があの程度に後れを取るわけがない、と言いたげに不満そうに空を見上げる。

 

 中継カメラの存在はなかった。

 実質、第三回のBoB本選の決勝戦は草原地帯。優勝者は“はじまりの英雄”と“絶剣”の決闘と、第三戦力の“恐弾の射手”の誰かに絞られたと思われているのだろう。

 敗残兵でもある優希や、既に勝ち目のない恭二に誰も見向きもしなかった。

 

 優希はその事実に不満はない。

 元より煩わしかったと思っていたくらいだ。

 

 自分達以外に誰もいない。

 空を見上げると満点の星空。

 その状況で優希は問う。

 

 

「恭二、これからどうするんだ?」

「そうですね……」

 

 

 彼は少しだけ考えて。

 

 

「警察に行きますよ。今回の件で僕が知っている事を話すつもりです」

「そうか」

 

 

 優希も恭二の言葉に驚いた様子はない。

 コイツならそうする、と解っていたように、あるがままを受け入れた。

 

 

「だから、先輩と話すのもこれで最後かもしれない。悔いの残したくない。だから――――」

 

 

 そこまで言うと、恭二は――――シュピーゲルはナイフを手にしていた。

 武装は既にこれしかない。どこにでも売られている、無骨なナイフ。それを手にして彼は告げる。

 

 

「僕と戦ってくれませんか」

「……ンでオレの後輩は、血気盛んなヤツしかいねぇんだ」

「それは先輩がそうだからじゃないですか?」

「言うじゃねぇかよ」

 

 

 そういうと、優希は――――モブ(ユーキ)は砂原に突き刺していた軍用スコップを引き抜いた。

 

 限界など知った事か、と言わんばかりに獰猛な笑みをもう一人の後輩に向けて。

 

 

「いいぜ、戦ってやるよ。ただし条件がある」

「条件、ですか?」

 

 

 首を傾げるシュピーゲルに対して、おぉ、とモブ(ユーキ)は軍用スコップの剣先を向けて。

 

 

「今から一撃で叩きのめす。完膚なきまでに圧倒して終わらせる。それはもうぐう音も出ねぇくらいな」

 

 

 だから、と言葉を区切ると、口元に浮かべていた笑みが消える。変わりに現れたなのは真剣なそれ。真っ直ぐと、蒼い双眸がシュピーゲルに向けられて。

 

 

「必ず――――リベンジしに掛かって来い」

「先輩、それは……」

「オレの後輩が、その程度も出来ねぇとか言うなよ? 最後になるかも知れないとか言ってんじゃねぇ。オマエの到達点が、ここなわけねぇだろが」

 

 

 ドクン、と熱くなるのをシュピーゲルは感じた。冷え切っていた四肢に熱が宿り始める。

 もしかしたら、諦めていたかもしれない。これから何が起こるかわからず、共犯者でもあった自分は二度と日の光を浴びれないような生活が待っているかもしれない。

 

 だが、目の前にいる先輩は、誰も新川恭二という男を信じている彼は、諦めていなかった。

 

 

「オレも詩乃(アイツ)も、ずっとオマエを待つ。いつまでも待ってる。だから必ず、戻って来い」

「……っ」

 

 

 ぐっ、と歯を食いしばる。

 もう泣き言なんて言ってられない。こんなにも先輩に、尊敬する男に言わせてしまったのだ。

 であるのなら立ち上がらないと。背中を思いっきり押してくれたのだから走り出さないと。茅場優希も朝田詩乃も、前に進み続けるだろう。ならば追いつかないと。これから待っているかもしれない障害に負けずに、二人に追いつかないと。

 

 シュピーゲルは頷く。

 そして走り出す。

 負けると解っている。

 だがそれでもと、と。

 シュピーゲルは走り出した――――。

 

 





 女性が男性にマフラー贈る意味。
 一般的に「あなたに首ったけ」というメッセージが込められているそうです。つまりはそういうこと。
 Vol.7の全てはこのために(名前呼び的な意味で)



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