ベルセルク・オンライン~わたしの幼馴染は捻くれ者~ 作:兵隊
ガンゲイル・オンライン
BoB本選 ISLラグナロク 砂漠地帯
日も暮れ始め、地平線には太陽が沈みかけている。
空は赤焼けに染まり、まるで鮮血のようであった。
既にBoB本選が始まってから、数時間が経とうとしている。三十人いたプレイヤーも既に六名。半刻と待たずに何もかもが決着するだろう。
そんな中、対峙している二人の人影。
隔てる距離は100メートルも満たない。無言で、彼と彼女は睨み合っていた。
今更であるが、こうして対峙したことがなかったことを、彼は思い出す。
いつも自分の後ろを付いて回り、無表情とは行かないが何を考えているわからない。常に苛立っていた自分とは違う、冷静で偶に零す笑みが綺麗であった後輩。自分なんかと一緒に居て、何が面白いのかてんで解らなかった。小学生からの付き合いであるが、こうして喧嘩する仲になるとは夢にも思わなかった。だからだろうか、今の状況がどこか可笑しくも感じる。
いいや、可笑しいと言うのは、正しくない。
何せ自分達が喧嘩をする原因を作ったのは彼自身なのだ。
火蓋を切り、開戦の狼煙を上げたを上げた側としては、可笑しいというのは非常識ではなかろうか。
――そうだな。
――今回の原因はオレにある。
――だったら黙って撃たれるのが筋なのかもしれねぇが。
そこまで考えて、否、と断じた。
それはありえない。それだけは違う。それこそ筋が通らないと。
彼女は立ち上がった。
立ち上がれない筈だった、そこまでの強さを彼女は持っていない筈だった。それこそが自分の知る彼女――――朝田詩乃という人物であった筈だ。
だがこうして、自分と対峙し、銃口を向けて、敵を穿とうと専心している。
ならば全力で以て応じないとならない。折れて砕けた心を拾い集めて、また形を成して彼女は立ち上がった。
それがどれほど辛いか、どれほど難しいことか、彼は理解している。愚かと断ずることなど出来ない。無駄と嗤う事など以ての外。自分が持ち得ない強さを手に入れた彼女の選択を尊重し、全身全霊で持って応じなければならない。
痛みは絶え間なく。
意識を保つのが限界。
もう満足に動くことすら難しい。
それでも、と。歯を食いしばり得物を握り締める。
自分だけ無様に朽ちてなんていられない。彼女が、朝田詩乃が、最高にカッコいい後輩が、自分を敵と認めてくれたのだ。ならばやることなど一つだろう。
一陣の風が吹いた。
砂埃が舞い、熱くなった心に冷風が差し込む。
ここまで彼女の掌の上だった。念入りな準備を行い、都市廃墟で仕留める気であったのだろう。
ここを戦場としたのなら、勝つ手段があるからこそ、ここを最後の戦場として選んだに違いない。
確かに、地面は砂で出来ている。
足はとられて、十分な走力を発揮できるとは言い難い。加えて斜線を切る建造物もない。
距離を開けられては、こちらが不利。近付ける事もなく、身体を打ち抜かれるかもしれない。
――無駄だ。
――ここまできたら、いくら考えてもキリがねぇ。
――近付けばオレの勝ち。
――近付けれないのならアイツの勝ち。
――それだけのハナシだろ。
ここに来て、彼の集中力が高まる。
血の気が多いのだ。ぐだぐだと考えるだけ無駄であるし、何よりも無駄に考えても、この局面において意味をなさない。余分な思考を切り上げる。視界から溢れる過剰な情報を削除する。彼女さえ見えていれば問題ない。他は余計で余分であると断じて――――。
息を吸い、そして吐く。
指先が緊張で揺れる。唇が怖くて震える。
私は――――朝田詩乃は今自分がやっていることに、幾分かの後悔の念を感じていた。
どうして私が、彼に、好きな男の子に、愛している先輩に――――茅場優希に銃口を向けることになったのだろうか、と後悔し始めていた。
私がシノンとしてガンゲイル・オンラインを始めたのはこんなことをする為じゃない。
全ては彼に認めてもらうために。彼の隣に立ち、彼と共に戦った人達のように、大事に思われている彼の幼馴染のように、彼の特別になりたいからではなかったのか。
それがどうして、自分はこうして彼に銃口を向けているのか。
怖かった。
出来ることなら、逃げ出したい気持ちもあった。
あの時こうしていれば、というつまらない後悔もある。
だがそれ以上に。
「――――っ」
――――先輩の真っ直ぐな眼が、臆病な私を奮い立たせてくれる――――。
彼何も言わずに、痛々しいほど真っ直ぐに、堂々とし過ぎるくらい正面から、場違いな私の
きっと彼は限界だ。汗は玉粒となり頬を流れ、顔色は青色を通り越して土気色。身体も無事である箇所なんて探す方が馬鹿馬鹿しいほどボロボロになっている。もしかしたら、立つことすらもやっとの状態なのかもしれない。
加えて、謎の存在。得体の知れない
静寂が包まれる。
一陣の風が砂埃を巻き上げて、冷え切った私の心に熱を灯す。
先輩の綺麗な蒼色の双眸が語る。
つまらないことを考えるな、と私に言うかのように、こちら側だけを見つめてくる。
それだけで、怯えきった心は晴れていく。
我ながら単純だ。つまるところ、彼に良い所を見せたいのだ。かっこ悪く情けない私ではなく、強くてカッコ良くて貴方の隣に相応しい女であることを証明したいのだ。
私が彼と対峙しているのなんて、たかがその程度。
関係のない人間を巻き込みたくない、泣いている人間を見過ごせない、不幸になっている人を救いたい、だとか私にはそんな高尚で気高い望みはない。
不要だ、邪魔だ、必要ない。朝田詩乃の人間性には余分なものだ。戦う動機に薄味が過ぎる。それでは私は必死になれない。
もっと俗っぽく、私に絶対に必要なもので、私が私足らしめるモノのためないと、この引き金を引けることはない。
全てはこのときのために。
先輩の相応しい相手と認めてもらうために、私は茅場優希を打倒する。
故に、彼女は思う―――――堂々と撃ち倒す。
故に、彼は応じる――――正面からブチ抜く。
とはいえ、
視界は朦朧とし、痛覚がないと気絶しているかもしれない。今となっては、痛みがあるからこそ意識を手放さずに、シノンと対峙することができている。
先程の、都市廃墟で見せた攻防のように、狙撃を軍用スコップで受けるなんて芸当は出来ない。
もし受けたものなら、踏ん張りが利かなくなった二本の足は地面を離れ、無様に砂原を転がり二度と立ち上がることは出来ないだろう。
そうなってしまっては、本当の終わり。意志はまだ生きているが、肝心の肉体が付いて来ないなんて洒落にならないにも程がある。
もはや意地だ。
彼がこうして立っていられるのも意地でしかない。
――何を今更。
皮肉気に彼の口元が歪む。
意地を通したことなど何度もある。意地を張らなかったことがないくらい、彼には呼吸をするのと同じくらいありふれたものだ。
意地があったから戦えた。無理を通して、身体の悲鳴を無視して、死に掛けたこともある。今もこうして、後輩をつまらない自身の意地が原因で、心をへし折らせた。
だがそれでも、自分が戦うのはこれしかない。
つまらない意地に縋りつくしかない。
そうだ、つまらない意地があるからこそ、自分は強くもなれる。
暗転する視界で、銃口を向ける後輩の姿を捉える。
頭の中で警報が鳴り止まない。撃たれたら終わると、何度も告げる。
ならばどうするか。
そこまで考えると、
既に使い道のない道具に固執することもなく、彼は不要となった相棒を左手に持つと。
「――――ッ!!」
振りかぶり、思いっきりシノンへ目掛けて放り投げる。
その速度はまるで大砲。
回転しながら、豪速となった凶器は、一寸の狂いもなく、シノンへと飛んでいく。
面を食らったのか、射撃体勢であった彼女は慌てて態勢を崩しながらも弾丸となった銃を、
「――――あ!」
思わずシノンは声を漏らした。
なんとここで、愛用としていた得物ごと弾かれてしまった。あまりにも威力の高い衝撃だったのか。
今のシノンは無手。
急いで
――勝機……ッ!
そう判断するや否や、
考えるよりも先に身体が動くように、致命的な隙を見逃すことなどなく、右手に持っていた軍用スコップを両手に持ち、天高く振り上げてシノン目掛けて推進する。
間違っていない。
今のシノンは大きなミスを犯している。
彼と彼女を隔てる距離など、100メートルほどしかに。一息に詰められる距離だ。
その状況下で、緊迫したこの状況で、自身の得物を手放してしまうというのは、あまりにも大きなミス。
接近戦に持ち込めばこちらが有利。
何せ彼女は術を持っていない。
しかし、と。
ここで
――待て
――ちょっと待て。
――ここで、この土壇場で、アイツがそんなミスをするか?
――この手はさっき見せた。
――アイツだって馬鹿じゃない、学習している筈だ。
――それに、今までのアイツは用意周到だった。
――オレを観察して、戦略を練って、算段をつけたからここにいる。
――オレの戦法も学習もしている。
――そんなヤツが、こんなミスをするか?
彼女はミスを犯した。
ならば
――それに、オレは何で。
彼にミスがあるとすれば――――。
――なんで、オレは、アイツが。
――
――――考える前に身体が動いてしまったことだろう――――。
先輩が来る。
彼なら来てくれると思った。
こんな勝機、見逃さないと、彼を信じた。
今の先輩に正面から勝てる人間などいないだろう。
それは先程の戦闘、二対一で戦っていた状況を見ていたから、導き出せた結論でもある。
致命傷のみを避けて、それ以外の攻撃は気にすることなく、最短距離で敵を殲滅する。正に戦闘の権化。力を不必要に誇示することもなく、敵を痛めつける享楽に浸ることもなく、実力を出し惜しむ慢心することもない。持っている手札を最適解で切っている。
そんな相手に勝つ方法なんて限られてくる。
むしろ賭けだ。もし先輩が私を侮っていれば、こんなこと成立しなかった。武器を手放しただけでは、彼は反応しなかった。しかし彼は反応した。それはつまり――――ここで仕留めないと後がないと思ってくれているということだ。
先輩は近付いてくる。
最短距離で真っ直ぐに。
道草など食わずに私の元へ。
脇目も振らずに私だけを見て。
彼はきっと、私が接近戦が出来ないと思っているに違いない。
出来ないからこその先の攻防。都市廃墟で見せた逃走劇だ。私に近距離でも戦う術があるのなら、命がけで逃げるのは可笑しい。術を持ってないからこその逃走であり、今の状況であると彼は思っているに違いない。
間違ってない。
以前の私には彼に対抗する手段がない。
ナイフを持ったところで、彼には何も出来ない。振り上げられた一撃は、違わずに私の肉体を切り裂くことだろう。
そう。
以前の私であれば、と話しだ。
腰に手を伸ばす。
装備していたそれを思いっきり引き抜き、両手で先輩目掛けて構える。
既に目と鼻の先にいた先輩は目を見開いた。
「――――やっぱり」
知っていたのね、と口の中で呟いた。
私と彼は小学校からの付き合いだ。
虐められた私を助けたのが先輩で、そこから私達の仲は始まっていた。
小学校、いいや学校なんて狭いコミュニティだ。閉鎖的な建物に集められて、開放される頃には夕方である。そんな中で、私の噂が飛び交わない訳がない。
人殺し。
銃を使って人を殺した殺人鬼。
子供は残酷だ。経緯や理由なんて関係ない。私が人を殺した悪者だから、と平気で正義の味方面して多人数で攻め立てて来る。私がいくらやめて、とお願いしても聞き入れられることもない。自分達は正義で、人を殺した私は悪だと、それが民意だと指差し貶し乱暴してくる。
でも先輩は助けてくれた。
違うと先輩が否定するが、私の眼には彼がヒーローに見えた。
それだけは譲らない。いくら先輩であっても、そこは曲がらない曲げられない。
私が手にしているのは、苦く悪夢そのもの。
悪夢の名は――――グロッグ18。
私が殺した強盗が持っていた銃に似たモノだった。
意識的にしろ、無意識的にしろ、私がこんなモノを切り札にしているとは思っていないだろう。
私の過去を知っていれば尚更。この状況で、サイドアームにハンドガンをもっているとは思わない。だから先輩は距離を詰めたのだろう。
信じたのは私の力ではない。私が信じているのは先輩。
彼が私を脅威とみなしてくれていること。そして――――私の過去を知っていても尚、一緒に居てくれた先輩を私は信じた。
手が震える。
頭の中で悪夢が蘇る。
血走った眼、泣き叫ぶ母の声、倒れて物言わない強盗の男の顔、額から流れる鮮血。
動機が激しくなる。
呼応して冷や汗が流れる。
照準が定まらない。
今にも折れてしまいそうな心。
でも。
――失せろ。
――今は邪魔だ。
――悪夢なんていくらでも見る。
――今このときは、この場所は、私と先輩の世界だ……!
どんな理由であれ、人を殺したのだから私は絶対に地獄に行く。
逃れることも出来ないし、言い訳をするつもりもない。
でも今は考えるのはそんなことじゃない。
逃れなれない過去なんかよりも、今は――――先輩と過ごす明日がほしい!
震えは止まった。
銃口を先輩に向ける。
先輩の姿勢は崩されない。
私の覚悟を察してくれたのか、笑みを深めた先輩は振り上げた得物をそのまま振り下ろし。
私は絶叫にも似た雄たけびを上げて、引き金に掛けた指に力を込める。
風が舞う。
突風を伴ったそれは私と先輩の中を凪ぐ。
私の首に巻いていたマフラーは解かれて宙を舞い。
そして――――。